生きづらさを感じる人が創る
のびアート
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タグ:「詩・文」
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この時間が続いてほしい
僕が僕であることを
忘れないように
ずっとあなたの
そばにいたい
僕が孤独を
覚えないように
あの時は楽しかった
そんなこと言わないで
僕は決して望んで
泣いているわけじゃない
戻れないことは
知っているから
もう戻りたいと
思わせないでよ
僕が歩いてきたこの道は
何のために作られたの?
傷ついて汚れたこの足は
何を成し遂げてきたの?
あなたに見せた涙で
あなたは何を心に
飾りましたか?
もう少し息をしたい
不安に溺れる僕の手を
あなたはどうしますか?置き手紙
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
病んでいる時に勢いで書きました。
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あの星は飛行機
UFOに見えたのは星で
草にむずむずして
横になびく闇に
また星を見たあたりまえの空
作品にまつわる質問
この作品の好きなところを教えてください。
何も起こってないところが好きです😌⭐️
感想
死にトリサポーターからの感想は現在準備中です。(感想は希望の場合のみです)
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おまけの文化の始まりは
みかんの赤ちゃんなんだって
ほらねと笑むその指先に
ちいさなよろこび おまけ一粒みかん
作品にまつわる質問
のびアートへの投稿のきっかけはなんですか?
ちいさな日常の気づきを、あとすこしの間、残したいなと思いました。
みんながいつもとちがう視点でものごとをとらえて、それをふと おもしろいな なんて思える時間があればいいなと思います。感想1
なるほど、その発想はなかったです。みかんの赤ちゃんはおまけ…心がくすぐられるような、優しくて柔らかくてハッピーな言葉だと思いました。何気ない日常の風景でも、私と違う人はまた違った捉え方をしていて、それぞれ新しい気づきがある瞬間を経験しているのだと思います。それをこんな風に、言葉で紹介しあえる時間があるとお互いの心が豊かになるなあと感じました。
感想2
みかんの赤ちゃん・・イメージを浮かべるとふふっと笑顔になれてしまうような、かわいい言葉だなぁと思いました。「おまけ」という言葉にはどこか懐かしさと嬉しさを思い出しながら、あたたかさがじんわりと広がっていくのを感じています。
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僕がいなくてもいいよ
いない方がいいよ
楽しめないからいいよ
1人のままでいいよ
哀れなままでいいよ
拍手なんかはいいよ
花束なんかもいいよ
僕にあげなくていいよ
時間を使わなくていいよ
早めに帰っていいよ
もう片付けていいよ
嫌いになっていいよ
誘わなくていいよ
名前を消してもいいよ
席はなくていいよ
隣に荷物置いてもいいよ
僕は嫌われてもいいよ
みんなは楽しんでいいよ
みんなが好きなものでいいよ
無駄を省いてもいいよ
あとは考えなくてもいいよ
僕はいなくてもいいよ「ytrap」
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
パーティーに参加するのが本当に嫌だった時に書きました。楽しいと思ってる人だけで楽しめば良いのに、そういう思いがありました。
感想1
何かの集まりにお誘いされて、本当は気が載らないけれど断ることもできずに、当日になることを怯えながら待っている気持ちを思い出しました。当日が近づくたびにくさくさした気持ちが強くなって、全てに対して「もういいよ」と思っていました。楽しくないパーティーなんて、抜け出す以前に参加しないようにできたらいいのに。上手いことのらりくらりとかわしていけたらいいなあ。
感想2
参加したくない場所には行きたくない…まず率直にそう思った私がいます。そういった場に無理に参加すると、自分が惨めに思えてきたり虚しさが色濃く出てきて悲しみを実感してしまうので、投稿者さんにもそんな想いがある詩なのだろうかと考えていました。「そんなこと自分のためにしなくていいよ」の「いいよ」もあると思いましたが「もういいよ・もうやめてよ」の、”いいよ”も、沢山詰まってるように感じた気がします。無理な笑顔を作って、でも内心とても傷ついていて、光が当たる場所なはずなのにパッと暗転するような…そんな映像も、読みながら私の脳内に浮かんできました。
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いつか戻るあの場所
でも分からない
大切なものは常に両極端なんだ手のひらから落ちる大切なもの
感想1
両手をお皿のようにして、何かが砂のように落ちていく様を想像しながら読み、「大切なものは常に両極端」という言葉からは、天秤の映像も浮かんできた気がしています。”あの場所”は一体どんなところなんだろう…。
感想2
「大切なもの」の手触りを空想した。砂のようにちいさいからこぼれるのか、液体のようなやわらかな手触りがあるのか、そんなことを。この人にもわからないことなのかも、とも思った。一行一行のあいだの余地の言葉がまださだまらないままあるのかもしれない、と思った。
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右をみて
左を見る
君はそっぽを向いて
僕は上を向いた
パチパチして
こぼれたものに
流れ星
君は僕へ
僕は君へあの頃に夜
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
「何も起こらないドラマ」みたいなものを書きたかった😌
感想1
あっち向いてホイに近い映像が浮かびつつ、ゲームにしては少し噛み合わない、どこか切ないような……。でも「僕と君」の間にある不思議な関係性や、第三者が入り込めない何かを感じた私がいます。(想像ではありますが…。)夜とあるけども、真っ暗ではない、冬の鮮明な星空が私の脳内に浮かびました。
感想2
名前を持たない一瞬のひとときが永遠に感じられるような、不思議な余韻が残りました。視線が合いそうで合わない二人の間には、一体どんな時間が流れているのだろうかと、想像を巡らせています。
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期待には応えられないよ
僕はそんなに強くない
何度も怪我をしているの
頑張る力が残っているなら
この花は枯れていない
ずっと孤独と戯れていた
寂しがり屋の僕だけど
本当は大好きと出会って
愛と一緒に眠りたかった
このまま終わってほしいと
星を結んで空に描いた
本当は生きていたいと
涙を零して手に書き留めた
ヒビの入ったグラスに
枯れてきた花と僕
生かされているね
誰かの傷を癒せるほど
ごめん僕は強くない
ずっと恐怖と夜更かししていた
弱くて芯のある僕だけど
好きで脆くなっていないよ
僕も強く根を伸ばしたい
人生を終わらせてみたいと
紙に書いて破り投げ捨てて
これからどう生きていこうかと
30日分の予定を立てた
おはようが聞こえる日は
歩いても大丈夫な気がした
おやすみが言える夜には
愛を知ることができるんだ「グラスにアネモネ」
作品にまつわる質問
この作品の好きなところを教えてください。
感情が伝わってくるところです。
感想1
どこからともなくメロディーが聴こえてくるような、歌詞を読んでいるような感覚を抱きました。孤独と親密さ、希望と絶望、相反する感情が、めくるめく目の前を通り過ぎていくような感じがするのは、投稿者さんの迷いや揺れ、そして小さくとも確かにある決意のようなものが伝わってきたからなのかもしれません。あてもなく走り続けることに疲弊しながらも、どこかで自分を信じようとしているような、そんな印象を受けました。
感想2
読んでいて、たくさんの怪我をしていておびえているようにも見えるやわらかいいきもを想像をした。だけど、さみしい気持ちもあるから言葉は内に滞留するだけでなく、外側にものびていっている感じがする。「愛」には100通りもの意味があるようで、だれにきいてもわからない。もしかしたら「僕」も知らないと感じているから、知ってみたいのかな。私は枯れる花も結構好きだけど、枯れるのはやっぱりさみしいと思う。だけど花もグラスも「僕」も、私も世界のいちぶだから、さみしいけれど、さみしくない気もする。
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底のないコップに
オレンジジュースを注ぐ
穴の空いた風船を
一生懸命膨らます
傘をちゃんと準備したのに
雨の中を濡れながら
歩くカーテン越しに
夜空を眺めて
明日が来ませんようにと祈る
ずっと家にいるけど
帰りたくなるんだよな
満ちていくはずなのに
ずっと底が見えるんだよな
コップに注いだ炭酸の泡を
音が消えるまで数えている
どこにも出かけないのに
ワンピースを着て
アイラインを引いている
疲れ切った体のままで
明日を駆け抜けようとして
擦り減らしたままの心で
だいそれた夢を描いている
笑顔になりたいのに
笑顔を忘れていく
愛されたいから
まずは私を愛することにした
不安は私を抱きしめて
希望は私を突き放す
笑える時間は短いのに
寂しい夜がとても長くて
静かに灯るベッド横のランプ
私の思考は黙ってくれないの
嘘でも楽しいと言えない日には
本当に楽しい夢を見たい無題
感想1
どこかちぐはぐであべこべで、ままならない日々を送っている人の詩だと思いました。この毎日はけして明るくなく、落ち着かず、満たされず、不安が纏わりついているけれど、まだ安らぎを諦めていないような静かな息遣いを感じました。不器用な行動も、矛盾した気持ちも、とめどない思考も、全てをじっと見つめているような、同じようなものを抱えている私すらも見通されているような気がしました。
感想2
コップを満たしたいから、風船をまあるく膨らましたいから、ジュースや空気がこぼれても、このひとはそれをしたのでしょうか。それは諦めの感覚と願いや祈りが同居した行為のようにも感じました。私もずっと、どこかに帰りたい気がしています。どこになのか、家に、自分に。引き裂かれる感覚が、だけどぎりぎり裂かれきらないまま、詩の中に地続きに存在しているようん思いました。
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乾いた芝を むりやりごはん粒でくっつけたみたいな 心が
口から飛び出して テーブルの上に転がった
昨日 動物園で見た ぞうのうんちは
どっしり重くて まとまっていて 草のいいにおいがした無題
感想1
非物体である心の比喩の表現の面白さもさながら、比較対象として出されたのがなんとコレか!と妙味を感じました。私は時たま、何の変哲もない物体と自分の存在を比べるようなことをやっているのですが、そのモードの時に動物園に行ったら、ちぐはぐでかさかさした未消化物のような心に比べて、しっかり食べ物を消化した後の副産物であるゾウの糞は、存在そのものが堂々としていて、なんと頼もしく感じられることだろう…と思うかも。
感想2
ごはん粒、祖母が糊の代わりに使っていたなぁとふと思い出しました。頼りなくまとまりをもった心は、放り出されたテーブルの上でかたちを保っていられたのだろうかと、想像を巡らせています。実態を持たない心のあり様をどのように表現するのか、言葉の端々から投稿者さんの感性を感じました。
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空を見上げてみる。
空には色んな星が輝いている。
ずっといちばん光っている星もあれば、少し光って消えてしまう星もある。
「あぁ、あの星は最近できた星だ。よく光ってるな。」
若い星がキラキラ強く光っている。
羨ましいな。
「わたしは全然光れないのに。」
わたしは生まれてからずっと、光ったことないまま命を落とすのかもしれない。
「羨ましいな。」
泣きそうになった時、ひとつの光った星がわたしの傍に現れた。
その星はわたしを照らしてくれた。ほんの少しの力だったけど、照らしてくれてわたしはほんの少し光った。
そうしたら他の光った星たちがわたしの周りにチラチラ現れた。
「ねぇ、同じものが好きなの!お話しよう。」
「その絵、可愛いね!」
「ぬいぐるみ作れるの? 手先器用だねー!」
光った星のおかげでわたしは少しだけ光れた。今もその星はわたしの光。
わたしの命を照らしてくれる、わたしの救いの光。✦⋆𓆩✧𓆪⋆✦
感想1
星は自分で光っているのではなく、太陽の光が反射している。夜になると私たちには光って見えるもの。自分で光ることができる星はほとんどない(人間に分かる範囲では)。私たちにとって太陽の光はどのようなものなのだろう。この詩で書かれているような誰かの存在かもしれないし、何かやることや、環境や、たまたま起こる出来事かもしれない。少なくとも自分で光ることができるわけではないことは分かっていたいなと思った。自分は何かによって、自分の存在を見えるものにしてもらっている。自分では自覚なく、誰かには見えているものでもある。私は私の出来ることを、見えないくらい小さくても、ただただやっていきたい。そんな感慨が浮かびました。
感想2
「星が光る」という事象に、他者との関係性や、社会の中での自分の居方を重ね合わせているところが印象に残りました。輝きの度合いでお互いを比べてしまうことは、人間の世界に置き換えても日々起こっているように思います。他の星たちがやってきたのは偶然にしても必然にしても、共鳴し合って輝き出す姿は、やさしくあたたかい世界だなと感じました。
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あさも、おひるまも、よるも
そして、まよなかも。
もりもり、たべる。
いのちを、いただく。
いのちが、しんだ。
地球のしくみは、傷つくようにできている。
だから、心地よいきもちや、らくなきもちになれたなら、生きている意味があったとおもう。
ままとぱぱと、おいしいね。って、わらいあうのが、うれしい。無題
作品にまつわる質問
この作品の好きなところを教えてください。
傷つきを主張しているところ。
感想1
たべることいきることは、植物や動物や、自分以外のだれかをいただくことで、それはなんだか、とても恐ろしくて、悲しいことのように感じることがあります。だけどそれでも生きていくことに、おいしさや、心地よさを感じることを、いとしくも感じます。私のからだも循環して、いつかは土にかえり、地球のさまざまな一部として巡り続けていくのだと思います。この詩を読みながら、そんなことを、ぐるぐると考えています。
感想2
「うれしい」を感じながらも、日々の中で思う事や違和感をじわじわと抱きながら過ごしている背景があるのかなと、読みながら想像した。確実に存在している様々な「時間軸」の中、また同じく確実に存在するであろう「いのち」が”食”により消えゆく瞬間もある。地球の仕組みを傷つきと表現する理由や、そう感じた経緯、ハッとした瞬間がきっとどこかにあったんじゃないかと、勝手に気になった私がいる。生きている意味や実感を得たいと思う私は、もしかしたらまず心地よさや安心を感じたいんじゃないか…?って、なんだか読みながらふとそんな発見をもらったように思う。
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あるところに少年がいました。かれはそのせなかに、おおきなつばさをもっていました。まっしろなつばさをはためかせるすがたは、ほんとうにみごとでした。
「きれいだね」
「ぶきみだね」
「かっこいいね」
「きもちわるいね」
みんなはくちぐちにいいました。ほめるひと、ばかにするひと、あこがれるひと、こわがるひと。いろいろなひとがいろいろなことをいいましたが、少年はきにしませんでした。
「ぼくは、たのしくそらをとべればそれでいいのさ」
少年は大きくなりました。つばさは相変わらず真っ白にかがやいています。青空をかけめぐる少年に、声が聞こえてきました。
「すごいなぁ、うらやましいな」
「あれしか芸がないのかしら」
「さすが、俺たちとは違う」
「私は好きじゃないな、ああいうの」
みんなは好き勝手に感想をいいました。賛否両論なのはいつものことのはずなのに、少年は違和感を覚えました。
「何だろう。空を飛ぶのが怖いよ」
少年は逞しい青年に成長しました。純白の翼は未だ現在です。それもそのはず、少年はすっかり遊飛行をやめてしまって久しいのです。それでも人々は珍種である彼を批評する娯楽から抜け出せません。
「彼の美しい羽根は純金をも上回る値打ちがあるでしょう」
「お高く止まってやがるぜ。上流階級のつもりか」
「あの御方こそ、この世界を終末から救う神の遣い」
「あれはきっとテロ組織が秘密裏に開発した生物型破壊兵器に違いない」
少年にとって最早、全ての声が敵でした。
「誰も僕を僕として見てくれない。皆、僕を翼でしか測らない。こんな翼は枷だ、僕は翼の奴隷なんだ」
彼の苦しみを嘲笑うかのように、翼は輝きを増していきます。
少年は何度も翼を消し去ろうと試みました。それでも、何をしても翼は傷ひとつ付きません。それを心から嘆くと同時に、少年はどこか安心していました。
「本当は分かってるんだ。僕から翼を取ったら僕は何者でもなくなる。結局、僕には翼を捨てる勇気がないんだ」
少年は自責の念に駆られました。やがて追い詰められた彼の頭に浮かんだのは、かの有名な神話でした。
「そうだ、太陽に灼かれればいいんだ」
少年は本当に久しぶりに空へと飛び立ちました。しかし生身で宇宙に行けるはずなどありません。彼はまもなく酸欠を起こし、真っ逆さまに落ちていきました。鋭い風が身を刺す中、少年は幼き日をぼんやりと思い出していました。少年
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
この後、少年は翼がクッションになって助かったそうです。本人は何とも言えない表情をしていたとか。
何年振りに空を飛んだことをきっかけに世間が再び賑わってしまうのは、また別のお話。感想1
寓話的な物語で、私は宮沢賢治の「よだかの星」という個人的に大好きな作品のことも思い浮かべつつ、この少年に思いを馳せていました。翼は賛否両論あれど、とにかく目立ってしまうことの大変さがあるもので、「たのしくそらをとべればそれでいい」と思っていても、いつの間にかひとびとの眼差しが重荷になっていって。翼があってもなくても、少年は少年であるはずなのに、と悔しい気持ちになりました。エピソードとして、翼がクッションになって助かったと書いてあって、ほっとしている自分がいます。この世界のどこかに彼に似た姿の人もいるのかな。いつか彼が思い煩うことなく飛べる空を見つけられますように、と祈る気持ちになっています。
感想2
少年の持つ翼は、少年を構成する大切な一要素ではあれども少年自体ではなかったし、それに意味付けをしてよい人は、少年本人以外には誰もいなかったはずだと思いました。しかし、人々は勝手気ままに、無責任に言葉を放ちます。雨のように降りつける他者からの毀誉褒貶を無視して生きることは、実際問題とても難しいことだと感じます。そして、つい悪い評価に引っ張られ、自分の気持ちも良さも見失ってしまうこともあると思います。少年の姿が自分自身に少し重なりました。翼ではなく少年を見てくれる人や、少年と同じようなところのある人と出会い、いつの日か少年が、また楽しく空を飛べるときが来ますようにと願っています。
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東から昇る陽の光で空が白み始めた頃、ベッドに横になっていた妙齢の女――見た目でいえば、五十くらいだろうか――は閉ざしていた瞼をゆっくりと持ち上げた。数回の瞬きを繰り返したのち、どこか気だるげに身体を持ち上げた女がぐるりと首を一回回し、おもむろに上へと手を掲げたその刹那――パチンと指を鳴らす音が響いたかと思うと、彼女が纏っていた白いネグリジェが一瞬にして黒いロングワンピースへと変化した。同時に寝癖でボサボサだった黒髪も、真っ直ぐに整い首元でひとつに結わえられていて。肩にかかる髪を後ろへ払った女は、足を床へ下ろすとそのまま立ち上がった。
「……もうすぐ春だっていうのに。朝はまだ冷えるねえ」
誰に向けるでもないただの独り言を口にしながら四人がけのテーブルが置かれたリビングへと入ってきた女がゆったりとした歩調で足を進めながら指を弾くと、暖炉の中に置かれている薪が一瞬にして紅い炎に包まれる。続けて彼女がもう一度指を鳴らすと、今度はランプに明かりが灯った。
「さて。今度は食事の準備だね」
なんでもないように彼女が指を弾く音が、静かな空気に何度も響き渡る。その音が止む頃にはテーブルの上に並んだ皿の上に、スクランブルエッグにサラダ、トースト二枚に牛乳たっぷりのカフェオレ――どこにでもある、ありふれた朝食だ――が置かれていた。流れるような足取りでその朝食の前までやってきた女は、慣れた様子で椅子に腰を下ろすと、おもむろに目の前のトーストへと手を伸ばした。
「……おっと。わたしとしたことが、ジャムを忘れているじゃないか」
片手にトーストを持った女は「うっかりしていた」とでも言いたげな様子で、もう片方の指をパチンと鳴らした。その音に導かれるように現れた半分ほどまで減ったいちごジャムの瓶を手元に引き寄せると、置かれていたスプーンを手に取ってたっぷりと掬い上げトーストへと塗っていく。
「よし。こんなもんだろう」
ツヤツヤとした赤に塗りつぶされたトーストを見つめた女は、口を大きく開くと勢いよくそれに噛りついた。頬張ったトーストをゆっくりと咀嚼し飲み込むと、女の口元が緩やかに弧を描いた。
「うん。今日も完璧だね」
一日の始まりを彩る自分好みの朝食に、女は満足気に頷くとジャムトーストを再び口へと運んだ。ワンダーエブリデイ
作品にまつわる質問
この作品の好きなところを教えてください。
魔女の一日の始まりをテーマに書いた短編です。魔法が当たり前にある世界観の中で、魔女の『人っぽさ』が出るように書きました。
感想1
朝食の香ばしい匂いを錯覚するほどに世界に入り込ませる文章だと感じました。指を鳴らすだけで全ての支度が整っていくのはとっても便利そうで魅力的だし、見ていて愉快だろうと想像します。ハリー・ポッターに登場する、ウィーズリー家のお母さんが家事魔法を使いこなしている姿を連想しました。何気ない日常動作を魔力で行えるようになるまでには、かなりの訓練を重ねて熟達しなければならないのかもしれません。はたまた、私が腕を伸ばして物を掴むように、魔女にとっては容易く当たり前の動作なのかもしれないとも思いました。
感想2
当たり前に魔法がある世界の中でも、この魔女さんは知者と言えそうだと個人的に思いました。自分にあった時間の流れや日々の過ごし方、自分に必要なことを過不足なく知っている感じがしたからです。一人で過ごしている時間が長いと、空間や道具やさまざまなものと対話するようにひとりごとを呟いてしまうことがあるように思います。魔法が異端として追いやられていない世界なら、魔女さんの住処は案外人里近くなのでしょうか。でも自然はゆたかな場所のイメージをしています。私もいつか魔女になりたいと常々思っているので、こんなふうな、一日の完璧なはじまりを探してみたいと思いました。
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ぼんやりと照明をみた
眩しくて涙が出た
すぐ止まって、
今度は痛みが走った
耐える価値がない
痛みは頭にうつり
じんわりとした頭痛
今日もうまくいかなかった
それだけならよかったのに
眩しいよ
いつもどおりさ自由に
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
深夜に眠りたくなくて書いたもの。
照明を消したら安心できなくて、つけたら眩しかった。
目を閉じたら気持ちのいい痛みが出て、反応するのもバカバカしい...って脳ミソくんが言ってきました。笑感想1
じぶんの感覚をしっかりとたどって感じたうえで描写しているようで、それが印象に残りました。深夜の時間は他の時間よりも一人の時間という感じがします。これが昼の「いつもどおりさ」だったらさわやかすぎて苦しくなりそうなんだけど、この詩の「いつもどおりさ」は、自分自身を突き放してしまいたいような諦め感がある気がして、私の感覚的にどこか馴染むような心地がしました。
感想2
エピソードも踏まえ作品を読んだからか、映像で浮かんできた感覚がありました。タイトルの「自由に」の”自由”には、どんな意味が込められているのだろうかと気になる私がいます。痛みが頭に写る感覚は、私自身覚えがあり、眩しさと痛みの関連性や、そんな部分からくる心の揺らぎもあるんだよなぁ…と感じているところです。脳ミソくんとの会話は日々繰り広げられているんだろうかと、想像が膨らんでいます。
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―
感想1
やわらかい光属性の言葉だけど、まぶしいというよりはさびしさが伝わってくるような不思議な感覚。言葉と言葉の隙間があって、それがきちきちに埋まるわけではないんだけど、だれかとつながっている温かさもある。私、小説を読み終えたあとで「よかったね」とかひとりごとを言っちゃう時があるのですが、そんな言葉をつぶやきたくなる読後感でした。
感想2
読んでいて心がじんわりとしました。夕焼けの茜色が胸いっぱいに広がっていくようでした。一日の充足感と喜びを感じるとともに、その満ち足りた一日を手放すことへの少しの寂しさのようなものも覚えました。けして多いとは言えないけれど、たしかに私にもそんな一日があったような気がします。翌日もその翌日も、この人にとって幸せで満ち足りた日になりますようにと祈りたい気持ちになりました。
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ねぇ、君。こんな時間にどうしたんだい?家には帰らないのかい?
おうち、かえりたくないの。
どうして帰りたくないんだい?
えっと、あの。わ、わからないの。
でも、かえりたくないの。
お父さんやお母さんが心配するよ。
しんぱい? それってこわい? いたい?
どうしてそんなことを訊くんだい?
だって、おじさんしんぱいっていった。おうち
感想1
この人にとって「おうち」はこわい場所で「お父さんやお母さん」がすることは、こわくていたいことなんだろうって思った。悲しいし、悔しくなる。「かえりたくない」と思って行動できるのは強みと言えるかもとも思うけれど、夜遅くの街の中なのかな、そこもきっと安全な場所ではないのだろう。けれど、「おうち」よりはマシと感じる瞬間も少なくないのかもしれない……。この夜も、次の夜も、その次も、ずっと、この人がこわくなくいられる場所ってどうしたら見つかるんだろう。
感想2
この子のおうちに帰りたくない気持ちは切実なものなのだと感じられました。その理由を自分でも説明できないのは、おうちにいるときは自分の思考や感情を押し殺しているためなのかもしれないと想像しました。「心配」という言葉を知らず、その未知の言葉が父母と結びつくと恐怖や痛みを与えるものだと解釈してしまうほどの過酷な環境のおうちなんだろうと胸が痛いです。せめてこのおじさんがいい人であれ…と願わずにいられません。
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「素を見せて」
なんて言われても私にはできない。
仮面の重圧に押し潰されて私の顔はなくなってしまったのだから。
あの人といる時は
ニコニコな仮面
あの友達といる時は
少し真面目な仮面
あの子といる時は
ふざけた仮面
そんな仮面を重ねていたら
知らない間に仮面に埋もれてる顔が
消えてしまった、無くなってしまった。
沢山の仮面を外した後の私は。
ただののっぺらぼう。
とても笑えるでしょう?
でも怖がらないで
どうか嫌わないで
お願いだから。圧
感想1
本当の自分てどれなんでしょうね。私も関わる人によって「自分」が変わりますし、場面によってふるまいや態度が変わり、まるで別人のような時があります。しかしどれも私だとも思います。この複雑な社会では全部自分のままでいられることはとても稀なことなのかなと思いました。まだまだ見つかっていない自分もきっといるだろうし、できるだけ心地よい自分に出会いたいなと思いました。まだまだ私も難しいけど
感想2
のっぺらぼうというよりも、わからないってことなのかも?と思った。私たちって、案外、素顔っていう顔を持っているわけではないのかもしれない。たくさん影響されて、どんどん押し流されて、自分らしい自分をわかるのはむずかしい。でも「わからない」は「ない」とはすこし違うような気がする。この詩の「私」は自分の感覚で受け取って言葉にしていて、それは、わからないけど、「私」の心があり、顔があり、体があり、そこにいるってことなのだろうなと思った。
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過去は消せないけど
それを
ずっと背負い続けなくてもいい。無題
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
誰も私のことが見えてないみたいで孤独だったので、私が私自身にと書きました
感想1
この作品にまつわるエピソードに「私が私自身にと」とあり、これは自分自身を見失わないための指標のような言葉なのかな…と想像していました。
感想2
私もいつか、背負っているものを少しずつでも下ろしていきたいし、でもそれをこれまで許可していなかった自分がいることに気が付きました。誰も自分が見えていないのではという孤独を感じる中、自分に言葉をかけたその背景には、様々な心の揺らぎや想いがあったのではないかと感じました。
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水に 触れる
風に 触れる
鳥の 鳴く声
木の葉の そよぎ
あふれる 自然の 優しさは
いつも 一方通行
耳を 傾けても
分からない言葉 持ってる
空に ひかり
朝と夜の ひかり
朝日の グラデーション
星の またたき
朝も夜も 流れるメッセージ
世界の あちこちで
たくさんの 波紋が
生まれては 消えていく
形を 持たない
メッセージの 意味は
誰も 知らない
かみさまの あいことば
心にある ことばの カケラ
何に 呼応する?
波紋が 重なりそうで 重ならない
違う 波間で 揺れてる
たくさんの メッセージたち
水が揺れる
風が過ぎるアンビエント
感想1
読みながら、書かれた自然音たちが聴こえてくるような…そんなイメージが浮かんでいます。自然の優しさが「あふれる」という考えが、私には無かったなという気づきと発見があり、自然の「声」に耳を傾ける瞬間を作りたい衝動にかられました。”自然のもの”が私たちに送るサインやメッセージはきっと沢山あって、今も知らない間にそれは生まれては消えているんだろうなと思うと、どこか切ない気持ちにもなりますが、”確実な存在としてある”ということも、同時に強く感じたような気がしています。
感想2
日常の中には「わかる」ことが当然とされるものが溢れているので、意味が飽和して苦しくなることが私にはあります。この詩の中にある、自然からの「メッセージ」は、簡単に読み取り可能な意味に還元されきれないものなのだろうと思いました。重ならないまま、通り過ぎてゆくものたちから、なにかはわからないけれどなにかを受け取ること。それに耳を澄ますような得がたい時間を、作者さんはたくさん知っているのかなと思いました。
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いつでもおいで
君を待っているから
ここは退屈な場所
僕はずっとここにいた
いつでもおいで
君は何か言いたかったみたい
ここには何も残らない
面白いよね
僕はいつまでもここにいる
いつでもいいよ
君は誰かと話したい?
何もないよ
僕は答えた名前なんていらない
感想1
「いつでもおいで」「いつでもいいよ」の声が、それぞれ細く・今にも消え入りそうに聞こえてきたような感覚が私の中ではありました。退屈で何も残らない…。でも、僕と君にとっては、きっと大切な・なにか特別な場所でもあるんじゃないだろうかと想像します。読みながら、切ない気持ちや寂しさも感じる詩に思いましたが、「意思」を感じられるような作品でもある気がしています。(私の感覚ですが…。)
感想2
「君」を待っている「僕」は、退屈な場所から動けなくて、だからこそ「君」の訪問を心待ちにしているのかなという風に想像しました。退屈な・何も残らない・何もない場所といわれたら寂しい雰囲気でいっぱいな気がしますが、「僕」と「君」の二者のみしかいないことが、逆にシンプルで濃密な空気を醸し出しているようにも思えます。特別なことには名前を付けるのが難しく、だからこそネームレスのままがいいのかもしれません。
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私はあの子に嫌われなくなくて「優しい子」という袋を被った。
私は先生に嫌われたくなくて「優等生」という袋を被った。
私は親に嫌われたくなくて「勉強のできるいい子」という袋を被った。
最初はみんな袋越しの私を見て喜んだ。
仲良くしてくれた。褒めてくれた。
でも今は違う。
私が「いい子」で「優等生」で「優しい」ということが当たり前になった。
袋の中の空気はだんだんと薄くなって息苦しくなっていく。
袋を被り始めたのは自分なのに。
自分が被った袋のせいで言いたいこともまともに言えない。
あの時の自分と変わってないか、袋に穴は空いていないのか。
いつもそんなことを気にしてる。
きっと自分で自分を殺しているんだ。自業自得
感想1
相手に合わせて自分を演じることは、ネコ被りという可愛い表現では収まらず、窒息に至るような切実な苦しさがあると感じました。自業自得とタイトルにありますが、袋を被ることがこの人にとっては日々を生きるために必要な戦略だったのだろうと思います。いつか袋が外れたり、あるいは穴が開いてしまったけど案外大丈夫だったということが起こってほしいなとつい思ってしまいました。
感想2
相手や状況に応じて自分を変える術を、「袋を被る」という表現に変換していることを興味深く読みました。優しくて優等生で勉強ができるあたまのいい子・・こうして文字に連ねてみても、呼吸が浅くなるような閉塞感を感じます。袋を被り続けることに疲弊してきているけれど、嫌われるかもしれないという可能性が1ミリでもあれば、簡単に脱ぎ捨てることもできない・・そんな葛藤も垣間見えるように思いました。
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お金がないって言うけどさ
金かかるの知ってて産んだんでしょう?
欲しい物はちゃんと言えって言うけどさ
言い出しにくい雰囲気作ってるじゃん
なんで産んだの?
なんで育ててるの?
しんどいなら産まなきゃよかったのに
親なんて嫌いだ
こんな雰囲気の家は嫌いだ
なんて、本当はそんなことない
本当に嫌いなのは、大嫌いなのは
無駄に遠慮して
本音が言えないのを人のせいにして
産んでくれて、育ててくれた親に
こんな酷いことを思ってしまう
自分なんだ本当に嫌いなもの
感想1
読みながら、勝手にですがとても共感してしまった私がいます。怒りや悲しみ憎しみ…「どうして?」「なんで?」が心や脳を支配する中で、考えて考えて・感じて感じて、最終的に、自分が一番大嫌いで許せない存在だと痛感させられるような…そんなループから抜け出せずにいる苦しみがあるのではないかと、私自身の経験も踏まえ、そのように考えました。自己嫌悪に苛まれる中、でも確実に怒りや苦しみも存在するからこそ、グルグルと思考が巡りまたつらくなる、そんな想いも詩から読み取れたような感覚もありました。本当は直接届けたい(かもしれない)気持ちを、このように作品として書き出すことで、また違うカタチで自分で落とし込めようとしている背景もあるのではないだろうかと、これも私の勝手な想像です。
感想2
どれだけ近くにいても
分からない
私たちの世界は どこまでも交わらず
一人一人の中に無数の歴史と「世界」がある
「どちらか」かしなかないと思うのは
他に広がる無数の世界や言葉を観えなくさせている何かがあるということで
あなたに悲しさを感じる心があることは
決して悪いことではないのではないかと思います
また親の中にも無数の世界があり
親もまた観えていないのかもしれない
私たちはどのような時に
どような時間の中で
これまで観えなかったものが観えるようになるのだろうか
本当は声を出している無数の命に
どうやったら耳を傾けることができるだろうか
そんなことを考えました -
掃除も自炊も洗濯もやる
たまにご褒美で定期的にお菓子とか買って
仕事もまあまあ上手く行ってる
でもふと考える
いつまで生きればいいんだろう
そんなこと考えながら
いついなくなっても後悔のないように
やりたいことはやる
いきたいところには行く
食べたいものを食べる
そんなこと知らないから
結婚やこれからのことを聞かれると戸惑う
とりあえず今は、若くてやりたいことをやりたい時期だという口実でやっていけるだろうか?
おわらせるのは怖い
生きるのも怖い、体を傷つけることも
ただ空気のように消えて
最初からいなかったような終わり方ができればいいのにと思う叫
感想1
最初に読んだとき「叫」という題と比べると詩には抑制された筆致を感じました。いやでも、この生活に根差した言葉一つ一つを私は淡々と読んでしまったけれど、本当は、もっと吐息の中にある言葉だったかもしれず、ぎざつきみたいなものを勝手に取り去ってしまっただけなのかもしれないと思い直し、またいちど読みました。それでこの言葉そのものだけでなく、言葉の間、空白のところに、言葉にならない悲鳴や叫びが留め置かれているように感じました。たしかに私たちが本当に怖いとき物語のように上手に叫ぶのは難しい気がするのです。だからこのような形の叫びが必要なのかもしれないと考えました。
感想2
切実な「叫」があることを文中から感じつつ、すこし進んでは立ち止まり・すこし進んでは立ち止まりを繰り返す情景が浮かんできたような気がしています。迷いの中、自分にとっての何かを見つけようと、苦しみやもがきがあるのではないだろうかと、そんな風に、感覚的にですがイメージが浮かんだ私もいます。「おわらせる恐怖」というのは時に、「何かを始める恐怖」にも通ずるものがある気が私はしていて、同時に、その狭間にいる苦しさも伴うような…そんな感覚があるように思います。
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もうすぐ4月
誕生花の桜が咲く
誕生日を迎えたくない
私にとっていちばん大切な花
桜が咲くのを見届けたら
散る時は一緒に逝きたい
ささやかな幸せも
胸の奥のちいさな声も
つめたい世界に埋もれてしまう
それでも いつの日か
「桜と一緒に生きたい」
そう心から言えるようになりたい桜隠し
感想1
「さくらと一緒に生きる」という言葉が印象的でした。よくみかけるソメイヨシノの寿命は60~80ねんくらいだそうで、人間と同じくらいだそうです。桜は沢山種類があって、長く生きるものは1000年近く生きるのだとか。花が咲いていない時期でも着実に見えないところで呼吸をし、根を張り、静かにゆっくり変化している。それは桜の意思でもなく、太陽や土や世界に誘われているのだと思うと、さくらと一緒に生きるというのは、自分を構成する見えないものに耳を澄ませるということのように思いました。
感想2
いちばん大切な桜という花を遠くからみつめるだけでなく、桜に「私」の心の一部を託しているような感覚を受けました。「つめたい世界」にいながら、桜にはそれとは違う温度が宿っているのかなぁと思うと、風景はさむざむしいばかりではないような心地にもなります。今日も、午前中に家の近くを歩いていたら、たくさんの花をつけた大きな桜の木と、それを見上げる人たちがいて、私もすこし立ち止まって見ました。私は桜を「巡ってくる」ものの象徴のようにも感じてきたのかもしれないと、この詩を読みながら考えています。
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何もしないまま過ごし、時計に目をやると、秒針が歪んでいた。まるで渦のような形になってしまったそれは私の体を締め上げてくる。
すぐに引き剥がそうとした。
ただ、引き剥がしたとしてもそれはまたやってくる。
もし、そんな毎日が続くのなら、ここで時間を止めてしまうべき。と、思ってしまった。
それはまだここにいる。お昼
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仮想の繋がりは世界を網羅し、現実の存在は現在の空白にしかない。
自由を目指した未来は、果てに神々しい光を予感させるが、それは現実にどういう形を取る?
本物の愛情はアスファルトの下にしか存在しないかもしれないが、全体を塞がれていて出られない。
プラザの噴水の虚偽は世界全体がそうだったから気づけなかったのか。
夢を見ているのでは無いことは知っているが、マトリックスは共感できる。
明るくて楽しいものは必要だが、それだけに満足することはできない。
どういう時代に生きているのかを示してくれそうなのは、東西の文学者で彼らは果てを目指しているので、民主主義と相入れることができない。
しかしこの文章もそこからの発信なので、説得力は何もない。時代
感想1
強い閉塞感の中、情報だけは海のようにたくさんあり、その中で作中主体はひたすら考え続けてきたのだろうと思いました。ただスマホの先のサーバーはどこかに物理的に存在し、スマホをつつくばかりの指の他にも私には足の裏があり、それが触れるシーツがあり、ふくらはぎがあり、それが感じる痛みがあり、動き続けている体があることに、ふと立ち返る瞬間があります。この時代は、1000年後から見たらどんな時代なのでしょう。私たちは今同時代に何を共有しているのか……と考えています。
感想2
歴史家E.H.カーは、「過去の光に照らして初めて私たちは現在をよく理解することができる」と言ったが、集団の中に埋没しているとき、その集団の全体像が見えないように、現代の中で生きている私たちが、「現代」という時代を把握するのは困難なことであると思う。愛情、文化、現実感、快楽など、存在を感じつつ不確かなものばかりに囲まれる私たちである。これが過去となったとき、また新しい「現代」を生きる私たちは、はじめて当時を時代という流れのうちの一区画として認識できるのかも、というようなことを考えてみた。
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まばたきを繰り返す
今日を記録し また明日
出来事に一喜一憂し
雑貨屋を開く
それは 商いの準備
のようね
家庭の不満 仕事の理不尽
自信の喪失 恋愛観の議論
様々な出来事を「私」の断片として
無垢のオーク材で出来た棚に並べる
一ヶ月や三ヶ月に一度
私は他者に 選ばれて話す
選ばれたものを 手渡す
会う回数も語らう回数も
二十四節気よりも少ないね
と悲しむ人は私以外にいますか
秋の鹿だとバレないように
誰の目も見ずに 霞んだ山林に鳴いた
やまびこ が こだまして
誰にも届かず 雑踏に消える
宛先書かず手紙出してるね
傷つかぬ 気づかれぬ
傷つかぬが
気づかれぬ
救われないのは 私だけ秋の鹿
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
書店でおもむろに手に取った本の中に「秋の鹿」という言葉がありました。大和言葉で片想いという意訳だそうです。片方は想う、でも片方は重い。分かっているからこそ、秋の鹿は誰にも鳴けない。そんな孤独の詩です。
感想1
日常的な生活圏の言葉(と呼べばいいのかわからないですが)と、むかしから文学の中で大事にされてきたような言葉が、流れる呼吸の中で繋がっているような詩だと感じました。秋の鹿はだれかを恋うる心(恋愛なのかはわからないですが)を表しているのかなと私の中では想像していました。「選ばれて」自分を切り出して語っても、「私」はずっとさびしそうに見えました。霞んだ山林では、だれかに「私」の声はきこえても、それが「私」の声とは気づかれないのかもしれない……、でもそのときの姿が「私」にとっては自然なのかなと思いを巡らせています。
感想2
自信はないのですが、多分この人は毎日日記を書いているのかなという解釈で読んでいました。毎日の出来事を自分で記録するのは、孤独な作業と言えるのかもしれません。日記はネタ帳のように機能するときもあるのかもしれないけれど、それの全てを相手に開示することはまずないし、どんなに日常の詳細や何かに対する自分の心情を綴っても、壁打ちのように感じる瞬間もあるのかもしれないと考えました。
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たしかに週にいくどかはベランダに出ていたのだから、そのたびそのたびに見ていたはずだ。 だけど私はベランダに置かれたすべてのものへの興味をうしなっていたからそれらに機械的にみずをやることはあったとしても、なにも見てはいなかったのだろう。今日がその日であったのは、私の脳がしずかで、かわりに 私の脚がさかさかと動こうとする日であったから。私の足はベランダに向かい、私の目は私とうまくつながっていた。雨にさらされたまま堆積した枯れ葉をひろい、溶けたリトープスを鉢からぬいて ごみ袋にいれたとき、視界の端からなにか見知らぬかたちがせまってきていることに私ははじめて気づいた。 それは無数に伸びたミントだった。ベランダの隅の、さして大きくもない素焼きの鉢に、何年も前に植えたあのミントの茎がベランダの鉢と鉢をめぐるように、伸びているのだった。ミントは増殖し見たものを石に変えるおんなのあのへびの髪のようにベランダを駆けまわり、 あるいは踊っていた。
静止して見えることと踊っていることは矛盾せず両立する。ただそのような速度で、ミントは踊っているのだった。
細く長くゆらめくように伸びるミントに私は手を伸ばしていた。差し出された手に、いまさらこたえるように。ずいぶんとひさしぶりに触れたミントの枝先はローズマリーの鉢を乗りこえて伸びあがり、そこでしりしりと乾燥していた。ローズマリーは迷惑そうにむらさきの花をつけている。私はミントの茎をつかむとかるく引き、もう一方の手ににぎったはさみで根元から切り落とした。ぱち ぱち ぱ り つちんと伸びすぎた茎をつぎつぎ切ってゆく。触れるだけで、小さく丸まった茶色の葉を落とした茎も、まだあおい茎も切る。「切り戻しは植物の健康のために必要」とにんげんがいうから、植物よりはにんげんに近い私ははさみを使うけれど、しかしはたして植物はどのように命なのだろうか。鉢の中にみちと生えたミントは下のほうから若い芽を出していた。
みずみずしい、なまのにおいがする。それら
すべてを合わせひとつの命だろうか
それとも
この指に触れて落ちた
その一葉がひとつであったのか。
すくなくともここでしずかに踊っていたものはもういないのだが、それにもかかわらず私の足はむずむずとして、動きまわろうとしている。ダンスパートナー
作品にまつわる質問
制作環境や画材などについて教えてください。
制作環境: ベッド
画材: iPhone(すぐに熱くなる)感想1
巷で「ミントテロ」呼ばわりされるほどのミントの凄まじい繁殖力を思い出しました。あっという間に地面を侵食し、しなやかにたくましく伸びるあの緑が脳裏に浮かんできます。擬人化された植物たちの、無いはずの顔色や表情が、彼ら特有の匂いとともに伝わってくるようでした。いのち、たしかに、どこからどこまでが命なのでしょう。葉っぱや枝は、植物にとっての何なのかなと思いました。爪?髪の毛?それとも手足のようなもの?そんな風にしてみると、はてまた人間の命は、爪や毛の先の隅々まで入り込んでいるものなのか?と考えが広がりました。
感想2
心地よい言葉のリズムと、しんとしたベランダの雰囲気、爽やかな匂いが伝わってくるように読みました。日常をこんな風に切り取ると、当たり前に見過ごされている事象や景色に、何かしら意味があるような気がしてきます。知らない間に根を伸ばしたミントを「踊っている」と表現していることに、あなたのセンスを感じました。私もアパートの室内に観葉植物をいくつか置いているのですが、見ているようで見ていない感覚は、思わず共感してしまったところでした。
感想
死にトリサポーターからの感想は現在準備中です。(感想は希望の場合のみです)