生きづらさを感じる人が創る
のびアート
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quarter century
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
スマホもないあの頃に撮った桜の写真です。
当時のわたしの心を映したような世界がそこにはありました。感想1
桜とその隙間から見える青空は陰影とコントラストがうつくしくて、優しさと同時に切なさを感じます。四半世紀を超えて、投稿者さんの記憶にも残っている風景なのでしょうか。フィルムカメラの写真の色という感じがして、私は見ていてなんだかうれしくなりました。この写真を見せてくれて、ありがとうございます。
感想2
一瞬、絵画かな?と思う色合で、古いもののような、新しいような、違う世界のような不思議な気持ちになる写真でした。桜というのは本当に不思議な力のある存在だなと思います。桜に意思があるわけではないだろうから、否応なく咲くのだろうと思うと、桜は単体ではなく自然の一つの出方なんだろうなと思います。ほかの植物だってそうだけど、なぜか桜には様々な想像をします。
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ねぇ、君。こんな時間にどうしたんだい?家には帰らないのかい?
おうち、かえりたくないの。
どうして帰りたくないんだい?
えっと、あの。わ、わからないの。
でも、かえりたくないの。
お父さんやお母さんが心配するよ。
しんぱい? それってこわい? いたい?
どうしてそんなことを訊くんだい?
だって、おじさんしんぱいっていった。おうち
感想1
この人にとって「おうち」はこわい場所で「お父さんやお母さん」がすることは、こわくていたいことなんだろうって思った。悲しいし、悔しくなる。「かえりたくない」と思って行動できるのは強みと言えるかもとも思うけれど、夜遅くの街の中なのかな、そこもきっと安全な場所ではないのだろう。けれど、「おうち」よりはマシと感じる瞬間も少なくないのかもしれない……。この夜も、次の夜も、その次も、ずっと、この人がこわくなくいられる場所ってどうしたら見つかるんだろう。
感想2
この子のおうちに帰りたくない気持ちは切実なものなのだと感じられました。その理由を自分でも説明できないのは、おうちにいるときは自分の思考や感情を押し殺しているためなのかもしれないと想像しました。「心配」という言葉を知らず、その未知の言葉が父母と結びつくと恐怖や痛みを与えるものだと解釈してしまうほどの過酷な環境のおうちなんだろうと胸が痛いです。せめてこのおじさんがいい人であれ…と願わずにいられません。
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「素を見せて」
なんて言われても私にはできない。
仮面の重圧に押し潰されて私の顔はなくなってしまったのだから。
あの人といる時は
ニコニコな仮面
あの友達といる時は
少し真面目な仮面
あの子といる時は
ふざけた仮面
そんな仮面を重ねていたら
知らない間に仮面に埋もれてる顔が
消えてしまった、無くなってしまった。
沢山の仮面を外した後の私は。
ただののっぺらぼう。
とても笑えるでしょう?
でも怖がらないで
どうか嫌わないで
お願いだから。圧
感想1
本当の自分てどれなんでしょうね。私も関わる人によって「自分」が変わりますし、場面によってふるまいや態度が変わり、まるで別人のような時があります。しかしどれも私だとも思います。この複雑な社会では全部自分のままでいられることはとても稀なことなのかなと思いました。まだまだ見つかっていない自分もきっといるだろうし、できるだけ心地よい自分に出会いたいなと思いました。まだまだ私も難しいけど
感想2
のっぺらぼうというよりも、わからないってことなのかも?と思った。私たちって、案外、素顔っていう顔を持っているわけではないのかもしれない。たくさん影響されて、どんどん押し流されて、自分らしい自分をわかるのはむずかしい。でも「わからない」は「ない」とはすこし違うような気がする。この詩の「私」は自分の感覚で受け取って言葉にしていて、それは、わからないけど、「私」の心があり、顔があり、体があり、そこにいるってことなのだろうなと思った。
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写真を撮るのはむずかしい。でもねこは可愛い。
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
1人でねこカフェに行きました。ねこが足元に来て私を見つめてくれた瞬間がありとても可愛かったです!!
え?写真は完全にそっぽを向いてるって…?ごめんなさい私が不器用なせいです。感想1
ふわっふわの毛並みがすてきですね。ねこさんたちはカフェ内を気ままに過ごしているのでしょうか。最高の瞬間には,自分のまなこでかわいい姿をしかと見つめるので忙しいものですから、そっぽ写真なのも致し方ないことかと思いました。
感想2
パッと写真を見て、「背中を預ける」というのは、信頼の証でもあるのかなと感じました。私は犬を飼っているのですが、かわいいと思った一瞬をおさめることはなかなか難しく、いつも苦戦しています。そういったことも含めて、思い出という写真になっているのかなと考えました。
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無題
感想1
こんなテンポは私の生活の中に無いなと思いました。ものすごく遅いか、ものすごく早いかしかなくて疲弊しているなと思いました。ヨーロッパの田舎の草原の中に佇む小屋の日当たりのいい椅子で揺れているような、安心したテンポが流れていて、安心する音だなと思いました。
感想2
コーヒーを飲みながら、持ってきた本のページをゆっくりとめくっていくような情景が浮かびました。お返事を書いている今日は春らしい陽気の夕方ですが、雨の日であったり、静かな深夜に聞くと、また違った景色が浮かびそうな気がしています。
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GAME OVER
感想1
ゲームオーバーでも、やさしいなって思いました。最後の方のうねるような音の感じが、さびしく不穏な感じもしたのですが、それも含め私は心地よさを感じています。「ああ、うまくいかなかった」「だめだった」ってときの画面にこれが流れるなら、ちょっといいかも(でもそのシチュエーションでばかり聞いていたら悲しいものって刷り込まれちゃうのだろうか…?)と考えていました。
感想2
「GAME OVER」という文字と共にやや暗い背景がパッと映り、でも不穏さというよりもどこか悲しげな最後で「あと一歩だった…。」そう思わせるような映像が私には浮かんできた気がしています。『続きから』『初めから』の選択肢画面が出ながら、この音を聴いているのはどこか絶望的かつ、不思議と耳に心地よいような…そんな気もします。幻想的なホラーゲームで流れてきてほしいなと勝手ながら想像しました。
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過去は消せないけど
それを
ずっと背負い続けなくてもいい。無題
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
誰も私のことが見えてないみたいで孤独だったので、私が私自身にと書きました
感想1
この作品にまつわるエピソードに「私が私自身にと」とあり、これは自分自身を見失わないための指標のような言葉なのかな…と想像していました。
感想2
私もいつか、背負っているものを少しずつでも下ろしていきたいし、でもそれをこれまで許可していなかった自分がいることに気が付きました。誰も自分が見えていないのではという孤独を感じる中、自分に言葉をかけたその背景には、様々な心の揺らぎや想いがあったのではないかと感じました。
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水に 触れる
風に 触れる
鳥の 鳴く声
木の葉の そよぎ
あふれる 自然の 優しさは
いつも 一方通行
耳を 傾けても
分からない言葉 持ってる
空に ひかり
朝と夜の ひかり
朝日の グラデーション
星の またたき
朝も夜も 流れるメッセージ
世界の あちこちで
たくさんの 波紋が
生まれては 消えていく
形を 持たない
メッセージの 意味は
誰も 知らない
かみさまの あいことば
心にある ことばの カケラ
何に 呼応する?
波紋が 重なりそうで 重ならない
違う 波間で 揺れてる
たくさんの メッセージたち
水が揺れる
風が過ぎるアンビエント
感想1
読みながら、書かれた自然音たちが聴こえてくるような…そんなイメージが浮かんでいます。自然の優しさが「あふれる」という考えが、私には無かったなという気づきと発見があり、自然の「声」に耳を傾ける瞬間を作りたい衝動にかられました。”自然のもの”が私たちに送るサインやメッセージはきっと沢山あって、今も知らない間にそれは生まれては消えているんだろうなと思うと、どこか切ない気持ちにもなりますが、”確実な存在としてある”ということも、同時に強く感じたような気がしています。
感想2
日常の中には「わかる」ことが当然とされるものが溢れているので、意味が飽和して苦しくなることが私にはあります。この詩の中にある、自然からの「メッセージ」は、簡単に読み取り可能な意味に還元されきれないものなのだろうと思いました。重ならないまま、通り過ぎてゆくものたちから、なにかはわからないけれどなにかを受け取ること。それに耳を澄ますような得がたい時間を、作者さんはたくさん知っているのかなと思いました。
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シャッターチャンス
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
手のポーズの隙間から見える目がお気に入りです。
自分の記憶に景色を覚えておこうとしているので視線が正面を向いていないけど、それが自然体な感じがするところがポイントです。感想1
そっと静かに舞うような花びらと、エピソードにあった、手の隙間から見える目(視線)が印象的に感じました。撮りたい瞬間がある時、自分の記憶にしっかり留めておきたくて一瞬時間が止まったような感覚になることがあります。この絵の中の人物も、そんな感じがあるだろうか…と考えています。
感想2
桜が舞っていることから、切り取っているのは春の風景かな?と思ってみていました。この子と一緒に向き合って座っているような構図に見えて、もしかして私も含めて撮られちゃってる…!?なんて考えちゃいました。紙には描かれない、この子の覚えておきたくなった風景は、どんなに綺麗なんだろうと想像が膨らみます。
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浮き沈み
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
この子は、誰かに教えられた訳でもないのに、シーソーの手摺を足掛けか何かと思い込んでいるようです。浮いているときも沈んでいるときも、まともに座れていないのは同じです。ずっとずっと間違い続けています。
感想1
誰かに教えられたわけでもないのにそうしているということは、この子はシーソーの安全な乗り方を誰にも教えられていないということなんだと思いました。人のテンションもシーソーのようなもので、浮き沈み自体は避けられず、私はいつも振り回されています。感情と安全に付き合う方法を誰にも教わらず、手探りの私をこの子と重ね合わせてしまいました。
感想2
ゲームであればスター状態のような、エネルギーに満ち溢れている右側の子と、一点の光もない暗闇で、力を失ったように天を仰いでいる子との対比が、くっきりはっきりと一枚の中に分かれているのが印象的でした。どちらも大人に教えられる「正しい」座り方ではないかもしれませんが、その座り方がしっくりきていたり、違った体勢を取らずにはいられない何かがあるのかなと考えています。
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奈良公園の美人な鹿
感想1
個人的にですが、久しぶりに鹿をまじまじと見たからか、「おお…鹿だ…!」という不思議な感動?を味わっています。ピンと大きく広がった耳で、きっとこちらの会話を聞いているのかなと思いました。一点に集中してるようにも見えて、もしかしたらこの目線の先には美味しいおやつが…!?と考えています。尻尾や足先、模様などなど、改めて「鹿」を知れた・感じられた一枚でした。
感想2
ほっそりした曲線のシルエットと毛並みの艶やかな感じがきれいだなぁと思いました。つぶらな瞳がじっと見つめているようで、奈良公園ですしとても人に慣れた鹿さんなのだろうなと思いました。私も奈良公園に鹿に会いに行ったことがあるのですが、おやつの力で囲まれすぎて、こんなふうにじっくり見られなかったので、むしろこの写真で出会い直している気がします。
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イヤーマフのわたし
感想1
制服を着て少し不安げな表情のように見える気もしますが、飛び込んでくる音の刺激を軽減してくれるイヤーマフ、「わたし」にとってどんな存在なのかな...と気になりました。私自身、初めて学校でノイズキャンセリングイヤホンを使って、少し楽にはなるけれど周りの目が気になっていた時があったことを思い出しました。
感想2
パッと見たとき、吸い込まれそうな瞳に目が行きました。水色と茶色と白でまとまった画面から凛とした雰囲気を感じますが、これはイヤーマフのおかげで静かさを保てていることを表しているのかなと感じました。けれど、通学路かすでに学校にいるのか、表情から緊張している様子が伝わってきて、いかにも肩の力が入っていそうだなと思いました。少しでも緊張がゆるむ瞬間があってほしいなという気持になりました。
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僕たちのご飯、美味しそうでしょう!
作品にまつわる質問
この作品の好きなところを教えてください。
ご飯食べてるところが偶然撮れたんだけれど、なんだかご飯を来園者に見せながら食べている気がする。(気のせいかもしれないけれど)
そう見ると、コガネメキシコインコさんの得意気な表情に見えて好き。感想1
こういう色に産まれるのにどれほどの歴史と物語があったのだろう。なぜだったのだろう。情熱的でエネルギーに溢れていて、この色じゃなく生まれたかったという気弱な子もいたのではないか、僕は薄い青がよかったなどいじけている子もいるのかなとか。いろんな想像をしました。命って不思議ですね
感想2
タイトルもあってか、「どう?いいでしょ」というようにも見えてきそうで、頬がゆるみました。こちらは鳥や動物たちを見ている意識が強くなることもありますが、あちらも人間たちを見ていて、私たちは見られてもいるんだよな...と思い出させてもらった感じもします。
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心の表れみたいな空
作品にまつわる質問
この作品の好きなところを教えてください。
自分の心を表してるみたいです
虹は明るい気持ち
曇ってる空は死にたいという気持ちを表してるみたいです感想1
曇り空に死にたい気持ちを重ねているのだと書いてあって、たしかに私も快晴の空の日よりも曇り空の方が拒絶されずにそこにいられる気がしている自分に気づきました。その中の、はっと目を引く虹はむこうの木々のもとから伸び上がるようで、写真に残しておきたくなるのも自然なことのように思いました。
感想2
幼い頃、虹の根元はどこにあるんだろうとワクワクしていた気持ちをふと思い出しました。カラフルな色のグラデーションと、どこか哀愁漂う曇り空が、なんだか不思議なバランスを保っているように感じた一枚でした。
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いつでもおいで
君を待っているから
ここは退屈な場所
僕はずっとここにいた
いつでもおいで
君は何か言いたかったみたい
ここには何も残らない
面白いよね
僕はいつまでもここにいる
いつでもいいよ
君は誰かと話したい?
何もないよ
僕は答えた名前なんていらない
感想1
「いつでもおいで」「いつでもいいよ」の声が、それぞれ細く・今にも消え入りそうに聞こえてきたような感覚が私の中ではありました。退屈で何も残らない…。でも、僕と君にとっては、きっと大切な・なにか特別な場所でもあるんじゃないだろうかと想像します。読みながら、切ない気持ちや寂しさも感じる詩に思いましたが、「意思」を感じられるような作品でもある気がしています。(私の感覚ですが…。)
感想2
「君」を待っている「僕」は、退屈な場所から動けなくて、だからこそ「君」の訪問を心待ちにしているのかなという風に想像しました。退屈な・何も残らない・何もない場所といわれたら寂しい雰囲気でいっぱいな気がしますが、「僕」と「君」の二者のみしかいないことが、逆にシンプルで濃密な空気を醸し出しているようにも思えます。特別なことには名前を付けるのが難しく、だからこそネームレスのままがいいのかもしれません。
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私はあの子に嫌われなくなくて「優しい子」という袋を被った。
私は先生に嫌われたくなくて「優等生」という袋を被った。
私は親に嫌われたくなくて「勉強のできるいい子」という袋を被った。
最初はみんな袋越しの私を見て喜んだ。
仲良くしてくれた。褒めてくれた。
でも今は違う。
私が「いい子」で「優等生」で「優しい」ということが当たり前になった。
袋の中の空気はだんだんと薄くなって息苦しくなっていく。
袋を被り始めたのは自分なのに。
自分が被った袋のせいで言いたいこともまともに言えない。
あの時の自分と変わってないか、袋に穴は空いていないのか。
いつもそんなことを気にしてる。
きっと自分で自分を殺しているんだ。自業自得
感想1
相手に合わせて自分を演じることは、ネコ被りという可愛い表現では収まらず、窒息に至るような切実な苦しさがあると感じました。自業自得とタイトルにありますが、袋を被ることがこの人にとっては日々を生きるために必要な戦略だったのだろうと思います。いつか袋が外れたり、あるいは穴が開いてしまったけど案外大丈夫だったということが起こってほしいなとつい思ってしまいました。
感想2
相手や状況に応じて自分を変える術を、「袋を被る」という表現に変換していることを興味深く読みました。優しくて優等生で勉強ができるあたまのいい子・・こうして文字に連ねてみても、呼吸が浅くなるような閉塞感を感じます。袋を被り続けることに疲弊してきているけれど、嫌われるかもしれないという可能性が1ミリでもあれば、簡単に脱ぎ捨てることもできない・・そんな葛藤も垣間見えるように思いました。
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お金がないって言うけどさ
金かかるの知ってて産んだんでしょう?
欲しい物はちゃんと言えって言うけどさ
言い出しにくい雰囲気作ってるじゃん
なんで産んだの?
なんで育ててるの?
しんどいなら産まなきゃよかったのに
親なんて嫌いだ
こんな雰囲気の家は嫌いだ
なんて、本当はそんなことない
本当に嫌いなのは、大嫌いなのは
無駄に遠慮して
本音が言えないのを人のせいにして
産んでくれて、育ててくれた親に
こんな酷いことを思ってしまう
自分なんだ本当に嫌いなもの
感想1
読みながら、勝手にですがとても共感してしまった私がいます。怒りや悲しみ憎しみ…「どうして?」「なんで?」が心や脳を支配する中で、考えて考えて・感じて感じて、最終的に、自分が一番大嫌いで許せない存在だと痛感させられるような…そんなループから抜け出せずにいる苦しみがあるのではないかと、私自身の経験も踏まえ、そのように考えました。自己嫌悪に苛まれる中、でも確実に怒りや苦しみも存在するからこそ、グルグルと思考が巡りまたつらくなる、そんな想いも詩から読み取れたような感覚もありました。本当は直接届けたい(かもしれない)気持ちを、このように作品として書き出すことで、また違うカタチで自分で落とし込めようとしている背景もあるのではないだろうかと、これも私の勝手な想像です。
感想2
どれだけ近くにいても
分からない
私たちの世界は どこまでも交わらず
一人一人の中に無数の歴史と「世界」がある
「どちらか」かしなかないと思うのは
他に広がる無数の世界や言葉を観えなくさせている何かがあるということで
あなたに悲しさを感じる心があることは
決して悪いことではないのではないかと思います
また親の中にも無数の世界があり
親もまた観えていないのかもしれない
私たちはどのような時に
どような時間の中で
これまで観えなかったものが観えるようになるのだろうか
本当は声を出している無数の命に
どうやったら耳を傾けることができるだろうか
そんなことを考えました -
掃除も自炊も洗濯もやる
たまにご褒美で定期的にお菓子とか買って
仕事もまあまあ上手く行ってる
でもふと考える
いつまで生きればいいんだろう
そんなこと考えながら
いついなくなっても後悔のないように
やりたいことはやる
いきたいところには行く
食べたいものを食べる
そんなこと知らないから
結婚やこれからのことを聞かれると戸惑う
とりあえず今は、若くてやりたいことをやりたい時期だという口実でやっていけるだろうか?
おわらせるのは怖い
生きるのも怖い、体を傷つけることも
ただ空気のように消えて
最初からいなかったような終わり方ができればいいのにと思う叫
感想1
最初に読んだとき「叫」という題と比べると詩には抑制された筆致を感じました。いやでも、この生活に根差した言葉一つ一つを私は淡々と読んでしまったけれど、本当は、もっと吐息の中にある言葉だったかもしれず、ぎざつきみたいなものを勝手に取り去ってしまっただけなのかもしれないと思い直し、またいちど読みました。それでこの言葉そのものだけでなく、言葉の間、空白のところに、言葉にならない悲鳴や叫びが留め置かれているように感じました。たしかに私たちが本当に怖いとき物語のように上手に叫ぶのは難しい気がするのです。だからこのような形の叫びが必要なのかもしれないと考えました。
感想2
切実な「叫」があることを文中から感じつつ、すこし進んでは立ち止まり・すこし進んでは立ち止まりを繰り返す情景が浮かんできたような気がしています。迷いの中、自分にとっての何かを見つけようと、苦しみやもがきがあるのではないだろうかと、そんな風に、感覚的にですがイメージが浮かんだ私もいます。「おわらせる恐怖」というのは時に、「何かを始める恐怖」にも通ずるものがある気が私はしていて、同時に、その狭間にいる苦しさも伴うような…そんな感覚があるように思います。
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もうすぐ4月
誕生花の桜が咲く
誕生日を迎えたくない
私にとっていちばん大切な花
桜が咲くのを見届けたら
散る時は一緒に逝きたい
ささやかな幸せも
胸の奥のちいさな声も
つめたい世界に埋もれてしまう
それでも いつの日か
「桜と一緒に生きたい」
そう心から言えるようになりたい桜隠し
感想1
「さくらと一緒に生きる」という言葉が印象的でした。よくみかけるソメイヨシノの寿命は60~80ねんくらいだそうで、人間と同じくらいだそうです。桜は沢山種類があって、長く生きるものは1000年近く生きるのだとか。花が咲いていない時期でも着実に見えないところで呼吸をし、根を張り、静かにゆっくり変化している。それは桜の意思でもなく、太陽や土や世界に誘われているのだと思うと、さくらと一緒に生きるというのは、自分を構成する見えないものに耳を澄ませるということのように思いました。
感想2
いちばん大切な桜という花を遠くからみつめるだけでなく、桜に「私」の心の一部を託しているような感覚を受けました。「つめたい世界」にいながら、桜にはそれとは違う温度が宿っているのかなぁと思うと、風景はさむざむしいばかりではないような心地にもなります。今日も、午前中に家の近くを歩いていたら、たくさんの花をつけた大きな桜の木と、それを見上げる人たちがいて、私もすこし立ち止まって見ました。私は桜を「巡ってくる」ものの象徴のようにも感じてきたのかもしれないと、この詩を読みながら考えています。
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自由
作品にまつわる質問
この作品の「生きのびポイント」はどこですか?
世界はひろいのです
感想1
自由というタイトルが印象的でした。描いてある世界は自然を征服して人間(誰か)の思い通りの世界を作っているようにも見えて、でも重々しい鎖がところどころにあり、むしろ不自由が裏にあるような気がしました。コントロールできない世界の中で生きているのに、あたかも自分の意思でコントロール可能かのように思わされて生きている私たち。本当の自由とはどういうことだろう。きっと身体でしか体感できない、どこか開かれる感覚なんだろうと想像して観ていました。
感想2
ファンタジーの最初にある世界地図や、たくさんの労働者が汗を流しながら働く高山の遠景の写真を思い出しました。工業的な仕組みが作り上げられた土地で、自由というには、なんだか不穏な感じがします。時間が支配する空間の中で、矢印のようなものをふたつつけたものは生命なのでしょうか。ここにはたくさんの労働がありそうなのに、ひとかげがないのが気になります。かれらが逃げ出したか、あるいは消滅したあとの世界なのだろうか…と思いを巡らせていました。
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飲み物飲み飲み
感想1
生活、というものの中に私たちはいるのだと感じます。マグカップにペットボトルのジュースを注ぐことも、水滴も、計画された図ではなく、何かの典型からは少しのずれを感じるから、むしろ実存に近しいものだという気がします。ふとした瞬間に撮った写真なのでしょうか。そこに意味があるではなくてもどうにか触れようとするようにみていることはできるのかもしれないと自問自答しています。
感想2
カメラのライトで照らされたようなコップと炭酸飲料の奥は真っ暗闇で、写された瞬間に至るまでのストーリーをいろいろと想像しています。タイトルの軽やかなリズム感と、写真が纏うちょっとダークな雰囲気が、なんとも不思議なバランス加減に感じられました。
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ただ息をしてる
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
頭のノイズが消えなくて、でも生きていたくて描いた曲です
感想1
頭の中に入ってきて自分をかき乱し、消費させ、生命すら疑わせるノイズに抗う様子を切実に描写した歌だと思いました。「壊れないんじゃなくて壊れきれないだけ」の言葉がすっと入ってきました。不完全なままで、痛みを含めてすべてを抱えて生きていく決意のようなものを感じました。
感想2
自分の身に起こるままならなさに向き合うことの苦しさと、そこからどうにか生き延びようとする意思が、一つ一つの歌詞にも、メロディ構成にも表れているように感じました。「静寂さえも優しくない」 「鍵をかけてもすり抜けてくる」との部分は、思わず私自身の状況も重ねて耳をすませていました。
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飛べないモモンガ
感想1
このモモンガさんの笑顔を見ていると、自分が持っているものを上手に使えなくてもいいし、そのことを悲しみながら過ごす必要もないんだなと思いました。自分の上手くできないことを嘆くより、自分が出来ることや笑顔になれることを探すように生きていきたいなという気持ちになりました。
感想2
タイトルだけ見たら少しネガティブな印象も受けるのに、あまりに楽しそう、というか幸せそうとすら感じる表情や空気感に、このモモンガはただ飛べないのではなくもしや飛ばないことを選んでいるのでは...!?なんて感じました。飛べないのだとしても、心から笑って過ごすことができるのだとしたら飛べるかどうかはさほど重要じゃなくなるのかなぁなど考えてみています。
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旅行
作品にまつわる質問
制作環境や画材などについて教えてください。
北海道の洞爺湖だった気がする。
忘れかけてる、
けどこの写真を撮った瞬間
ちゃんと覚えてる。
この写真、ほんとはもっと大きい
けどそこには自分が写ってた
消した。
自分が居るより背景は綺麗だから
感想1
青!って感じ。湖も空も山も向こうの陸地も青みがかかって、広大さを感じました。写真からさらに切り取られれているということで、パーソナルさが少ないからなのか、たんじゅんに私がいったことのない場所だからか、なんだか遠い不思議な世界のようにも見えます。だけど事実そこにいたことを、あなたの記憶は覚えているんだなぁと思いました。
感想2
背景だけに切り取っても広大な風景にみえて、この写真の中では消したとしても確かに覚えている、写真を撮った瞬間の投稿者さんは、その目に映る綺麗な景色の中、どんな空気を吸い込んでいたのかなぁと思いました。きっとたくさん想像しきれないあれこれがあることにも、少し気づかせてもらっている気がします。
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無題
感想1
ちょうど日が暮れてきた窓の外を眺めながら聴きました。ピアノは詳しくないのですが、明るすぎず暗すぎず、中間をすっと静かに通り抜けていくような、優しい曲だなと感じました。
感想2
優しいけれど、どこか少し寂しさを感じさせるメロディだと思いました。その寂しさは人を掻き立てるようなようなものではなく、郷愁の類いのような落ち着き払ったもののように感じました。
感想1
アフリカンバティックのような色合いと図柄が印象的でした。真っ直ぐ茎を伸ばしてわさわさと葉を茂らせたセロリは、柄の中が合っていたのか、あるいは、柄に適合しようと自分を変化させていったのか。いろいろと想像を巡らせていました。
感想2
作品を観て浮かんできた曲があったので、脳内に流しながら感想を書いています。軸が太く、しっかりとしたセロリだなぁなんて思いつつ、そのセロリを囲むような…支えるようにも見える模様たちひとつひとつに、どんな意味が込められているのだろう・意味はなくとも、どのような感覚で描いたのだろうかと、勝手にですが気になった自分がいます。全体を今一度見ながら、ホワイトセージに火をつけるシャーマンの映像が浮かんできて、不思議な感覚にもなりました。(全て私の想像です)