生きづらさを感じる人が創る
のびアート
のびアートとは?詳しくは
こちら投稿はアプリからできます。
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お金がないって言うけどさ
金かかるの知ってて産んだんでしょう?
欲しい物はちゃんと言えって言うけどさ
言い出しにくい雰囲気作ってるじゃん
なんで産んだの?
なんで育ててるの?
しんどいなら産まなきゃよかったのに
親なんて嫌いだ
こんな雰囲気の家は嫌いだ
なんて、本当はそんなことない
本当に嫌いなのは、大嫌いなのは
無駄に遠慮して
本音が言えないのを人のせいにして
産んでくれて、育ててくれた親に
こんな酷いことを思ってしまう
自分なんだ本当に嫌いなもの
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掃除も自炊も洗濯もやる
たまにご褒美で定期的にお菓子とか買って
仕事もまあまあ上手く行ってる
でもふと考える
いつまで生きればいいんだろう
そんなこと考えながら
いついなくなっても後悔のないように
やりたいことはやる
いきたいところには行く
食べたいものを食べる
そんなこと知らないから
結婚やこれからのことを聞かれると戸惑う
とりあえず今は、若くてやりたいことをやりたい時期だという口実でやっていけるだろうか?
おわらせるのは怖い
生きるのも怖い、体を傷つけることも
ただ空気のように消えて
最初からいなかったような終わり方ができればいいのにと思う叫
感想1
最初に読んだとき「叫」という題と比べると詩には抑制された筆致を感じました。いやでも、この生活に根差した言葉一つ一つを私は淡々と読んでしまったけれど、本当は、もっと吐息の中にある言葉だったかもしれず、ぎざつきみたいなものを勝手に取り去ってしまっただけなのかもしれないと思い直し、またいちど読みました。それでこの言葉そのものだけでなく、言葉の間、空白のところに、言葉にならない悲鳴や叫びが留め置かれているように感じました。たしかに私たちが本当に怖いとき物語のように上手に叫ぶのは難しい気がするのです。だからこのような形の叫びが必要なのかもしれないと考えました。
感想2
切実な「叫」があることを文中から感じつつ、すこし進んでは立ち止まり・すこし進んでは立ち止まりを繰り返す情景が浮かんできたような気がしています。迷いの中、自分にとっての何かを見つけようと、苦しみやもがきがあるのではないだろうかと、そんな風に、感覚的にですがイメージが浮かんだ私もいます。「おわらせる恐怖」というのは時に、「何かを始める恐怖」にも通ずるものがある気が私はしていて、同時に、その狭間にいる苦しさも伴うような…そんな感覚があるように思います。
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もうすぐ4月
誕生花の桜が咲く
誕生日を迎えたくない
私にとっていちばん大切な花
桜が咲くのを見届けたら
散る時は一緒に逝きたい
ささやかな幸せも
胸の奥のちいさな声も
つめたい世界に埋もれてしまう
それでも いつの日か
「桜と一緒に生きたい」
そう心から言えるようになりたい桜隠し
感想1
「さくらと一緒に生きる」という言葉が印象的でした。よくみかけるソメイヨシノの寿命は60~80ねんくらいだそうで、人間と同じくらいだそうです。桜は沢山種類があって、長く生きるものは1000年近く生きるのだとか。花が咲いていない時期でも着実に見えないところで呼吸をし、根を張り、静かにゆっくり変化している。それは桜の意思でもなく、太陽や土や世界に誘われているのだと思うと、さくらと一緒に生きるというのは、自分を構成する見えないものに耳を澄ませるということのように思いました。
感想2
いちばん大切な桜という花を遠くからみつめるだけでなく、桜に「私」の心の一部を託しているような感覚を受けました。「つめたい世界」にいながら、桜にはそれとは違う温度が宿っているのかなぁと思うと、風景はさむざむしいばかりではないような心地にもなります。今日も、午前中に家の近くを歩いていたら、たくさんの花をつけた大きな桜の木と、それを見上げる人たちがいて、私もすこし立ち止まって見ました。私は桜を「巡ってくる」ものの象徴のようにも感じてきたのかもしれないと、この詩を読みながら考えています。
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自由
作品にまつわる質問
この作品の「生きのびポイント」はどこですか?
世界はひろいのです
感想1
自由というタイトルが印象的でした。描いてある世界は自然を征服して人間(誰か)の思い通りの世界を作っているようにも見えて、でも重々しい鎖がところどころにあり、むしろ不自由が裏にあるような気がしました。コントロールできない世界の中で生きているのに、あたかも自分の意思でコントロール可能かのように思わされて生きている私たち。本当の自由とはどういうことだろう。きっと身体でしか体感できない、どこか開かれる感覚なんだろうと想像して観ていました。
感想2
ファンタジーの最初にある世界地図や、たくさんの労働者が汗を流しながら働く高山の遠景の写真を思い出しました。工業的な仕組みが作り上げられた土地で、自由というには、なんだか不穏な感じがします。時間が支配する空間の中で、矢印のようなものをふたつつけたものは生命なのでしょうか。ここにはたくさんの労働がありそうなのに、ひとかげがないのが気になります。かれらが逃げ出したか、あるいは消滅したあとの世界なのだろうか…と思いを巡らせていました。
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飲み物飲み飲み
感想1
生活、というものの中に私たちはいるのだと感じます。マグカップにペットボトルのジュースを注ぐことも、水滴も、計画された図ではなく、何かの典型からは少しのずれを感じるから、むしろ実存に近しいものだという気がします。ふとした瞬間に撮った写真なのでしょうか。そこに意味があるではなくてもどうにか触れようとするようにみていることはできるのかもしれないと自問自答しています。
感想2
カメラのライトで照らされたようなコップと炭酸飲料の奥は真っ暗闇で、写された瞬間に至るまでのストーリーをいろいろと想像しています。タイトルの軽やかなリズム感と、写真が纏うちょっとダークな雰囲気が、なんとも不思議なバランス加減に感じられました。
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ただ息をしてる
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
頭のノイズが消えなくて、でも生きていたくて描いた曲です
感想1
頭の中に入ってきて自分をかき乱し、消費させ、生命すら疑わせるノイズに抗う様子を切実に描写した歌だと思いました。「壊れないんじゃなくて壊れきれないだけ」の言葉がすっと入ってきました。不完全なままで、痛みを含めてすべてを抱えて生きていく決意のようなものを感じました。
感想2
自分の身に起こるままならなさに向き合うことの苦しさと、そこからどうにか生き延びようとする意思が、一つ一つの歌詞にも、メロディ構成にも表れているように感じました。「静寂さえも優しくない」 「鍵をかけてもすり抜けてくる」との部分は、思わず私自身の状況も重ねて耳をすませていました。
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飛べないモモンガ
感想1
このモモンガさんの笑顔を見ていると、自分が持っているものを上手に使えなくてもいいし、そのことを悲しみながら過ごす必要もないんだなと思いました。自分の上手くできないことを嘆くより、自分が出来ることや笑顔になれることを探すように生きていきたいなという気持ちになりました。
感想2
タイトルだけ見たら少しネガティブな印象も受けるのに、あまりに楽しそう、というか幸せそうとすら感じる表情や空気感に、このモモンガはただ飛べないのではなくもしや飛ばないことを選んでいるのでは...!?なんて感じました。飛べないのだとしても、心から笑って過ごすことができるのだとしたら飛べるかどうかはさほど重要じゃなくなるのかなぁなど考えてみています。
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旅行
作品にまつわる質問
制作環境や画材などについて教えてください。
北海道の洞爺湖だった気がする。
忘れかけてる、
けどこの写真を撮った瞬間
ちゃんと覚えてる。
この写真、ほんとはもっと大きい
けどそこには自分が写ってた
消した。
自分が居るより背景は綺麗だから
感想1
青!って感じ。湖も空も山も向こうの陸地も青みがかかって、広大さを感じました。写真からさらに切り取られれているということで、パーソナルさが少ないからなのか、たんじゅんに私がいったことのない場所だからか、なんだか遠い不思議な世界のようにも見えます。だけど事実そこにいたことを、あなたの記憶は覚えているんだなぁと思いました。
感想2
背景だけに切り取っても広大な風景にみえて、この写真の中では消したとしても確かに覚えている、写真を撮った瞬間の投稿者さんは、その目に映る綺麗な景色の中、どんな空気を吸い込んでいたのかなぁと思いました。きっとたくさん想像しきれないあれこれがあることにも、少し気づかせてもらっている気がします。
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無題
感想1
ちょうど日が暮れてきた窓の外を眺めながら聴きました。ピアノは詳しくないのですが、明るすぎず暗すぎず、中間をすっと静かに通り抜けていくような、優しい曲だなと感じました。
感想2
優しいけれど、どこか少し寂しさを感じさせるメロディだと思いました。その寂しさは人を掻き立てるようなようなものではなく、郷愁の類いのような落ち着き払ったもののように感じました。
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何もしないまま過ごし、時計に目をやると、秒針が歪んでいた。まるで渦のような形になってしまったそれは私の体を締め上げてくる。
すぐに引き剥がそうとした。
ただ、引き剥がしたとしてもそれはまたやってくる。
もし、そんな毎日が続くのなら、ここで時間を止めてしまうべき。と、思ってしまった。
それはまだここにいる。お昼
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黄色い花
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
何の花なのかは知りません。黄緑の葉と黄色がごっちゃになっていて、いい色でした。
ぱっと見、ハデではないし、うまく色が出ているかはわかりませんが…感想1
名前は分からなくても目に飛び込んできて、ただ綺麗だな...と感じる草花との出会いやそれを眺める時間を想像したら、ちょっとした日常の隙間という感じがして、気持ちも緩めてもらえそうだなと思いました。
感想2
ぱっと見ると無造作に咲き乱れているけれど、一つ一つの花を観察してみると、控えめに下を向いて花弁をひらいているかたちが興味深く感じました。鮮やかながらも目に優しい黄色に、また春がやってきたんだなと心の中でつぶやいています。
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黒くてもひよこは可愛い!
作品にまつわる質問
この作品の好きなところを教えてください。
ひよこ、というと黄色とかオレンジの綿毛みたいなモフモフを想像しがちだけれど、黒い羽毛を持つひよこも実際にいる。
よく見ると、くちばしの下や、頭のてっぺんあたりに白い羽毛がついているのがまた可愛い。感想1
動物も人間も赤ちゃんってなんでこうもかわいいのかと思ってしまいます。可愛い中にもいたずらっぽい感じもして(目つきかな)いろんなストーリーを想像してしまいました。
感想2
黒い綿毛を持つひよこさんを、自分は初めて見ました!白い羽毛が付いているの、「ほんとだぁ不思議…かわいいなぁ」って思いながら、つい笑顔になってしまいました。”ちょこん”な感じがとても伝わってきていて、このひよこさんにとってどんな瞬間だったのだろうかと考えつつ、うしろにいるひよこさんのシルエットもまたなんかいいな…って感じる一枚でした。
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九州新幹線から見る背振の山々
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
九州新幹線の新鳥栖から博多は背振の山々を貫きます
筑紫トンネルという11kmのトンネル
そこには35パーミルというものすごい坂道なんです
それをフルスピードで走り鹿児島・熊本から博多まで繋いでくれるの感想1
心踊る瞬間を投稿してくれたのかなと思います。私は人の好きなものの話を聞くのが好きなので、写真とともにエピソードを読んでテンションがあがりました。私は乗ったことのない新幹線です。車窓からの空は綺麗に晴れ山々をよく見せてくれていて、お裾分けしてもらったように感じました。
感想2
自分は新幹線から見る景色が好きだから、ついまじまじと見ちゃった。天気も良くて、実際は更に綺麗に見えたのだろうなぁと考えたよ。坂道のフルスピード…どんな体感なんだろう…とても気になった。どこまでも長く道をつないで人々を運んでくれる新幹線の魅力と凄さを、改めて教えてもらった感じになったなぁ。
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無題
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
希望
感想1
一本の木のあるちいさな丘、だれかこの場所を知っているのでしょうか。秘密の場所でしょうか。天気もよさそうで、ピクニックをしたいような、ただひっそり昼寝をしたいような。だけど、風は少し強いのかもしれませんね。葉っぱがむこうへ舞っていって、どこかから物語をつれてくるような気がしました。
感想2
どっしりとした幹に、力強くも優しくもある葉が印象的に私の目に映りました。風は少し強めにふいているのでしょうか…この木の下に立つと、心地いい風が感じられそうだなと思いました。空は、どこか海のようにも見えてきて、それがまたこの木の存在感を際立たせている気がしています。
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仮想の繋がりは世界を網羅し、現実の存在は現在の空白にしかない。
自由を目指した未来は、果てに神々しい光を予感させるが、それは現実にどういう形を取る?
本物の愛情はアスファルトの下にしか存在しないかもしれないが、全体を塞がれていて出られない。
プラザの噴水の虚偽は世界全体がそうだったから気づけなかったのか。
夢を見ているのでは無いことは知っているが、マトリックスは共感できる。
明るくて楽しいものは必要だが、それだけに満足することはできない。
どういう時代に生きているのかを示してくれそうなのは、東西の文学者で彼らは果てを目指しているので、民主主義と相入れることができない。
しかしこの文章もそこからの発信なので、説得力は何もない。時代
感想1
強い閉塞感の中、情報だけは海のようにたくさんあり、その中で作中主体はひたすら考え続けてきたのだろうと思いました。ただスマホの先のサーバーはどこかに物理的に存在し、スマホをつつくばかりの指の他にも私には足の裏があり、それが触れるシーツがあり、ふくらはぎがあり、それが感じる痛みがあり、動き続けている体があることに、ふと立ち返る瞬間があります。この時代は、1000年後から見たらどんな時代なのでしょう。私たちは今同時代に何を共有しているのか……と考えています。
感想2
歴史家E.H.カーは、「過去の光に照らして初めて私たちは現在をよく理解することができる」と言ったが、集団の中に埋没しているとき、その集団の全体像が見えないように、現代の中で生きている私たちが、「現代」という時代を把握するのは困難なことであると思う。愛情、文化、現実感、快楽など、存在を感じつつ不確かなものばかりに囲まれる私たちである。これが過去となったとき、また新しい「現代」を生きる私たちは、はじめて当時を時代という流れのうちの一区画として認識できるのかも、というようなことを考えてみた。
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卒業式、か。
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
友達と雑談して帰ってる最中の写真
卒業式の話しかしなかった。
どんな服を着るの?
んーとね、袴?
いいね、靴は?
黒いブーツだよ。そっちは?
草履なんだぁ
歩きづらそうだね。
ちょっとね?
また明日。感想1
また明日が続くのはあと何日か、数えられるくらいの帰り道。なんでもない会話のようで、こうやって書き留められていると、指でなぞってみたくなるような代わりのなさを感じました。空は綺麗なブルー。雲の深い色がじわりと広がっていくような寂しさを画面の向こうで感じています。
感想2
いつまでも続きそうな日常なのに、ひとつの区切りがやってくることに気づいて、実感がわかない気もするけれど、それが何だかすとんと入ってくる瞬間、、慣れた道やいつもと変わらないような風景も少し違って見えたのかなと想像します。「また明日」の有限さを感じた時、非日常的な感じも混ざってくるような気がしました。
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まばたきを繰り返す
今日を記録し また明日
出来事に一喜一憂し
雑貨屋を開く
それは 商いの準備
のようね
家庭の不満 仕事の理不尽
自信の喪失 恋愛観の議論
様々な出来事を「私」の断片として
無垢のオーク材で出来た棚に並べる
一ヶ月や三ヶ月に一度
私は他者に 選ばれて話す
選ばれたものを 手渡す
会う回数も語らう回数も
二十四節気よりも少ないね
と悲しむ人は私以外にいますか
秋の鹿だとバレないように
誰の目も見ずに 霞んだ山林に鳴いた
やまびこ が こだまして
誰にも届かず 雑踏に消える
宛先書かず手紙出してるね
傷つかぬ 気づかれぬ
傷つかぬが
気づかれぬ
救われないのは 私だけ秋の鹿
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
書店でおもむろに手に取った本の中に「秋の鹿」という言葉がありました。大和言葉で片想いという意訳だそうです。片方は想う、でも片方は重い。分かっているからこそ、秋の鹿は誰にも鳴けない。そんな孤独の詩です。
感想1
日常的な生活圏の言葉(と呼べばいいのかわからないですが)と、むかしから文学の中で大事にされてきたような言葉が、流れる呼吸の中で繋がっているような詩だと感じました。秋の鹿はだれかを恋うる心(恋愛なのかはわからないですが)を表しているのかなと私の中では想像していました。「選ばれて」自分を切り出して語っても、「私」はずっとさびしそうに見えました。霞んだ山林では、だれかに「私」の声はきこえても、それが「私」の声とは気づかれないのかもしれない……、でもそのときの姿が「私」にとっては自然なのかなと思いを巡らせています。
感想2
自信はないのですが、多分この人は毎日日記を書いているのかなという解釈で読んでいました。毎日の出来事を自分で記録するのは、孤独な作業と言えるのかもしれません。日記はネタ帳のように機能するときもあるのかもしれないけれど、それの全てを相手に開示することはまずないし、どんなに日常の詳細や何かに対する自分の心情を綴っても、壁打ちのように感じる瞬間もあるのかもしれないと考えました。
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たしかに週にいくどかはベランダに出ていたのだから、そのたびそのたびに見ていたはずだ。 だけど私はベランダに置かれたすべてのものへの興味をうしなっていたからそれらに機械的にみずをやることはあったとしても、なにも見てはいなかったのだろう。今日がその日であったのは、私の脳がしずかで、かわりに 私の脚がさかさかと動こうとする日であったから。私の足はベランダに向かい、私の目は私とうまくつながっていた。雨にさらされたまま堆積した枯れ葉をひろい、溶けたリトープスを鉢からぬいて ごみ袋にいれたとき、視界の端からなにか見知らぬかたちがせまってきていることに私ははじめて気づいた。 それは無数に伸びたミントだった。ベランダの隅の、さして大きくもない素焼きの鉢に、何年も前に植えたあのミントの茎がベランダの鉢と鉢をめぐるように、伸びているのだった。ミントは増殖し見たものを石に変えるおんなのあのへびの髪のようにベランダを駆けまわり、 あるいは踊っていた。
静止して見えることと踊っていることは矛盾せず両立する。ただそのような速度で、ミントは踊っているのだった。
細く長くゆらめくように伸びるミントに私は手を伸ばしていた。差し出された手に、いまさらこたえるように。ずいぶんとひさしぶりに触れたミントの枝先はローズマリーの鉢を乗りこえて伸びあがり、そこでしりしりと乾燥していた。ローズマリーは迷惑そうにむらさきの花をつけている。私はミントの茎をつかむとかるく引き、もう一方の手ににぎったはさみで根元から切り落とした。ぱち ぱち ぱ り つちんと伸びすぎた茎をつぎつぎ切ってゆく。触れるだけで、小さく丸まった茶色の葉を落とした茎も、まだあおい茎も切る。「切り戻しは植物の健康のために必要」とにんげんがいうから、植物よりはにんげんに近い私ははさみを使うけれど、しかしはたして植物はどのように命なのだろうか。鉢の中にみちと生えたミントは下のほうから若い芽を出していた。
みずみずしい、なまのにおいがする。それら
すべてを合わせひとつの命だろうか
それとも
この指に触れて落ちた
その一葉がひとつであったのか。
すくなくともここでしずかに踊っていたものはもういないのだが、それにもかかわらず私の足はむずむずとして、動きまわろうとしている。ダンスパートナー
作品にまつわる質問
制作環境や画材などについて教えてください。
制作環境: ベッド
画材: iPhone(すぐに熱くなる)感想1
巷で「ミントテロ」呼ばわりされるほどのミントの凄まじい繁殖力を思い出しました。あっという間に地面を侵食し、しなやかにたくましく伸びるあの緑が脳裏に浮かんできます。擬人化された植物たちの、無いはずの顔色や表情が、彼ら特有の匂いとともに伝わってくるようでした。いのち、たしかに、どこからどこまでが命なのでしょう。葉っぱや枝は、植物にとっての何なのかなと思いました。爪?髪の毛?それとも手足のようなもの?そんな風にしてみると、はてまた人間の命は、爪や毛の先の隅々まで入り込んでいるものなのか?と考えが広がりました。
感想2
心地よい言葉のリズムと、しんとしたベランダの雰囲気、爽やかな匂いが伝わってくるように読みました。日常をこんな風に切り取ると、当たり前に見過ごされている事象や景色に、何かしら意味があるような気がしてきます。知らない間に根を伸ばしたミントを「踊っている」と表現していることに、あなたのセンスを感じました。私もアパートの室内に観葉植物をいくつか置いているのですが、見ているようで見ていない感覚は、思わず共感してしまったところでした。
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深海の中
感想1
この子がいま何かを見ているなら、その視線の先には何があるんだろうか。しかし深海の世界はとても暗いはずで何も見えていないのかも。それであれば、過去を思い出しているような表情にも見えてきました。よく見るとこの子は泣いていて、暗い水の中なら誰にも気づかれずに泣けるし、泣いている本人でさえこぼれる涙に気づかないかもしれないなどと考えました。
感想2
暗く静かな場所から、息を潜めて何かを伺っているような表情に見えました。揺れている瞳は、涙を溜めているようにも感じました。喉元のハートにバツ印が被せられているのは、心の声を失ってしまった象徴のようなマークなのでしょうか。いろいろと想像しながら眺めていました。
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風邪をひいてしまった
大変なことだ
誰にも気づかれたくない
熱も出ちゃった
こんなもの、耐えられるんだ
こんなもの、たいしたことない
いつも通りやり過ごす
耐えてしまった
ああ耐えられてしまった
体は熱かった
「拝啓」
本当は気づいて欲しかったんだ
本当は心配して欲しかったんだ
本当は、気づかれないのが怖い
本当は、心配されないのが怖い
そんなこと言えない
言えるはずがないこと
君にはわかってほしいずっと熱いもの
感想1
その後、体温は平熱にもどっても「ずっと熱いもの」は熱いまま、そこにあったのだろうと思った。いまもそこにあるのかもしれない。それは送られなかた手紙のような素直な感情や心のようなものかもしれないと思った。「本当は、」を言えたら簡単だと思っても、なぜかそれがむずかしいことがある。「本当は、」が小さく小さく積み重なって、心は重たくなってしまう。「拝啓」、こうやって、作者さんはひそかに「本当は、」の練習をしてるのかもしれないと思った。
感想2
「耐えてしまった ああ耐えられてしまった」の部分が、個人的に印象に残りました。困難を自力で乗り切ることや我慢することがデフォルトになっているけれど、それは身につけてきた癖のようなもので、本心はまったく別のところにあることを想像しました。気づいて心配してほしいけど、気づかれもせず心配もされない恐怖を思うと、「言わない」という選択肢も確かに・・と思いました。
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万華鏡を回した時のように、煌びやかで、でもどこか鬱陶しいほど眩しく混沌とした世界。
その中を落ちていく日々。
何を頼りに、何に縋ったら良いかわからず、じたばたと手足を大きく動かす私。
底が見えなくて、ただ恐ろしく、がむしゃらに掴めそうな何かを探す。
底がない、
それがこんなにも恐ろしいのか。
幾何学的な模様が何を意味するか理解できない。理解できないことも、こんなにも恐ろしいのか。
恐ろしさのあまり、
夏休みの工作で万華鏡を作ったあの頃、一番恐ろしかったはずの「死」という終着点に、希望を見出すようになった。終着点に縋ることで底なしの空間に、死という底を用意できたようで。
死を乞う私は、自分を恐怖と絶望から守るために生まれてきたのだ。
でも、もし、幾何学的な模様の意味を教えてもらえたら、荷物を一緒に抱えてくれる人と出逢い、共にゆっくり下降できたら、そんな他力があれば、他力を信じる力があれば、
混沌とした世界が少し整理され、
安全に底に辿り着けるのではないか。
最期は皆底に辿り着く。その道中が各々であるだけであって。
どうせなら、この煌びやかで鬱陶しい世界を
ちょっとは満喫してから、
“そこ”に辿り着きたいよね。万華鏡
感想1
工作でつくった「あの頃」とは、万華鏡への感覚も、この世界への認識もがらっと変わってしまった、なにか崩れてしまったような感覚の中で、一方では作者さんの美意識もじんわりと感じた。美しくても、意味のわからないものは怖い感じがすることがある。わからないと、立ちすくんでしまうことがある。語り手はそんな日々の手触りを万華鏡にたくして書いたのもしれない。「安全」な整理について書かれた「でも、もし、」以降の後半は、それ自体が整理されて書かれているような感じがした。「私」は重たい荷物に目を回しているところなのかもしれない。この先の道中でだれかと関わりながら、ルートも終着点もまた変化し巡っていくのかもしれない。
感想2
万華鏡に例えていた表現に、なんだかしっくりきた感覚が私の中であり、すこし発見をもらったような気持ちになりました。万華鏡の中を落ちていくシーンを想像してみて、無数の光の中に暗い部分もあって、思わずどこかに手を伸ばしてしまいそうだなと感じました。理解できない事の恐ろしさ・不安さがとても大きい事も作品から感じましたし、「死を乞う私」が切に求めているもの、自分にとって必要なのではと推測するものがあることも考え、そこにたどり着くまでにも長い道のりがあったんじゃないだろうかと思いました。読みおわってから一度、無性に万華鏡を覗いてみたくなった自分がいます。「今この瞬間」”私にはどう見えるのだろうか”と、確認したくなったのかもしれません。
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自分の中で1番愛してる創作っ子
感想1
科学者?でもドクロをつけていたりするから、死をつかさどる専門家なのかもしれない…と想像していました。どこか煩わしそうに視線を向ける表情や気だるげな感じがあるけれど、服装やネイルやアクセサリーなどに自分の意思が反映されているような人なんだろうなと妄想を巡らせていました。この人は、どんなふうに話すんだろう。
感想2
バサっと羽織った白衣とポケットの試験管が目に入って、医療職や薬品関係のお仕事を想像しました。気怠そうな表情と前の下のクマに、慢性的な寝不足なのかな・・なんて思って勝手に心配してしまいましたが、それもキャラクター設定の一つなのだろうかと考えています。
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海月
感想1
写真を見て、人間が立ち入ることができない洞窟の奥底にある、クラゲの世界に入り込んだような感覚を抱きました。半透明の胴体には無数の細かい線が走っていて、神秘的だなと思います。水の流れにそって、あてもなくふわふわと揺れる姿は、こちらも肩の力がふっと抜けるような思いがします。
感想2
上からさす光が、今自分が見ている光景がまるで深海かのように思わせてくれる、不思議な感覚だなぁと思いました。また、自分もクラゲたちと一緒に海の中にいるような…そんな風にも思えてきます。どういった構図で撮影したんだろうかと、とても興味が湧きました。静止画ですが、クラゲたちがふわふわとゆっくり浮かんで・漂っている映像が脳内に浮かんで見えた気もしています。
感想1
読みながら、勝手にですがとても共感してしまった私がいます。怒りや悲しみ憎しみ…「どうして?」「なんで?」が心や脳を支配する中で、考えて考えて・感じて感じて、最終的に、自分が一番大嫌いで許せない存在だと痛感させられるような…そんなループから抜け出せずにいる苦しみがあるのではないかと、私自身の経験も踏まえ、そのように考えました。自己嫌悪に苛まれる中、でも確実に怒りや苦しみも存在するからこそ、グルグルと思考が巡りまたつらくなる、そんな想いも詩から読み取れたような感覚もありました。本当は直接届けたい(かもしれない)気持ちを、このように作品として書き出すことで、また違うカタチで自分で落とし込めようとしている背景もあるのではないだろうかと、これも私の勝手な想像です。
感想2
どれだけ近くにいても
分からない
私たちの世界は どこまでも交わらず
一人一人の中に無数の歴史と「世界」がある
「どちらか」かしなかないと思うのは
他に広がる無数の世界や言葉を観えなくさせている何かがあるということで
あなたに悲しさを感じる心があることは
決して悪いことではないのではないかと思います
また親の中にも無数の世界があり
親もまた観えていないのかもしれない
私たちはどのような時に
どような時間の中で
これまで観えなかったものが観えるようになるのだろうか
本当は声を出している無数の命に
どうやったら耳を傾けることができるだろうか
そんなことを考えました