経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分で自分を救うこと


【育った家庭環境】

 両親が共働きで、私は祖母に面倒をみてもらって育った。裕福ではないが衣食住の面で不自由はなく育ててもらった。

 私は小学校高学年になる頃に心の満たされなさや強い寂しさを感じていた。それがゆえに同級生の女の子を他の子とつるんでいじめるようなことをしてしまった。悪意があったというよりは、自分が一人にならないように必死だった。そんな行動を取ってしまった自分を後でひどく責めた。

 両親は私に対し、こうなってほしいという期待や私をコントロールしたい気持ちがとても強く、また気分を私にぶつけることがあり、だんだん乏しい会話しかできない関係になっていった。父、母ととともに気難しく、私は家の中で暗さや重さを感じるようになった。

 弟の一人に知的障害があり、弟の調子が不安定な時期、家の中であばれるようなことが何年か続いた。母は宗教に救いを求めたりもし、家族のひとりひとりが苦しんでいたと思う。私は中学・高校の頃で、部活動に打ち込んだりしていたが、心の内は孤独感でいつもいっぱいだった。人の温かさやぬくもり、それからただ受けとめてもらうことを私は心から求めていた。

【強迫性障害・トラウマ】

 両親との関係が苦しかった私は県外の大学へ行くことを希望した。一人暮らしを始めたことで気持ちは楽になった。ほっとして勉強やバイトに精を出していたが、20歳頃から不安や心配な気持ちがとても強くなり、ネガティブな感情に翻弄されるようになっていく。不安障害のひとつである「強迫性障害」と呼ばれる精神の病気の症状であった。

 強迫性障害(OCD)とは、自分でもコントロールできない不快な考え(強迫観念)が浮かび、それを振り払おうとする行為(強迫行為・儀式)を繰り返し行い、日常生活に支障をきたす、あるいは日常生活が立ち行かなくなってしまう不安障害のこと。

 強迫性障害の症状にはタイプがあるが、私の場合は“何かの病原体の菌やウイルスに触れてしまって、自分が深刻な病気になったらどうしよう”と気になり、手を洗う行為が止められなくなったのが始まりだったが、そこからエスカレートして“私が触れてしまったかもしれない病原体を周りの人に拡げないために”大学に行くことができなくなっていった。“不潔恐怖”“病気恐怖”“加害恐怖”と呼ばれるような症状だった。強迫性障害は気にしないようにすればするほど悪化していくことも多いようで、私も症状がひどくなり“自分が病原体を拡げないために”人に会えなかったり、外出ができなくなり、強烈な不安と強迫観念の中でがんじがらめになっていた。

 またその後、逃げることはできたのだが痴漢まがいの人に遭ったことから、人間不信のような気持ちが強くなり、今度は“人から何かの危害を加えられるのではないか”“人から狙われていたらどうしよう”という被害妄想が強く出るようになり、そのトラウマのような恐怖や被害妄想はその後長い年月ぬぐえなかった。

 良くなかったのは相談できる人が誰もいなくて考え込むうちにひどくなり、ほとんど引きこもりの状態になっていったことだった。私は人一倍気が小さく大学の相談室のような所に行ったり、心療内科を訪ねるまでにも長い時間がかかった。そして多くのクリニックを訪ねても、数分の対処療法で薬を出して終わりという所がほとんどで、心無い対応をされて泣きながら後にしたことも何度もあった。

 私は大学に行けなくなり留年していたが、その後良心的な医師、また心の病気の経験がある大学の先生に出会えたことで励まされ、なんとか卒業までこぎつけることができた。

【その後の生きづらさ】

 その後も私は不安や被害妄想が強いままで、働くことができずに苦しい期間を何年も過ごした。実家で暮らす中、両親との関係はさらに悪化した。心のつらさから一時的に逃れるために、寝込んで過ごしてしまうとあっという間に年月は過ぎていき、また、何かひとつ動くことにエネルギーをふり絞った。

 本と音楽が心の支えであり、またネットの掲示板などで心の病気や生きづらさを経験する人の発信を読むことも小さな光になった。

 本当に少しずつ改善をはかり(心療内科、カウンセリング、ヨガ、スピリチュアルな考えなどできることは試し、金銭的に自立できない状態ではあったが両親に費用を負担してもらうことで一人暮らしにこぎつけた)、そのときに可能な範囲でアルバイトの仕事をしていった。

 そんなふうにして過ごす中、自分の内面を分かち合える人がほとんどいなかったことが、病気の症状以上につらく感じることだった。病気の状態を説明することも難しかったが、親子関係の話も“親のことを悪く言うなんて”という価値観の人が多く、すれ違いと人との温度差に傷ついていき、私は心を閉ざしていった。

【その後。移住など】

 2011年の東日本大震災のニュースを見聞きする中、私はもう心の持ち方を変えたいと思った。東北で被災された人に比べたら私が抱える問題は大したことではないと思えた。

 その後も不安定な精神状態であったが、農業の分野で働いてみる、ボランティア活動をするなど、してみたいと感じることを少しずつ試していった。

 場所を変えたいと強く思っていたので、お金は全くなかったが、その後県外への移住をした。傷つくことを繰り返した場所からとにかく離れたかった。引っ越し費用もなかったので、車に入るだけ荷物を詰め込んで車で引っ越しをした。アルバイトと共同で安価で住むことができる住まいを決めて。

【自分を救うこと】

 私はどうしたら自分らしく生きられるのか探し求めてきた。生き延びてくるだけで精一杯で、結婚や恋愛のことを考える暇はなかった。年を重ねてくるうち、心の病気の症状などの精神状態はだいぶ改善してくることができ、経済的なことや今後の仕事の方面のことなど、現実的な問題での悩みの方が大きくなった。(履歴書に空欄が多いため、面接に受かりにくい等の問題もあったり)。

 最近私は、移住先から生まれ育った石川にUターンをし、少し新しくなった環境の中で過ごしている。

 今までを振り返ってみたときに、“もっとこうしていたら”という思いはあっても、やはりその時のベストを尽くしてきていたと思う。両親に対しての思いも、もう関係を断ちたい程の気持ちになった時期があったが、両親はそのときそれ以外の接し方を知らなかった、そうする以外にできなかったのだと今は感じる。

 「自分で自分を救うこと」というタイトルにしたのは、自分で自分を愛することこそが、私にとって大切なことだと感じるから。周りからの愛をいつも求め、満たされなさやうまくいかなさを人のせいにする生き方を繰り返してきたと思う。けれどそのあり方自体が自分をも苦しめてきたと思う。

 自分が心から自分自身を応援し、心とからだの声に耳を澄ませて、ありのままの自分を生きられるようになっていくことが、私にとっての幸せなのではないかと感じている。

【最後に】

 生きづらさの経験について書かせていただくことができて、感謝をしています。

 私がこれまで一番にきつかったことは「孤立」と「心の病気」だったと感じてきました。それから、いくつかの大変なことの重なりや繰り返しは、本当に人を参らせるなぁ~と最近も感じました。

 そんなときはただ息をして何も考えずに、目の前のことを淡々としていくことなのかなと感じたりします。状況は変わらなくても、たとえば誰かの優しさに触れたり、小さなきっかけでふと気持ちが軽くなったり、救われるのも人であると感じています。

感想1

 投稿者さんの経験を教えてくださってありがとうございます。

 経験談を読んで私はまず投稿者さんの生き抜いてきた軌跡やその時その時の状況や状態が整理されている文章だと感じました。そして、ここに至る(整理された文章が書けるようになる)までに、その時その時の苦しさにもがきながらも自分を生かそうとする選択を探し行動してきたことも伝わってきました。

 経験談全体を通して、生きづらさを強化する社会の課題や生きづらい中で自分を生かすヒントが沢山詰まっているように私には感じられました。

 子どもの頃の経験からは、両親からの期待やコントロールする気持ちの強さもあって投稿者さんが孤独感を抱えるようになったと思うのですが、一方で障がいを抱えた子を育てる家族へのケアや障がいを抱えた子の兄弟姉妹が家庭内でどのような影響を受けるのかどのようなケアや関わりが必要かといった課題も含まれているように思いました。

 投稿者さんが強迫性障がいの症状や痴漢まがいの被害によって苦しんでいた時の経験からは、相談室や病院に行くにはハードルがあることや、行こうと思えて行動しても対処療法に偏った病院が多くなかなか自分にあった病院に辿り着けないこと、当事者性をもつ人(心の病気の経験がある人)と出会うことが前を向くことにつながることを教えてもらった気がします。私は、自分に合った病院や当事者性をもつ人に出会うことの難しさも孤立を強化したり長引かせる要因としてあるのではないかなどと考えてしまいました。(もちろん、自分を生かすために人間関係を少なくして刺激や負担を減らすことが必要なときもあると考えています。)

 それと、「“親のことを悪く言うなんて”という価値観の人が多く」という言葉も印象的で、社会の中に多くある価値観によって投稿者さんも心を閉ざさざるえなくなったのだなと思いました。それらの社会によくある価値観は、いつも相手を理解しようとせずに頭ごなしにやってくるのでたちが悪いなとも考えています。生きづらさは社会が作っているなと私は思いました。

 投稿者さんが、【自分を救うこと】や【最後に】の中で教えてくれたことは、生きやすさや人の成長にもつながる大切な考えや感覚だと私は思いました。一番最後の一文からは、「人」という生き物としての自分を客観的に眺めてみることを教えてもらった気がします。 

 ここに書かせていただいたこと以外にも、投稿者さんの経験には社会の課題とその中で自分を生かすヒントが散りばめられていて多くのことを学ばせていただきました。ありがとうございます。

感想2

 経験談を送ってくださってありがとうございます。

 自身の育った環境、気持ちなどをよく整理して振り返ろうとされている文章だと感じました。とくに、感情を表現する言葉が豊かだと思いました。たくさんの感情を身にもって経験されてきたことが、表現を豊かにしたのかなと思い、また他者の感情を受け止められる豊かさにも繋がりはしないだろうか、と考えました。気持ちと気分は、似ているけど少し違うものなのだろうとも考えました。

 小学校高学年になる頃に感じた「心の満たされなさや強い寂しさ」は、さまざまな背景から生じたのだろうと思いますが、それはあなただけで背負うものでもなかったのではないかと思います。満たされない・寂しい気持ちに向き合ってくれる人がいないことへの満たされなさ・寂しさがあったのだろうかと思いました。それに、両親から期待やコントロール欲を受けていたら、自分の話を聞いてもらおう、気持ちを知ってもらおう、というふうには思えなさそうです。

 大学時代の「強烈な不安と強迫観念」は、言葉に変換するのも難しく、なかなか誰かと分かち合えるものでもなかったのだろうと思いました。また、症状を一人で何とかしようとしている様子が目に浮かびました。何とかしようとしているのに、どうにもならないどころか深刻化していくように思えると、絶望的な気持ちにもなりそうです。

 あなたの経験を聞いて、孤独感と恐怖は似ている(何かしら結びつきがある)のかなと思いました。また、一度抱いた感情はすぐには消えないもの、もしかしたらずっと消えないものなのかもしれないと思いました。消えることのない感情を持つなかで、それをどう表現したり、他者と分け合ったりすることができるかは、環境によって違ってくるのかなとも考えました。

 「心のつらさから一時的に逃れるために、寝込んで過ごしてしまうとあっという間に年月は過ぎていき」という時間、あなたが長い道を逃げ続けてこられたように私は思いました。一人で逃げ続けても誰かと交わることはなくすれ違っていき、一人であり続けた…という感覚なのだろうかと想像しました。また、価値観の違いで否定されてしまうような経験は、心を閉ざすのに十分だと思います。同時に、それらの経験は、あなたが人との交わりを求め、試みたことの証明でもあるのかなと思いました。

 その後、あなたが「してみたい」と感じることがないわけではなかったこと、それを試したことを知って、私はほっとしました。人は苦しみ続けたあとでも、何かを「してみたい」感情が全く起きなくなるわけではないのかなと思えました。

 また、あなたは苦しい日々の中で何かを考え続けてこられた人でもあるのかな、と私は思いました。どこでなにをしてきたか以上に、自分なりに考えてきた経験が、人生を尽くしてきた実感に繋がるのかなと考えさせられました。

 現在は、他者からの強い期待やコントロール欲を受けることや、価値観を否定されることはあまりなくなったのかなと想像していて、それが、自分を愛してもいい、そのままで生きてもいい、と感じられるような余裕をつくったのかなと考えました。

 あなたの価値観や思いを、これまでの経験とともに知ることができて、私は嬉しかったです。

お返事1

 感想をありがとうございました。

 書いた文章に寄りそっていただけたことに対して本当にありがたく感じ、また自分の過去や経験について、他者の視点からみることができるとても貴重な体験でした。

 感想の中で“自分に合った医療機関や当事者性をもつ人に出会うことの難しさ”という点を書いていただきましたが、孤立している期間が長くなることは苦しさがつのり、回復できないままに現実的な面(就業や経済的な面など)がどんどん滞っていくことも、同じようにとても苦しいことだったとふりかえって思います。

 また家庭の中で居場所がなかったり話ができる人がいない場合、家族以外の身近な人や繋がりの中で、相談事ができる人がいるとそれだけで少し助かると思うのですが、関係が希薄なことが多い現代社会では難しい場合も多いのだろうと思います。

 私の場合は気が小さい体質もあり自分で自分を押し込めてきたということもありますが、言い知れない寂しさを感じていても、周りの人や学校の先生などを含め心を許して話せる人がいなかったため、自分の置かれた状況の中でなんとかしのいでくるしかできなかったです。

 “強迫性障害”は大変つらさを感じる精神の病気だと感じます。普通に日常生活や仕事などができなくなってしまうつらさ、人に理解してもらえなかったりなかなか回復していくことができないつらさ、その繰り返しと孤立状態が私を死にたいほどの気持ちにさせたと思います。

 頭の中でいろいろなことが起こっているので周りからとても分かりにくいし、ばかげた(と思えるような)想像や強迫観念であるがゆえに人にも言いづらいです。

 現在はコロナ禍ということで、健康な方でも似たような状態の方がおられるかとも思いますが、たとえば強迫性障害の症状でも“自分が病気に感染していて人に菌やウイルスをうつしてしまったら”という強い強迫観念が日常的にあったり、“自分が行動を取ることで人に迷惑がかかってしまうのではないか”などの強迫観念や不安にとらわれ動けなくなってしまうといった症状が出ることがあります。

 私自身もそういった強迫観念との闘いに、長い年月翻弄され消耗しながらきました。現在は良くなりましたが、まだマイナーな心の病気でもあると思うので、読んでくださる方の参考になればと補足させていただきました。

 “孤独感と恐怖は似ている”と書いていただきましたが、孤立している寂しさというのは物事を悪化させていってしまうと思っています。悩んでいることがあっても、人と話したり誰かがいることで、ほんの少しほっと安心することができるということは、普通のことのようでなんて大きなことだろうと思います。

 そして私自身もそうでしたが、そういった人との繋がりを望んでいても得られない状態にいる人がとても多くおられるのではないかと感じています。

 “温度差”ということを自分の元の文章で書きましたが、ひとりひとり立場や状況、生まれ育ってきた背景も違うのだから温度差を感じて当然であり、でも温度差を感じても、少し気にかけてくれるということ、無関心ではないこと、そういった人のもつ優しさや真心のようなものに、人は助けられる生き物であると感じます。

 また私自身も無関心でないように生きたいと思っています。

 自分の経験を書かせていただける機会をもてたことにとても感謝しています。
 「死にトリ」さん、本当にありがとうございました。 

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