生きづらさを感じる人が創る
のびアート
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タグ:「詩・文」
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見て見て見て
こんなに苦しかったんだ
毎分毎秒 自分の言葉
吐き出したい
でも 気力が足りない
凍りついたような心
苦しさの背景
今日も言えずにいる
量産したいよ
思いつく限り
私のしんどさが伝わるような物語
量産したいよ
思ってるだけ
言葉にするのは過酷なんだ
誰か分かってくれ
数だけ増えたものからは
意味や価値が 薄れていくのかな
それでも言わないと
始まらない気がして
毎日何かを生み出したい
そして安心したい
だからやらないと
認めてほしいと願う
自分がいる
やりたいのは本当にこれかな?
伝わってほしいのは本当だよ
量産したいの?分からない
ただ 心すり減らしながらでも
言いたいことは確かに在るよ量産
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
表現したいことが自分の中に蓄積されている感じがあるのに、上手く出せない。大量生産するみたいに流れでたくさん書ければ楽…?いや、でも……。みたいなモヤモヤした気持ち。
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夢は「さめる」って言うけどさ、鮮やかな夢がはたと醒めたら色のない現実がこちらを見るせいかな。
恋もさ、「さめる」って言うけど、ねえ、あの子を思った気持ちはどんなにカラフルだったろうね。褪める
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
夢は「醒める」、恋は「冷める」と書きますが、色褪せる の漢字も同じく「褪める」と書いて「さめる」と読めます。
どの字だっけ、と悩んだとき もしかして同じ意味があったり…と思いつき、言葉にしてみました。感想1
「さめる」という響きは、どことなく侘しさが漂うように感じています。エピソードを読んで、新しい発見に出会ったような心地よさを覚えながら、思わずパソコンの変換候補から探して「おお・・」と声が出てしまいました。
感想2
「○○がさめる」という文章の主語○○に入る単語によって、「さめる」という述語の漢字変換が決まってくるという言葉のおもしろさが感じられる詩でした。「さめる」の持つ何かの状態が変化する、という漠然としたイメージは同じですが、変わるのは意識なのか、温度なのか、色なのか。現実に戻れば夢も温度を失って冷める、正気に戻るなら恋から醒める。
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ひとりぼっちの私と星空
感想1
夜空がすごく大きくて、見上げていたらぐわんとなってしまいそう。じぶんがなにかすごく間違ったような気持ちのとき、世界がきれいなことは、優しくて苦しい感じがする。このひとはどんな表情で見上げていたんだろう。下の方がほのかに明るくて、もうすこしで世が明けるのだろうか。
感想2
向こうの空がほんの明るいのは夕焼けにも朝焼けにも見えたけれど、家を飛び出して吸い込んだ外の空気は、気温が高くてもチクチクと感じられそうな気がしました。フィクションではよく登場人物の気持ちと天気が連動するけれど実際はそうもいかず、こちらの心は土砂降りというときほど憎らしいほどきれいな空が広がっていたりしますよね。夜空で一緒に輝く数多の星と、地表の上の一人ぼっちの私という対比に気づいてしまったら、また悲しさも加速してしまうんだろうな。
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私の心を蝕んで 醜く肥える海月が
からだの傷のみ取り去って自然な治癒をこれっぽっちも許さない
あったはずの痛み 確かに流れた血はすぐ跡形もなく
輪郭も色もない恐怖と悲しみは 脳奥にくっきり彫られていくのに
裂かれた肌 見えぬ傷は
地についた足 浮かぶ魂は
感じた痛み 思い出せない無念は
私はその間に虚しく、
存在すると言えぬほど曖昧に
ただ まだ そこに あるはずなのに
唯一 私の外殻を撫でる触手
涙が涸れている 口角が蠢く
もみくちゃになる心が海月の養分だった海月
感想1
読みながら初めに、「深海」のイメージが湧いてきたような気がしています(なんとなくではありますが…)”自然な治癒をこれっぽっちも許さない”というのが個人的には印象的で、自然治癒という言葉や現象が確かにあることとは反対に、それを許されない・起こらないことの残酷さや無力感を抱いた感覚がありました。ふわふわ漂う海月が、ただそこにいるだけのはずなのにそうじゃなく、この作品の中では、おぞましい”何か”が、起きている瞬間でもあるのかと想像しました。
感想2
どことなく厳しいイメージの漢字がつらなる言葉の中に、いくつかのひらがなの箇所が、そこだけ柔く温度を持っているように感じました。「からだ」「ただ まだ そこに あるはずなのに」「もみくちゃになる心」くらげは人間のからだとは違って、神秘的にも思うしすこし不気味に思うこともある。くらげはどこにいるのだろう。「私」の中に「私」とともに生きているのだろうか。
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私にとって、「不安」という感情は重荷です。
授業中も、友達と遊んでいる時も、家に帰っても、どんな場所に行っても、座ってみても、寝転んでみても、どうやってもおろすことのできない「不安」を、私はずっと背負っているのです。
「いい加減、離れてよ」
「やだ」
私は背中にべったりとくっついている不安と、時折そんなやりとりをします。
「やだ」と返されてしまっては、それ以上何も言えません。
結局私は、不安を背負ったまま、生活を送るのです。
「何をしても無駄だよ」
ある日、私が部屋でスマホをいじっていると、背後から不安の声が聞こえました。
突然のできごとに、私は自分の耳を疑いました。今まで、私から話しかけたことしかなかったのです。
私はスマホを置いて、不安と話し始めました。
「…どうして?」
「離れることなんてできない」
「…でも、苦しいよ」
胸をぎゅっとおさえ、うつむく私。
そんな私に、また不安の声が聞こえました。
今度は背後からではなく、正面から。
「一応、君を守ってるつもりなんだけどな」
「そんなの分かってるけど、苦しい」
「…ごめんね」
不安が苦笑を浮かべながら言いました。
「苦しいけど…離れろって言ったのは、ごめん…」
不安を傷つけているような、自分を傷つけているような痛みを、実はずっと感じていました。
「いいよ。だって、やだって言ったらそれ以上は何も言わないでいてくれたから」
「…気遣って言ってるでしょ」
「うーん…それは、まぁ…」
不安と私はとても似ていて、お互い苦しくて、お互い傷ついていました。
私は不安のことを、重荷だと感じています。
でも、こうやって向かい合って話せれば、その間だけは重たくないのです。
どんなきっかけで向かい合えるのかは、よく分かりませんが…。不安と私
感想1
この「不安」というものがいると、怯えだけは人一倍感じるものの、面白味も嬉しさもこいつを退散させることはできずむしろ打ち消されてしまうし、身体が重くて動きが遅くなる。けれどそうすることで、こいつは必死で私のことを危険から守ろうとしているのだということも同時に感じてしまうから憎めない。「不安」も常に不安であるのだと思う。だから私は、こいつを安心させる方法を探している。
感想2
内側での不安との対話、こんなにも言葉にしてもらったものを読んだのが初めてのように思って、驚きと納得感も少し混ざり合ったような気持ちでいます。私は色々に対して、こわい、どうしよう...と思ったり、内側でケンカが多発すると身動きが取れなくなる時があって、でもそれって向き合うのが難儀そうなところの声を無視してしまう時に起きるのかも、と気づかせてもらったような感じがします。それから、投稿者さんがただ背負うのではなく横に並んで歩く日もやって来そうなイメージを持っています。
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海水の中を沈んでいく。
息が出来ない。
苦しい。
何とか浮上しようと試みるが、
ジタバタしているうちに
海水を飲み込んでしまって
物凄く苦しい。
目も鼻も痛い
怖い。
何とか浮上したくて、
もがくけど、
どんどん下に落ちていくように思える。
身体が重い、疲れた。
でも力を抜いたら沈んじゃう。
どうしたらいいの?
そうだ、小学生の時にスイミングで習った背泳ぎの格好を取ろう。
両手は耳の後ろに、腰を少し反らせて、お腹を上に突き出すように。
力を程よく抜いて……
これを日々の生活に置き換えると難しい。
今ある力が微々たるものだから、程よくとは言え、これ以上抜くと0になりそう。
でも、それは私から見た“0”なのか、誰かの物差しで測った“0”なのか。
私は自分の物差しを持っていない気がするから、誰かの物差しかもしれない。
確かにどこか誰かの物差しで測ると目盛りは0で止まっているであろうけど、私は私の物差しを作ろう。それがアイデンティティだから。私の人生の最高責任者は私なんだから。0かどうか決めるのは私であるはずだし、0になることも必要かもしれないから。物差し。
感想1
私自身溺れかけているような苦しさを感じながら生きていて、程よく生きるためのメソッドをたくさん耳にしてきたけれど、どれもしっくりこない。どんな状態が楽なのか、その基準点すら自分でもよくわかっていないから仕方ないと思う。かといって他人の物差しを自分の領域に持ち込むことが有効かと言われれば、違うと思う。探り探り、メモリを作る。それでいいし、それしか無いと感じた。
感想2
水の中では力を抜いた方が浮くって言われたりするけど、溺れてるときにはそんなわけないじゃんってしかならない。陸にいてもパニックで呼吸が崩壊しそうな時、インターネットには「吸うより吐け」って書いてあったけど、そんなわけないじゃんって、うまくできなかった。たぶん、そう言った人には、経験則や実感があるんだろうなって思うけど、それは自分の実感ではないからむずかしい。1mって「1秒の299792458分の1の時間に光が真空中を伝わる工程の長さ」らしいけど、それをわかるのは難しすぎるから、自分の実感を探していくのが、自分の物差しづくりなんだろうなって、読んでいて、自分に置き換えてそんなことを思った。
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小さい頃よく空を見上げていた。
特に天気の良い日は空が青く透き通っていた。そんな太陽の下で新鮮な空気を吸って鳥のさえずりを聞き、ただぼーっとするのが好きだった。
いつしか空を見上げる余裕がなくなってきた。社会人と言う自立しないといけない環境のもとで、日々の仕事に忙殺され、青空ではなく、夜空を見上げることが増えてきた。
そのうちいくら天気が良い日が来ても、仕事でほぼ1日オフィスにいることだけで、結局青く透き通った空を見れる瞬間はお昼休みに外に出る時位だけで仕事が終わり外に出る頃にはすっかり夕焼け空もしくは夜空に変わっていた。
青空を見る機会が減るにつれて、自分と向き合う時間も減り、いつしか誰かのために忙殺されるようになっていき何のために生きているのかわからなくなってきた。
私がまた青空を見て、ぼーっとできる時間は来るのであろうか。いや来るように、今必死に頑張っているのである。青空
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
ふと思いついたことを書き出しました。幼い頃の感性を失いかけていた自分に、もう一度あの頃の感覚を思い出してもらいたく書いた文章になります。
感想1
いつでも空はあって、毎日、その時にしか見れない姿を見せてくれていますよね。自然の美しい姿に心が触れると自分がいかに不自然に生きているのかと愕然とする時があります。この文章を読んで、たとえ10秒でも空を見たりすることはきっとできるし、人生を奪われないように、自然をいつも少しでも感じるようにしたいとそう思いました。
感想2
年々、良きものを良いと感じるセンサーがどんどん鈍くなっていっているのを痛感しているところです。世界は相変わらず美しくて、美しいものは目の前にたくさん飛び込んでくるはず、探せば見つかるはずなのに、受信機としての私がどんどん古ぼけていくのを感じて悲しくなる。青空も夜空も窓から見えるけれど、扉が開け放たれた鳥かごにぽつんといるみたい。センスオブワンダー、手放さないように大切にしたいと思いました。
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「大陸のお話」
作品にまつわる質問
この作品の好きなところを教えてください。
孤独だけど、力強くて、なにか命の始まりや生命力を感じさせるところです。大陸移動説を意識しました。なにか大きな力をとにかく感じる詩だと書いて思った次第です。
感想1
設問にあったように、何か大きな力を感じる文章に感じた私がいる。今感じるのもあるけれど、「これから始まる」ような感覚も伝わってきた気がするなぁ。雄大な何かの始まりを告げる一説というか…私の感覚では、そんな感じがしたかもしれない。波の音は、どんな音だろう。世界中を轟かすような大きな音だろうか。はたまた、一瞬の力強さを思わせる、サッとした短い音だろうか…。読みながら、光がさして朝を迎えるような、そんなイメージも湧いてきた。
感想2
かつての陸地、パンゲア大陸は一つの塊でしたね。それがだいたい2億年前から分裂をはじめ、現在のようにバラバラになっていったとのことらしいですが、(人間の時間感覚では)ゆっくりゆっくり地球全球に拡散していく様子はまるで手足をのびのびと広げているような、あるいは海に我が身を滑らせて遊んでいるかのような無邪気さを覚え、不思議と愛おしくなりました。でも、今までのかたちを捨てて自己分裂・拡散していくのには、きっと少し勇気が要ったのかもしれない。その意味で冒険めいていると感じられました。
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今日も瞬きをして
澱みを吸って吐く
七転び七起き
あと一回だけなのに
時間をなぞって
体温を感じて
なんとなく分かったよ
「きっと」に嫌われて
「どうせ」にたかられる
私の笑顔を待っている人は
どこにいるのでしょうか?
風に乗る笑い声
午後5時のさえずり
横たわって動けない
私と理想像
限界を上書きして
零れ落ちていく
もう少し息をさせて
「嬉しい」が離れていく
「苦しい」が包んでいく
私が幸せを感じる日は
いつ訪れるのでしょうか?
「希望」が枯れていく
「孤独」が咲き乱れる
私が良い景色を見ることは
もうないのでしょうか?
私の傷は癒えない
ことを言えなくて
今日もまた
この夜を生きる「夜のひと時」
感想1
窓に映る空がだんだん暗くなっていくのをベッドに横たわって呆然と眺めている、そんな情景が浮かびました。身体が上手く動かずに物思いに耽ることしかできないときが私にはよくあるから、勝手に想起されたのだと思います。ぐったりした様子から出てきた問いかけは、確かに残っている幸福や生への諦めきれなさから発された言葉なのかもしれないと思いました。寂しくて悲しいけれど、とっぷり夜になってしまえば言葉にできないそれらが闇に紛れるような気がして、少し楽になったような気がする。
感想2
痛みをそのままに、迷いやとまどいの中を駆け抜ける疾走感のようなものを感じました。ところどころに対比の表現がちりばめられていて、「ひと時」の間にたくさんの葛藤が生まれては消えているのかなと、そんな時間の流れを想像しました。
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雨になって
風になって
光になって
何者にも縛られない存在になって
ここから解き放たれたい無題
感想1
雨と風と光と人間の違いは何だろう。雨は雨以外のものによって雨になり、溶けていく。人間も本当は同じ生命の流れの一部なのに、どうしてこんなにも離れてしまったのでしょうね。光のように、雨の様に生きてみたいと思います。
感想2
ひとつぶの雨というよりも降り頻る雨すべて、風や光のすべてのことを書いているように感じました。身体は有限で社会にはしがらみが多くえて、私はたまに、世界そのものになったつもりで、世界を感じてみることがあります。
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手紙
感想1
やわらかい絵柄の作品だと感じました。手紙は送られて、きっと届いているけれど、手紙には書かれていない心のつぶやきが四コマで表されているイメージで読みました。forには「相手に向かうことそのもの」の状態に重きをおいたニュアンスを感じています。心から、届くかわからないけれど、youに向かっていくということとシンプルで優しい絵とがマッチしているなぁと思っています。
感想2
言葉一つ一つに対して丁寧に向き合い、相手に伝えるかどうかは抜きにして自分にとってしっくりくる表現を探す人なのかなという感じを受けました。たしかに、学生の時に読んだコアイメージのイラストを思い浮かべると、toは対象に対して直線的に突っ走っていくまでを描き、forはもう少し曲線的でふんわり相手の方に向かっていて、到達したかどうかは気にしなかったはずでした。手紙は届く、そこにこめた思いまで到達したか分からないけれど、心を込めて綴った言葉がそのまま受け取られてほしいなと思いました。
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自分の部屋で、膝を抱えて座る。
蒸し暑さを感じる季節だ。寒さは感じないけれど、何となく両腕をさすった。手の平の温度が、素肌に伝わる。
座ったまま、ふと考える。
背中を預ける場所が、どこにもないなぁ。
自分でそう感じたのに、不思議に思う。
壁にだって、ベットのふちにだって、やろうと思えば今すぐにでも寄りかかることができるのに。
ぽつん、と1人ぼっちで座っている。
その事実だけが、私のすべてに思えてくる。
寄りかかるのを許してくれる、そんな人がいて欲しい。
さみしい背中に、優しい体温を感じてみたい。
ジメジメとした部屋で、心にあたたかさを欲している、ある日の夜。誰か私に寄りそって
作品にまつわる質問
この作品の好きなところを教えてください。
部屋の温度感と、自分の心が求めるものがリンクしていない感じです!
感想1
「背中を預ける」という行為は、小さくとも信頼がないとできなくて、それがものであれ人であれ、自分の重みを支えてくれるという見込みがあって初めて傾けられると考えると「自分の重み」に耐えられる人がどれくらいいるのかなと考えてしまいました。でもこの詩のイメージだと、ふと寄りかかるくらいの感じがして、そういう人が居たらほんとにいいだろうなと想像しました。少しずつでも寄りかかり合う人がいることが幸せなのかもしれませんね。
感想2
ぽつんとしたしずかな場所で、すうすうするようなさびしさがあるように思った。それを私もちょっと知っている気がしている。両腕は手のひらでさすられて、どんな感覚を持ったのだろう。膝を抱えると、頼りない心地がすこしだけ安心する気がする。人のからだって、なんだかとても不安定なかたちの物体なのかもしれない。もういない犬が、私の腕に寄り添って眠ってくれていたことを思い出した。最近はペットロボットもあったかいらしくて、私はそれを体温だと感じて安心するのかなと気になっている。
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君が流した涙は
頬を伝って地面へ落ちて
君を成功へ導く道しるべになる
涙を流すのは、ばからしくもなんともないよ涙
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
とにかく泣いてたら思いつきました
感想1
君というべつの自分に語りかけるみたいな言葉だから、願いや、祈りのようなものかもしれないと思った。言葉は呪いにも祈りにもなるから不思議。涙がばからしいなんて、そんなわけないと私も思う。
感想2
設問の回答を読んで、これは投稿者さんが自身に向けたメッセージでもあるんじゃないかと感じた私がいます。以前、自分の瞳から地面に零れ落ちた涙を見た時、落ちた瞬間にパッと花開くようになったのをよく覚えています。あれらが道しるべであったらいいな…って、その時の自分に寄り添いたくなった気がしています。
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息吸う度に決められる
僕は周りと違うことを
周りは男と女だらけで
僕はどちらににもなれないんだ
でも、言葉と態度と行動で
男と女が決まってしまう
多様性とはなんなのか
僕の性別がある意味とはなんなのか
何かをする度決められる
僕は人より劣っている事を
周りは普通の人だらけで
僕は異常者にしかなれないんだ
これが異常?
それは正常
どれが正解で
どれも難解で
なにも難問で
心のは問題で
そう、俺は言いたい
何が、言いたい。
俺は心が痛い、
それは腹が痛い、
君との俺との距離を縮める?
それはまさにユートピア
お願いだから君と僕の距離超距離遠い言葉の通り、僕は君と違って軟弱で、そう見たいな
、君のハイレベルなラップと歌を聞かせてくれよ僕の後に続いてさ!
Yeah!!!!無題
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照らされ続ける日も終わり、
空と輪郭が調和する。
誰にも気づかれない心地よさに、
ここで終わりたいと思えた。夜
感想1
読みながら情景をイメージしていました。静けさと少しの暗闇の中、月明かりだけが、何を照らすわけでもなく、ぼんやりと漂うような映像が脳内に浮かんだ気がします。きっとこの世に様々あるであろう「心地よさ」の感覚ですが、「誰にも気づかれない心地よさ」は、私にとってなにかを発見した感覚になりました。
感想2
待ち侘びたというには強引ではない、ささやかな夜の心地を感じました。調和という感覚が、私は気になりました。どこかさびしさを感じるのですが、同時に破綻のないような、やわらかさも感じています。
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転がっていく
削れていく
崩れていく
雨が降って
溶けていく
流されていく
期待はしない
求めすぎない
張り合わない
この袋の穴は
いつ塞がれるのかな
纏わりつく
呑まれていく
沈んでいく
聞こえなくなる
見えなくなる
全てなくなる?
忘れたくない
失くしたくない
離れたくない
そう思っていた私は
どこにあるのかな
不確かな青空
朝日に期待した
星が見えない夜空
喜びに出会って
愛で隠していた
傷を思い出していた「風化」
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
歌詞を書くように書きました。つらくて泣いていた時に勢いで書きました。
感想1
最初の2連を読み、やわい石が転がり削られながら、雨にまじり川に溶け出していくような風景が頭に浮かびました。塞がらない穴を持つ袋は、それでも何度も繕われてきたのかもしれないと思います。情景が切り合わされたように飛んでいくからか、大きな流転のような長いスパンの時間に、「私」も含まれているように感じています。不安げで頼りない心持ちの中でも、情景はたしかにあることを感じました。
感想2
日々転げまわったり、雨に打たれたり、流されるような思いをして、傷ついたり穴が開いたりして変化していく心があると思いを馳せました。風化というと、身に纏わりつく色々が取り壊されるような寂しい感じがしますが、塊がすり減りきってさらさらの砂になり全体に還っていくという悟りじみたプロセスも思い浮かびます。けれどその過程の一つ一つが、主観的には寂しく悲しいものとして感じられてしまいます。
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仕事終わり 新月の夜 風に吹かれたくて港まで歩いた
対岸を走るトラックと桟橋の光が 夜の潮風に滲んでいた
枯れた喉に 冷たい夜風がしみて せっかくの景色がソフトフォーカスの世界に沈んだ
誰かの声が耳をかすめた気がして 夜空にピントを合わせてみた
「春でもオリオンはまだ浮かんでいるんだ」
アルテミスの代わりになったつもりで見つめていると 彼の左肩が動いたように見えた
真上を見上げれば 真っ赤な光が点滅しながら流れていた
やがて彼の左肩に輝いていたオレンジ色の光は東へ流れて行った
耳元でまだ誰かがないている
その声に答えるように 雲が空を覆い始めた
再び空の色が見えた時 彼は元の姿とは違っていた
港の星座は生きている
ひとりで歩くプロムナードも 少しだけ色づいて見えたオリオンは生きていた
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
とある仕事で幕張に行った際の帰り、ZOZOマリンスタジアムの裏で星の光と航空輸送機の光が交わる空を見上げていました。
綺麗だったなぁ感想1
読んでいると潮風の匂いが鼻をくすぐり、夜空の星々が瞼の裏に映るようでした。ふとした風景が心身を癒してくれることがあり、そのときはこの星に歓迎されているような気がして嬉しくなります。月は冬にオリオン座を通過しますが、夜空に彼が浮かんでいるかぎりアルテミスは目を離さないのだろうと思いました。
感想2
夜のネオン、通り過ぎる風、海に移る光、星の光、別々の意味を持ち、別々の時代を生きるものがまるで同じところで呼吸をしているように感じられるのはなぜなんでしょう。夜というのはそういう時間のように思いました。一人でふと夜の海に行きたくなる気持ちがよみがえってきて、どこか救われるところのある景色だなと思いました
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ふわふわ毛並み
足のぷにぷに
よく伸びる四肢
にゃあにゃあにゃあ
心もやわらか 来世はねこに
路地うら生まれ
草むら生まれ
毛布のなか生まれ
にゃあにゃあにゃあ
しなやかに生きる 来世はねこに
白 黒 茶色 おひさまのにおい
黒 桃 あずき ポップコーンのにおい
青 緑 こはく じっと見つめる
にゃあにゃあにゃあ
なに色だっても美しくある 来世はねこに
気まぐれである
文句ばかりで
時折ひどくさみしがる
にゃあにゃあにゃあ
それですらよい 来世はねこに
近づいてみても怒られないなら
膝の上にも居ていいのなら
畜生道にもすすんで堕ちよう
にゃあにゃあにゃあ
きみになぜられる 来世はねこに
愛されるため 来世はねこに
愛されるため 来世はねこに
愛されるため 来世はねこに!来世はねこに
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
私は飼い猫たちから、人への甘え方や愛され方、異議申し立ての方法、人生の過ごし方などたくさんのことをご教授いただきました
感想1
猫に対する愛情とリスペクトに溢れた表現の一つ一つに、読んでいると幸せな気持ちになれるような気がしました。柔らかさの中にも自由奔放さを備えているところには、思わず憧れてしまう私がいます。ビー玉のようにキラリと輝く瞳は、じっと見ていると吸い込まれそうな不思議な魅力があるように思います。
感想2
人間が考える「固体」とか「個体」とか「人間の常識」みたいなものを、するするしなやかにやわらかに超えていくのが猫という存在のような気がします。私も猫や犬やインコと生活していたことがありますが、自分のペースや自分の距離感というものを持っているのは猫が一番な気がします。自分であるまま、心を交わすことができるような。「来世はねこに!」と繰り返されるのは、歌のようでも標語のようでもあって、かわいいなと思いました。
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半袖を着る人が増えて
夏の気配を感じる
だんだんと近づいてくる次の季節に
私は恐怖を感じた
ふと自分の腕に目を落とすと
傷だらけで汚くてすごく虚しくなる
自分だけ周りの変化についてけなくて
取り残されたような感覚になる
これ以上暑くならないでほしい焦り
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
最近、毎日のように感じていることです
感想1
気づかれずに取り残されることも、気づかれてしまうことも怖くて寒い感じがして、それなのに現実は夏に向かっている。夏は傷は膿むし暑くて隠しにくいし、体力も気力も日差しに吸い取られてしまう。違うかもしれないけど、もしかしたら傷だらけの腕には自傷の跡があるのかなと、自傷の傷が腕にわりとある私はまず想像しました。
感想2
もはや夏と冬しかないんじゃないかと思えてしまう昨今の気候変動ですが、万年長袖の私も、近づいてくる暑さに戦々恐々としています。自分ではどうしようもないことを目の前にすると、立ち向かうことよりも不安でいっぱいになってしまうのは、確かにそうだよな・・と思った私がいました。
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終わりさえ
美しくあれ
祈る声
縛られ沈む
救済の船
緩やかに
落ち続けてる
日々は砂
忘れる事が
救いだったら
続くこと
嘆くぼく見て
泣くキミに
だけど聴いてよ
終わりは救い
永遠に
痛みとともに
生きるのが
幸福だとは
思えないので
繋がりが
人の証左と
思えずに
酸素 欠乏
閉じたカーテン
愛故に
音を無くした
ことのはが
静かにしなる
あれは泣き声言葉の集積地
作品にまつわる質問
この作品の「生きのびポイント」はどこですか?
自分の思考や感情をそのまま口に出すと“怒られたり否定されて終わる”という経験を多くしてきたので、作品(短歌)という形に昇華する事で良し悪しに関わらずこの世界にあって良いと個人的にだが思う事ができる。
感想1
全体に「音」を感じる短歌連作だと感じました。聞こえない音や声を聞こうと、耳を澄ますような。一般の短歌とは違って改行して並べられていることで、ひとつの詩のようにも感じながら読みました。私も定型詩の詩型ではさだまった文字数があることによって言葉が現れてくる、そこにあることを許されるような瞬間がある気がします。「幸福だとは/思えないので」の下の句に、連句のようにあらたな上の句をつなげてみたいような気がしました。
感想2
まず、タイトルの「言葉の集積地」という表現がいいなぁと思いました。一つ一つの言葉には、水面をなぞるような静けさと言いようのない寂しさを感じました。それは、あなたが日常の中で抱えている悲しみの断片でもあるのだろうかと想像しました。
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幼稚園の帰り道
ツツジの花をむしり取って
つんと香る
甘いお酒の
汁をすすった
おとなになったがきがした
小学3年生の帰り道
友達と喧嘩をした
もやもやした霧に覆われて
いっぱい苦しい胸になった
「ごめんね」が
喉縁に詰まって言えなかった
大人になれないとおもった
中学1年生の部活帰り
家に帰りたくないと思った
ため息を呑み込んで
夜のベンチにすわって
鈴虫の音にみとれてた
大人に成りたくないと思った
高校3年生の受験期
とにかく勉強しまくった
朝から晩まで
夢の中でも
何者かになるために
用もないけど勉強した
もう大人には為れないと悟った
18の今
私は「大人」になったらしい
賑やかなショッピングモール
満開に咲いたチューリップ
満月が照らす夜
フェスで鳴り響くロックンロール
いつものように
電車に揺られ通り過ぎていく
私はたしかにここにいる
「おとな」に成れないけど
「大人」に為りました
「わたし」に成れないけど
「私」に為りました
それでも
たしかに
いつでもそこに
わたしはいた為る
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
いつまでも過去を懐古することがやめられません。現実感は薄くても、過去は確かにあって今も確かにある。電車で大学に向かう途中、窓の外を眺めながら綴った詩です。
感想1
こどものころ、ツツジの蜜はすごくあまく感じたけれど、もうずっと味わっていないなと思う。(大人になって知ったけれど、毒がある種類もあるらしい。)さまざまな瞬間の風景が、香りや音や、心の動きが通り過ぎていくように感じた。おとな/大人って言葉の持つ意味が、すこしずつ変わっていって、どんどん窮屈なものになっていったのかなと思う。だけどその合間に記憶とつながってきた「わたし」もいるんだと思った。ほんとうは「おとな」であったり「大人」であったり「私」でいたり「わたし」でいたり、いろいろな瞬間いろいろな立ち位置、いろいろな顔があるのだと思う。
感想2
定義も提示されぬまま、成ることを押し付けられた「おとな」像。しかし、それなりに人生を過ごし、社会的に「大人」と為った今日日分かったことは、「おとな」という状態は曖昧で不確かなものであるということ。成るというのは、何かを実現した状態だが、曖昧な像には成りようがない。しかし、私は常に変化し続けていることには間違いがないと思う。
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埃で見えない
綺麗な思い出
あの頃はちゃんと
飾っていたのに
生きているだけで
素晴らしかったあの頃
今は生きているだけじゃ
だめなのかな
産声が可愛かったあの子は
この夜の冷たさに触れる
友達と遊んでいたあの子は
孤独とお話しして泣く
互いに流した涙は
とても暖かく感じた
見つめ合ったあの目は
信じることができたんだ
戻れないから
戻りたくなるんだ
光があるあの頃に
あの頃小さな公園で
四つ葉のクローバー
たくさん見つけたのに
みんなの笑顔
目に刺さって
涙で濡れる
私のいない
集合写真
朝日は無責任
夕日は無関心
どうか私の
明日を照らしてあの光は
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
受験期でつらかった時に書きました。「私のいない集合写真」は、受験期の時に体調を崩して学校を休んでいたことがあったので、本当に私のいない集合写真があります。
感想1
輝かしく感じられる思い出が、どうしようもない現在と対比することで目を焼き痛めつけるほどの強い光に感じられることがあると自身を振り返って思いました。成長するにつれ求められるものが増え、周囲は辛辣になり、心が優しく震える瞬間がどんどんなくなってしまう。けれども、完全に絶望し切るのではなく、自分のこれからを優しく照らしてくれる光となる存在を探し続けている、そんな人を想像しました。
感想2
異なる時間軸をクロスオーバーさせながら、言葉を拾い上げて編み上げたような詩だなと感じました。時間とともにさまざまな経験を重ねていく中で、人の心は否応なく複雑になっていくように思います。最後に希望を託すような一言で締め括られているのは、確かにあった光の時間を信じようとしているようにも思えた私がいました。
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ツラい
感想1
いろんな気持ちがごちゃ混ぜになりながらも、沈んでいく夕日に託された感情は静かで確かなもののように感じられました。それは、ギリギリのところであなたを支えてもいるのかなと想像しました。
感想2
様々な感情の葛藤が織り交ざった文章に感じました。自分一人の中で、ずっとこのように感情がグルグルと渦巻いているのでしょうか…。脳も、心も混乱してしまいそうだなと、率直にですがそう感じた自分がいます。文章から、悪循環を自覚しながらも、それになんとか抗おうとする姿も浮かんだように思いますし、受け入れられないものたちを手放してしまいたい苦しみも想像しました。沈みゆく陽と共に、悩みも解放されたらいいのに…と考えてしまいます。
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ぜんまい人形
感想1
モノクローム表現の余白が空間を吸い込むようでどこか心許ない気持ちになりながら眺めています。私は忘れっぽいので、こぼれたものにも気づかずに生きているだけなのかもと思いながら。爆発と横たわる子に沈んだ草原の質感が、線画の子の希薄さを引き立てるようで、さびしい気持ちになっていて、でも私はそれがいやではないみたいです。
感想2
どこか懐かしさを感じたのは、国語の教科書の1ページのような構成だからなのかなと思いました。身体の外に複数個カメラがあって、私が私を見ている。ずっと見ているけれど、自己の同一性が継続的に担保されているかどうかは実際のところ分かりません。ぜんまいは誰が巻いたんだろう。いつか動かなくなる時が少し怖い気もする。ただ、いつの時間も「私」がいることだけは、どうやらたしかみたい。
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あの星は飛行機
UFOに見えたのは星で
草にむずむずして
横になびく闇に
また星を見たあたりまえの空
作品にまつわる質問
この作品の好きなところを教えてください。
何も起こってないところが好きです😌⭐️
感想1
じぶんの外側のものとの対応のなかで、認識があざやかに移り変わっていく瞬間をみたように感じました。刻一刻と変化するものたちの中、風の中には草のにおいもするような気がします。
感想2
なんでもない夜空を見ているだけでも、体と心は何かを感じ取って忙しく活動していることを私は認識します。飛行機は飛んでいく、星は燃えているか、他の星の光を反射しているし、風が吹き、草も揺れる、人の心も動いている。何かしら動き続けているけれど、当たり前で、穏やかで、何も起きてない良い時間だなあと思いました。
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おまけの文化の始まりは
みかんの赤ちゃんなんだって
ほらねと笑むその指先に
ちいさなよろこび おまけ一粒みかん
作品にまつわる質問
のびアートへの投稿のきっかけはなんですか?
ちいさな日常の気づきを、あとすこしの間、残したいなと思いました。
みんながいつもとちがう視点でものごとをとらえて、それをふと おもしろいな なんて思える時間があればいいなと思います。感想1
なるほど、その発想はなかったです。みかんの赤ちゃんはおまけ…心がくすぐられるような、優しくて柔らかくてハッピーな言葉だと思いました。何気ない日常の風景でも、私と違う人はまた違った捉え方をしていて、それぞれ新しい気づきがある瞬間を経験しているのだと思います。それをこんな風に、言葉で紹介しあえる時間があるとお互いの心が豊かになるなあと感じました。
感想2
みかんの赤ちゃん・・イメージを浮かべるとふふっと笑顔になれてしまうような、かわいい言葉だなぁと思いました。「おまけ」という言葉にはどこか懐かしさと嬉しさを思い出しながら、あたたかさがじんわりと広がっていくのを感じています。
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僕がいなくてもいいよ
いない方がいいよ
楽しめないからいいよ
1人のままでいいよ
哀れなままでいいよ
拍手なんかはいいよ
花束なんかもいいよ
僕にあげなくていいよ
時間を使わなくていいよ
早めに帰っていいよ
もう片付けていいよ
嫌いになっていいよ
誘わなくていいよ
名前を消してもいいよ
席はなくていいよ
隣に荷物置いてもいいよ
僕は嫌われてもいいよ
みんなは楽しんでいいよ
みんなが好きなものでいいよ
無駄を省いてもいいよ
あとは考えなくてもいいよ
僕はいなくてもいいよ「ytrap」
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
パーティーに参加するのが本当に嫌だった時に書きました。楽しいと思ってる人だけで楽しめば良いのに、そういう思いがありました。
感想1
何かの集まりにお誘いされて、本当は気が載らないけれど断ることもできずに、当日になることを怯えながら待っている気持ちを思い出しました。当日が近づくたびにくさくさした気持ちが強くなって、全てに対して「もういいよ」と思っていました。楽しくないパーティーなんて、抜け出す以前に参加しないようにできたらいいのに。上手いことのらりくらりとかわしていけたらいいなあ。
感想2
参加したくない場所には行きたくない…まず率直にそう思った私がいます。そういった場に無理に参加すると、自分が惨めに思えてきたり虚しさが色濃く出てきて悲しみを実感してしまうので、投稿者さんにもそんな想いがある詩なのだろうかと考えていました。「そんなこと自分のためにしなくていいよ」の「いいよ」もあると思いましたが「もういいよ・もうやめてよ」の、”いいよ”も、沢山詰まってるように感じた気がします。無理な笑顔を作って、でも内心とても傷ついていて、光が当たる場所なはずなのにパッと暗転するような…そんな映像も、読みながら私の脳内に浮かんできました。
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いつか戻るあの場所
でも分からない
大切なものは常に両極端なんだ手のひらから落ちる大切なもの
感想1
両手をお皿のようにして、何かが砂のように落ちていく様を想像しながら読み、「大切なものは常に両極端」という言葉からは、天秤の映像も浮かんできた気がしています。”あの場所”は一体どんなところなんだろう…。
感想2
「大切なもの」の手触りを空想した。砂のようにちいさいからこぼれるのか、液体のようなやわらかな手触りがあるのか、そんなことを。この人にもわからないことなのかも、とも思った。一行一行のあいだの余地の言葉がまださだまらないままあるのかもしれない、と思った。
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右をみて
左を見る
君はそっぽを向いて
僕は上を向いた
パチパチして
こぼれたものに
流れ星
君は僕へ
僕は君へあの頃に夜
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
「何も起こらないドラマ」みたいなものを書きたかった😌
感想1
あっち向いてホイに近い映像が浮かびつつ、ゲームにしては少し噛み合わない、どこか切ないような……。でも「僕と君」の間にある不思議な関係性や、第三者が入り込めない何かを感じた私がいます。(想像ではありますが…。)夜とあるけども、真っ暗ではない、冬の鮮明な星空が私の脳内に浮かびました。
感想2
名前を持たない一瞬のひとときが永遠に感じられるような、不思議な余韻が残りました。視線が合いそうで合わない二人の間には、一体どんな時間が流れているのだろうかと、想像を巡らせています。
感想1
「量産したい」のは証明したいという言葉みたいにも見えた。物量があれば物語に含まれたつらさが伝わるかもしれないという願いもあるかもしれない。自分の中のわだかまりを、なにか形にして安心したい気持ちは私にもある気がする。「量産」は工場や大量生産システムの言葉だと思うけれど、人間が「量産」しようとしたら、全部が同じにはならなくて、そして作っている中にも、作っているということ自体によって変化が生まれると思う。語り続けると語りは変化してゆくことがある。それは相手だけでなく、自分も作品を見て、聞いているからなのかもしれない。そんなことを考えた。
感想2
吐き出したいものや伝えたいものが多すぎるあまりそれを表現しようとする手や声が震えて、上手く出てこないでいるような感じがしました。私は定期的にノートに言葉を書き殴るのですが、後日それを眺めたとき、その筆跡の荒々しさや紙面に滲んだ汗や涙の痕が当時のつらさをいつまでも湛えているような気がします。量産品は生産コストを抑えられるために安価になりますが、はたして言葉・物語を紡ぐことを量産と言えるのでしょうか。生産者が同じなので似通ったものが生まれることもあるしれませんが、きっと一つとして同じ型のものはないのではないかと思いました。