経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きてみたい

子供の頃は親のサンドバッグ、挙げ句生きているのが図々しいと言われた。
それでも親しかいなかった、親に笑ってほしくてできることをと尽くしていた。
思い返せば、唯一愛をもらえる場所で安心したかった、愛されたかったんだと思う。

行きたくない私立の学校に行かされ挙げ句、おまえにはお金がかかると。
バイトを掛け持ちし必要な物は自分で買い、免許も車も自分で、卒業式の羽織袴も自分で借り卒業式に行った。

それからしばらくして、心がつらいと気づいたときがあった。
自分で自分を守るために1人にならなければと考え、ひとり暮らしをした。
自分がどうしたいか、好き楽しい嬉しいを大事にしながら生きてみたかった。

嬉しい、嫌、食べたい食べたくない、行きたい行きたくない、すら選べなかった自分、NOと言うことを許されなかった自分が
家を出てひとりで生きてもなお、権利を主張することは許されず、親の都合を押し付けられれば断ることができなかったのは、断っても断ってもイエスと言うまで言い続ける親の、業のせい。
結婚式すら親が古着やで買ってきたドレスを着させられた。

下のきょうだいの学校のお金が足りないから貸してと親に言われた時は困ってるならと貸した。
義理親の世話、看護、介護をひとりで、真面目に逃げずに頑張っても、誰も支えてくれる人はいなかった。

だけど、この年齢まできて、やっと、身体の不調を理由に、あるいは嘘で断り、自分を守ることができるようになった。
自分を守るためには嘘をついてもいいんだ、それしかないとわかった。
そして、どうせ言っても無駄、めんどくさいから少しの時間は合わせて時間が過ぎるのを待てば済む、そうすることで守ってきた自分の
本当の気持ちを言うことを頑張っているここ数年。
心に溜まった気持ちを言葉にする、吐き出すと涙がでるけどリハビリと思い頑張っている。

いまだ自分が安心したり心から笑えないのは、夫もそちら側の人間だったということ。
夫の意向は通すけど私の意向は否定、嫌な気持ちにさせられると咄嗟にフリーズしてしまうけど、後で伝えることを頑張ると、後から蒸し返す、なんでそのとき言わないの、気にしすぎだよ、と、こちらを悪者に仕立てる。

こんなに苦しく必死に生きてきて、いまだ自分が悪者にされる…このまま月日が流れるだけなら、ずっと死んでるのと同じ。
理解も思いやりも寄り添いもない相手は伴侶ではないから離婚したいと何度も言う、すると急に粘着される。食べ物を与えてくる。
自分を省みない人間たちには搾取できる相手が都合がいいのでしょう。

ここではないどこかで、穏やかに、自分を守って、優しい世界で生きてみたいと夢見るけど、夫は家と学費のローンの支払いが厳しいと生活費を入れられないそうで、自分のわずかな収入で生活をし貯金もない自分に何ができるのかも、わからない。

感想1

あなたの心の叫びがつまった声明文、確かに受け取りました。
「自分」でいる事を許されず、望む姿でしかあなたを肯定しない、もしくは肯定すらしないととれるような環境…。選択するという選択肢さえも奪われているように感じとれる日々たち…。文章から、あなたなりにそんな状況下でも必死に歩んできたことがとても伝わってきました。

まずは子ども時代について。子どもの頃から、親の顔をうかがわざるを得ず、年上だからと下の兄弟を優先し、結婚しても親は変わらず、義理の親の世話や看護など、自分をすり減らしながら、多くのしわ寄せに対処してきていたことが伝わってきました。そのしわ寄せを対処することでさえ、尋常にないエネルギーと諦めを与儀なくされただろうに、「誰もその事実に気づこう、わかろうとしない」、「労いもない」状況が、苦しさを倍増させているような気がしました。私ならせめてわかってほしいし、感謝もしてほしいと思ってしまったので、あなた自身もせめてそこだけでも周りがしてくれていたら、まだ違ったのかなと思ったところです…。そして個人的に「結婚式すら親が古着屋で買ってきたドレスを着させられた」という部分は特に、「こんなに頑張ってきて、こんなに大事な時にまで、これかい…。せめて、その時くらいは本人の希望に基づいて対応してほしかった…。」と勝手ながら、悔しい気持ちになりました…。

そして今。親さんに加えて、夫さんまでも…。思い悩み、過去の出来事から、あなたなりに変わろうと奮闘する様子がとても伝わってきました。個人的に苦しいなと思ったのは、夫さんの対応で、とても気になりました…。今まで嘘をつくのも、自分の思いを言うのも、許されなかったがために、自然とそれらをしないように癖づけられていたとしたら、自分を守る、自分の気持ちを人に伝えることはとてもとてもエネルギーのいる事のような気が私はしています。それなのに、勇気をふり絞って発言すると、「なんでそのとき言わないの、気にしすぎだよ」という言葉…。頑張って飛ぼうとしてるのに、それを撃ち落される感覚…。私だったら、「身近にいる人だし、子ども時代も苦しかったからこそ、わかってほしいのに…」と思ってしまうので、そういう近しい人だからこそ、理解が得られないのは苦しいかもしれないと思いました。そして、離婚も認めさせてくれないことも気になりました。本来、パートナーと、離れる選択肢もあるはずなのに、またその選択をも妨害…。個人的にどうしてもという時は、無料の法的な相談窓口で話してみると少しは具体的に話をすすめられて、あなたの助けにもなるのかなと少し思いましが、それも大きなアクションだったりもするので、その想いまでにいかなければこういう場所でせめてあなたの気持ちの吐き出しができたらなと感じました。

まとめると、私はあなたの声明文を受けて「仕方なく自分という存在を押し殺して、心にポっと出る『本当はこうしたいけど…』という気持ちを、なかったように踏みつぶし、諦めることが常だったのかもしれない。そうだとしたら、逃げ出したい、自分を大切にして生きたい、愛されたい、大事にされたいと思うのも当然なのかもしれない…。今すぐ環境を変えることも難しい可能性もあるし、そこにも苦しさがあるのかもしれないけれど、自分を尊重したいと思うあなたを応援したい…!」と心から思いました。

改めてあなたの心の叫びを届けてくれてありがとうございました。

感想2

静かに深いところから湧き出てくる気持ちが伝わってくるような文章でした。達観の静けさの中に強い意思が宿っているような重みを感じています。長い間、自分の意思表示、選択、決定がなく、周囲から決められたことを押し付けられてきたことが、あなたの力を奪うのではなく、むしろあなたの中の存在感やあなたの意思を強いものにするような経験だったようにも見えました。あなたが書いてくれた、自分の気持ちを言葉にすることがリハビリという表現がそれを象徴的に物語っているように感じました。
これまで、私はどちらかというと誰かに自分の意思を伝えられること、表明できることが自己主張だとか自己決定の行動だと思ってきた節があるのですが、あなたの経験談を読んで、主張せずとも、じっと自分の中に蓄えて、自分の意思を捨てずいることもまた自己決定の表現の一つなのだと気づかされました。
あなたが自分の置かれている状況をとても客観的に捉えているのも印象的でした。今なお、身近なところに自分を搾取してくる人がいることを自覚し、この先もどうなるかわからないと書いているのですが、悲壮感や絶望ではなく、タイトルの「生きてみたい」に表れているように、チャンスをじっと待っているような気配がしました。「生きてみたい」というのはおそらく搾取してくる人から離れて、自分の気持ちを優先して、自分のやりたいことを選択して生きるイメージなのかもしれません。ただ、これまでも今も私にはあなたが生きているように思えました。そして、この先に生きている姿も想像できます。今回こうして書いてくれたように、自分の気持ちをこれまでも何かしらの形で思い返して、言い聞かせてきたのだろうと思いますが、これからも変わらずにあなたが確かに感じること考えることを言葉にして伝えていくことを陰ながら応援しています。
死にトリが何かの役に立つのなら、またいつでも訪れてください。

お返事1

この度は、ありがとうございました。
丁寧で強くあたたかい寄り添いと言葉をありがとうございました。
わかろうとしてくれる、寄り添ってくれる気持ちと言葉で、自分を肯定できるような勇気が出るような…心を掬い上げてもらえたようで涙がでました。

私の時折の自由選択や行動、いたしかたない選択には、睨みながら鬼のような形相の親や夫に苦しみ、無料相談も何度か利用したことがあります。
「そういう人達には関わらないでいい。自分の自由に楽しいことして過ごしていい。」というアドバイスは、それが出来ない私の救いにはなりませんでした。

いまだに…いまだに!着ているもの、持ち物ですら親にケチをつけられる。
私が生きているのが図々しいということなので、親の前では、黒い服を着、薄化粧、不幸話をし、一層不幸を演じ続ける。
なんと…それで、親の自尊心(不幸な娘に世話をやく?)が満たされるよう。
私が幸せでいる、明るい色の服を着る、元気になりたくて頬にチークを入れる、は、親に妬まれ攻撃される。

そんな私は、こういう親だったらよかったなぁと思う親になると決め、自分の子供には人生の選択、自由意思、幸せで、いつも笑顔でいてほしいと願い、時に伝え方に失敗しながらも、どうにかこうにか小さい任務をひとつひとうこなして。

自分が生きてていい、生きなくてはいけない、子供を守らなくてはいけない、そういう大義、理由が、いままでを支えてくれていたけど
子供も独立しようとしていて、このさきは自分のために生きなくてはいけない、自分を守らなくてはいけない、そういう大義、理由で自分を支える。

私の周りの邪鬼や無礼者、わがままで自己中な生き物たちから離れることが第一希望だけれど、それには経済的なことであるとか足りない力がたくさんあって
いまできることは、反論、意見を【すぐ言う、いま言う、言えなかったときは翌日には必ず言う】【怒っていい、泣いていい、そんな自分を責めないでいい】と決め、放出することを実験中。

勤め先の、人権を侵害するような言動を平気でしてくる頭のおかしい輩には、言い返すと決め、言い返せた。辞めた。

私には、もう、我慢したり、感じないふりしてやり過ごしたりしている時間はない。
有限の人生の時間に、少しでも幸せに、笑って過ごせるよう自分で自分を守ると決めました。

ただ心を吐き出したような行き場のない話を読んでくださり、正面から向き合って考えてくださり、寄り添ってくださり、言葉にできなかった思いや考えを具体的に示してくださり、気づきと力をいただきました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

行き場がある、わかろうとしてくれる、寄り添ってくれる人がいることは優しくて、こんなにあたたかいんだと知りました。
自分を肯定できて生きる気持ちがわいてきます。 

本当に本当にありがとうございました。

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