生きづらさを感じる人が語る 経験談
タグ:「支援活用」
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記録(手紙の形式による)
○○ へ お久しぶりです。お元気ですか?私は元気です。嘘です。食欲が落ちています。食べられないと痩せてしまい、痩せると体調が崩れるので困ります。 私がどんな治療を受けているのか、詳…
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貢がなければ生きていてはいけない
わたしは女性で、4歳上の姉と両親の4人家族で育ちました。今55歳です。 母は、双方ともに愛人を持つ両親に育てられました。小学校に上がったころ実母に捨てられ(実母は愛人とともに高跳び…
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遺書を書きました。
2019年の夏,大学3年生だった私は,日中眠くて仕方がなくなりました。 始めはただの疲れだろうと思っていましたが,気が付くと夜に寝付けなくなり,学校のない日はベッドから起き上がれな…
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何もない空っぽの私
小学時代のいじめで普通に生きることができなくなった人間。殴られる蹴られる叩かれる悪口陰口罵詈雑言は日常茶飯事。持ち物を隠されたり、ボールの的にされたり、晒し物にもされた。黴菌扱いも…
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楽になりたい
自分が今まで生きてきた時間のうち、そのほとんどが自己嫌悪や希死念慮に苛まれて苦しんでいたように感じます。私は心が繊細で他人に迷惑をかけることを嫌う性格であった故に、身内や友人に相…
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生きるってなんだろ
小中高といじめられ続けてきた人生。その中で責任感が強い。心が強いって言われ続けてきた。けどそれは表の私。裏では苦しくて辛くて「助けて」の一言が言えずもがいてる自分がいた。なんの成長…
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私の小さな人生
生きづらさとはなんだろう。どんな時に生きづらかったのか、周りの環境、これまでの人生を振り返って書いてみたいと思う。 いまから半世紀余り前、私は東京都内に生まれた。2歳になってから郊…
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届かなかった願い
「どうか今日は怒られませんように」これは私がいつも小学校から帰宅するときに繰り返し心の中で唱えていた言葉だ。 物心ついたときには私は祖母から精神的虐待を受けていた。共働きの両親に代…
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生きてきた奇跡
私がPTSDと診断されたのは高校1年生の夏でした。 中3の夏の事でした。学校が終わり家に帰ると母親が違う人のように座っていました。私も近くに座ると中2まで私に虐待していた母親がいき…
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人と仲良くなれない人生
私には小さい頃から場面緘黙症があった。気付いたら他の子とは違っていた。幼稚園に入る時、他の子供達は先生に呼ばれた時に返事ができたのに、私だけできなかった。それから、「私だけができな…
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間違った人生
今、自分は、できるだけ生き易いように生きてる。けれども、「生き」ていることそのものが、どうしようもなく「辛い」。不登校になったその時点で、将来を諦めた。「死にたい」がずっと付き纏っ…
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発達障害と私と支援
今考えとADHDの特性が強く母は育てづらかったと思う。 防犯ブザーを学校に置いてきたのが分かった20時、父に学校へ取りに行けと言われたのは未だ覚えている。大人になった今、特性を鑑み…
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死にたいから生きたくないへ
「死んでもいいかな」と初めて思ったのは、小学5年生の時だった。いじめられていたわけではない。クラスの男子と喧嘩になり、その子が「死ねよ」と言った時、ふと死のうと思った。そのまま教室…
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とある身勝手な自殺
今も時々死にたいと独り言こぼすけども、かと言って実行どころか準備すらしなくなった。そんな私の体験談だが投稿してみる。 そも生きてるのが辛いと言うか、ツマラナイと自覚したのは小四…
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のろまな私と自認性
私は、生を受けたときの性別判断は女だったけど、私は純粋な女ではない。男としての私もいる。その事を頭が理解したのは中学校での修学旅行。恋愛感情・性的思考が他人とずれているのではない…
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DVからの脱出
◇DVからの脱出 何度もくっついたり離れたりを繰り返していた、2番目の元夫と隣の市で暮らし始めたのが7月末。別れる原因は色々有りましたが、一番問題だったのは経済的DVでした。 私は…