経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
小学時代のいじめで普通に生きることができなくなった人間。
殴られる蹴られる叩かれる悪口陰口罵詈雑言は日常茶飯事。持ち物を隠されたり、ボールの的にされたり、晒し物にもされた。
黴菌扱いもされたし、やる事成す事全て邪魔された。
周りは敵だらけ。
味方はどこにもいない。
担任ですらあてにならない。両親などもっとあてにならない(自分が学校での出来事を話さなかったのもあるけど)。学校の敷地内はすべて戦場。逃げ場はどこにもない。
何度も殴られ蹴られ的にされた。
何度も何度も 何度も何度も 何度も何度も 何度も何度も 何度も何度も 何度も何度も 何度も何度も 何度も何度も。その痛みにずっと耐えてきた。何度も耐えた。苦しくて辛くて悔しかった。味方などどこにも居ないから心情を吐露することもできなかった。
正直死にたかった。でも死ぬ勇気は無かったし、死んだら奴らの、あのゴミ共の言いなりになった気がして嫌だから出来なかった。だから生きるしかなかった。
「死にたい」という気持ちが燻り続けている中で生きていた。
死んで楽になりたい気持ちと、死が怖い気持ち、
「死ね」だの 「消えろ」だの言われた時の
「こんなクソみたいな所で死んでたまるか」という気持ち、
誰かに助けてほしい気持ち、助けて欲しいけど人間が信用できない気持ち、色んな気持ちが混ざり合い、 心の中をそれ一色に染め上げていた。
絶えず渦巻く気持ちと、繰り返される痛み、湧き上がる憎しみ苦しみを噛み締め、心を押し殺し、ずっと耐えてきた。
才能を見つけるチャンスもセンスを磨くチャンスも捨てた。
全ては生き残る為に。
それが大きな足枷になるとも知らずに。
あれから十年足らず。社会人になった。
今まさにその足枷に苦しめられている。
人間が怖くて堪らない。
人間は全員敵だと思っている節もある。
今いる環境はあの時とは違うし、敵として認識していた奴も居ないのは良く分かっている。
それでも怖くて怖くて堪らない。
能力もセンスも才能も何もない自分にも苦しめられている。
あの時、あの地獄の中で生き残る為に捨ててしまっていた。
あの地獄を生き残る為の代償として使ってしまった。
周りは前へ進み続けているというのに、自分は過去に囚われ前に進めずにいる。
自分がやっと一歩前へ進めた頃には周りははるか先、手が届かない場所にいる。
そして他人に嘲笑され、自分も他人も嫌いになっていく。
思い描いていた人間像とは全くの別物になってしまった。
こんなのになりたくてなったんじゃない。
こんな人間の出来損ないの死に損ないに。
思い描いていたのはもっと普通の人間だ。
当たり前のことを当たり前にできる人間になりたかったはずだ。
なのに、なったのは人並みのこともできない人間。
人間が嫌いなくせに他人を頼らないと何もできない人間。
他人に散々迷惑をかけたくせに謝ることすら出来ないゴミ屑のような人間。
そんな現実の自分に嫌気がさす度に「あの時死んでおけばよかった。」などと思う。
だが、死ぬにはもう遅すぎた。
死ぬにも縛りが多くて死ぬに死ねない。
あの時ならば縛りも少なくて楽に死ねただろう。
もう嫌だ。こんな人間でいたくない。
こんな生き方はもうウンザリだ。
21年生きてきて、迷惑しかかけてない。
「死ぬのが一番迷惑だ」とかいう言葉も耳にするが、このままずっと迷惑かけ続けるくらいならそっちの方が千倍マシだ。
たった一度迷惑かけるだけで、それから先は自分は存在していないから迷惑かかることもない。
なぜ、周りは普通に生きていけるのに、自分はこんなにも苦しいのか。
嗚呼、憎い。
自分が、自分自身が。
奴らが、自分をこのザマにした奴らが。
奴らは私の人生を狂わせた。
それさえ無ければ、もっとマトモな人間になれたのに。
あの時代さえ無ければ今頃もっとマシな生き方をしていただろう。
願わくばこの手で、奴らの全てを破壊し、粉砕し、蹂躙してやりたい。
奴らは人間一人の人生を狂わせ、破壊したのだ。
ならば逆に蹂躙されても文句はいえないはずだ。
だが、現実にはそんなことできるわけが無いから、今日も私は生きていく。
奴らへの憎しみと過去のトラウマに囚われて。
自分への憎しみと失望、奴らへの憎しみを抱えて、生きていく。
何もかも失った事実を抱えて、周りに流され生きていく。
こんなのになりたくてなったんじゃないと思いながら。
何もない身も心もそれ一色に染め上げて。
こんな駄文を読んで頂き、有難う御座います。
文章を作るのが苦手なので、伝われば、幸いです。
感想1
経験談を読ませてもらいました。
いじめを止めようとする大人がいなかったことを憎く思いました。
悪意を持って他人を攻撃し、邪魔をしてくる人の言いなりになんてなりたくないですよね…と勝手に共感してしまいました。死んでしまいたいけど、死んだら言いなりになるからできない、せめぎ合う思いに挟まれているところを想像しました。
ひたすら繰り返される痛みに耐えて生きたあなたの強さは、常人にはないものだと私は思います。でも、そんなものが欲しかったわけではないのだろうとも思います。
人を信用できない(しない)ことは、生き延びるためのやむを得ない手段だったのではないかと思いました。
チャンスを捨てた、というよりは、奪われたといってもいいのかなと思いました。それから自信も奪われてしまっているように感じました。今もあなたを苦しめている足枷に、世の中の大人全員が向き合わなければいけないのではないかと思います。いじめを見て見ぬふりをしているのは、担任の教師だけの責任ではないように思うので、誰も他人事にはできないと思うのです。
私は、敵だと思われてもいいから今少しだけでも横にいたい気持ちになりました(邪魔にならない程度の距離で)。
もっと普通の人間になりたかった、という思いには頷けます。自分や他人をそこそこ信用できるのが普通の状態である、と解釈すれば、あなたにも普通になる権利があったのに奪われたのが悔しいと。でも、あなたが出来損ないだとは思えなかったです。
私もまだ考えている途中なのですが、どうやら人は自信を奪われていると、自分が周りの人に迷惑をかけているという認識をしやすいのかもしれません。
人を頼ることは、人間であれば当然のことで、それは迷惑ではなく、協力なのかなと思います。仮に迷惑だと見なされることがあれば、それは足枷(トラウマ)について知識がない、あるいは単に対人関係が不器用な相手なのかなと…。
あなたが奪われたものを、思い通りの形で取り戻すことはできないのだろうと思います。過去はどうやっても変えられないので…。21歳からでも、あなたが求めるチャンスが用意されてほしいなと、私は思ったので、どんなチャンスが必要なのか、これからも死にトリを通して意見交換できたらなと思ったところです。
感想3
学校に居場所がなく、恐怖を感じひとりで耐えてきて、我慢されたきた様子が伝わります。
攻撃されたことで、他人が怖くなるのも当然でなぜその人達のせいで自分を憎み、犠牲にならなければならないのか。今吐き出せた気持ちを当時話せていたり、気付いて支えられていたらどんなに楽だっただろう。とやり切れない感情になり本当に救う手立てがなかったのか?それが出来ていたら他人を信じられていたし、ご自分を責めなくて良かっただろうと。改めて考えさせられます。そんな思いを抱えているからこそ、人の痛みが分かる部分もあり、迷惑かけていると何度も出てくる言葉から投稿者さんの文章を読んでいると優しく責任感のある方だと印象をもちました。
過去に対する思いがまっすぐに伝わり、いじめによって心に残る傷やトラウマを抱えて生きる現実を投稿者さんの体験と共に理解していきたいと思います。
「今日も生きていく」この言葉に覚悟と強さを感じましたが、人生への諦めの気持ちもあるのかな。と勝手ながらに想像し、他人と自分を信用したい気持ちと他人によって傷つけられ、自信を失ってしまったもどかしさを感じているのだろう。と私は考えます。
辛い経験を消すのは時間がかかると思いますし、完全に消えることは難しいと思います。特に嫌な記憶は鮮明に残り、ふとした時に思い出され、忘れたいのに忘れられない後味が悪くなる感覚を私自身は持っていますし、理想とかけ離れた現実に悩む所は私にもあるのでなりたくてなったんじゃないという表現にとても共感できました。文章を書いて少しでも投稿者さんの気持ちが整理されていたらと思います。
今も生きづらさを感じるあなたの話をもっと聞いてみたい、普通というのは多数派で決まってしまうと私は時折、錯覚してしまう場面もあるので機会があれば一緒に考えみたいと感じました。お時間が許せばまた聞かせていただきたいです。
お返事1
読んで頂き、有難うございました。
拙い文章ですが、伝わったようで何よりです。
あの時代から約10年、誰にも言えず押し込んでいた思いを、へたくそな文章に載せて書かせて頂きました。
駄文を読んで下さったこと、感想をお寄せ頂けたこと、ひたすら繰り返される痛みと恐怖に耐えて生きたことを「常人にはない強さ」と言っていただけた事、全て感謝の念に堪えません。
今の心境といたしましては、感想にもありました通り、奪われたものを思い通りの形で取り戻すことは不可能でしょうし、あの時代の記憶に苛まれ続けることでしょう。
何度も思い出して苦しみながら生きていくことでしょう。
ですが、失った物を思い通りの形でなくても 少しでも僅かでも取り戻していくこと、憎しみや怒りではない新たな生きる原動力になるものを見つけることが出来ればな、と思います。
どれだけの時間がかかるのかは分かりません。途方もなく膨大な時間を要することでしょう。
そしていつか、いつの日か、過去と対峙し己の手で決着をつけ、足枷を壊すことが出来れば良いなと思います。
感想1
経験談を読ませてもらいました。
いじめを止めようとする大人がいなかったことを憎く思いました。
悪意を持って他人を攻撃し、邪魔をしてくる人の言いなりになんてなりたくないですよね…と勝手に共感してしまいました。死んでしまいたいけど、死んだら言いなりになるからできない、せめぎ合う思いに挟まれているところを想像しました。
ひたすら繰り返される痛みに耐えて生きたあなたの強さは、常人にはないものだと私は思います。でも、そんなものが欲しかったわけではないのだろうとも思います。
人を信用できない(しない)ことは、生き延びるためのやむを得ない手段だったのではないかと思いました。
チャンスを捨てた、というよりは、奪われたといってもいいのかなと思いました。それから自信も奪われてしまっているように感じました。今もあなたを苦しめている足枷に、世の中の大人全員が向き合わなければいけないのではないかと思います。いじめを見て見ぬふりをしているのは、担任の教師だけの責任ではないように思うので、誰も他人事にはできないと思うのです。
私は、敵だと思われてもいいから今少しだけでも横にいたい気持ちになりました(邪魔にならない程度の距離で)。
もっと普通の人間になりたかった、という思いには頷けます。自分や他人をそこそこ信用できるのが普通の状態である、と解釈すれば、あなたにも普通になる権利があったのに奪われたのが悔しいと。でも、あなたが出来損ないだとは思えなかったです。
私もまだ考えている途中なのですが、どうやら人は自信を奪われていると、自分が周りの人に迷惑をかけているという認識をしやすいのかもしれません。
人を頼ることは、人間であれば当然のことで、それは迷惑ではなく、協力なのかなと思います。仮に迷惑だと見なされることがあれば、それは足枷(トラウマ)について知識がない、あるいは単に対人関係が不器用な相手なのかなと…。
あなたが奪われたものを、思い通りの形で取り戻すことはできないのだろうと思います。過去はどうやっても変えられないので…。21歳からでも、あなたが求めるチャンスが用意されてほしいなと、私は思ったので、どんなチャンスが必要なのか、これからも死にトリを通して意見交換できたらなと思ったところです。