現在21歳新卒介護士です。私は幼い頃から要領が悪く、運動も勉強も苦手でした。作業や仕事なども他の人よりも覚えるのが遅く、先生や上司に迷惑をかけてきました。馬鹿なのが自分の個性だ!なんて小学校低学年辺りの頃は思っていましたが、小学6年生ぐらになってから「自分の良いところなんて無いのでは?」と考えるようになり、次第に死にたいと感じる事が増えていきました。無能な自分への罰として、リストカットを頻繁に行っていました。小学6年生の冬、親にリストカットをしているのがバレてしまい絶望しましたが、「心配してくれるかも」とか「話を聞いてくれるかも」と少し期待をしてしまいました。ですが親からは「こんな事して、そんなに皆に心配されたいのか。」と馬鹿にされました。その時から私は人に相談しようなんて思わなくなりました。
中学生の頃に初めて首吊りを試みましたが直前で怖くなってしまい、中断してしまいました。
「来月死のう、来年死のう」と自殺を先延ばしにしてしまい、今までのうのうと生きてきてしまいました。年齢を重ねるにつれ私の無能さは顕著に現れるようになり、アルバイトの仕事が覚えられない、学校の勉強についていけない事が増えていきました。毎晩寝る前に「お前は何もできない無能だ」などの声が聞こえてきて、泣きながら寝る日が殆どでした。現在は介護士として働いています。仕事に対してはやる気もあり、精一杯仕事を覚えようとしていますがやはり上手くいかず、「教えたのにできていない。」と周りの方々から思われていることを教育担当から指摘されました。私はこの社会では周りの人に迷惑をかけ続ける存在です。死ぬべき人間だということは承知していますが、自殺をすると職場の方々や家族に迷惑がかかってしまうと思うと死ねません。生きてても死んでも人の害になる私は一体どうすれば良いのでしょうか。毎日自分が死ぬ事を祈りながら生きています。10年近く死にたいと思い続けているので今更救われたいとも思っていません。もう私は人として終わってしまった気がします。死ぬなら子供の頃のうちにした方が良かったと後悔しています。これからも私は無能を晒し続け、人に嫌われながら生きていくんだと思います。
分かりにくい文章で申し訳ございませんでした。
感想1
投稿してくれてありがとうございます。
まず、私にとっては読みやすい文章でした。
人知れず苦しさを抱えながらも精一杯働いている姿からあなたの生き方も感じられました。21年間色んな場面で生きづらさやつまずきを感じながら生きてきたんですね。悩んだり、我慢したりしながら毎日その1日を頑張られてきたのかな…そんな風に思いました。私から見ると“のうのうと生きてきてしまった“とは逆なのかも…と思えましたし、仮にのうのうだとしても、それはそれで気力を使い果たさないようにする自然な生き方のひとつだと私は思います。
小学校低学年の頃って自分のことが中心の世界なので「これでいい!」って伸び伸び生きていたのかなと思います。でも高学年になるにつれて、周りの目が気になって比べ始めるので、自意識が変わるというか…。もしかしたらあなたも成長の過程の中で自分を責める意識と周囲からの目線が混ざったりしてしんどかったのかなと私は思いました。しかも学校は毎日評価に晒されて、高学年になればなるほど求められることも多くなりますしね。そのしんどさを家族が受け止めてくれたら少し楽になるのかなと思いますが、そうではなかったんですね…追い詰められたような気持ちになったのは無理もありません。
介護のお仕事は目の前の利用者さんの介護に集中し、周囲の利用者さんに目を配り、次の行程もイメージ…と同時並行で色々と考えなければならず本当に大変な仕事だと思います。突然予定外のことも起こります…。それだけ大変な仕事を自分の能力に難しさを感じながらも精一杯働こうとしている姿勢は周囲にも伝わっていると私は思います。そして少し環境が変ると「あれ?」というくらい力が発揮される人も見てきました。
あなたが自分自身を責めて、存在価値を否定していることが私は気になります。助けてほしい時に助けてもらえなかった経験が今のあなたの土台に強く影響しているのではないでしょうか。あなたが感じる生きづらさはあなたにしかわからないけれど、こうやって文章にしてくれたり、発信してくれると私も想像することができます。私も含めてひとは誰でも時には迷惑になることもあるかもしれない。でもあなたの経験談の投稿は読んでくれているひとの役に立っていると私は思います。これからもこうやって言葉が交わせることが、私にとっても迷惑ではなく、嬉しいつながりだと感じています。色々考えているうちに感想が少し長くなってしまいました…。また良かったらお待ちしていますね。
投稿ありがとうございました。