今考えとADHDの特性が強く母は育てづらかったと思う。
防犯ブザーを学校に置いてきたのが分かった20時、父に学校へ取りに行けと言われたのは未だ覚えている。大人になった今、特性を鑑みるに父は恐らくアスペルガーなのだろうと思っている。
小学生の時から妹達のミルクやお風呂の手伝いは当たり前で、祖母を引き取った後は子守兼祖母の見守りが義務だった。
それが嫌で早婚。
結果、前夫の度重なる不貞とモラハラで離婚。
私にも悪いところはあったんだ、直さなきゃいけない。
この時から自分を変えなければとなった気がする。それでもいまだに誰かと話した後に傷つけたかもと内省する癖は変わっていない。自衛のために会話を録音する癖も抜けない。雑談は格段に上手くなった。相談に乗ることも多い。愚痴も言える。でも誰も信頼が出来ない。
その後縁あって再婚。子供が生まれるが、他にADHDの子もいたのでそちらに気を取られアスペルガーの特性まで気付かず。
思春期になり、金を盗み続けられ、公的機関に相談しても「なんで大きくなる前に気づかないの?」と責められ続け不眠になる。自分だけで抱え込んではダメだと色々な公的機関に相談に行くが、結局は「本人が一番苦しいんだから。お母さんが頑張らないと」となる。
そもそも本人には悪意がない。専門家に家庭内なら犯罪にならないと言われ、「辛かったから仕方ない」と免罪符をえているから。
「欲しかったから仕方ないじゃないか」「他のうちはもっともらってる」
そしたら交渉するんだよ、と伝えても伝わらない。メモで書けばなくす。ホワイトボードは機嫌が悪い時に消して「なんて書いてあったんですか」
アルバイトで稼いだ3万円を半月で使い切り、足りなくなるとお金を抜き出す。財布を金庫にしまっても、夫は「何で俺がこんな事を」と出しっぱなしで盗まれる。寝込んでいるタイミングで盗まれる。衝動性を抑える薬は飲む必要がないと子供は言う。
「手伝う事あるなら夜のうちに言ってね」と伝えれば、他の子を学校へ送る段になってから「あれがない。探すの手伝うべきじゃないですか!」と暴れる。
子供を信じられない自分も嫌だが、他の子のお金まで盗まれても全ては「信用しないから悪い」となる。
では他の子の気持ちは?衝動性があったら何してもいいの?
薬を飲むよう言うのも睡眠障害の子に「十一時には寝よう」と伝えるも過干渉だと言われる。
私に普通は分からないからこそ、医者と相談してきて行った事も責任は私にあるとなる。
そうすると余計に自他境界があやふやな親子だから辛くなる。
親が癌になったのをきっかけに介護も発生し、子供も同意した為施設で預かってもらっている。
そうした中で気になる点があり、夫がアルコール依存とアスペルガーだった。私の察する能力は抜きん出てると友人に言われたが、そのせいだったのかと腑に落ちた。自分の体調が分からないで飲む。飲みすぎて家族に当たっても覚えていない。
本人もまずいと9年掛かってやっと通院し出したが、私自身も家族支援も必要とアルコール依存の通信教育を始めた。
その間にも夫は「行かないでほしいけど、行くならレシートは捨てて隠しきれ。バレたら認めて謝る」との約束のセクキャバを繰り返した。
前夫の不貞時に勝手にいろいろ会いに行った父が「やるならバレない様にしないと」とアドバイスをしていた。確かにそうだが、結局のところ私の身内に気を許せる人間がいない。
それを知っていてやっては反省を繰り返す夫は、特性だから仕方ないのか?
子供や夫の辛い気持ちに寄り添いたいが、本人には利用されて文句を言われ続ける。満足出来ないから。抱え込まない様に色んな外部に助けを求めても、専門家よりもこちらの方が深く考えている事に絶望している。
家族のは発達障害の特性だから仕方ない、理解すべきだ。本人の方が辛い。
では、私の辛いは誰が拾ってくれるのか?
支援者の支えを頼んでも、伝わらないのは私の伝え方が悪いのか?問題解決に走られて窮屈だったと言われたが、本人がやると言った事に疑問を抱いたらダメなのか?
考える事に疲れているけれど、他の特性持ちの子達がいるので考える事が止められない。
気分転換は昔に比べて出来るようになったけれど、繰り返されるトラブルにどこまで相手をしないといけないのか。
施設にいる高3の子供の進路も「一人暮らしする」と聞いていたので児相側で子供と考えてくれているかと思いきや、「一人暮らししたいけどお金については考えていない」で終わっていた。
「何でもいいから働きたい」とも言っていると聞き、それでいいと思っているのかと児相に聞くと「考えが幼いですよね」で終わる。
薬を飲む必要がないと子供は言っていたが、施設では飲ませていると言う。それなら本人も必要と理解したのかと聞けば「飲まされてる」と思ってるままにしていると言う。
それでは独立した後に子供が飲まなくて本人が困るのでは、というと「言われてみたらそうですね!」となる。
子供が出来るようにフォローする側がこんな調子で、私はどこまで責任を負うべきなのか。
そもそも、療育と過干渉の違いってなんだろう?
私が療育だと思ってたのは矯正なのか?そしたらその区別は?
選択肢があるのは選べる様にしたつもりでも、薬は飲むべきものとしてきたのが悪いのか?
と自問自答が尽きない。
カサンドラであるだろう母親の病院付き添いやお金を貸すのは当たり前、そして働いてない妹に親が金を出すのが当たり前になっている。
搾取子ってこう言う事なんだろうなと思う。
どこに逃げればいいんだろう。
疲れたのでさっさと死ねればいいなと思っている。
育児までも努力は求められて評価はされず、子供の問題は全て親が解決するべきだとは思わなかった。自分が問題だから助けられないのかと思っていたが、今ではもう何が正しいのか分からない
感想1
経験談読ませて頂きました。私には、「私の辛いは誰が拾ってくれるのか?」という言葉が印象的でした。タイトル通り「発達障がい」に翻弄され、「支援」を頼ると子どもにだけ焦点が当たり、母として頑張ることを求められ、あるいは、支援者からは関わる責任が感じられず、結局自分が責任を負わなければならない、自分がいつも支える側でいなければならず「私」を支えてくれる人がいない、そんな逃げ場のない気持ちが伝わってきました。
そして、子どもの頃から家のため家族のために家事やお世話をし、実家を出て新しい家庭を築いても子どものため。常に周りから「当たり前」とされて、それをするための努力や苦労を、認めてもらったり労ってもらうことが無いことが、更に投稿者さんの辛さに拍車をかけてきたのかなと想像しました。夫さんもアスペルガーとのことなので、本来心の支えにもなって欲しいパートナーから情緒的な関わりが得られず、努力しても承認されず、ただただ自分だけが努力し疲れるばかりの日々なのかなと思いました。
また、「考える事に疲れているけれど、他の特性持ちの子達がいるので考える事が止められない。気分転換は昔に比べて出来るようになったけれど、繰り返されるトラブルにどこまで相手をしないといけないのか。」という部分を読んで、自分の子どもが他の子に迷惑をかけるのではないかと心配しているのかな?と想像しました。ただ、子ども同士の関わりは本人たちの問題であり、そこで対人関係の失敗を経験するのも、一つの学習の機会になるのではないかと思いました。そのように他の子たちと関わることのできる機会を用意されているという点は、本人にとってプラスの環境を提供できているのではないかなと考えました。
ちなみに、気分転換が以前と比べてできるようになったきっかけは何かあったのか、気になりました。よければ教えてください。