生きづらさを感じる人が創る
のびアート
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タグ:「詩・文」
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底のないコップに
オレンジジュースを注ぐ
穴の空いた風船を
一生懸命膨らます
傘をちゃんと準備したのに
雨の中を濡れながら
歩くカーテン越しに
夜空を眺めて
明日が来ませんようにと祈る
ずっと家にいるけど
帰りたくなるんだよな
満ちていくはずなのに
ずっと底が見えるんだよな
コップに注いだ炭酸の泡を
音が消えるまで数えている
どこにも出かけないのに
ワンピースを着て
アイラインを引いている
疲れ切った体のままで
明日を駆け抜けようとして
擦り減らしたままの心で
だいそれた夢を描いている
笑顔になりたいのに
笑顔を忘れていく
愛されたいから
まずは私を愛することにした
不安は私を抱きしめて
希望は私を突き放す
笑える時間は短いのに
寂しい夜がとても長くて
静かに灯るベッド横のランプ
私の思考は黙ってくれないの
嘘でも楽しいと言えない日には
本当に楽しい夢を見たい無題
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乾いた芝を むりやりごはん粒でくっつけたみたいな 心が
口から飛び出して テーブルの上に転がった
昨日 動物園で見た ぞうのうんちは
どっしり重くて まとまっていて 草のいいにおいがした無題
感想1
非物体である心の比喩の表現の面白さもさながら、比較対象として出されたのがなんとコレか!と妙味を感じました。私は時たま、何の変哲もない物体と自分の存在を比べるようなことをやっているのですが、そのモードの時に動物園に行ったら、ちぐはぐでかさかさした未消化物のような心に比べて、しっかり食べ物を消化した後の副産物であるゾウの糞は、存在そのものが堂々としていて、なんと頼もしく感じられることだろう…と思うかも。
感想2
ごはん粒、祖母が糊の代わりに使っていたなぁとふと思い出しました。頼りなくまとまりをもった心は、放り出されたテーブルの上でかたちを保っていられたのだろうかと、想像を巡らせています。実態を持たない心のあり様をどのように表現するのか、言葉の端々から投稿者さんの感性を感じました。
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空を見上げてみる。
空には色んな星が輝いている。
ずっといちばん光っている星もあれば、少し光って消えてしまう星もある。
「あぁ、あの星は最近できた星だ。よく光ってるな。」
若い星がキラキラ強く光っている。
羨ましいな。
「わたしは全然光れないのに。」
わたしは生まれてからずっと、光ったことないまま命を落とすのかもしれない。
「羨ましいな。」
泣きそうになった時、ひとつの光った星がわたしの傍に現れた。
その星はわたしを照らしてくれた。ほんの少しの力だったけど、照らしてくれてわたしはほんの少し光った。
そうしたら他の光った星たちがわたしの周りにチラチラ現れた。
「ねぇ、同じものが好きなの!お話しよう。」
「その絵、可愛いね!」
「ぬいぐるみ作れるの? 手先器用だねー!」
光った星のおかげでわたしは少しだけ光れた。今もその星はわたしの光。
わたしの命を照らしてくれる、わたしの救いの光。✦⋆𓆩✧𓆪⋆✦
感想1
星は自分で光っているのではなく、太陽の光が反射している。夜になると私たちには光って見えるもの。自分で光ることができる星はほとんどない(人間に分かる範囲では)。私たちにとって太陽の光はどのようなものなのだろう。この詩で書かれているような誰かの存在かもしれないし、何かやることや、環境や、たまたま起こる出来事かもしれない。少なくとも自分で光ることができるわけではないことは分かっていたいなと思った。自分は何かによって、自分の存在を見えるものにしてもらっている。自分では自覚なく、誰かには見えているものでもある。私は私の出来ることを、見えないくらい小さくても、ただただやっていきたい。そんな感慨が浮かびました。
感想2
「星が光る」という事象に、他者との関係性や、社会の中での自分の居方を重ね合わせているところが印象に残りました。輝きの度合いでお互いを比べてしまうことは、人間の世界に置き換えても日々起こっているように思います。他の星たちがやってきたのは偶然にしても必然にしても、共鳴し合って輝き出す姿は、やさしくあたたかい世界だなと感じました。
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あさも、おひるまも、よるも
そして、まよなかも。
もりもり、たべる。
いのちを、いただく。
いのちが、しんだ。
地球のしくみは、傷つくようにできている。
だから、心地よいきもちや、らくなきもちになれたなら、生きている意味があったとおもう。
ままとぱぱと、おいしいね。って、わらいあうのが、うれしい。無題
作品にまつわる質問
この作品の好きなところを教えてください。
傷つきを主張しているところ。
感想1
たべることいきることは、植物や動物や、自分以外のだれかをいただくことで、それはなんだか、とても恐ろしくて、悲しいことのように感じることがあります。だけどそれでも生きていくことに、おいしさや、心地よさを感じることを、いとしくも感じます。私のからだも循環して、いつかは土にかえり、地球のさまざまな一部として巡り続けていくのだと思います。この詩を読みながら、そんなことを、ぐるぐると考えています。
感想2
「うれしい」を感じながらも、日々の中で思う事や違和感をじわじわと抱きながら過ごしている背景があるのかなと、読みながら想像した。確実に存在している様々な「時間軸」の中、また同じく確実に存在するであろう「いのち」が”食”により消えゆく瞬間もある。地球の仕組みを傷つきと表現する理由や、そう感じた経緯、ハッとした瞬間がきっとどこかにあったんじゃないかと、勝手に気になった私がいる。生きている意味や実感を得たいと思う私は、もしかしたらまず心地よさや安心を感じたいんじゃないか…?って、なんだか読みながらふとそんな発見をもらったように思う。
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あるところに少年がいました。かれはそのせなかに、おおきなつばさをもっていました。まっしろなつばさをはためかせるすがたは、ほんとうにみごとでした。
「きれいだね」
「ぶきみだね」
「かっこいいね」
「きもちわるいね」
みんなはくちぐちにいいました。ほめるひと、ばかにするひと、あこがれるひと、こわがるひと。いろいろなひとがいろいろなことをいいましたが、少年はきにしませんでした。
「ぼくは、たのしくそらをとべればそれでいいのさ」
少年は大きくなりました。つばさは相変わらず真っ白にかがやいています。青空をかけめぐる少年に、声が聞こえてきました。
「すごいなぁ、うらやましいな」
「あれしか芸がないのかしら」
「さすが、俺たちとは違う」
「私は好きじゃないな、ああいうの」
みんなは好き勝手に感想をいいました。賛否両論なのはいつものことのはずなのに、少年は違和感を覚えました。
「何だろう。空を飛ぶのが怖いよ」
少年は逞しい青年に成長しました。純白の翼は未だ現在です。それもそのはず、少年はすっかり遊飛行をやめてしまって久しいのです。それでも人々は珍種である彼を批評する娯楽から抜け出せません。
「彼の美しい羽根は純金をも上回る値打ちがあるでしょう」
「お高く止まってやがるぜ。上流階級のつもりか」
「あの御方こそ、この世界を終末から救う神の遣い」
「あれはきっとテロ組織が秘密裏に開発した生物型破壊兵器に違いない」
少年にとって最早、全ての声が敵でした。
「誰も僕を僕として見てくれない。皆、僕を翼でしか測らない。こんな翼は枷だ、僕は翼の奴隷なんだ」
彼の苦しみを嘲笑うかのように、翼は輝きを増していきます。
少年は何度も翼を消し去ろうと試みました。それでも、何をしても翼は傷ひとつ付きません。それを心から嘆くと同時に、少年はどこか安心していました。
「本当は分かってるんだ。僕から翼を取ったら僕は何者でもなくなる。結局、僕には翼を捨てる勇気がないんだ」
少年は自責の念に駆られました。やがて追い詰められた彼の頭に浮かんだのは、かの有名な神話でした。
「そうだ、太陽に灼かれればいいんだ」
少年は本当に久しぶりに空へと飛び立ちました。しかし生身で宇宙に行けるはずなどありません。彼はまもなく酸欠を起こし、真っ逆さまに落ちていきました。鋭い風が身を刺す中、少年は幼き日をぼんやりと思い出していました。少年
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
この後、少年は翼がクッションになって助かったそうです。本人は何とも言えない表情をしていたとか。
何年振りに空を飛んだことをきっかけに世間が再び賑わってしまうのは、また別のお話。感想1
寓話的な物語で、私は宮沢賢治の「よだかの星」という個人的に大好きな作品のことも思い浮かべつつ、この少年に思いを馳せていました。翼は賛否両論あれど、とにかく目立ってしまうことの大変さがあるもので、「たのしくそらをとべればそれでいい」と思っていても、いつの間にかひとびとの眼差しが重荷になっていって。翼があってもなくても、少年は少年であるはずなのに、と悔しい気持ちになりました。エピソードとして、翼がクッションになって助かったと書いてあって、ほっとしている自分がいます。この世界のどこかに彼に似た姿の人もいるのかな。いつか彼が思い煩うことなく飛べる空を見つけられますように、と祈る気持ちになっています。
感想2
少年の持つ翼は、少年を構成する大切な一要素ではあれども少年自体ではなかったし、それに意味付けをしてよい人は、少年本人以外には誰もいなかったはずだと思いました。しかし、人々は勝手気ままに、無責任に言葉を放ちます。雨のように降りつける他者からの毀誉褒貶を無視して生きることは、実際問題とても難しいことだと感じます。そして、つい悪い評価に引っ張られ、自分の気持ちも良さも見失ってしまうこともあると思います。少年の姿が自分自身に少し重なりました。翼ではなく少年を見てくれる人や、少年と同じようなところのある人と出会い、いつの日か少年が、また楽しく空を飛べるときが来ますようにと願っています。
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東から昇る陽の光で空が白み始めた頃、ベッドに横になっていた妙齢の女――見た目でいえば、五十くらいだろうか――は閉ざしていた瞼をゆっくりと持ち上げた。数回の瞬きを繰り返したのち、どこか気だるげに身体を持ち上げた女がぐるりと首を一回回し、おもむろに上へと手を掲げたその刹那――パチンと指を鳴らす音が響いたかと思うと、彼女が纏っていた白いネグリジェが一瞬にして黒いロングワンピースへと変化した。同時に寝癖でボサボサだった黒髪も、真っ直ぐに整い首元でひとつに結わえられていて。肩にかかる髪を後ろへ払った女は、足を床へ下ろすとそのまま立ち上がった。
「……もうすぐ春だっていうのに。朝はまだ冷えるねえ」
誰に向けるでもないただの独り言を口にしながら四人がけのテーブルが置かれたリビングへと入ってきた女がゆったりとした歩調で足を進めながら指を弾くと、暖炉の中に置かれている薪が一瞬にして紅い炎に包まれる。続けて彼女がもう一度指を鳴らすと、今度はランプに明かりが灯った。
「さて。今度は食事の準備だね」
なんでもないように彼女が指を弾く音が、静かな空気に何度も響き渡る。その音が止む頃にはテーブルの上に並んだ皿の上に、スクランブルエッグにサラダ、トースト二枚に牛乳たっぷりのカフェオレ――どこにでもある、ありふれた朝食だ――が置かれていた。流れるような足取りでその朝食の前までやってきた女は、慣れた様子で椅子に腰を下ろすと、おもむろに目の前のトーストへと手を伸ばした。
「……おっと。わたしとしたことが、ジャムを忘れているじゃないか」
片手にトーストを持った女は「うっかりしていた」とでも言いたげな様子で、もう片方の指をパチンと鳴らした。その音に導かれるように現れた半分ほどまで減ったいちごジャムの瓶を手元に引き寄せると、置かれていたスプーンを手に取ってたっぷりと掬い上げトーストへと塗っていく。
「よし。こんなもんだろう」
ツヤツヤとした赤に塗りつぶされたトーストを見つめた女は、口を大きく開くと勢いよくそれに噛りついた。頬張ったトーストをゆっくりと咀嚼し飲み込むと、女の口元が緩やかに弧を描いた。
「うん。今日も完璧だね」
一日の始まりを彩る自分好みの朝食に、女は満足気に頷くとジャムトーストを再び口へと運んだ。ワンダーエブリデイ
作品にまつわる質問
この作品の好きなところを教えてください。
魔女の一日の始まりをテーマに書いた短編です。魔法が当たり前にある世界観の中で、魔女の『人っぽさ』が出るように書きました。
感想1
朝食の香ばしい匂いを錯覚するほどに世界に入り込ませる文章だと感じました。指を鳴らすだけで全ての支度が整っていくのはとっても便利そうで魅力的だし、見ていて愉快だろうと想像します。ハリー・ポッターに登場する、ウィーズリー家のお母さんが家事魔法を使いこなしている姿を連想しました。何気ない日常動作を魔力で行えるようになるまでには、かなりの訓練を重ねて熟達しなければならないのかもしれません。はたまた、私が腕を伸ばして物を掴むように、魔女にとっては容易く当たり前の動作なのかもしれないとも思いました。
感想2
当たり前に魔法がある世界の中でも、この魔女さんは知者と言えそうだと個人的に思いました。自分にあった時間の流れや日々の過ごし方、自分に必要なことを過不足なく知っている感じがしたからです。一人で過ごしている時間が長いと、空間や道具やさまざまなものと対話するようにひとりごとを呟いてしまうことがあるように思います。魔法が異端として追いやられていない世界なら、魔女さんの住処は案外人里近くなのでしょうか。でも自然はゆたかな場所のイメージをしています。私もいつか魔女になりたいと常々思っているので、こんなふうな、一日の完璧なはじまりを探してみたいと思いました。
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ぼんやりと照明をみた
眩しくて涙が出た
すぐ止まって、
今度は痛みが走った
耐える価値がない
痛みは頭にうつり
じんわりとした頭痛
今日もうまくいかなかった
それだけならよかったのに
眩しいよ
いつもどおりさ自由に
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
深夜に眠りたくなくて書いたもの。
照明を消したら安心できなくて、つけたら眩しかった。
目を閉じたら気持ちのいい痛みが出て、反応するのもバカバカしい...って脳ミソくんが言ってきました。笑感想1
じぶんの感覚をしっかりとたどって感じたうえで描写しているようで、それが印象に残りました。深夜の時間は他の時間よりも一人の時間という感じがします。これが昼の「いつもどおりさ」だったらさわやかすぎて苦しくなりそうなんだけど、この詩の「いつもどおりさ」は、自分自身を突き放してしまいたいような諦め感がある気がして、私の感覚的にどこか馴染むような心地がしました。
感想2
エピソードも踏まえ作品を読んだからか、映像で浮かんできた感覚がありました。タイトルの「自由に」の”自由”には、どんな意味が込められているのだろうかと気になる私がいます。痛みが頭に写る感覚は、私自身覚えがあり、眩しさと痛みの関連性や、そんな部分からくる心の揺らぎもあるんだよなぁ…と感じているところです。脳ミソくんとの会話は日々繰り広げられているんだろうかと、想像が膨らんでいます。
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―
感想1
やわらかい光属性の言葉だけど、まぶしいというよりはさびしさが伝わってくるような不思議な感覚。言葉と言葉の隙間があって、それがきちきちに埋まるわけではないんだけど、だれかとつながっている温かさもある。私、小説を読み終えたあとで「よかったね」とかひとりごとを言っちゃう時があるのですが、そんな言葉をつぶやきたくなる読後感でした。
感想2
読んでいて心がじんわりとしました。夕焼けの茜色が胸いっぱいに広がっていくようでした。一日の充足感と喜びを感じるとともに、その満ち足りた一日を手放すことへの少しの寂しさのようなものも覚えました。けして多いとは言えないけれど、たしかに私にもそんな一日があったような気がします。翌日もその翌日も、この人にとって幸せで満ち足りた日になりますようにと祈りたい気持ちになりました。
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ねぇ、君。こんな時間にどうしたんだい?家には帰らないのかい?
おうち、かえりたくないの。
どうして帰りたくないんだい?
えっと、あの。わ、わからないの。
でも、かえりたくないの。
お父さんやお母さんが心配するよ。
しんぱい? それってこわい? いたい?
どうしてそんなことを訊くんだい?
だって、おじさんしんぱいっていった。おうち
感想1
この人にとって「おうち」はこわい場所で「お父さんやお母さん」がすることは、こわくていたいことなんだろうって思った。悲しいし、悔しくなる。「かえりたくない」と思って行動できるのは強みと言えるかもとも思うけれど、夜遅くの街の中なのかな、そこもきっと安全な場所ではないのだろう。けれど、「おうち」よりはマシと感じる瞬間も少なくないのかもしれない……。この夜も、次の夜も、その次も、ずっと、この人がこわくなくいられる場所ってどうしたら見つかるんだろう。
感想2
この子のおうちに帰りたくない気持ちは切実なものなのだと感じられました。その理由を自分でも説明できないのは、おうちにいるときは自分の思考や感情を押し殺しているためなのかもしれないと想像しました。「心配」という言葉を知らず、その未知の言葉が父母と結びつくと恐怖や痛みを与えるものだと解釈してしまうほどの過酷な環境のおうちなんだろうと胸が痛いです。せめてこのおじさんがいい人であれ…と願わずにいられません。
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「素を見せて」
なんて言われても私にはできない。
仮面の重圧に押し潰されて私の顔はなくなってしまったのだから。
あの人といる時は
ニコニコな仮面
あの友達といる時は
少し真面目な仮面
あの子といる時は
ふざけた仮面
そんな仮面を重ねていたら
知らない間に仮面に埋もれてる顔が
消えてしまった、無くなってしまった。
沢山の仮面を外した後の私は。
ただののっぺらぼう。
とても笑えるでしょう?
でも怖がらないで
どうか嫌わないで
お願いだから。圧
感想1
本当の自分てどれなんでしょうね。私も関わる人によって「自分」が変わりますし、場面によってふるまいや態度が変わり、まるで別人のような時があります。しかしどれも私だとも思います。この複雑な社会では全部自分のままでいられることはとても稀なことなのかなと思いました。まだまだ見つかっていない自分もきっといるだろうし、できるだけ心地よい自分に出会いたいなと思いました。まだまだ私も難しいけど
感想2
のっぺらぼうというよりも、わからないってことなのかも?と思った。私たちって、案外、素顔っていう顔を持っているわけではないのかもしれない。たくさん影響されて、どんどん押し流されて、自分らしい自分をわかるのはむずかしい。でも「わからない」は「ない」とはすこし違うような気がする。この詩の「私」は自分の感覚で受け取って言葉にしていて、それは、わからないけど、「私」の心があり、顔があり、体があり、そこにいるってことなのだろうなと思った。
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過去は消せないけど
それを
ずっと背負い続けなくてもいい。無題
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
誰も私のことが見えてないみたいで孤独だったので、私が私自身にと書きました
感想1
この作品にまつわるエピソードに「私が私自身にと」とあり、これは自分自身を見失わないための指標のような言葉なのかな…と想像していました。
感想2
私もいつか、背負っているものを少しずつでも下ろしていきたいし、でもそれをこれまで許可していなかった自分がいることに気が付きました。誰も自分が見えていないのではという孤独を感じる中、自分に言葉をかけたその背景には、様々な心の揺らぎや想いがあったのではないかと感じました。
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水に 触れる
風に 触れる
鳥の 鳴く声
木の葉の そよぎ
あふれる 自然の 優しさは
いつも 一方通行
耳を 傾けても
分からない言葉 持ってる
空に ひかり
朝と夜の ひかり
朝日の グラデーション
星の またたき
朝も夜も 流れるメッセージ
世界の あちこちで
たくさんの 波紋が
生まれては 消えていく
形を 持たない
メッセージの 意味は
誰も 知らない
かみさまの あいことば
心にある ことばの カケラ
何に 呼応する?
波紋が 重なりそうで 重ならない
違う 波間で 揺れてる
たくさんの メッセージたち
水が揺れる
風が過ぎるアンビエント
感想1
読みながら、書かれた自然音たちが聴こえてくるような…そんなイメージが浮かんでいます。自然の優しさが「あふれる」という考えが、私には無かったなという気づきと発見があり、自然の「声」に耳を傾ける瞬間を作りたい衝動にかられました。”自然のもの”が私たちに送るサインやメッセージはきっと沢山あって、今も知らない間にそれは生まれては消えているんだろうなと思うと、どこか切ない気持ちにもなりますが、”確実な存在としてある”ということも、同時に強く感じたような気がしています。
感想2
日常の中には「わかる」ことが当然とされるものが溢れているので、意味が飽和して苦しくなることが私にはあります。この詩の中にある、自然からの「メッセージ」は、簡単に読み取り可能な意味に還元されきれないものなのだろうと思いました。重ならないまま、通り過ぎてゆくものたちから、なにかはわからないけれどなにかを受け取ること。それに耳を澄ますような得がたい時間を、作者さんはたくさん知っているのかなと思いました。
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いつでもおいで
君を待っているから
ここは退屈な場所
僕はずっとここにいた
いつでもおいで
君は何か言いたかったみたい
ここには何も残らない
面白いよね
僕はいつまでもここにいる
いつでもいいよ
君は誰かと話したい?
何もないよ
僕は答えた名前なんていらない
感想1
「いつでもおいで」「いつでもいいよ」の声が、それぞれ細く・今にも消え入りそうに聞こえてきたような感覚が私の中ではありました。退屈で何も残らない…。でも、僕と君にとっては、きっと大切な・なにか特別な場所でもあるんじゃないだろうかと想像します。読みながら、切ない気持ちや寂しさも感じる詩に思いましたが、「意思」を感じられるような作品でもある気がしています。(私の感覚ですが…。)
感想2
「君」を待っている「僕」は、退屈な場所から動けなくて、だからこそ「君」の訪問を心待ちにしているのかなという風に想像しました。退屈な・何も残らない・何もない場所といわれたら寂しい雰囲気でいっぱいな気がしますが、「僕」と「君」の二者のみしかいないことが、逆にシンプルで濃密な空気を醸し出しているようにも思えます。特別なことには名前を付けるのが難しく、だからこそネームレスのままがいいのかもしれません。
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私はあの子に嫌われなくなくて「優しい子」という袋を被った。
私は先生に嫌われたくなくて「優等生」という袋を被った。
私は親に嫌われたくなくて「勉強のできるいい子」という袋を被った。
最初はみんな袋越しの私を見て喜んだ。
仲良くしてくれた。褒めてくれた。
でも今は違う。
私が「いい子」で「優等生」で「優しい」ということが当たり前になった。
袋の中の空気はだんだんと薄くなって息苦しくなっていく。
袋を被り始めたのは自分なのに。
自分が被った袋のせいで言いたいこともまともに言えない。
あの時の自分と変わってないか、袋に穴は空いていないのか。
いつもそんなことを気にしてる。
きっと自分で自分を殺しているんだ。自業自得
感想1
相手に合わせて自分を演じることは、ネコ被りという可愛い表現では収まらず、窒息に至るような切実な苦しさがあると感じました。自業自得とタイトルにありますが、袋を被ることがこの人にとっては日々を生きるために必要な戦略だったのだろうと思います。いつか袋が外れたり、あるいは穴が開いてしまったけど案外大丈夫だったということが起こってほしいなとつい思ってしまいました。
感想2
相手や状況に応じて自分を変える術を、「袋を被る」という表現に変換していることを興味深く読みました。優しくて優等生で勉強ができるあたまのいい子・・こうして文字に連ねてみても、呼吸が浅くなるような閉塞感を感じます。袋を被り続けることに疲弊してきているけれど、嫌われるかもしれないという可能性が1ミリでもあれば、簡単に脱ぎ捨てることもできない・・そんな葛藤も垣間見えるように思いました。
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お金がないって言うけどさ
金かかるの知ってて産んだんでしょう?
欲しい物はちゃんと言えって言うけどさ
言い出しにくい雰囲気作ってるじゃん
なんで産んだの?
なんで育ててるの?
しんどいなら産まなきゃよかったのに
親なんて嫌いだ
こんな雰囲気の家は嫌いだ
なんて、本当はそんなことない
本当に嫌いなのは、大嫌いなのは
無駄に遠慮して
本音が言えないのを人のせいにして
産んでくれて、育ててくれた親に
こんな酷いことを思ってしまう
自分なんだ本当に嫌いなもの
感想1
読みながら、勝手にですがとても共感してしまった私がいます。怒りや悲しみ憎しみ…「どうして?」「なんで?」が心や脳を支配する中で、考えて考えて・感じて感じて、最終的に、自分が一番大嫌いで許せない存在だと痛感させられるような…そんなループから抜け出せずにいる苦しみがあるのではないかと、私自身の経験も踏まえ、そのように考えました。自己嫌悪に苛まれる中、でも確実に怒りや苦しみも存在するからこそ、グルグルと思考が巡りまたつらくなる、そんな想いも詩から読み取れたような感覚もありました。本当は直接届けたい(かもしれない)気持ちを、このように作品として書き出すことで、また違うカタチで自分で落とし込めようとしている背景もあるのではないだろうかと、これも私の勝手な想像です。
感想2
どれだけ近くにいても
分からない
私たちの世界は どこまでも交わらず
一人一人の中に無数の歴史と「世界」がある
「どちらか」かしなかないと思うのは
他に広がる無数の世界や言葉を観えなくさせている何かがあるということで
あなたに悲しさを感じる心があることは
決して悪いことではないのではないかと思います
また親の中にも無数の世界があり
親もまた観えていないのかもしれない
私たちはどのような時に
どような時間の中で
これまで観えなかったものが観えるようになるのだろうか
本当は声を出している無数の命に
どうやったら耳を傾けることができるだろうか
そんなことを考えました -
掃除も自炊も洗濯もやる
たまにご褒美で定期的にお菓子とか買って
仕事もまあまあ上手く行ってる
でもふと考える
いつまで生きればいいんだろう
そんなこと考えながら
いついなくなっても後悔のないように
やりたいことはやる
いきたいところには行く
食べたいものを食べる
そんなこと知らないから
結婚やこれからのことを聞かれると戸惑う
とりあえず今は、若くてやりたいことをやりたい時期だという口実でやっていけるだろうか?
おわらせるのは怖い
生きるのも怖い、体を傷つけることも
ただ空気のように消えて
最初からいなかったような終わり方ができればいいのにと思う叫
感想1
最初に読んだとき「叫」という題と比べると詩には抑制された筆致を感じました。いやでも、この生活に根差した言葉一つ一つを私は淡々と読んでしまったけれど、本当は、もっと吐息の中にある言葉だったかもしれず、ぎざつきみたいなものを勝手に取り去ってしまっただけなのかもしれないと思い直し、またいちど読みました。それでこの言葉そのものだけでなく、言葉の間、空白のところに、言葉にならない悲鳴や叫びが留め置かれているように感じました。たしかに私たちが本当に怖いとき物語のように上手に叫ぶのは難しい気がするのです。だからこのような形の叫びが必要なのかもしれないと考えました。
感想2
切実な「叫」があることを文中から感じつつ、すこし進んでは立ち止まり・すこし進んでは立ち止まりを繰り返す情景が浮かんできたような気がしています。迷いの中、自分にとっての何かを見つけようと、苦しみやもがきがあるのではないだろうかと、そんな風に、感覚的にですがイメージが浮かんだ私もいます。「おわらせる恐怖」というのは時に、「何かを始める恐怖」にも通ずるものがある気が私はしていて、同時に、その狭間にいる苦しさも伴うような…そんな感覚があるように思います。
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もうすぐ4月
誕生花の桜が咲く
誕生日を迎えたくない
私にとっていちばん大切な花
桜が咲くのを見届けたら
散る時は一緒に逝きたい
ささやかな幸せも
胸の奥のちいさな声も
つめたい世界に埋もれてしまう
それでも いつの日か
「桜と一緒に生きたい」
そう心から言えるようになりたい桜隠し
感想1
「さくらと一緒に生きる」という言葉が印象的でした。よくみかけるソメイヨシノの寿命は60~80ねんくらいだそうで、人間と同じくらいだそうです。桜は沢山種類があって、長く生きるものは1000年近く生きるのだとか。花が咲いていない時期でも着実に見えないところで呼吸をし、根を張り、静かにゆっくり変化している。それは桜の意思でもなく、太陽や土や世界に誘われているのだと思うと、さくらと一緒に生きるというのは、自分を構成する見えないものに耳を澄ませるということのように思いました。
感想2
いちばん大切な桜という花を遠くからみつめるだけでなく、桜に「私」の心の一部を託しているような感覚を受けました。「つめたい世界」にいながら、桜にはそれとは違う温度が宿っているのかなぁと思うと、風景はさむざむしいばかりではないような心地にもなります。今日も、午前中に家の近くを歩いていたら、たくさんの花をつけた大きな桜の木と、それを見上げる人たちがいて、私もすこし立ち止まって見ました。私は桜を「巡ってくる」ものの象徴のようにも感じてきたのかもしれないと、この詩を読みながら考えています。
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何もしないまま過ごし、時計に目をやると、秒針が歪んでいた。まるで渦のような形になってしまったそれは私の体を締め上げてくる。
すぐに引き剥がそうとした。
ただ、引き剥がしたとしてもそれはまたやってくる。
もし、そんな毎日が続くのなら、ここで時間を止めてしまうべき。と、思ってしまった。
それはまだここにいる。お昼
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仮想の繋がりは世界を網羅し、現実の存在は現在の空白にしかない。
自由を目指した未来は、果てに神々しい光を予感させるが、それは現実にどういう形を取る?
本物の愛情はアスファルトの下にしか存在しないかもしれないが、全体を塞がれていて出られない。
プラザの噴水の虚偽は世界全体がそうだったから気づけなかったのか。
夢を見ているのでは無いことは知っているが、マトリックスは共感できる。
明るくて楽しいものは必要だが、それだけに満足することはできない。
どういう時代に生きているのかを示してくれそうなのは、東西の文学者で彼らは果てを目指しているので、民主主義と相入れることができない。
しかしこの文章もそこからの発信なので、説得力は何もない。時代
感想1
強い閉塞感の中、情報だけは海のようにたくさんあり、その中で作中主体はひたすら考え続けてきたのだろうと思いました。ただスマホの先のサーバーはどこかに物理的に存在し、スマホをつつくばかりの指の他にも私には足の裏があり、それが触れるシーツがあり、ふくらはぎがあり、それが感じる痛みがあり、動き続けている体があることに、ふと立ち返る瞬間があります。この時代は、1000年後から見たらどんな時代なのでしょう。私たちは今同時代に何を共有しているのか……と考えています。
感想2
歴史家E.H.カーは、「過去の光に照らして初めて私たちは現在をよく理解することができる」と言ったが、集団の中に埋没しているとき、その集団の全体像が見えないように、現代の中で生きている私たちが、「現代」という時代を把握するのは困難なことであると思う。愛情、文化、現実感、快楽など、存在を感じつつ不確かなものばかりに囲まれる私たちである。これが過去となったとき、また新しい「現代」を生きる私たちは、はじめて当時を時代という流れのうちの一区画として認識できるのかも、というようなことを考えてみた。
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まばたきを繰り返す
今日を記録し また明日
出来事に一喜一憂し
雑貨屋を開く
それは 商いの準備
のようね
家庭の不満 仕事の理不尽
自信の喪失 恋愛観の議論
様々な出来事を「私」の断片として
無垢のオーク材で出来た棚に並べる
一ヶ月や三ヶ月に一度
私は他者に 選ばれて話す
選ばれたものを 手渡す
会う回数も語らう回数も
二十四節気よりも少ないね
と悲しむ人は私以外にいますか
秋の鹿だとバレないように
誰の目も見ずに 霞んだ山林に鳴いた
やまびこ が こだまして
誰にも届かず 雑踏に消える
宛先書かず手紙出してるね
傷つかぬ 気づかれぬ
傷つかぬが
気づかれぬ
救われないのは 私だけ秋の鹿
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
書店でおもむろに手に取った本の中に「秋の鹿」という言葉がありました。大和言葉で片想いという意訳だそうです。片方は想う、でも片方は重い。分かっているからこそ、秋の鹿は誰にも鳴けない。そんな孤独の詩です。
感想1
日常的な生活圏の言葉(と呼べばいいのかわからないですが)と、むかしから文学の中で大事にされてきたような言葉が、流れる呼吸の中で繋がっているような詩だと感じました。秋の鹿はだれかを恋うる心(恋愛なのかはわからないですが)を表しているのかなと私の中では想像していました。「選ばれて」自分を切り出して語っても、「私」はずっとさびしそうに見えました。霞んだ山林では、だれかに「私」の声はきこえても、それが「私」の声とは気づかれないのかもしれない……、でもそのときの姿が「私」にとっては自然なのかなと思いを巡らせています。
感想2
自信はないのですが、多分この人は毎日日記を書いているのかなという解釈で読んでいました。毎日の出来事を自分で記録するのは、孤独な作業と言えるのかもしれません。日記はネタ帳のように機能するときもあるのかもしれないけれど、それの全てを相手に開示することはまずないし、どんなに日常の詳細や何かに対する自分の心情を綴っても、壁打ちのように感じる瞬間もあるのかもしれないと考えました。
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たしかに週にいくどかはベランダに出ていたのだから、そのたびそのたびに見ていたはずだ。 だけど私はベランダに置かれたすべてのものへの興味をうしなっていたからそれらに機械的にみずをやることはあったとしても、なにも見てはいなかったのだろう。今日がその日であったのは、私の脳がしずかで、かわりに 私の脚がさかさかと動こうとする日であったから。私の足はベランダに向かい、私の目は私とうまくつながっていた。雨にさらされたまま堆積した枯れ葉をひろい、溶けたリトープスを鉢からぬいて ごみ袋にいれたとき、視界の端からなにか見知らぬかたちがせまってきていることに私ははじめて気づいた。 それは無数に伸びたミントだった。ベランダの隅の、さして大きくもない素焼きの鉢に、何年も前に植えたあのミントの茎がベランダの鉢と鉢をめぐるように、伸びているのだった。ミントは増殖し見たものを石に変えるおんなのあのへびの髪のようにベランダを駆けまわり、 あるいは踊っていた。
静止して見えることと踊っていることは矛盾せず両立する。ただそのような速度で、ミントは踊っているのだった。
細く長くゆらめくように伸びるミントに私は手を伸ばしていた。差し出された手に、いまさらこたえるように。ずいぶんとひさしぶりに触れたミントの枝先はローズマリーの鉢を乗りこえて伸びあがり、そこでしりしりと乾燥していた。ローズマリーは迷惑そうにむらさきの花をつけている。私はミントの茎をつかむとかるく引き、もう一方の手ににぎったはさみで根元から切り落とした。ぱち ぱち ぱ り つちんと伸びすぎた茎をつぎつぎ切ってゆく。触れるだけで、小さく丸まった茶色の葉を落とした茎も、まだあおい茎も切る。「切り戻しは植物の健康のために必要」とにんげんがいうから、植物よりはにんげんに近い私ははさみを使うけれど、しかしはたして植物はどのように命なのだろうか。鉢の中にみちと生えたミントは下のほうから若い芽を出していた。
みずみずしい、なまのにおいがする。それら
すべてを合わせひとつの命だろうか
それとも
この指に触れて落ちた
その一葉がひとつであったのか。
すくなくともここでしずかに踊っていたものはもういないのだが、それにもかかわらず私の足はむずむずとして、動きまわろうとしている。ダンスパートナー
作品にまつわる質問
制作環境や画材などについて教えてください。
制作環境: ベッド
画材: iPhone(すぐに熱くなる)感想1
巷で「ミントテロ」呼ばわりされるほどのミントの凄まじい繁殖力を思い出しました。あっという間に地面を侵食し、しなやかにたくましく伸びるあの緑が脳裏に浮かんできます。擬人化された植物たちの、無いはずの顔色や表情が、彼ら特有の匂いとともに伝わってくるようでした。いのち、たしかに、どこからどこまでが命なのでしょう。葉っぱや枝は、植物にとっての何なのかなと思いました。爪?髪の毛?それとも手足のようなもの?そんな風にしてみると、はてまた人間の命は、爪や毛の先の隅々まで入り込んでいるものなのか?と考えが広がりました。
感想2
心地よい言葉のリズムと、しんとしたベランダの雰囲気、爽やかな匂いが伝わってくるように読みました。日常をこんな風に切り取ると、当たり前に見過ごされている事象や景色に、何かしら意味があるような気がしてきます。知らない間に根を伸ばしたミントを「踊っている」と表現していることに、あなたのセンスを感じました。私もアパートの室内に観葉植物をいくつか置いているのですが、見ているようで見ていない感覚は、思わず共感してしまったところでした。
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風邪をひいてしまった
大変なことだ
誰にも気づかれたくない
熱も出ちゃった
こんなもの、耐えられるんだ
こんなもの、たいしたことない
いつも通りやり過ごす
耐えてしまった
ああ耐えられてしまった
体は熱かった
「拝啓」
本当は気づいて欲しかったんだ
本当は心配して欲しかったんだ
本当は、気づかれないのが怖い
本当は、心配されないのが怖い
そんなこと言えない
言えるはずがないこと
君にはわかってほしいずっと熱いもの
感想1
その後、体温は平熱にもどっても「ずっと熱いもの」は熱いまま、そこにあったのだろうと思った。いまもそこにあるのかもしれない。それは送られなかた手紙のような素直な感情や心のようなものかもしれないと思った。「本当は、」を言えたら簡単だと思っても、なぜかそれがむずかしいことがある。「本当は、」が小さく小さく積み重なって、心は重たくなってしまう。「拝啓」、こうやって、作者さんはひそかに「本当は、」の練習をしてるのかもしれないと思った。
感想2
「耐えてしまった ああ耐えられてしまった」の部分が、個人的に印象に残りました。困難を自力で乗り切ることや我慢することがデフォルトになっているけれど、それは身につけてきた癖のようなもので、本心はまったく別のところにあることを想像しました。気づいて心配してほしいけど、気づかれもせず心配もされない恐怖を思うと、「言わない」という選択肢も確かに・・と思いました。
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万華鏡を回した時のように、煌びやかで、でもどこか鬱陶しいほど眩しく混沌とした世界。
その中を落ちていく日々。
何を頼りに、何に縋ったら良いかわからず、じたばたと手足を大きく動かす私。
底が見えなくて、ただ恐ろしく、がむしゃらに掴めそうな何かを探す。
底がない、
それがこんなにも恐ろしいのか。
幾何学的な模様が何を意味するか理解できない。理解できないことも、こんなにも恐ろしいのか。
恐ろしさのあまり、
夏休みの工作で万華鏡を作ったあの頃、一番恐ろしかったはずの「死」という終着点に、希望を見出すようになった。終着点に縋ることで底なしの空間に、死という底を用意できたようで。
死を乞う私は、自分を恐怖と絶望から守るために生まれてきたのだ。
でも、もし、幾何学的な模様の意味を教えてもらえたら、荷物を一緒に抱えてくれる人と出逢い、共にゆっくり下降できたら、そんな他力があれば、他力を信じる力があれば、
混沌とした世界が少し整理され、
安全に底に辿り着けるのではないか。
最期は皆底に辿り着く。その道中が各々であるだけであって。
どうせなら、この煌びやかで鬱陶しい世界を
ちょっとは満喫してから、
“そこ”に辿り着きたいよね。万華鏡
感想1
工作でつくった「あの頃」とは、万華鏡への感覚も、この世界への認識もがらっと変わってしまった、なにか崩れてしまったような感覚の中で、一方では作者さんの美意識もじんわりと感じた。美しくても、意味のわからないものは怖い感じがすることがある。わからないと、立ちすくんでしまうことがある。語り手はそんな日々の手触りを万華鏡にたくして書いたのもしれない。「安全」な整理について書かれた「でも、もし、」以降の後半は、それ自体が整理されて書かれているような感じがした。「私」は重たい荷物に目を回しているところなのかもしれない。この先の道中でだれかと関わりながら、ルートも終着点もまた変化し巡っていくのかもしれない。
感想2
万華鏡に例えていた表現に、なんだかしっくりきた感覚が私の中であり、すこし発見をもらったような気持ちになりました。万華鏡の中を落ちていくシーンを想像してみて、無数の光の中に暗い部分もあって、思わずどこかに手を伸ばしてしまいそうだなと感じました。理解できない事の恐ろしさ・不安さがとても大きい事も作品から感じましたし、「死を乞う私」が切に求めているもの、自分にとって必要なのではと推測するものがあることも考え、そこにたどり着くまでにも長い道のりがあったんじゃないだろうかと思いました。読みおわってから一度、無性に万華鏡を覗いてみたくなった自分がいます。「今この瞬間」”私にはどう見えるのだろうか”と、確認したくなったのかもしれません。
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外が暗くなったら、ドライブに連れて行って欲しいんです。私の好きなCDを持っていくから、それを流しながら車を走らせて欲しいです。
そして、人影すらも見当たらない景色を眺めていたいです。
ついでに空港を通り過ぎて欲しいです。だんだん小さくなっていく飛行機を眺めながら、瞼を重くしていきたいです。
私が眠っても家に帰ろうとしないで欲しいんです。ずっと車を走らせていて欲しいです。
聞き慣れた音楽を繰り返しながら。別に叶わなくてもいいお願い
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【詩】off
ぎゅってして欲しいし
して欲しくないのかもしれない
湿ったアスファルトを
静かに歩きたかったのに
小石を つま先が鳴らしてしまう
どっちなんだろうね
どっちでもいいんだけどね
湿ったアスファルトを
履いたローファーの底で擦る
ヘアゴムが通った左腕
装飾に水色で透き通った
サイコロがついていた
おもむろに むしり取って
右の手のひらで包む
どっちかなぁ 偶数なら
ぎゅってしてほしくて
奇数なら
して欲しくない
車のヘッドライトが
私を照らしては 去っていく
どっちかなぁ
どっちでもいいんだけどね
どっちか なんてさ
サイコロを投げて
私はヘッドライトと一つになる
温もりと悲しみと期待
笑顔で 電源off
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【詩】shore
子ども扱いしないで
いや
子どもでいてもいいかな
私は1人で生きていける
いや
少し 甘えてもいいかな
そんな どうしようもない気持ちを
砂浜に隠したんだ
遠くに海鳥の声が聞こえる
潮風に乗った海の香りと
他人の幸せが鼻につく
ざぁーっと
波は打ち寄せて 帰っていく
飲み込まれると知っていて
海岸線に隠したの
あー
飲み込まれる前の私を
誰か見つけてくれたかなぁ
それなら いいのになぁoff / shore
感想1
投稿者さんが意図してのことか分からなかったのですが、サーフィンにoffshore(オフショア)という言葉があり、波に乗りやすい風が吹くことを指しています。どちらの詩も、揺れ動く心が表現されているように感じて、葛藤をどこかに投げてみて何かが返ってくるのを待っているような、そんな自分をどこかニヒルにも捉えている言葉の数々が印象的でした。
感想2
二つとも、相反する気持ちを抱えつつ決着をつけることを諦めている様子、そしてその気持ちの葛藤を抱えたままどこかに消えてしまうことを暗示しているような点が共通しているなあと思いました。考えることに疲れてしまって、しかたなく笑っている様子が思い浮かびました。相反する気持ちを持っていると、それらは互いにぶつかり合うので心が騒々しくなるので、私は結構困っています。でも、どちらも捨てきれない大事な気持ちであることは確かで、泣き止まない赤子をあやすようになだめ続けるしかないのかもしれません。
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学校では真面目な人として
誠実の仮面をつける
クラスではしっかりした人として
勇気の仮面をつける
部活では明るい人として
元気の仮面をつける
家ではいい人として
親切の仮面をつける
私が私として
素顔を曝け出す日は来るのだろうか仮面
感想1
様々な仮面があって、それを”使い分けないといけない”苦しい状況が浮かんだ気がしています。どの仮面も、付けた瞬間になんだか酸素が薄く感じるような、そんな感覚があるんじゃないだろうかと想像しました。つけている時だけではなく、仮面の切り替えにもきっと気が抜けないだろうし、時には使い分けがわからなくなるような、そんなこともあったりするのではないかと、読みながら考えています。
感想2
厚い仮面をつけなければならない時、その後の帰り道で叫び出しそうな身体ごと消えてなくなりたくなるような衝動にかられ、大声を出したり身体を傷つけたりしたことがあります。自分は子ども相手の仕事をしていた時があり、それは子ども時代に戻ってやり直したいという潜在意識からだったように思います。取り戻せたかは分からないけど、でもいまだに人間であれる場所を探しているところがあります。仮面をつけている事の苦しさや違和感を持っているなら、それは大切な感性が働いているとも思いますし、私自身、違和感を捨てずにいたいと思いました。
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わたしはあなたと目が合うと
ドキッとする
でもきっと
あなたは何も思っていないんだろうな
わたしはあなたの声がすると
その声を反芻させる
でもきっと
あなたはわたしの声を覚えていないんだろうな
わたしは毎日あなたのことを考える
でもきっと
あなたはわたしのことを一度も考えないんだろうな
それなのに
それなのに
期待する
希望を見いだす
想像をふくらませる
でも、
わたしはね、
あなたの性格
あなたの顔
あなたの声
あなたの全部
大好きだよ
わたしと同じように
夢中になってくれれば
それだけでいいのにな無題
感想1
この「わたし」が相手にゾッコンな様子が伝わってくる詩でした。「わたし」と「あなた」の気持ちの非対称さが、なんとももどかしく感じられます。私は一方通行のオタクタイプなので相手に同じだけ私のことを考えてもらわなくても構わないのですが(むしろ存在を認知しないでほしいまである)、この人は、本当は自分と同じだけ相手に考えていてほしいんだなあと面白く思いました。そう思うのは、ただ同じ気持ちになりたいという願いからなのか、相手の思考を自分の存在で占領したいのか、どうなんだろうなと考えています。
感想2
「あなた」と「わたし」が静かにすれ違いながら、ひっそりと想いを寄せている姿を想像しました。他者の気持ちはどこまでいっても分からないものだなと私自身は思ったりしますが、期待や希望を含め、相手のことを想っている瞬間が一番幸せだったりするのかなと、そんなことを考えました。
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遠くの街を眺めて、
遠くに並んでいる、いくつもの家の明かりを見ていると、
どれかひとつが、自分の帰っていい場所なんじゃないかと、思う。
そんなことは、あるはずがないのに。
明かりの一つ一つが、かすかな希望に見える。無題
感想1
この人はどこから街を眺めているのかなあと考えました。丘の上かもしれないし、走っている電車の中からなのかもしれない。私も遠出しているときなど、見知らぬ遠くの街を眺めていると、何故だか「帰りたい」という気持ちになります。何のゆかりもない街なのにそう思うのが不思議です。明かりが希望に見えるのは、その明かりのうちのどれかが、将来自分が帰る場所になるほんの少しの可能性として感じられるからなのかなと思ったりしました。
感想2
読みながら、私もそんな感覚になったことがあるのを思い出し、勝手に共感しちゃいました。あの明かりたちが温かいように見える時もあれば、ただのイルミネーションのような、ひとつの遠い遠い風景(無縁に感じてしまうような)そんな風に思える時もあるなぁ…と、ふと考えました。個人的に「かすかな希望」という表現に、しっくりとくるなにかをもらった印象です。
感想1
どこかちぐはぐであべこべで、ままならない日々を送っている人の詩だと思いました。この毎日はけして明るくなく、落ち着かず、満たされず、不安が纏わりついているけれど、まだ安らぎを諦めていないような静かな息遣いを感じました。不器用な行動も、矛盾した気持ちも、とめどない思考も、全てをじっと見つめているような、同じようなものを抱えている私すらも見通されているような気がしました。
感想2
コップを満たしたいから、風船をまあるく膨らましたいから、ジュースや空気がこぼれても、このひとはそれをしたのでしょうか。それは諦めの感覚と願いや祈りが同居した行為のようにも感じました。私もずっと、どこかに帰りたい気がしています。どこになのか、家に、自分に。引き裂かれる感覚が、だけどぎりぎり裂かれきらないまま、詩の中に地続きに存在しているようん思いました。