生きづらさを感じる人が創る
のびアート
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タグ:「詩・文」
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「自由に二人組になってください」
先生が言った。
脳内に地獄の始まりを告げる鐘が鳴り響いた。
私はいつも余り物だ。
気付いたらペアが完成している。
そこに私はいない。
今すぐにでも透明人間になりたくなるほど、存在が恥ずかしい。
常に申し訳ない。
それは、授業でのグループワークのときだった。
話し合いの話題が脱線した。
「みんな」は楽しそうだった。すごく盛り上がってた。
私はニコニコして愛想笑いするのに必死だった。
でも、1人より安心した。
それは私にとって疲れる時間かもしれない。
でも、「みんな」はそれが最高の時間なのだろう。
授業が終わって、自分の席に戻った。
また1人になってしまった。
とてつもなく寂しくなった。いつも1人なのに
「みんな」の笑い声が聞こえた。
どこか遠くの世界の音のようで、耳の奥でこだました。
虚しかった。
自分が馬鹿馬鹿しかった。
逃げたかった。
つくりものみたいな真紅の液体。
私は傷を付けた。自分にも、「みんな」にも。
私は自分に愛想笑いをした。つくりもの
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遠い遠い宇宙に飛ばされた
ここには誰もいない
苦しかった現実も
明日訪れるイベントも
何も起こらない
ただ存在しているだけ
悲しさも虚しさも
行き場をなくし
ただゆったりと渦巻いている
空っぽの心地よさと
所在ない感情の行き場が
ただここにあった
さようならも
はじめましても
ない世界
ただ何かがありそうな気がして
僕は歩いたただの僕
感想1
果てしなく広い空間に、身体ごと放り出されて漂っているような感覚を抱きました。「ただの僕」は、「今ここ」の僕でもあるのだろうかと考えました。一つ一つの文章にはどこか清々しさもあって、読んでいてリラックスしている自分がいました。
感想2
とても密やかな、しずかなメロディがどこかに流れているような感覚になりながら、耳を澄ませるような気持ちで読みました。心だけですが、遠い遠い宇宙に、あるいは宇宙の外側まで飛ばされている感覚のときが私にはあります。宇宙は遠くって、現実もなにもかも小さくなって、いろんな意味や名前のある「僕」ではない「ただの僕」でいられるのかな。立ち止まっていても、ただ呼吸をしていても、どうしていてもいいから、歩くこともできるのかもしれない、と思いました。
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指を縫い目に引っ掛けて
遠くのあなたに球を投げた
いつも緊張した
あなたの手元に
真っ直ぐ届かなかったら
どうしようって
私にあなたが球を投げた
球筋は 左に大きく逸れて
砂を擦る音が聞こえる
「ごめんねー!やっちゃった」
アハハと
陽気に笑う声に
大丈夫だよ
と 気にしてないと安心を与えるトーン
を脳が入力して声帯を震わせた
あなたは 失敗する
私は それを許してる
別に怒ることでもないし
それだけで嫌いになんてならない
なるはずがない
そしてまた
私はあなたに球を投げる
また 緊張した
あなたの手元に
球が届かなかったら
あなたを走らせて
私は 私は
ただ申し訳なく
幻滅される 呆れられる
震える指が
軌道を逸らした
あなたは
おっと っと言いながらも
左手のグローブで捕球した
ごめんね
「いーよー!」
あなたは屈託のない笑顔で
私に球を投げた
あなたは楽しそうだ
私は
あなたの前で
嘘をついてるのに嘘つき
感想1
私には情景がとても鮮明に浮かんでくる文章に感じて、セリフには声が付いて聞こえたし、冬の少し寒い日のやり取りな感じがして、ボールが飛ぶ乾いた音・グローブに入るボールのパシッという音も聞こえた気がした。縫い目に指をひっかけた際の緊張は、「私」の心臓の音が鮮明に聞こえていたんじゃないかと想像。やや遠くの距離感で投げ合っていることをイメージしながら、その距離だからこそ少しだけ表情に本音を出せる…そんな瞬間もあったのではないかな、と感覚的にだけど私はそう感じた。でも常に緊張と不安が交差している様子も伝わってきていて、運動の汗ではなく、またそれとは違う汗を滲ませてしまいそうだよなぁ…って思ったよ。
感想2
コミュニケーションでの言葉のやり取りは会話のキャッチボールと表現されるのはよく見聞きするけれど、ここまで解像度が高く風景や場面が想像される表現ができるのだな...と驚きながら作品を読みました。それと同時に、トーンなどは感覚というよりも(人によっては無意識のうちにであっても)身につけてきた技術のようなところがあったりするのかもと少し共感したり、これまでどんなボールのやり取りを多く経験してきたかによって現在の一球を投げる時に伴う感情や感覚は随分と違ってくるのだろうなと気付かせてもらったような感じもします。「嘘」についても、どんなもなのだろうとか、つかざるを得なくなった背景があるのかなとか、しばし考えてみています。
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死にたい
そう思ったのはいつからか分からない
いつの間にか毎日「死にたい」と思うようになって
なにをしても消えない希死念慮
話を聞いてもらっても
またふりだし
どんな言葉をかけられても響かない
わたしはわたし
みんなの言ってることに惑わされたくはない
プライド高いな
自分を見失いそうになっているのに
苦しくて辛くて寂しくて
みんなは毎日死にたいって思わないのかな
苦しい、寂しい、辛いって思わないのかな
私がおかしいだけなの?
「死にたい」
「苦しさから開放されたいだけだよ」
「しんどいのは今だけだよ」
でもその今がとんでもなく辛かったら
どうすればいいの?
わたしは
どうしたらよかったの?
助けてほしい
でも助けてもらった気がしない
責められた気がする
ああもうよくわかんないな無題
感想1
自問自答を繰り返しながらも、絡まった何かを少しずつでも解こうとしていて、でもその過程にさえも苦しさがまた絡まってきて「わたし」を混乱させてきている様子を想像した。希死念慮を抱えている自分としては、この文章にとても共感している。(勝手にだけども)自分を見失いそうになっている時でもプライドが高く感じるのは、そのプライドで自分自身をどうにか守ろうと(保とうと?)してるのもあるのかも……って、自分の経験からだけど、ふとそんな風に感じた。
感想2
ブランコに乗りながら小声でつぶやいてるみたいな詩だと感じた。私も、死にたいって考えたことない人に会うとちょっとびっくりする。そういうこともあるんだって思う。私も死にたいけど、死にたいって思ったらだめ、なわけないと思う。どんな感情も否定する必要はないはず、と信じる。でも死にたいにも、死にたい以外のたくさんの意味があって、他の人の死にたいを聞いてみると違うところもあったりしてふしぎ。私は逃げたいを我慢してると全部死にたいには埋め尽くされる。苦しい寂しい辛いが毛玉みたいにからまって死にたいのかたまりになっていくのだろうか。
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目をひくのはミルクチョコ
計算された甘さで
万人を掌に集める
包み込むのはホワイトチョコ
あなたと私の境界を
ひとつの温度に溶かしゆく
寄り添うのはダークチョコ
舌に残る苦味ごと
あなたを受け止める
個性豊か 三種のちょこれいと
あなたがほしいのは
どんな味ちょこれいと
感想1
読みながらつい、それぞれのチョコレートを食べたイメージをしていました。悩みつつも、「その時の気分によって楽しみたいなぁ」という優柔不断な想いが湧き出てしまった自分です。脳内でそれぞれの擬人化をしてみたり、ナレーションを当ててみたり、投稿者さんはどの味が今の感覚だろうか…などなど色々考えています。(勝手な想像をしてすみません。)それぞれの「個性」を私なりに楽しみたいなと思いながら、この作品自体、どこかチョコレートの香りをまとっているような…そんな感じがしてきた気がします。
感想2
チョコってお菓子の中の王者という感じがしていて、その力を遺憾なく発揮した三種のちょこれいとを想像しました。「あなた」にとっては個性もスパイスとしての楽しみのひとつなのでしょうか。とろけるように夢中になってまう感覚でしょうか。「あなた」にほしがらせるため、魅力を最大限に使ったチョコはなんだか健気な感じもしました。個人的にホワイトチョコが好きなのですが「境界をひとつの温度に溶かし行く」という感じなんだかわかる気がして、また味わってみたくなりました。
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彷徨う行く宛てもなくただ夜を越え
次の日とその次の日も
目的なんて二の次
人生の延長戦
未練だけが体縛ってる
欠けた記憶を埋めるために
今宵も埋められた身体を起こす
冷たい夜風が頬を撫でる
此処を何故か懐かしく感じた
悲しみと温もり混ざるような
記憶が此処に眠っている
キミの影 その温度
ボクが暮らした軌跡
思い出が今蘇る
彷徨い見つけたボクとキミの園
見上げたあの丘の上は
キレイな花が咲くでしょう
キミと見た夕焼けは
もう見ることができないでしょう
ただ忘れられた家にぽつりと
寂しさを埋める雨がささめく
まだ一つ あと一つ
残された未練を断ち切る手段を
アイが又、此の地を覆い
他の道を閉ざし
灰となって 星になって
散る
彷徨いたどり着くこの旅の終点
別れは全てのものに
等しく降り注ぐから
キミと見た此の場所は
時と共に忘れられて
静寂だけが此の地に遺り
残りは消えて行くだけ
次の世界で又、キミと巡り逢いたい
その時はキミの笑顔に
「花束を添えさせてください。」エンドロールの向こう側で。
感想1
もう会うことはないのだろうか。エンドロールももう終わり、だけどもう「ボク」の中では「キミ」との記憶は未練という言葉の中でくりかえされ、未来にも引き継がれていくことを感じた。「アイ」は、愛かな藍かな、哀かな。「キミ」だけでなく「キミ」との記憶も、場所も風景もいずれ風化していって、だけど「ボク」は覚えていたいのかな。漂うような時間感覚の中で、どこか遠い場所を見た気がしました。
感想2
不思議と、歌のように文章が私の中に流れ込んできた感覚がありました。寂しさを感じさせるような言葉もあるし、名残惜しさも感じつつ、でもどこかほわっとすこし温かい空気感をまとっている…そんな感じもしました。花束を想像してみた時、黄色と水色、そしてオレンジがメインの、明るくパッと現れる花束が、私の中で浮かび上がってきた気がしています。
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ただ僕はあの子真似をしただけ
僕はただ憧れてしまっただけ
あの子みたいな才能が欲しくて
あの子が妬ましくて
僕には何にもなくて
生き苦しくて
ただそれだけなのに死にたくなって
僕はあの子になりたくて
でも僕はあの子になれない
変われない できない
僕は一人じゃなんにもできないないものねだり
感想1
ないものねだり、なんだか分かるなぁ…って勝手に共感しながら読ませてもらった。変われない・変わりたい、その葛藤の中で常にもがいていて、理想がある分今の自分との比較も更にしてしまうのだろうか…って私は考えてる。この詩の「僕」は、「あの子」になりたい・羨ましい気持ちを持ちながらも、揺るぎないただ一人の『自分』という存在を求めているようにも私は感じたよ。
感想2
憧れから始まって、いろいろと真似をしてみたものの「なんか違う・・」と落ち込むことは、私自身も覚えがあり、共感してしまったところでした。詩を読み終えたあと、「学ぶ」の語源が「真似ぶ(まねぶ)」であったことをふと思い出しました。武道の世界には「守破離」という考え方もありますが、真似という過程は、実は必然的なことなのかもしれないと考えたりしました。
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暗がりの中、僕は在る
朝は、僕には合わない
周りの音に振り回されて、頭がガンガンとしてしまうから
昼は、僕には合わない
周りの明るさについていけなくて、目がやられてしまうから
夕方は、僕には合わない
周りの寂しさを実感して、体が縮こまってしまうから
夜は、僕には合わない
周りが無くなって、存在意義が感じられなくなってしまうから
けれど、微かな光は感じていたい
僕が傲慢で自己中心的だと言われても
光の粒が僕の手をすり抜けて行ってしまっても
僕はダメだと言われても
暗がりが僕を連れて行ってしまっても
何も見えない、何も聞こえない、何も掴めない暗がりでも
少しの光を望んでみたい微光
感想1
光はひとびとのいとなみを助けてきたから、日中にはたくさんのひとが混み合っている。夜にすら周りが気にかかるのは、たくさんのひとがいることを知っているからかもしれない。光にもさまざまな色や姿、強さがあって、目も皮膚も壊してしまうような光もあれば、温める光、暗闇の中にあってはじめて気づくような淡い光もあると思う。「僕」はそういう光にそっと手を伸ばそうとしているひとのようにも思った。
感想2
朝も昼も夜も、どの時間帯も自分には合わないな、しんどいなと感じている人間なので、あなたの文章から違和感の正体に気付いたり、発見をもらったような感覚になった私がいます。でも少しの光を求める・望む気持ちも切実に伝わってきた気がしていて、本当に「微光」でいいから、それを”浴びる”でなくとも、”感じたい”「僕」がいることを想いました。
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わたしはあなたがすき
あなたはなにもしらない
しらなくていい
でもしってほしい
かってにすきになって
かってにくるしんで
わずらって
むちゅうになってる
あなたのせい
ふりまくえがおも
ばかでおさないふりも
全部嘘だよ
私は貴方が好き
全部打算
計算ずく
馬鹿なのは嘘だけど
好きすぎて馬鹿になってる
馬鹿な私無題
感想1
文中にある「ばかでおさないふり」を表現したようにひらがなで書かれた前半部分と、「全部打算 計算ずく」という答え合わせのような切り替わった後半部分の構成がおもしろく感じながら読みました。転換部分で「全部嘘」とありながら、どちらも表現されているのはむしろ投稿者さんの本心のようにも感じられるのが不思議で、馬鹿じゃないけど馬鹿になるくらい誰かを好きになるってどんな感じなんだろう...と、恋というワードは登場しないけれど恋について私は未熟ながらも想像を膨らませたりしました。
感想2
読んでいて、不覚にも胸がキュンとしてしまいました。前半はかわいく、あどけない印象なのに「全部嘘だよ」で一気に罠に突き落とされたように感じ、「しまった、なんてあざといんだ……」とドキッとしました。好きな人の前で打算的に振舞ってしまうのも好きがゆえ……本当にその人のことが「好き」なのが伝わってきて、なぜだかジェラシーすら覚えました。「好きすぎて馬鹿になってる」のを自覚するほどの「好き」な気持ち、高揚感。なんて素敵な感情なのでしょう……私もいつか誰かに感じてみたいなあと思いました。
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もし私に才能があったなら
たったひとつのことでも注目されたかもしれない
もし私にお金があったなら
さらに増やして夢のような生活を送っていたかもしれない
もしいい耳があったら
もしいい目があったら
もしいい顔があったら
でも、もしもはもしも
私の中身は普通のものでいっぱい
なにひとつ才能なんかない
私は私の普通を繋ぎ合わせて身に纏う
そうしてできるのは普通のこと
なぜと問う
でも普通の暗闇の中では灯りは見えない
応えてくれない
それでいいのか悪いのか
きっと人にもよるけれど
羽ばたき疲れて落ちてしまう
小さな光は大きな光に消されてしまう
普通の輝きを散りばめて
織り上げたような社会はまだ見えない
虹が出たら顔を上げよう
小さな光もそのひとつになるだろう普通以下
感想1
常日頃、この社会では「私の普通」で生きていくのが辛いなあと思っています。社会から普通以上のことや特別な才能を求められている気がします。でも、そのことについては誰も答えてくれない。この詩にあるように、「そうそう、こんなことでは疲れてしまうよ」と思いました。普通でも、普通以下でも、特別でも、何でも良いから、すべての人の持つすべてのことを織り込んだ社会の方がキラキラしていて素敵そうなのにな、というようなことを考えました。
感想2
普通の輝きを散りばめて織り上げたような社会、という言葉がぐっと刺さりました。あるところでは普通の素晴らしさについて説かれながら、またあるところでは何者かになることを求められ・・社会が向けてくるメッセージは、だいたいダブルスタンダードだなぁと感じています。「普通」という言葉に覆われて隠れてしまいがちなところに、小さくとも深く輝きを放つ、人間の生き様があるように思っています。
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希望って
頑張る理由だ
だからこそ
私はそれを
全て蹴り飛ばした
もう 頑張りたく無かったから
楽しみ とか思いたく無かった
「それを糧に頑張りたく無かったから」
好きなバンドの活動にも耳を塞いだ
物欲も焼いて燃やした
性欲も鍵かけて棚に閉まった
鍵は道端のグレーチングに投げ捨てた
食欲はなかった
口になんとなく放り込むのは
「苦しいな」で「しにたいな」
の風を防音するための心の耳栓
睡眠欲は希死に邪魔された
ストレスの騎士が笑ってた
頑張る理由が欲しいは嘘だった
頑張れる理由がいらなかった
頑張らなくても安心したかった
頑張らなくてもいていいよって
頑張らなくても私は私でいいよって
わたしは もう頑張りたくないもう
感想1
さいしょに、叫ぶような言葉だと感じました。だけどなんだかとても冷静であろうとするように声色を抑えつけるようにして書かれている気もして、「もう」という言葉がすごく重たく響く感じがしました。「頑張る」でなんとかしようとするのは、本当は最後の手段で、99%の時間は頑張らなくていいんじゃないかって思っています。でも社会は最終手段をいつも振り翳して、頑張ることを求め続けているような気もします。……なぜなのだろう。「もう頑張りたくない」っていうことすら封じられてしまいそうな世の中かもしれないけど、「もう頑張りたくない」って私も言いたいと思った。
感想2
読みながら、もしかしたら、身を置く環境で生きる為に聴かないようにしてきた自分の声に耳を傾けて、はじめて外に発してくれた言葉なのかな...と、「もう」になるまで言いたかったけど言えずにいたことなのかなと想像していました。私には投稿者さんが勇気を持って発してくれた宣言にも聴こえて、「頑張らなくていいよ」と自分が自分に言うだけでなく、頑張らなくてもあなたはあなたでいいよと言ってもらえる、頑張らなくても安心できる環境になった時、蹴り飛ばさなくてもいい「希望」と出会えるのだろうか...と願いに近い思いを抱くとともに、私自身もそのような希望を求めているのかもしれないと気付かされました。
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1日の終わり。これから、お風呂に入らなければいけない。
今の季節は寒いから、嫌なんだよなぁ。
そもそも、家族と共用のバスマットも嫌なんだよなぁ。
浴室の床も汚いし、素足で歩きたくないんだよなぁ。というか、全体的にこの家が嫌いなんだよな。ボロいし。
私は浴室に隣接している台所で、ストーブの前に意味もなくしゃがみ込み、ぐるぐると思考を巡らせていた。
それでも、どうにかして入らなければいけない。
嫌だと思ってはいけない。
気にしなければいい。
自分を律することに必死になっていると、厄介なことに死にたい気持ちもやって来た。
いろんな気持ちがぶつかり合って、息が苦しくなった。
頭の中に1つのイメージが浮かぶ。
自分の心が誰かの手によって、いらなくなった画用紙みたいにビリビリと引き裂かれていく。
あくまで、それはイメージだ。
心に痛みなんてない。
あったとしても、耐えて動かなければいけない。
私はそう言い聞かせて、動かないはずの体を動かし、立ち上がった。無題
感想1
読みながら、一文一文ごとに、私の中でのイメージ上のあなたの映像が浮かび上がってきた感覚になりました。「はぁ…。」と、きっと毎回おなじみになってしまってるようなため息をつきながら、膝を抱えて…あるいはどこかに寄りかかる形でしゃがみこんでいる気がしました。様々な気持ちが休む間もなく押し寄せる中で、尚更に”嫌”が強く前面にでてきて、ストレスを与えられている様子も感じています…。心はもう何度もビリビリにされていて、物理的ダメージはなくとも確実に『痛み』はあるんじゃないだろうかと、作中の”私”の想いを勝手に受け取りながら、自分はそんな風に考えました。
感想2
お風呂って嫌だなあ……と自分も思います。「お風呂に入る」という行動がそもそも嫌なことに加えて、冬という季節によるデバフ、お風呂場がイヤという環境のデバフ……。それらの嫌な気持ちを抑えて「入らねば」としていると、ついには希死念慮さえ出てきて……という経験は、自分としても、とても心当たりがあります。嫌なことに耐えるために気持ちを押し殺し、画用紙のように心が引き裂かれていく感覚・動かない体をむりやり動かす感覚もとても共感しました。でも、このままだと本当に体が動かなくなってしまうかも、と勝手にハラハラしてしまいました。日常の嫌なこと、無くならないかな、あるいは上手いこと回避して暮らせないものかな、と私はいつも考えています。
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浅い憧憬
私はリフレインする
結晶のひとつひとつが目に雪崩落ちて
私は存在している
褪せた無彩色は毒にも薬にもならず
私は笑う
合間の日々、次はどこに進みたいの?
私は手を引く
スポットライトひとつ指を切る
私はなぞる
あなたの選ばなかった空想、それら全て私で塗りつぶしてみせよう
私はずっと、冷たい手で掴み直そう無題
感想1
この文章を読んで、舞台の上、ほんのり青みがかった、あるいは柔らかい黄色の冷光が目の前いっぱいに広がるイメージが浮かんできました。ダイアモンドダストのような、冷たいけれどキラキラした文章だと思いました。「私」は何かはかない憧れを思い出しながら、自分が進みたいところを自問自答し、「あなた」が選ばなかった空想を掴み直す……少し寂しいけれど、前向きな内容だと思いました。ひとつ、「私」が手を引いているのは誰だろう?ということが気になりました。もしかして「どこに進みたいの?」と問いかけられている、もうひとりの「私」の手なのだろうか、と想像しました。「自分の気持ちを大事に確認しながら前へ進むことって、とても難しいけれど大切なことだよな」と改めて思い、勝手ながらこの文章に優しく背中を押された気がしています。
感想2
「結晶のひとつひとつが目に雪崩落ちて私は存在している」これまで自分が観たもの影響を与えてきたものは結晶のように自分の中にあるだろうなと自分を存在させている細胞の粒を結晶と表現しているのが印象的で、一つ一つがとてもきれいに、また世界を持って存在しているイメージを持ちました。私を形成しているものたち、その一粒一粒の結晶達は、いいものも悪いものもあるだろうと思う。人間はいつでもやっかいな生き物で、自分の意思ではどうしようもならんことばかりだなと思う。冷たい手で掴み直すというイメージも、そういうどうしようもならなさに対する復讐というか、強さを感じる言葉で、好きな表現だと思いました。掴み直したいことが私もあると思いました。
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何もかも壊したくなった
真面目でいたくなくなった
なんで呼吸を続けるのか分からなくなった
自分の存在を消したくなった
大丈夫なふりに疲れた
そんなとき、ある友達がこう言った
『あなたが生きててくれてうれしいよ』
『生きててくれてありがとう』
今でも生きたいとは思えない日はある
でも
死にたいと思う日は減った少しだけ前を向けた日
感想1
もう何もかもいやになってしまったような、死にたい気持ちに飲み込まれそうなとき、ただ存在そのものをそのまま認めてもらえるような誰かのひと言が染み込んでくることってあるよなぁ...と思いながら読んでいて、私も自分にそのような言葉をかけてくれた人のことを思い出し、ありがとうを伝えたくなりました。そんな瞬間が投稿者さんの心にとどまって温度を発して今もじんわり内側からあたためてくれているのかなと想像して、そのことを共有してもらえたのかな、とうれしく感じました。
感想2
自分の魂やありたい姿で生きられない苦しさが現代社会の病と言っていいと思っています。それを許してくれない社会が確実にある。疲れるのは当然だし生きたくないと思うことも当然で、むしろそう思える方が正常だといつも思います。生きていることをありがとうと言ってくれる人がいたことは、何にも代えがたい財産だと思いました。お金なんかより、数倍。私からも書いてくれてありがとうと言いたいです。
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わたしはうそつき
「大丈夫?」
大丈夫なわけない
「大丈夫だよ」
「良かった」
よくない
助けて
気づいて
わたしはひとまかせ無題
感想1
「うそつき」なわたしと「ひとまかせ」なわたし。でもその二つの中に隠れて(隠されて?)しまった、「助けを求める私」が確実に存在することを感じた文章だと思った。言いたいことや伝えたい本心をぐっと閉じ込めないといけない、ため込んでいく苦しさも感じた気がしてる…。気付いてほしくて叫びながら、でもそれすらもうしんどくてしゃがみこんでしまっている映像が私には浮かんだなぁ。
感想2
「わたしはうそつき」この一言からはじまる文章なのに、全体を読んで私に伝わってくるのはとても正直な方なのではないかな...という印象でした。それに嘘というと悪いことのようなイメージだけれど、どれも相手を気遣っている場面が想像されて。気持ちを押し込めて助けてと言いたいけれど言えずにいるわたしから勇気を出しての周囲とわたし自身へのメッセージのようでもあり、まずはここで表してくれているような告白ができる場が少しずつでも増えていったらいいなと読んでいて思いました。
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1人で買った洋服は純白だ
まっさらだ
誰とも交わることのない
日時とその瞬間を
思い出と呼ばないから
誰かと買った洋服は記憶を纏う
嬉しいな 今は
誰かはいつかいなくなる
離れてく
温度を持った かつて胸が躍ったそれは
虚しさを連れてくる洋服に様変わりする
そして私は誰かと洋服を買うのをやめた
洋服を着るたびに
薄れゆく誰かが脳裏によぎることを
私は避けたから
私は誰かを 記憶に残すのをやめた
喜怒哀楽どれが欠けてもダメなのだと
悟ってはいた けれどね
人がいないと
記憶なんて ただの水平線水平線だ
感想1
一人で買ったものは純白。純白なものに色を重ねていくように思い出が増えていくのもまたいいような気もするけど、買うというのはある種の出会いというか思い出が産まれる瞬間というところがあるから、より温度を持ったり、虚しさを運んだりするものに変わるリスクというのか、辛いところもあるよな思いました。服って特に、自分の身体と一体化していく感覚もあるし、余計になのかな。私は古着をインスピレーションで買うことが多いのだけど、昔の服って大量生産じゃなかったりするから、何十年も前に誰かが作って、それを当時の誰かが着ていたものというだけで、ちょっとロマンというか、歴史とつながっている気がしたり、すでに物語が始まっているものを身につける感覚があって。そういうのを一人で楽しんでいて暗い人間なのだけど(笑)
しかし思い返せば辛い想い出がある服もあるし、捨てきれないものもあるし、それは服だけじゃなく場所とかにあるなーと思ったりしました。でもそれが何もない人生は確かに水平かもしれないし、水平じゃ無さは味とも言える。食べられる味くらだったらいいけどね。水平な時期があってもいいし、それもまた味だしなとか思ったりしました。感想2
静かに揺蕩うような文章が印象的でした。また、「誰かと買った服は記憶を纏う」の部分には、個人的にとても共感してしまいました。私自身も、家の中にある物の大体は、どこで誰と、あるいは一人で購入したか記憶されています。正直な告白をすれば、誰かの記憶が残る物(貰ったプレゼントなど)は、しばらく経つと断捨離の対象となっていきます。投稿者さんが、誰かを記憶に残すのをやめようと思ったことは、何度も寂しさや悲しみを経験した上でのことのように想像しました。何かしらの感情を伴う「記憶」と、「物」の関係について、もっと考えてみたいなぁと思いました。
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僕の手足には「家族」っていう鎖がついてる
誰がこの鎖を取れるのだろうか。
血の繋がりを誰か切ってはくれないだろうか。取れない鎖
感想1
「血縁」っていうときの「縁」ってなんだかいいものみたいだけど、実際は鎖みたいに断ち切れない、縛って苦しめるものになることもかなりあるなぁと思いました。逃げ出したくても、心まで縛られてしまっているような感覚もあるのかなぁ……。実は錆びてもろくなっていて、簡単に取れちゃったりしないのだろうか……なんて考えていました。
感想2
家族という関係性に複雑な思いを抱いていることを、鎖に例えているのが印象的でした。自分で断ち切ることの難しさや、一方的な支配や抑圧を象徴しているようにも感じました。時間がかかったり、多種多様な道具が必要になるかもしれないけれど、切れない鎖はないんじゃないかと、信じていたい私もいます。
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家族から食べ物を渡された。
小さい頃はたくさん美味しく食べた。
今は少ししか食べてない食べれない。
歪んでいて美味しくない
なんで
こうなっちゃったんだろ
美味しい食べ物が欲しいなぁ愛
感想1
タイトルを読み、「愛かぁ…。」と一旦手を止めてふと考えてみた瞬間があった。文章を読みながら、あなたの記憶を追体験させてもらったような感覚にもなって、断片的にだけど文章になぞった映像が浮かんだ気もした。(私の勝手な想像だけども)そんな中で、あなたの感じる”歪み”と”味覚”の密接な関係を感じ、とても興味深いなと考えてるよ。
感想2
外国のドラマに食卓でご飯を「分けてあげる」というシーンが何度も出てきて、ある種「愛」の描写として食べ物があるのが印象的だったことをふと思い出しました。お腹が空いていると私はすこし寂しい気持ちになります。寂しいとき、お腹が空いた気持ちになるのかもしれません。心地よいものとして感じることのむずかしさは体感的な部分も大きく、それだけにままならなさも感じそうだなぁと思いました。
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どう転んでも必死に生きてた君
それをどんなに疑われようが
今君が生きてきたことが
誰にも消せない証拠消せない傷
感想1
「消せない傷」と「誰にも消せない証拠」が対比のように私は感じて、投稿者さんが感覚的に体感している(してきた)ものがこうして作品になったのだろうかと、そんな風に考えた私がいる。
感想2
確信的な言葉が印象的で、それは投稿者さんの実感に基づく言葉だからなのかな、あるいはそんなふうに断言していたいという気持ちがあるのかな、と考えていました。傷も証拠もさまざまな方向から意味づけられやすいもので、それを自分のものにするような言葉なのかも、と思いました。
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わたしが描く線が、太くて濃いのは
誰かに見つけてほしいからだ
はっきりと、くっきりと
みやすく、わかりやすく
ここだよ、ここにいるよ
みつけて
わたしが描く線の集合体がおおきいのは、
誰かにみつけてほしいからだ
どんなに遠くても、どんなに目が悪くても
わざわざ探さなくたって、どこにいてもみえるように
長い間そうやってきたけれど
みつけてもらえたのかな
自分でそれがわからないうちは、
みつけてもらえてないのかもしれない
だからずっと、わたしの描く線は、
太くて濃くて
線が形どるものも、大きいんだろう
淡くて、あざやかなものにあこがれたときもあった
それになれないし、なったとしても苦しいだけだときづいて
愚直に真っ直ぐ、黒い線を伸ばす
それも自分に似合っているんだろう
手癖もあるんだろうけれど
その線を好きな自分もいるんだから
これから見つけてくれるひとが、
ずっとずっといなくても、
わたしの線はずっと変わらないんだろうしんごう
感想1
誰かに見つけてほしい気持ちと、それをもつ自分の心との会話のように感じました。読みながらあなたの「線」をイメージしてみて、ハッキリとしながらも「芯」があるのが私には浮かんだような気がしています。それは線にも、心にもなのかなと感じました。タイトルも踏まえて考えたのは、発信し続けている自分という信号(モールスに近い)をいつかキャッチしてほしい、そんな想いもあるのだろうか…と、勝手ながらですが私の解釈とイメージでした。
感想2
人知れず思いを込めて描く線の意味を知って、投稿者さんが内包する繊細な一部を感じました。「愚直に真っ直ぐ、黒い線を伸ばす」と書かれた部分には、静かに自分の内面と対峙する姿を想像して、なんだかかっこいいなと痺れてしまいました。自分にはない表現や手法がときに羨ましく思えたり、不安を感じることは、私自身も身に覚えのあることでした。「それでも、自分の線を描いていこう」と思うことは、いろんなことを悩み考えた末に、自分を信じてみようとすることでもあるのかなと考えました。
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心は死んでるの
感想1
希死念慮がある一人として、書いてある文章に勝手ながら共感しつつ、作品全体から「限界」なサインを受け取ったような気持ちになりました。心の揺れや焦り、不安定さ、ただただ苦しい気持ちも伝わってきた気がしましたし、一見しっかりとした線のタッチや塗りではあるけれど、どこか儚く繊細で、小さい細い消しゴムのひとなぞりで消えてしまうのではないかと、そう感じさせられる作品だと私は思いました。
感想2
表情からか、白い背景からか、つよく虚脱しているような感覚を持ちました。仰向けに寝転んでいるのか、世界の軸がすこしずれてしまったのか、文字もうねっていて目眩の中という感じもします。自分の「生きてる」も「死んでる」も「死にたい」も自分と環境と生活のさまざまなものと絡み合っているけれど、体と心がうまく呼応しなくてバラバラに動いているようなときがあって、その感覚を思い出しました。
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飛蚊症
そこに無いものが、
見えてしまう病気
そこにあるのに、
見えないように振る舞う私の中で、
見えてしまう飛蚊症
鬱陶しいけど、いとおしい飛蚊症
感想1
「鬱陶しいけど、いとおしい」ここに込められた気持ちはどんなものなんだろうかと、勝手にですが気になりました。あなたの見える世界に、時折、「今見えていてくれてよかった…。」と思うことがあったり、「今は見えないふり、見えないふり…。」と邪魔に感じる、交差する感情があるのかなと想像してみました。瞳を右へ・左へと様々に動かす中で、必ずと言っていいくらい”ついてくる”、不思議な形をして興味深いものもある…でも飛蚊症は眼病のサインにもなりうるものだから眼科に行ったりと、厄介なところもあるよなぁ…と、同じ当事者として共感まじりに色々想像させてもらいました。
感想2
自分の存在をアピールするように目の前にふと現れる子どものような印象を受けました。困難が擬人化されて違う意味を持ってくるような不思議さを感じ、詩や言葉の力を感じました。生きるということは困難に溢れているけれど、少し視点が変わるだけで困難は宝物になることがあるんだろうと思います。言葉にすることの可能性を感じました
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儚い
水底の読み解き
罹りかけ恋煩い
気休めなの
獅子座の憧れ
目も耳も疲れちゃっていい
シスターから抱擁を
起き抜けに花束を
風へ
……言えたらな冬風くんへ、たよりを
感想1
最後の一文に、素直な想いが込められている気がした。これはあくまで私が感じたこの文章のイメージだけども、深海ほどではないけど少し深い水の中で、普段できるはずなのに時々呼吸のしづらさを感じていて、月を見上げては想うことが溢れてきて、受け止めてもらいたい感情に押しつぶされそうになったり、自分の横をスッとやや冷たく横切る風に声をかけようとしても、もうそこにはいない…。そんなイメージが、目を閉じた時に浮かんできた作品だったなぁ。
感想2
ひとつひとつの言葉が水紋のように広がっていくイメージで読みました。広がっていく言葉の中にはリズムがあって、そのあとに、「風へ」から最後の一行の「……」までの間に、呼吸がひととき止まるような、そして静けさの中に言葉が落ちていくような感じがしました。水辺、どこか窓の近く、空気の澄んだ感じ……の情景を勝手に思い浮かべています。もしかしたら、いちばん「言えたら」と思っているなにかは、ここには書かれていないのかもしれないと思いました。
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だれかさんはピアノが弾ける
だれかさんはバスケットボールが上手い
だれかさんは人に寄り添うことができる
だれかさんは困っている人を助けることができる
だれかさんは落し物をすぐに届けてくれる
だれかさんは話を優しく聞いてくれる
ぼくは、なにができるんだろう
ぼくにはわからない
けれど、だれかさんのいい所はわかる
ぼくのいい所をだれかさんが探してくれたらなぁだれかさんとぼく
感想1
「だれかさん」と「ぼく」の対照的な部分を挙げながらも、「だれかさん」(一人ではない可能性も考えつつ)に対して、ただシンプルに尊敬の念もあることが伝わってきた文章だと私は感じました。「ぼく」とは言っていても、もしかしたら投稿者さんのことではない可能性もあるし、”これが出来ると良い”と、世間で言われているものに対し、色々と考えさせてもらった作品でした。
感想2
人のいいところが分かるって、実はなかなかできることではないと思うんですよね。人間、悪いところは簡単に見えるけれど、いいところをを見るのって案外難しくて、それは生きる上でとても大切なことなんじゃないかなーとこれを読んで思いました
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感受性が強すぎるきみは
長い間苦しんでいる
光を見つけられずに
上辺だけの関係を掴み続けて
普通でいようと生きている
唯一
たまたま見た映画やドラマに
心を動かされる時がある
親子の絆
親友との決別から仲直り
目の前で繰り広げられる
人同士のぶつかり合いと成長を見て
君は涙を流す
そしてそうなりたいと願う
実際はうまくいかない
ぶつかり合いを怖がり、傷つけることが怖い君は
小さい頃習得した愛想な態度で今日も乗り切っている
おかげで望んでいる光景は
いつまで経っても見られない
感受性が強く、知らない人からにも気持ち悪がられるような君は
人間を憎み、自分を塞ぎ込んでいる
そんな気持ちでも
気持ち悪がられないように、普通でいられるようにネットで今を生きている人たちの姿を見て、溶け込もうと頑張っている
今も、これからもそうして生きていくのだろう
ネットにある光しか見せない彼らの姿を見て、足掻き続けるんだろう
神社に行っても家族や兄弟の幸せしか出てこない君が
バカ真面目に考えながら仕事をしても、認められない君が
普通でいようと美容、食べ方、姿勢
全てに気を遣っている君が
どうか報われる日が来ますようにわたし
感想1
文中に出てくる「君」がタイトルにある「わたし」であり、投稿者さん自身に向けた文章なのかな...と想像しながら読みました。私自身は、他者に対してであれば心から素敵だねと言えても自分に対しては素直にそう思ったり伝えたりできないと感じることがあるので、もし「君」が投稿者さん自身だとしたら、こんな風に少し離れたところから自分のことをフラットに見つめ、そっと幸せを願うように声をかけてみるのは自分の心を抱きしめてあげているようで、あたたかい気持ちになるなぁと感じています。
感想2
タイトルを鑑みると「君」に当てたこの詩は自分自身への言葉なのかなと思って読んでいました。現実的な人間関係、仕事や日常生活の中でうまくいかなくて悪意にも晒されてきた「君」を、あえてすこし距離をとるようにして書かれているから、「君」が頑張ってきたことや「君」の思いを背後からそっと支えているように感じました。愛想は周りの中で「普通」でいる技術ではあっても、それは「君」自身の心とは離れてしまうことが多いのかな…。そういう「君」の心をそっと守っている詩で、祈りのようだと思いました。
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たどり着いた最後の場所
もう見られない当たり前の風景
今の"当たり前"も
いつしか見られなくなるのかな
私はただ、生きていきます。運命は…旅?
感想1
短くシンプルでありながら、たくさんの解釈ができそうな哲学的な詩だと思いました。今までの「当たり前の風景」を離れ、たどり着いたのは「最後の場所」。そして、この場所の風景が今の”当たり前”になっていくのでしょうか。そしてこれもまた、かつての「当たり前の風景」のように、いつしか見られなくなるけど、ただ生きていく……。旅のような運命に寂しさや諦観を覚えながら、それでもしっかりと前を向いて生きていくという、とても力強い詩だと感じます。
感想2
端的な言葉の中に「私」の決意表明があるような言葉だと思いました。決意表明という言葉よりは、もうすこし柔らかさのあるニュアンスかもしれません。「月日は百代の過客」という言葉を思い出していました。時も景色も流れてゆき、なにもとどまり続けることはないこの世ですが、そう思うと、いまここにあるもののにハッとする瞬間もある気がします。通り過ぎた「当たり前」を私が忘れてしまっても、そこにあった事実は変わらないのかもしれない…ということを考えました。
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非対称のキラキラ
虚ろに住むメイデン
妬ける病も触れられて
突き刺さった残り香
鮮やかな人形遊び
手馴れた絵描き歌
胸元抱きとめたナイフ
風になって閉ざされた
てへぺろで消す一線
不在のまま慰め合い
空虚な癒しで紙一重
あーあ、だけ
戻さないアクセル
ワザと踊るピエロ
飛び込んだ黄色
嫌に澄んだ熱病
自家製のお薬
許しちゃった幻
頬を伝う空笑い
手放した地面
夢に堕ちた瞳
信じすぎて救われる
透明な糸絡んだ
ぼやけちゃった時計
着てない服纏った
生み出した新感覚
触れらんないあの子
ここにいないわたし
誰かの為の流れ星
蕩ける飴捨てた鞭
手から零れる絵画
家出したおなまえ
いるけど触れない妹
私には見えるお姉ちゃん
喋ってる透明の幼なじみ
私じゃない幸せなわたし
透き通った身体
すり抜ける思考
パステルの感覚
ふわふわな自在
混ざりあう皮膚
空気みたいな内側
確かめなきゃない息
くっつきそうな私達
詩的少女性キメラ
恋人繋ぎ緩む狭間
最終倫理も軽やかに
私がわたしでワタシが夜の詩
感想1
どこか不可視化された世界、バラバラの心が共存している世界を覗き見させてもらっているような感じがしました。色「家出したおなまえ」「信じすぎて救われる」など言葉の不思議な連なりの手触りを味わいながら読みました。本気の苦しさも遊びに混ぜてしまいたいような、でも全部を笑い事にはしたくないようなそんなせめぎ合いのイメージを勝手にしていました。リズミカルに連ねられた言葉で、音楽があったなら口ずさみたい感じがすると思う。でもこれに曲があるとしたら、けっこうメロディの難易度の高い曲なのかもしれない…と妄想しました。
感想2
ああ、この心地の良いライムに浸っていたい……と感じました。可愛らしいモチーフとちょっぴり物騒なモチーフが入り混じる文章から、ドリーム・コア的な風景が浮かんできました。夢と現実、物質世界と精神世界がくるくると切り替わるというか、行き来をしている?いや、はたまた重なって存在しているのでしょうか、それとも「境界」なんてものは最初から存在していなかったのかも……ととめどなく考えていくうちに、この世界にトリップしてしまいそうです。
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「どうしたの?怖い夢でも見たのかしら?」
私が泣いていると、ママはいつも優しく声をかけてくれる。
「……」
けれど、私は上手く言葉を返すことができない。
何となく違和感があるからだ。
ママは優しい。
私が悲しんでいる時には声をかけてくれる。
でも、私は悲しんでいる理由を言葉にすることができない。
ママに話すことなど何もない、と心のどこかで思っている。
私が黙っているから、ママの優しさが遠ざかっていく。
「せっかく心配してあげてるのに、何も答えないなんて」
…ため息。
「バカにしてるの?」
…聞くだけで体が緊張する、不機嫌な声。
「誰かに何か言われたの?嫌なことがあったの?ねぇ答えてよ!」
うるさい。話したくない。
私は思わず耳を塞ぐ。
優しいママは、私の幻想。
そんなのずっと前から、知ってるよ。知ってるよ
感想1
幻想の優しいママと幻想ではない不機嫌なママ、どちらのママにも自分の悲しみを話せないという息苦しさとやりきれない気持ちが伝わってきます。優しいママはいつからそばにいたのでしょうか。どこから来たのでしょうか。思い出の中なのか、理想なのか、この子自身が自分をケアする優しさの分身なのか、つい考えてしまいます。
感想2
「知ってるよ」って声は諦めたような、ちいさなつぶやきみたいな感じだと思いました。「ママ」に「優しい」状態でいてもらうには、「私」は「ママ」にとっての正解を選び続けなければいけないのかも。だけど正解が一つもないことも少なくないのかも……って想像しました。それはずっと難しすぎるテストを受けているみたいなものかもしれない。合格しないと「優しい」ではないものをたくさん浴びないといけないなら、緊張するのも、ひそかに幻想を願うのも自然な気がする。読んでいて、この場面は家の中で、あるすこし寒い日の朝のことかもって勝手にイメージしていました。
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うれしくもない
かなしくもない
どちらでもない感覚
アリジゴクの縁を歩いているような
すごく不安定な感覚
いっそジゴクに落ちたなら
逃げ出す元気が出るのかも
その覚悟もない私は
ただじっと黙って動かない
目立たないようにどちらでもない感覚
感想1
一歩踏み外したら落ちてしまいそうな距離をじっくりと感じている感じがして、その眼差しはどこからきているのだろうと思いました。「ジゴク」に落ちたif世界の「私」は逃げ出そうとしたり、しなかったりして、それを想像している瞬間「私」は縁からすこし離れてられるのかも。たくさんの「いっそ」を想像しながら、距離をとりながらじっと過ごすことは、「私」の生存技法なのかも。雨が降ったら、アリジゴクのつくった地形も変わったりするのかもしれないと思いました。
感想2
アリジコクの縁を歩いている
身動きが取れない
強張った身体
現代を生きる我々真面目に生きれば生きるほど息苦しくなっていて、こういう状態になるように思います。
本当はどこまでも自由に躍動する命を携えているのに。どんなに苦しい状態が今あっても、せめて、今はこの状態であり、本当は自由な命なのだというイメージは捨てずにいたいと思いました。
感想
死にトリサポーターからの感想は現在準備中です。