生きづらさを感じる人が創る
のびアート
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タグ:「詩・文」
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いつでもおいで
君を待っているから
ここは退屈な場所
僕はずっとここにいた
いつでもおいで
君は何か言いたかったみたい
ここには何も残らない
面白いよね
僕はいつまでもここにいる
いつでもいいよ
君は誰かと話したい?
何もないよ
僕は答えた名前なんていらない
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私はあの子に嫌われなくなくて「優しい子」という袋を被った。
私は先生に嫌われたくなくて「優等生」という袋を被った。
私は親に嫌われたくなくて「勉強のできるいい子」という袋を被った。
最初はみんな袋越しの私を見て喜んだ。
仲良くしてくれた。褒めてくれた。
でも今は違う。
私が「いい子」で「優等生」で「優しい」ということが当たり前になった。
袋の中の空気はだんだんと薄くなって息苦しくなっていく。
袋を被り始めたのは自分なのに。
自分が被った袋のせいで言いたいこともまともに言えない。
あの時の自分と変わってないか、袋に穴は空いていないのか。
いつもそんなことを気にしてる。
きっと自分で自分を殺しているんだ。自業自得
感想
死にトリサポーターからの感想は現在準備中です。(感想は希望の場合のみです)
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お金がないって言うけどさ
金かかるの知ってて産んだんでしょう?
欲しい物はちゃんと言えって言うけどさ
言い出しにくい雰囲気作ってるじゃん
なんで産んだの?
なんで育ててるの?
しんどいなら産まなきゃよかったのに
親なんて嫌いだ
こんな雰囲気の家は嫌いだ
なんて、本当はそんなことない
本当に嫌いなのは、大嫌いなのは
無駄に遠慮して
本音が言えないのを人のせいにして
産んでくれて、育ててくれた親に
こんな酷いことを思ってしまう
自分なんだ本当に嫌いなもの
感想1
読みながら、勝手にですがとても共感してしまった私がいます。怒りや悲しみ憎しみ…「どうして?」「なんで?」が心や脳を支配する中で、考えて考えて・感じて感じて、最終的に、自分が一番大嫌いで許せない存在だと痛感させられるような…そんなループから抜け出せずにいる苦しみがあるのではないかと、私自身の経験も踏まえ、そのように考えました。自己嫌悪に苛まれる中、でも確実に怒りや苦しみも存在するからこそ、グルグルと思考が巡りまたつらくなる、そんな想いも詩から読み取れたような感覚もありました。本当は直接届けたい(かもしれない)気持ちを、このように作品として書き出すことで、また違うカタチで自分で落とし込めようとしている背景もあるのではないだろうかと、これも私の勝手な想像です。
感想2
どれだけ近くにいても
分からない
私たちの世界は どこまでも交わらず
一人一人の中に無数の歴史と「世界」がある
「どちらか」かしなかないと思うのは
他に広がる無数の世界や言葉を観えなくさせている何かがあるということで
あなたに悲しさを感じる心があることは
決して悪いことではないのではないかと思います
また親の中にも無数の世界があり
親もまた観えていないのかもしれない
私たちはどのような時に
どような時間の中で
これまで観えなかったものが観えるようになるのだろうか
本当は声を出している無数の命に
どうやったら耳を傾けることができるだろうか
そんなことを考えました -
掃除も自炊も洗濯もやる
たまにご褒美で定期的にお菓子とか買って
仕事もまあまあ上手く行ってる
でもふと考える
いつまで生きればいいんだろう
そんなこと考えながら
いついなくなっても後悔のないように
やりたいことはやる
いきたいところには行く
食べたいものを食べる
そんなこと知らないから
結婚やこれからのことを聞かれると戸惑う
とりあえず今は、若くてやりたいことをやりたい時期だという口実でやっていけるだろうか?
おわらせるのは怖い
生きるのも怖い、体を傷つけることも
ただ空気のように消えて
最初からいなかったような終わり方ができればいいのにと思う叫
感想1
最初に読んだとき「叫」という題と比べると詩には抑制された筆致を感じました。いやでも、この生活に根差した言葉一つ一つを私は淡々と読んでしまったけれど、本当は、もっと吐息の中にある言葉だったかもしれず、ぎざつきみたいなものを勝手に取り去ってしまっただけなのかもしれないと思い直し、またいちど読みました。それでこの言葉そのものだけでなく、言葉の間、空白のところに、言葉にならない悲鳴や叫びが留め置かれているように感じました。たしかに私たちが本当に怖いとき物語のように上手に叫ぶのは難しい気がするのです。だからこのような形の叫びが必要なのかもしれないと考えました。
感想2
切実な「叫」があることを文中から感じつつ、すこし進んでは立ち止まり・すこし進んでは立ち止まりを繰り返す情景が浮かんできたような気がしています。迷いの中、自分にとっての何かを見つけようと、苦しみやもがきがあるのではないだろうかと、そんな風に、感覚的にですがイメージが浮かんだ私もいます。「おわらせる恐怖」というのは時に、「何かを始める恐怖」にも通ずるものがある気が私はしていて、同時に、その狭間にいる苦しさも伴うような…そんな感覚があるように思います。
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もうすぐ4月
誕生花の桜が咲く
誕生日を迎えたくない
私にとっていちばん大切な花
桜が咲くのを見届けたら
散る時は一緒に逝きたい
ささやかな幸せも
胸の奥のちいさな声も
つめたい世界に埋もれてしまう
それでも いつの日か
「桜と一緒に生きたい」
そう心から言えるようになりたい桜隠し
感想1
「さくらと一緒に生きる」という言葉が印象的でした。よくみかけるソメイヨシノの寿命は60~80ねんくらいだそうで、人間と同じくらいだそうです。桜は沢山種類があって、長く生きるものは1000年近く生きるのだとか。花が咲いていない時期でも着実に見えないところで呼吸をし、根を張り、静かにゆっくり変化している。それは桜の意思でもなく、太陽や土や世界に誘われているのだと思うと、さくらと一緒に生きるというのは、自分を構成する見えないものに耳を澄ませるということのように思いました。
感想2
いちばん大切な桜という花を遠くからみつめるだけでなく、桜に「私」の心の一部を託しているような感覚を受けました。「つめたい世界」にいながら、桜にはそれとは違う温度が宿っているのかなぁと思うと、風景はさむざむしいばかりではないような心地にもなります。今日も、午前中に家の近くを歩いていたら、たくさんの花をつけた大きな桜の木と、それを見上げる人たちがいて、私もすこし立ち止まって見ました。私は桜を「巡ってくる」ものの象徴のようにも感じてきたのかもしれないと、この詩を読みながら考えています。
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何もしないまま過ごし、時計に目をやると、秒針が歪んでいた。まるで渦のような形になってしまったそれは私の体を締め上げてくる。
すぐに引き剥がそうとした。
ただ、引き剥がしたとしてもそれはまたやってくる。
もし、そんな毎日が続くのなら、ここで時間を止めてしまうべき。と、思ってしまった。
それはまだここにいる。お昼
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仮想の繋がりは世界を網羅し、現実の存在は現在の空白にしかない。
自由を目指した未来は、果てに神々しい光を予感させるが、それは現実にどういう形を取る?
本物の愛情はアスファルトの下にしか存在しないかもしれないが、全体を塞がれていて出られない。
プラザの噴水の虚偽は世界全体がそうだったから気づけなかったのか。
夢を見ているのでは無いことは知っているが、マトリックスは共感できる。
明るくて楽しいものは必要だが、それだけに満足することはできない。
どういう時代に生きているのかを示してくれそうなのは、東西の文学者で彼らは果てを目指しているので、民主主義と相入れることができない。
しかしこの文章もそこからの発信なので、説得力は何もない。時代
感想1
強い閉塞感の中、情報だけは海のようにたくさんあり、その中で作中主体はひたすら考え続けてきたのだろうと思いました。ただスマホの先のサーバーはどこかに物理的に存在し、スマホをつつくばかりの指の他にも私には足の裏があり、それが触れるシーツがあり、ふくらはぎがあり、それが感じる痛みがあり、動き続けている体があることに、ふと立ち返る瞬間があります。この時代は、1000年後から見たらどんな時代なのでしょう。私たちは今同時代に何を共有しているのか……と考えています。
感想2
歴史家E.H.カーは、「過去の光に照らして初めて私たちは現在をよく理解することができる」と言ったが、集団の中に埋没しているとき、その集団の全体像が見えないように、現代の中で生きている私たちが、「現代」という時代を把握するのは困難なことであると思う。愛情、文化、現実感、快楽など、存在を感じつつ不確かなものばかりに囲まれる私たちである。これが過去となったとき、また新しい「現代」を生きる私たちは、はじめて当時を時代という流れのうちの一区画として認識できるのかも、というようなことを考えてみた。
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今日は晴れていた。
暖かい日が私を置いてけぼりにして、少しだけ苦しくなった。
暗い場所で彷徨っていても光は味方をしてくれないなら、私はどこにいけばいいんだろう。
暗くなって、冷たい風に当たった。
少しだけ辺りを見渡せるようになった。
街灯を見るのはあまり好きではなかった。暗闇から引きずり出されているような気がして、少し怖いから。
私は駆け足で家に帰った。
家だって居場所とは言えなかったけど、明日を迎えるには帰る場所がないといけないんだ。
どこにも居場所がなくても、立ち止まれたらいいのに。
寝る前になって、明日のことが怖くなった。
それでもいつかは眠気には襲われて、また朝には光を浴びないといけない。
それなら怖いままでいたほうが、幸せと言えるのかな。日記
感想1
明かりのもとに立たされてしまう苦しさは確かにある気がします。「私」の瞳はまぶしくて傷んでいるのかもしれないと思いました。私たちの体は、太陽光によって脳内物質を生成させたり、体内時計をまわしたりと、太陽に依存して生きているのだなと思います。その光が恐ろしい時、逃げ場を探すのは大変なことだと感じました。街灯にも恐れを感じて、帰った家には、照明は灯っていたのだろうか、と気になりました。この日記を書いたとき、そこにはどんな光と闇があったのだろう。
感想2
外側の温度や明るさと、自分の内側のそれにギャップがある時の置いてけぼりにされる感じには覚えがあるような気がしました。「居場所がなくても、立ち止まれたら」というところにそっか...と思いつつ、暗闇の中でも無理やり照らしすぎずそっと横で味方をしてくれるような光があったら、とか、「私」の温度や明るさを合わせなくても心地よく過ごせる場所や瞬間があって立ち止まりたい時にそうすることができたらなぁと思ってしまいました。
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まばたきを繰り返す
今日を記録し また明日
出来事に一喜一憂し
雑貨屋を開く
それは 商いの準備
のようね
家庭の不満 仕事の理不尽
自信の喪失 恋愛観の議論
様々な出来事を「私」の断片として
無垢のオーク材で出来た棚に並べる
一ヶ月や三ヶ月に一度
私は他者に 選ばれて話す
選ばれたものを 手渡す
会う回数も語らう回数も
二十四節気よりも少ないね
と悲しむ人は私以外にいますか
秋の鹿だとバレないように
誰の目も見ずに 霞んだ山林に鳴いた
やまびこ が こだまして
誰にも届かず 雑踏に消える
宛先書かず手紙出してるね
傷つかぬ 気づかれぬ
傷つかぬが
気づかれぬ
救われないのは 私だけ秋の鹿
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
書店でおもむろに手に取った本の中に「秋の鹿」という言葉がありました。大和言葉で片想いという意訳だそうです。片方は想う、でも片方は重い。分かっているからこそ、秋の鹿は誰にも鳴けない。そんな孤独の詩です。
感想1
日常的な生活圏の言葉(と呼べばいいのかわからないですが)と、むかしから文学の中で大事にされてきたような言葉が、流れる呼吸の中で繋がっているような詩だと感じました。秋の鹿はだれかを恋うる心(恋愛なのかはわからないですが)を表しているのかなと私の中では想像していました。「選ばれて」自分を切り出して語っても、「私」はずっとさびしそうに見えました。霞んだ山林では、だれかに「私」の声はきこえても、それが「私」の声とは気づかれないのかもしれない……、でもそのときの姿が「私」にとっては自然なのかなと思いを巡らせています。
感想2
自信はないのですが、多分この人は毎日日記を書いているのかなという解釈で読んでいました。毎日の出来事を自分で記録するのは、孤独な作業と言えるのかもしれません。日記はネタ帳のように機能するときもあるのかもしれないけれど、それの全てを相手に開示することはまずないし、どんなに日常の詳細や何かに対する自分の心情を綴っても、壁打ちのように感じる瞬間もあるのかもしれないと考えました。
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たしかに週にいくどかはベランダに出ていたのだから、そのたびそのたびに見ていたはずだ。 だけど私はベランダに置かれたすべてのものへの興味をうしなっていたからそれらに機械的にみずをやることはあったとしても、なにも見てはいなかったのだろう。今日がその日であったのは、私の脳がしずかで、かわりに 私の脚がさかさかと動こうとする日であったから。私の足はベランダに向かい、私の目は私とうまくつながっていた。雨にさらされたまま堆積した枯れ葉をひろい、溶けたリトープスを鉢からぬいて ごみ袋にいれたとき、視界の端からなにか見知らぬかたちがせまってきていることに私ははじめて気づいた。 それは無数に伸びたミントだった。ベランダの隅の、さして大きくもない素焼きの鉢に、何年も前に植えたあのミントの茎がベランダの鉢と鉢をめぐるように、伸びているのだった。ミントは増殖し見たものを石に変えるおんなのあのへびの髪のようにベランダを駆けまわり、 あるいは踊っていた。
静止して見えることと踊っていることは矛盾せず両立する。ただそのような速度で、ミントは踊っているのだった。
細く長くゆらめくように伸びるミントに私は手を伸ばしていた。差し出された手に、いまさらこたえるように。ずいぶんとひさしぶりに触れたミントの枝先はローズマリーの鉢を乗りこえて伸びあがり、そこでしりしりと乾燥していた。ローズマリーは迷惑そうにむらさきの花をつけている。私はミントの茎をつかむとかるく引き、もう一方の手ににぎったはさみで根元から切り落とした。ぱち ぱち ぱ り つちんと伸びすぎた茎をつぎつぎ切ってゆく。触れるだけで、小さく丸まった茶色の葉を落とした茎も、まだあおい茎も切る。「切り戻しは植物の健康のために必要」とにんげんがいうから、植物よりはにんげんに近い私ははさみを使うけれど、しかしはたして植物はどのように命なのだろうか。鉢の中にみちと生えたミントは下のほうから若い芽を出していた。
みずみずしい、なまのにおいがする。それら
すべてを合わせひとつの命だろうか
それとも
この指に触れて落ちた
その一葉がひとつであったのか。
すくなくともここでしずかに踊っていたものはもういないのだが、それにもかかわらず私の足はむずむずとして、動きまわろうとしている。ダンスパートナー
作品にまつわる質問
制作環境や画材などについて教えてください。
制作環境: ベッド
画材: iPhone(すぐに熱くなる)感想1
巷で「ミントテロ」呼ばわりされるほどのミントの凄まじい繁殖力を思い出しました。あっという間に地面を侵食し、しなやかにたくましく伸びるあの緑が脳裏に浮かんできます。擬人化された植物たちの、無いはずの顔色や表情が、彼ら特有の匂いとともに伝わってくるようでした。いのち、たしかに、どこからどこまでが命なのでしょう。葉っぱや枝は、植物にとっての何なのかなと思いました。爪?髪の毛?それとも手足のようなもの?そんな風にしてみると、はてまた人間の命は、爪や毛の先の隅々まで入り込んでいるものなのか?と考えが広がりました。
感想2
心地よい言葉のリズムと、しんとしたベランダの雰囲気、爽やかな匂いが伝わってくるように読みました。日常をこんな風に切り取ると、当たり前に見過ごされている事象や景色に、何かしら意味があるような気がしてきます。知らない間に根を伸ばしたミントを「踊っている」と表現していることに、あなたのセンスを感じました。私もアパートの室内に観葉植物をいくつか置いているのですが、見ているようで見ていない感覚は、思わず共感してしまったところでした。
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風邪をひいてしまった
大変なことだ
誰にも気づかれたくない
熱も出ちゃった
こんなもの、耐えられるんだ
こんなもの、たいしたことない
いつも通りやり過ごす
耐えてしまった
ああ耐えられてしまった
体は熱かった
「拝啓」
本当は気づいて欲しかったんだ
本当は心配して欲しかったんだ
本当は、気づかれないのが怖い
本当は、心配されないのが怖い
そんなこと言えない
言えるはずがないこと
君にはわかってほしいずっと熱いもの
感想1
その後、体温は平熱にもどっても「ずっと熱いもの」は熱いまま、そこにあったのだろうと思った。いまもそこにあるのかもしれない。それは送られなかた手紙のような素直な感情や心のようなものかもしれないと思った。「本当は、」を言えたら簡単だと思っても、なぜかそれがむずかしいことがある。「本当は、」が小さく小さく積み重なって、心は重たくなってしまう。「拝啓」、こうやって、作者さんはひそかに「本当は、」の練習をしてるのかもしれないと思った。
感想2
「耐えてしまった ああ耐えられてしまった」の部分が、個人的に印象に残りました。困難を自力で乗り切ることや我慢することがデフォルトになっているけれど、それは身につけてきた癖のようなもので、本心はまったく別のところにあることを想像しました。気づいて心配してほしいけど、気づかれもせず心配もされない恐怖を思うと、「言わない」という選択肢も確かに・・と思いました。
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万華鏡を回した時のように、煌びやかで、でもどこか鬱陶しいほど眩しく混沌とした世界。
その中を落ちていく日々。
何を頼りに、何に縋ったら良いかわからず、じたばたと手足を大きく動かす私。
底が見えなくて、ただ恐ろしく、がむしゃらに掴めそうな何かを探す。
底がない、
それがこんなにも恐ろしいのか。
幾何学的な模様が何を意味するか理解できない。理解できないことも、こんなにも恐ろしいのか。
恐ろしさのあまり、
夏休みの工作で万華鏡を作ったあの頃、一番恐ろしかったはずの「死」という終着点に、希望を見出すようになった。終着点に縋ることで底なしの空間に、死という底を用意できたようで。
死を乞う私は、自分を恐怖と絶望から守るために生まれてきたのだ。
でも、もし、幾何学的な模様の意味を教えてもらえたら、荷物を一緒に抱えてくれる人と出逢い、共にゆっくり下降できたら、そんな他力があれば、他力を信じる力があれば、
混沌とした世界が少し整理され、
安全に底に辿り着けるのではないか。
最期は皆底に辿り着く。その道中が各々であるだけであって。
どうせなら、この煌びやかで鬱陶しい世界を
ちょっとは満喫してから、
“そこ”に辿り着きたいよね。万華鏡
感想1
工作でつくった「あの頃」とは、万華鏡への感覚も、この世界への認識もがらっと変わってしまった、なにか崩れてしまったような感覚の中で、一方では作者さんの美意識もじんわりと感じた。美しくても、意味のわからないものは怖い感じがすることがある。わからないと、立ちすくんでしまうことがある。語り手はそんな日々の手触りを万華鏡にたくして書いたのもしれない。「安全」な整理について書かれた「でも、もし、」以降の後半は、それ自体が整理されて書かれているような感じがした。「私」は重たい荷物に目を回しているところなのかもしれない。この先の道中でだれかと関わりながら、ルートも終着点もまた変化し巡っていくのかもしれない。
感想2
万華鏡に例えていた表現に、なんだかしっくりきた感覚が私の中であり、すこし発見をもらったような気持ちになりました。万華鏡の中を落ちていくシーンを想像してみて、無数の光の中に暗い部分もあって、思わずどこかに手を伸ばしてしまいそうだなと感じました。理解できない事の恐ろしさ・不安さがとても大きい事も作品から感じましたし、「死を乞う私」が切に求めているもの、自分にとって必要なのではと推測するものがあることも考え、そこにたどり着くまでにも長い道のりがあったんじゃないだろうかと思いました。読みおわってから一度、無性に万華鏡を覗いてみたくなった自分がいます。「今この瞬間」”私にはどう見えるのだろうか”と、確認したくなったのかもしれません。
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外が暗くなったら、ドライブに連れて行って欲しいんです。私の好きなCDを持っていくから、それを流しながら車を走らせて欲しいです。
そして、人影すらも見当たらない景色を眺めていたいです。
ついでに空港を通り過ぎて欲しいです。だんだん小さくなっていく飛行機を眺めながら、瞼を重くしていきたいです。
私が眠っても家に帰ろうとしないで欲しいんです。ずっと車を走らせていて欲しいです。
聞き慣れた音楽を繰り返しながら。別に叶わなくてもいいお願い
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【詩】off
ぎゅってして欲しいし
して欲しくないのかもしれない
湿ったアスファルトを
静かに歩きたかったのに
小石を つま先が鳴らしてしまう
どっちなんだろうね
どっちでもいいんだけどね
湿ったアスファルトを
履いたローファーの底で擦る
ヘアゴムが通った左腕
装飾に水色で透き通った
サイコロがついていた
おもむろに むしり取って
右の手のひらで包む
どっちかなぁ 偶数なら
ぎゅってしてほしくて
奇数なら
して欲しくない
車のヘッドライトが
私を照らしては 去っていく
どっちかなぁ
どっちでもいいんだけどね
どっちか なんてさ
サイコロを投げて
私はヘッドライトと一つになる
温もりと悲しみと期待
笑顔で 電源off
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【詩】shore
子ども扱いしないで
いや
子どもでいてもいいかな
私は1人で生きていける
いや
少し 甘えてもいいかな
そんな どうしようもない気持ちを
砂浜に隠したんだ
遠くに海鳥の声が聞こえる
潮風に乗った海の香りと
他人の幸せが鼻につく
ざぁーっと
波は打ち寄せて 帰っていく
飲み込まれると知っていて
海岸線に隠したの
あー
飲み込まれる前の私を
誰か見つけてくれたかなぁ
それなら いいのになぁoff / shore
感想1
投稿者さんが意図してのことか分からなかったのですが、サーフィンにoffshore(オフショア)という言葉があり、波に乗りやすい風が吹くことを指しています。どちらの詩も、揺れ動く心が表現されているように感じて、葛藤をどこかに投げてみて何かが返ってくるのを待っているような、そんな自分をどこかニヒルにも捉えている言葉の数々が印象的でした。
感想2
二つとも、相反する気持ちを抱えつつ決着をつけることを諦めている様子、そしてその気持ちの葛藤を抱えたままどこかに消えてしまうことを暗示しているような点が共通しているなあと思いました。考えることに疲れてしまって、しかたなく笑っている様子が思い浮かびました。相反する気持ちを持っていると、それらは互いにぶつかり合うので心が騒々しくなるので、私は結構困っています。でも、どちらも捨てきれない大事な気持ちであることは確かで、泣き止まない赤子をあやすようになだめ続けるしかないのかもしれません。
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学校では真面目な人として
誠実の仮面をつける
クラスではしっかりした人として
勇気の仮面をつける
部活では明るい人として
元気の仮面をつける
家ではいい人として
親切の仮面をつける
私が私として
素顔を曝け出す日は来るのだろうか仮面
感想1
様々な仮面があって、それを”使い分けないといけない”苦しい状況が浮かんだ気がしています。どの仮面も、付けた瞬間になんだか酸素が薄く感じるような、そんな感覚があるんじゃないだろうかと想像しました。つけている時だけではなく、仮面の切り替えにもきっと気が抜けないだろうし、時には使い分けがわからなくなるような、そんなこともあったりするのではないかと、読みながら考えています。
感想2
厚い仮面をつけなければならない時、その後の帰り道で叫び出しそうな身体ごと消えてなくなりたくなるような衝動にかられ、大声を出したり身体を傷つけたりしたことがあります。自分は子ども相手の仕事をしていた時があり、それは子ども時代に戻ってやり直したいという潜在意識からだったように思います。取り戻せたかは分からないけど、でもいまだに人間であれる場所を探しているところがあります。仮面をつけている事の苦しさや違和感を持っているなら、それは大切な感性が働いているとも思いますし、私自身、違和感を捨てずにいたいと思いました。
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気づけば電車の中だった。退屈な授業も終わり、車内には生暖かい暖房と夕陽が満ちている。
隣には、いつも一緒に帰るクラスメイトがいる。彼女は窓の外を眺めながら、私にだけ聞こえるような小さな声で独り言を呟く。私はそれを聞き漏らさないよう、静かに耳を傾ける。
「夕陽って、目を離すとすぐ暗くなっちゃうね」
窓に反射するオレンジ色の光が、彼女の横顔を柔らかく照らす。
「今日の国語の時間、私だけ意見が合わなかった」
やっぱり気にしていたんだ。でも、少数派を恐れず発せられた彼女の言葉は、誰のものより綺麗で透き通っていた。あの時、私は彼女をもっと好きになった。怖がりなのに、ヒビが入っても折れない強さ。触れるのが怖いくらいに眩しいその声を、守りたいのではなく、ただ大切にしていたい。何者でもない私たちが、ただここに座っている。その事実だけでいい。
「帰りたくないな」
震える声で彼女が呟く。私も、外の世界へ戻るのが怖い。外では棘が刺さっても、誰も気づいてくれないから。
不安が顔に出ていたのだろうか。彼女と目が合う。「大丈夫だよ」と笑って見せたけれど、無理をしていることを見透かされている気がした。一人になりたくなくて、自分を殺して周りに合わせてしまう。そんな場所は本当の居場所ではないと分かっているのに。
思考が渦巻くなか、彼女がそっと絆創膏を差し出した。
「絆創膏って、痛みは治らなくても『大丈夫』って思わせてくれるでしょ。私も、そんな存在になれたらいいなって」
嬉しかった。私は彼女の手を握り、しばらく離さなかった。彼女の冷たい手が、私の熱で同じ温度になっていく。
電車はまだ、オレンジ色の光の中を走っている。いつか来る終わりを告げるような光に照らされながら、私は祈る。
この手が離れても、また繋げると信じて。私はその手を、強く握りしめた。消えて欲しくない夕陽
感想1
夕陽みたいに過ぎ去ってしまう、はかない、けれどたしかに存在している時間が「ある」ことをじわりじわりと心の中に浸透させていくような情景だと思いました。電車という場所自体が一過性の空間で、窓から差し込む夕陽ですこしだけあかく照らされた車内はほんのすこしだけ異空間なのかもしれないと感じました。「何者でもない私たちが、ただここに座っている。その事実だけでいい。」と私も思います。だけどその事実のままではいさせてくれない、その他の多くの時間や空間があるから、こうやって、なにかそこにある手触りを確かめるような瞬間が必要になるのかもしれないと想像しました。この二人が、世界のどこかにいるかもしれない風景を、インターネットの向こうからひそかに思い描いています。
感想2
電車の「生暖かい暖房」が、なんだか鮮明に思い出されるような・伝わってくるような感覚が、読んでいてありました。同時に、切ない気持ちと儚さも受け取った感覚があって、不思議な気持ちになっています。”私”と”彼女”にとって、お互いこの電車の時間は大切なものであり、張りつめていた気をスッと抜くことができる時間なのではないだろうかと、会話や空気感、なんとなく伝わってくる気がする温度感から、そう感じた自分がいます。
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わたしはあなたと目が合うと
ドキッとする
でもきっと
あなたは何も思っていないんだろうな
わたしはあなたの声がすると
その声を反芻させる
でもきっと
あなたはわたしの声を覚えていないんだろうな
わたしは毎日あなたのことを考える
でもきっと
あなたはわたしのことを一度も考えないんだろうな
それなのに
それなのに
期待する
希望を見いだす
想像をふくらませる
でも、
わたしはね、
あなたの性格
あなたの顔
あなたの声
あなたの全部
大好きだよ
わたしと同じように
夢中になってくれれば
それだけでいいのにな無題
感想1
この「わたし」が相手にゾッコンな様子が伝わってくる詩でした。「わたし」と「あなた」の気持ちの非対称さが、なんとももどかしく感じられます。私は一方通行のオタクタイプなので相手に同じだけ私のことを考えてもらわなくても構わないのですが(むしろ存在を認知しないでほしいまである)、この人は、本当は自分と同じだけ相手に考えていてほしいんだなあと面白く思いました。そう思うのは、ただ同じ気持ちになりたいという願いからなのか、相手の思考を自分の存在で占領したいのか、どうなんだろうなと考えています。
感想2
「あなた」と「わたし」が静かにすれ違いながら、ひっそりと想いを寄せている姿を想像しました。他者の気持ちはどこまでいっても分からないものだなと私自身は思ったりしますが、期待や希望を含め、相手のことを想っている瞬間が一番幸せだったりするのかなと、そんなことを考えました。
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遠くの街を眺めて、
遠くに並んでいる、いくつもの家の明かりを見ていると、
どれかひとつが、自分の帰っていい場所なんじゃないかと、思う。
そんなことは、あるはずがないのに。
明かりの一つ一つが、かすかな希望に見える。無題
感想1
この人はどこから街を眺めているのかなあと考えました。丘の上かもしれないし、走っている電車の中からなのかもしれない。私も遠出しているときなど、見知らぬ遠くの街を眺めていると、何故だか「帰りたい」という気持ちになります。何のゆかりもない街なのにそう思うのが不思議です。明かりが希望に見えるのは、その明かりのうちのどれかが、将来自分が帰る場所になるほんの少しの可能性として感じられるからなのかなと思ったりしました。
感想2
読みながら、私もそんな感覚になったことがあるのを思い出し、勝手に共感しちゃいました。あの明かりたちが温かいように見える時もあれば、ただのイルミネーションのような、ひとつの遠い遠い風景(無縁に感じてしまうような)そんな風に思える時もあるなぁ…と、ふと考えました。個人的に「かすかな希望」という表現に、しっくりとくるなにかをもらった印象です。
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大丈夫 の抱擁をください
まぁ 依存を招くから いいよ
愚かな願いを ふぅっと
桜の花びらが舞うように
目前に飛ばす
そして 誰かに届く前に
ズタズタに切り裂いた抱擁
感想1
ただの「抱擁」ではなく、「大丈夫の抱擁」という言葉から、物理的なハグと精神的に包み込まれる経験の2つが思い浮かびました。そして、この2つには、身体的に接近することによって心も近づき、心を許すからこそ身体のふれあいも許せるという相互作用があるよなあと考えました。大きな安心を得られるこの行為は、日頃寂しさやしんどさに打ち震えている人にとっては、まさに砂漠の中のオアシスのように感じられるのではないかと思いました。それを自覚しているからこそ、相手に依存してしまうことを恐れ、撤回してしまうのだろうなと自分を省みながら考えました。寂しさや、それを言い出せない自分ごと、自分でぎゅーっとできる日がきたらいいなと思います。
感想2
作品を読んでいて、大丈夫になりたい、でもなりたくない、というよりも怖い...そんな"揺れ"の感覚を受けました。ほんとうは安心したいのだけれど、もし大切な柔らかい部分をみせて壊されてしまったら耐えられないからその前に自ら壊してしまいたくなるような。そして、いまはズタズタに切り裂けるくらいずっしりとした塊のような「願い」でもあるのかなと思ったりもして、もしもひらひら舞いゆく花びらのようになって色んな人に受け取られたり、自分でも拾えるようになったらどんな感じがするのかな...と私自身の気持ちも勝手に重ね、少し怯えながら想像してみています。
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当たり前のことをするように
感想1
イラストの目は光なくみえて、淡々と何か書いているように見えるけれど、その内側ではどんな感情が渦巻いているのかな...それを表したのが、書かれている文章なのだろうか。日記は書き直せたり、夜は生きていると繰り返しやってくるけれど、「天使になる」のは作者さんにとってどんなイメージなのだろうと気になった。不可逆的であっても、今はそれを願わずにはいられなかったり、うたた寝のような日常のことと並ぶくらいその考えが常に頭を占めているということなのかな...と思いながら読んでいる。
感想2
そこじゃないだろうと突っ込まれるような気はしますが、三日坊主の私と違って、この子にとっては日記をつけることは当たり前のルーティンなんだなあと思いました。本当は私も日記を毎日当たり前のように続けたいのですが、できない…と思っているのと同じ感じで、この子にとって「あの空へ行く」「天使になる」ことは「当たり前」となってほしいけれど、そうならない物事なのかなと考えました。この子の日記を覗いてみたいなという気もしました。
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「自由に二人組になってください」
先生が言った。
脳内に地獄の始まりを告げる鐘が鳴り響いた。
私はいつも余り物だ。
気付いたらペアが完成している。
そこに私はいない。
今すぐにでも透明人間になりたくなるほど、存在が恥ずかしい。
常に申し訳ない。
それは、授業でのグループワークのときだった。
話し合いの話題が脱線した。
「みんな」は楽しそうだった。すごく盛り上がってた。
私はニコニコして愛想笑いするのに必死だった。
でも、1人より安心した。
それは私にとって疲れる時間かもしれない。
でも、「みんな」はそれが最高の時間なのだろう。
授業が終わって、自分の席に戻った。
また1人になってしまった。
とてつもなく寂しくなった。いつも1人なのに
「みんな」の笑い声が聞こえた。
どこか遠くの世界の音のようで、耳の奥でこだました。
虚しかった。
自分が馬鹿馬鹿しかった。
逃げたかった。
つくりものみたいな真紅の液体。
私は傷を付けた。自分にも、「みんな」にも。
私は自分に愛想笑いをした。つくりもの
感想1
とても身に覚えがあるなと思いながら読みました。グループワーク、私も嫌いでした。やるときはちゃんとやりたいタイプだったから本当は脱線が嫌だったし、でもそれを押し殺しさえすれば無事グループに居続けられることには安堵していて、その時だけは「みんな」と一緒になれた気がしていました。つくりものの自分でなければ居られない教室という空間は、私や、この詩のような人にとっては、まるで鳥かごのようでどこまでも残酷だったなあと自分の経験を思い返していました。
感想2
はじめの一文を読んだだけで、学校という場を離れてからもうかなり時間が経つのにうわっと思うくらい私の中にも不快感に近い記憶があることに気付かされました。自分がペアができなかったらという焦りと不安、余りになってしまった人がいた時の何とも言えない空気など...そして私がもし同じ空間に居たら、私もみんなは楽しそうでいいなと思いつつケラケラ愛想笑いをしながら投稿者さんのいう「みんな」に見えていたのかな、どうなんだろう...など、記憶にある机の並んだなんだか息苦しい教室の中で考えています。
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遠い遠い宇宙に飛ばされた
ここには誰もいない
苦しかった現実も
明日訪れるイベントも
何も起こらない
ただ存在しているだけ
悲しさも虚しさも
行き場をなくし
ただゆったりと渦巻いている
空っぽの心地よさと
所在ない感情の行き場が
ただここにあった
さようならも
はじめましても
ない世界
ただ何かがありそうな気がして
僕は歩いたただの僕
感想1
果てしなく広い空間に、身体ごと放り出されて漂っているような感覚を抱きました。「ただの僕」は、「今ここ」の僕でもあるのだろうかと考えました。一つ一つの文章にはどこか清々しさもあって、読んでいてリラックスしている自分がいました。
感想2
とても密やかな、しずかなメロディがどこかに流れているような感覚になりながら、耳を澄ませるような気持ちで読みました。心だけですが、遠い遠い宇宙に、あるいは宇宙の外側まで飛ばされている感覚のときが私にはあります。宇宙は遠くって、現実もなにもかも小さくなって、いろんな意味や名前のある「僕」ではない「ただの僕」でいられるのかな。立ち止まっていても、ただ呼吸をしていても、どうしていてもいいから、歩くこともできるのかもしれない、と思いました。
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指を縫い目に引っ掛けて
遠くのあなたに球を投げた
いつも緊張した
あなたの手元に
真っ直ぐ届かなかったら
どうしようって
私にあなたが球を投げた
球筋は 左に大きく逸れて
砂を擦る音が聞こえる
「ごめんねー!やっちゃった」
アハハと
陽気に笑う声に
大丈夫だよ
と 気にしてないと安心を与えるトーン
を脳が入力して声帯を震わせた
あなたは 失敗する
私は それを許してる
別に怒ることでもないし
それだけで嫌いになんてならない
なるはずがない
そしてまた
私はあなたに球を投げる
また 緊張した
あなたの手元に
球が届かなかったら
あなたを走らせて
私は 私は
ただ申し訳なく
幻滅される 呆れられる
震える指が
軌道を逸らした
あなたは
おっと っと言いながらも
左手のグローブで捕球した
ごめんね
「いーよー!」
あなたは屈託のない笑顔で
私に球を投げた
あなたは楽しそうだ
私は
あなたの前で
嘘をついてるのに嘘つき
感想1
私には情景がとても鮮明に浮かんでくる文章に感じて、セリフには声が付いて聞こえたし、冬の少し寒い日のやり取りな感じがして、ボールが飛ぶ乾いた音・グローブに入るボールのパシッという音も聞こえた気がした。縫い目に指をひっかけた際の緊張は、「私」の心臓の音が鮮明に聞こえていたんじゃないかと想像。やや遠くの距離感で投げ合っていることをイメージしながら、その距離だからこそ少しだけ表情に本音を出せる…そんな瞬間もあったのではないかな、と感覚的にだけど私はそう感じた。でも常に緊張と不安が交差している様子も伝わってきていて、運動の汗ではなく、またそれとは違う汗を滲ませてしまいそうだよなぁ…って思ったよ。
感想2
コミュニケーションでの言葉のやり取りは会話のキャッチボールと表現されるのはよく見聞きするけれど、ここまで解像度が高く風景や場面が想像される表現ができるのだな...と驚きながら作品を読みました。それと同時に、トーンなどは感覚というよりも(人によっては無意識のうちにであっても)身につけてきた技術のようなところがあったりするのかもと少し共感したり、これまでどんなボールのやり取りを多く経験してきたかによって現在の一球を投げる時に伴う感情や感覚は随分と違ってくるのだろうなと気付かせてもらったような感じもします。「嘘」についても、どんなもなのだろうとか、つかざるを得なくなった背景があるのかなとか、しばし考えてみています。
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死にたい
そう思ったのはいつからか分からない
いつの間にか毎日「死にたい」と思うようになって
なにをしても消えない希死念慮
話を聞いてもらっても
またふりだし
どんな言葉をかけられても響かない
わたしはわたし
みんなの言ってることに惑わされたくはない
プライド高いな
自分を見失いそうになっているのに
苦しくて辛くて寂しくて
みんなは毎日死にたいって思わないのかな
苦しい、寂しい、辛いって思わないのかな
私がおかしいだけなの?
「死にたい」
「苦しさから開放されたいだけだよ」
「しんどいのは今だけだよ」
でもその今がとんでもなく辛かったら
どうすればいいの?
わたしは
どうしたらよかったの?
助けてほしい
でも助けてもらった気がしない
責められた気がする
ああもうよくわかんないな無題
感想1
自問自答を繰り返しながらも、絡まった何かを少しずつでも解こうとしていて、でもその過程にさえも苦しさがまた絡まってきて「わたし」を混乱させてきている様子を想像した。希死念慮を抱えている自分としては、この文章にとても共感している。(勝手にだけども)自分を見失いそうになっている時でもプライドが高く感じるのは、そのプライドで自分自身をどうにか守ろうと(保とうと?)してるのもあるのかも……って、自分の経験からだけど、ふとそんな風に感じた。
感想2
ブランコに乗りながら小声でつぶやいてるみたいな詩だと感じた。私も、死にたいって考えたことない人に会うとちょっとびっくりする。そういうこともあるんだって思う。私も死にたいけど、死にたいって思ったらだめ、なわけないと思う。どんな感情も否定する必要はないはず、と信じる。でも死にたいにも、死にたい以外のたくさんの意味があって、他の人の死にたいを聞いてみると違うところもあったりしてふしぎ。私は逃げたいを我慢してると全部死にたいには埋め尽くされる。苦しい寂しい辛いが毛玉みたいにからまって死にたいのかたまりになっていくのだろうか。
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目をひくのはミルクチョコ
計算された甘さで
万人を掌に集める
包み込むのはホワイトチョコ
あなたと私の境界を
ひとつの温度に溶かしゆく
寄り添うのはダークチョコ
舌に残る苦味ごと
あなたを受け止める
個性豊か 三種のちょこれいと
あなたがほしいのは
どんな味ちょこれいと
感想1
読みながらつい、それぞれのチョコレートを食べたイメージをしていました。悩みつつも、「その時の気分によって楽しみたいなぁ」という優柔不断な想いが湧き出てしまった自分です。脳内でそれぞれの擬人化をしてみたり、ナレーションを当ててみたり、投稿者さんはどの味が今の感覚だろうか…などなど色々考えています。(勝手な想像をしてすみません。)それぞれの「個性」を私なりに楽しみたいなと思いながら、この作品自体、どこかチョコレートの香りをまとっているような…そんな感じがしてきた気がします。
感想2
チョコってお菓子の中の王者という感じがしていて、その力を遺憾なく発揮した三種のちょこれいとを想像しました。「あなた」にとっては個性もスパイスとしての楽しみのひとつなのでしょうか。とろけるように夢中になってまう感覚でしょうか。「あなた」にほしがらせるため、魅力を最大限に使ったチョコはなんだか健気な感じもしました。個人的にホワイトチョコが好きなのですが「境界をひとつの温度に溶かし行く」という感じなんだかわかる気がして、また味わってみたくなりました。
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彷徨う行く宛てもなくただ夜を越え
次の日とその次の日も
目的なんて二の次
人生の延長戦
未練だけが体縛ってる
欠けた記憶を埋めるために
今宵も埋められた身体を起こす
冷たい夜風が頬を撫でる
此処を何故か懐かしく感じた
悲しみと温もり混ざるような
記憶が此処に眠っている
キミの影 その温度
ボクが暮らした軌跡
思い出が今蘇る
彷徨い見つけたボクとキミの園
見上げたあの丘の上は
キレイな花が咲くでしょう
キミと見た夕焼けは
もう見ることができないでしょう
ただ忘れられた家にぽつりと
寂しさを埋める雨がささめく
まだ一つ あと一つ
残された未練を断ち切る手段を
アイが又、此の地を覆い
他の道を閉ざし
灰となって 星になって
散る
彷徨いたどり着くこの旅の終点
別れは全てのものに
等しく降り注ぐから
キミと見た此の場所は
時と共に忘れられて
静寂だけが此の地に遺り
残りは消えて行くだけ
次の世界で又、キミと巡り逢いたい
その時はキミの笑顔に
「花束を添えさせてください。」エンドロールの向こう側で。
感想1
もう会うことはないのだろうか。エンドロールももう終わり、だけどもう「ボク」の中では「キミ」との記憶は未練という言葉の中でくりかえされ、未来にも引き継がれていくことを感じた。「アイ」は、愛かな藍かな、哀かな。「キミ」だけでなく「キミ」との記憶も、場所も風景もいずれ風化していって、だけど「ボク」は覚えていたいのかな。漂うような時間感覚の中で、どこか遠い場所を見た気がしました。
感想2
不思議と、歌のように文章が私の中に流れ込んできた感覚がありました。寂しさを感じさせるような言葉もあるし、名残惜しさも感じつつ、でもどこかほわっとすこし温かい空気感をまとっている…そんな感じもしました。花束を想像してみた時、黄色と水色、そしてオレンジがメインの、明るくパッと現れる花束が、私の中で浮かび上がってきた気がしています。
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ただ僕はあの子真似をしただけ
僕はただ憧れてしまっただけ
あの子みたいな才能が欲しくて
あの子が妬ましくて
僕には何にもなくて
生き苦しくて
ただそれだけなのに死にたくなって
僕はあの子になりたくて
でも僕はあの子になれない
変われない できない
僕は一人じゃなんにもできないないものねだり
感想1
ないものねだり、なんだか分かるなぁ…って勝手に共感しながら読ませてもらった。変われない・変わりたい、その葛藤の中で常にもがいていて、理想がある分今の自分との比較も更にしてしまうのだろうか…って私は考えてる。この詩の「僕」は、「あの子」になりたい・羨ましい気持ちを持ちながらも、揺るぎないただ一人の『自分』という存在を求めているようにも私は感じたよ。
感想2
憧れから始まって、いろいろと真似をしてみたものの「なんか違う・・」と落ち込むことは、私自身も覚えがあり、共感してしまったところでした。詩を読み終えたあと、「学ぶ」の語源が「真似ぶ(まねぶ)」であったことをふと思い出しました。武道の世界には「守破離」という考え方もありますが、真似という過程は、実は必然的なことなのかもしれないと考えたりしました。
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暗がりの中、僕は在る
朝は、僕には合わない
周りの音に振り回されて、頭がガンガンとしてしまうから
昼は、僕には合わない
周りの明るさについていけなくて、目がやられてしまうから
夕方は、僕には合わない
周りの寂しさを実感して、体が縮こまってしまうから
夜は、僕には合わない
周りが無くなって、存在意義が感じられなくなってしまうから
けれど、微かな光は感じていたい
僕が傲慢で自己中心的だと言われても
光の粒が僕の手をすり抜けて行ってしまっても
僕はダメだと言われても
暗がりが僕を連れて行ってしまっても
何も見えない、何も聞こえない、何も掴めない暗がりでも
少しの光を望んでみたい微光
感想1
光はひとびとのいとなみを助けてきたから、日中にはたくさんのひとが混み合っている。夜にすら周りが気にかかるのは、たくさんのひとがいることを知っているからかもしれない。光にもさまざまな色や姿、強さがあって、目も皮膚も壊してしまうような光もあれば、温める光、暗闇の中にあってはじめて気づくような淡い光もあると思う。「僕」はそういう光にそっと手を伸ばそうとしているひとのようにも思った。
感想2
朝も昼も夜も、どの時間帯も自分には合わないな、しんどいなと感じている人間なので、あなたの文章から違和感の正体に気付いたり、発見をもらったような感覚になった私がいます。でも少しの光を求める・望む気持ちも切実に伝わってきた気がしていて、本当に「微光」でいいから、それを”浴びる”でなくとも、”感じたい”「僕」がいることを想いました。
感想
死にトリサポーターからの感想は現在準備中です。(感想は希望の場合のみです)