私は、生を受けたときの性別判断は女だったけど、私は純粋な女ではない。男としての私もいる。その事を頭が理解したのは中学校での修学旅行。恋愛感情・性的思考が他人とずれているのではないかと思ったのも中学時代。 感情と思考のずれに違和感を覚えるきっかけとなったのは、とあるきっかけで交流するようになっていた女の子からの質問。
「ねぇねぇ、”N“(本当は本名の愛称で呼ばれましたが、イニシャルに置き換え)。Nは好きな男子とかいるの?」
私は一瞬フリーズしかけた。その時までも、そしてその後から今までまでも、同性異性を問わずに好きになった人がいなかったからだ。話しかけてきた女子”K”は、しつこいことが分かっていたので、好きな人がいないことを伝えても、「なんで?なんで?」としつこく迫られるのは明白だった。そこで、少し考えるフリをして、”K”も知っている男子の名前をあげ、理由も「優しいから」と適当に片想いの相手像をでっち上げた。この時から、私の無理は始まっていたのかもしれない。
男としての自分に関しては、以外とすんなり受け入れることができた。そうすることで、男子との会話がスムーズに進むから。具体的には、私は男子との会話でエセ男言葉を使う場合があるのだ。無意識に。クラス内での会話で普通にエセ男言葉を使っていたので不思議と違和感を感じなかったが、修学旅行中のとある出来事の際に、脳が理解した。「今、私はエセ男言葉を使っている」と。出てくる相手は現状、同学年の男子だけだが、いつ目上・年上の人に使ってしまうか、常に緊張している。これも、「無理している」に入るのかもしれない。
性別違和に関して、次に出てきた問題は「化粧」。全く興味を持てない。化粧品をつけることで自分を偽っているようにも思えてしまう。幸いにも、親・ 親戚一同には化粧のけの字も言われたことがないので、この点は救われているのかな?いつ言われるか怖いけど。
これら全ての点を繋げてくれたのが、成人後、一回勤め先をクビになってから自分探しをしていたときに出会ったセクシュアリティの診断サイト。
結果は、心の性がFtX、恋愛思考がアロマンティック、性的思考がアセクシュアル、表現したい性がトランスジェンダー、となった。
今まで感じてきた違和感が綺麗になくなった。ただ、ここからが地獄の始まりだった。自認性という括りになる以上、言い訳扱いされるリスクがあるのだ。どんな言い訳の理由として、信じてもらえないかを考えてみると「化粧したくないから」「働きたくないから」「結婚したくないから」となった。おおかみ少年として、今後一切、はなしを聞いてくれなくなる、というのは親子関係の崩壊に繋がるから避けなければならない。でも、一番の理解者である親なら信じてくれるかもしれない。しかし、他の家庭とは違う点がある。パパを本気で怒らせると、一番怖いし最悪の場合、家族を捨てる可能性があるのだ。
ママから聞いた話によると、幼少期に一度、ママと私は経験しているらしい。その時は両家の祖父母が一同に介するレベルだったとのこと。同じことが起こったとき、私のせいになるのは、どんな償い方をさせられるのかの想定がつかない・したくないので、避けるにこしたことはない。
それに、親に言えない理由は他にもある。それぞれの両親(私から見たら両家の祖父母)に、それぞれがアウティングしてしまう可能性。そこまでは許容範囲だが、その先、近所の人たちとの会話でポロっと出てしまったとき、変な噂に発展しかねないし、わざと話す可能性のある人物が紛れている上、その人物には盗み聞きの癖があるし、現在同居中である。中途半端な情報で、事態が悪化しかねないのだ。
自分で自分を自殺に追い込む種をまくほど、落ちぶれてはいない。だから、親や親戚一同とパイプのある人には言えない。言わない。
そして、親に言えないというハンデには、弊害もある。LGBT(Q+)フレンドリーな企業のなかには、性別欄のない独自の履歴書が用意されている場合がある。それを印刷できない。性的マイノリティ関連の名を冠したイベントに行けない。
行けない、というよりも「行くための申請を出せない」が正しい。
私はお小遣い制ではなく、必要なときに必要な額を申請する方式で、仕事探しやおつかいなどの生命活動を維持している。そのため、必要なお金を請求する際、5W1Hも伝える必要があるのだ。これが日常化しているせいで、ちょっとしたことでも連絡がないと催促されるまでになってしまっているので、はやく家から脱出したい。
仕事探しで面接にいこうとしても、申請は必要なため、どんなところに面接に行くかチェックされてしまう。そこで、申請先であるママからNGが言い渡されてしまう。「あんたじゃ、無理」と。そして、ドタキャンする羽目になる。「人の3倍、時間がかかるんだから」が常套句だが、作業系である前職(国のとある施策?で実習生として勤務後、正式採用された)で方針転換が決まるまでの間、繁忙期に土日も出勤してたのお忘れ?土日跨いだ数日の連続勤務のあと、休み1日とかの週もあったよ?となっているが、労働基準法を盾にされるので無理。言えない。あそこがおかしいって言われる。
ドタキャンするの面倒だから、NG出ないところ探さないと。どこなら大丈夫なのかわからん。ネット上で何か…。設備への初期投資の面でダメそう。
の結果、半分諦めモードになっている。
実際、ネット上で、ゲームカテゴリの動画投稿の経験があり(現在、失踪という形で活動休止中)、別名義ではあるが、TRPG配信の2次創作を投げている身としては、ネット上はとても居心地が良い。引っ越したい場所No. 1。でも、嫌ってる人がいるから我慢しなければならない点のが多い。音量面で見れない動画やアーカイブがあったり、声をかけられたときにすぐに反応できるようにしてなくてはいけないせいで、集中できなかったり(こっちは調べ物してるときもだな)。
我慢するくらいなら、触れられない環境に行きたい。とも思うけど、法律上たぶん無理。仕事とご飯と風呂と寝ることしかやることがない環境なんて、世論的にはブラック確定だろうからね。
だから私は今日もこれからも、普通の女子のフリをするだろう。
感想1
経験談読ませて頂きました。私には、自分のセクシャリティを現実世界で表現できずフリをせざる得ない抑圧と、自分の行動に対する家族からの評価により制限されている抑圧の中で様々なリスクを回避しながら暮らしていることが伝わってきました。そして、その環境に身を置かざる得ない事情もあるのかなと思い、その事情が、タイトルの一部となっている「のろまな私」と表現されていることと関係しているのかなと想像しました。
ここに書かれている範囲で、あなたが置かれている状況を想像すると、セクシャリティについては、社会の中で偏見やアウティングのリスクがつきまといますし、何かするにも親がハードルにもなるしで、あきらめの気持になったり、ネットに居場所をつくったりするかもしれないなと思いました。私にとってこの経験談は、我慢する安全か、自分らしいリスクある冒険(適当な言葉が冒険しか浮かばずすみません)かを考える機会となりました。どちらも人が生きている時に割合の大小はあれどしているようにも思うし、危険度が高いほど安全を優先せざる得ないと思うし、悩ましい問題だと思いました。ただ、1人で考えるよりは誰かと考える方が視点や方法も増えるので、安全なところで自分を表現しながら考えていくのもいいのかもしれないと思いました。