経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

お金がないのに稼がせてもらえない

17歳で統合失調症、26歳で下肢障害者になりました。コロナ渦でリモートワークが普及するまで働き口もなく、昨年の末に悩んだ末フルリモート可能なA型就労所で働いています。でも、A型やB型の就労所って、精神疾患を抱えている方達も多いはずですよね?なのに、職員さんの一人が言い方がキツくて傷付くし、時々馬鹿にされている気もして辛いです。他の複数の利用者さんも似たような事を訴えているようですが、何故か「そういう人だと思って働いて」と言われます。何故あの職員さんは自分が障害を抱える人達とやっていけると思ったのか甚だ疑問です。

これが『時給が高くて勤務時間もそれなりにあって福利厚生がしっかりしている』のであれば、まだ頑張ってみようという気持ちにもなりますが、時給は950円にも満たない上、一日に四時間しか働かせてもらえず、更には副業も禁止とされているのでなおさら働く意味を見出せずにいます。副業を禁止する理由が「一般企業で働けない人のための施設だから」というのは分かりますが、私は個人の趣味で楽しんでいるクリエイティブな活動で収入を得ることも禁止されました。おかしくないですか?どうして働くために趣味をひとつ奪われなくてはいけないのでしょうか。

更に、ずっと完済出来ていない奨学金の存在によって、その少ないお給料の大半が貯金に回っており、「返さなきゃ、お金を貯めなきゃ」という半ば強迫観念に近いものを自分に対して持ってしまいます。返済免除の申し込みをする度に何かと理由をつけられ断られてきたので、どうせ免除してもらえないのであれば完済したいという気持ちが強く、その反面全く娯楽にお金が裂けず苦しいです。

どうして人間は何をしても税金を取られるのでしょうか。生きていても、死んでもお金が取られるこの世の中にどうして自分は生まれてしまったのでしょうか。他にも辛い事はたくさんありますが、仕事の悩みから来るあらゆるストレスで潰れてしまいそうです。健常者だったらもっと選択肢があったはずなのに。

感想1

“障がいがあってもなくても誰もが自由な選択肢が保障されている…そんな社会を目指して”という目標やテーマを身近でも耳にすることがありますが、あなたの経験談はその理念と現実のギャップをはっきりと表していると思いました。あなたが感じている、“甚だ疑問“は「そりゃそうだよ!」って私は思いましたし、大事な違和感だと私は思います。何よりも本人ではない誰かに選択肢を狭められたり、意思を曲げられたり、一方的に決められることは私も我慢できません。誰かの権利を奪ったり、無いものとするのも違うと思います。
職場のことで言えば、相談をした時に「そういうものだと思って」と思考停止するのではなく、一緒にどうしたらいいか考えて欲しかったのではないでしょうか。
私がもうひとつ気になったのは、ほぼ奨学金返済のためだけに働いていることです。(日本の奨学金制度に対しても本当に何とかならないかと思います…)
きっと働いたお金は、生活費に使ったり趣味を楽しんだり、先のことに対して使いたいのかなって思いますが、何のために働いているんだろう・・・って今そしてこれから先も見えなくて苦しくなりそうです。
ただ、経験談からは、あなたが持っているエネルギーみたいなものを感じました。たくさんのストレスを抱えて潰れそうになりながらも、はっきりと意志や意見を持って生きているあなたのことを心強く感じて、感想を書きながら応援したくなりました。
投稿ありがとうございました。

感想2

就労支援や福祉は何のためにあるのか、その在り方を考えさせられました。私も障がい福祉の事業に関わっているので、あなたが書いてくれた「おかしい」と思うことは本当にその通りだと感じました。何のための福祉なのか、支援なのか、最後に書いてくれた「健常者だったら」と思ってしまうのも無理はないと思いました。ただ、一方で健常者であっても、理不尽な労働現場があり、搾取もある現実もたくさんみてきているので、「健常者だったら、もっと選択肢がありますよ」とも言えない複雑な気持ちです。奨学金のこともそうですが、そもそものところで、一人ひとりの暮らしを守るような社会ではなく、個人に降りかかる困難は自己責任にしがちで、いろいろな状況にある人たちがお互いに支えあう基盤がないことが大きな問題なのではないかと思っています。
そのような社会の基盤があるから、障がいがあることによってより不利益をこうむったり、支援という名のもとに「支援を受ける側」として支援者の指示に従うことや集団におとなしく適応することを強いられることもあると私は思っています。そして、そうした構造をあなたは見事に感じ取っているのだなぁと思い、その感性の真っ当さや自分の願いを大切にして生きたい気持ちの存在に触れています。そして、今回書いてくれたようなことを書いて届けてくれたこと、共有できたことをありがたく思います。あなたの意見や思いは真っ当だと思いますので、そうした意見を受け止めてくれる人につながってもらいたいと願っています。
この4月から障がい福祉において意思決定支援を大切にすることが求められるようになりました。あなたの発信に励まされて、意見を伝えることの大切さが広がっていくことを願いながら、私も自分の身近なところからそうした当事者の意見を後押ししたいと思いました。

お返事1

お返事を下さりありがとうございます。
この話を書いた時は極限まで追い込まれていて、今思い出そうとしても具体的に何を書いたのか思い出すことが出来ません。
ですが、『ほぼ奨学金返済のためだけに働いている』という状況は本当にその通りで、実際にA型就労所で得たお給料は8万円中7万円を貯金に回しており、残りの1万円も使わなければ貯金、年金も余裕があった場合は貯金と、一括返還を目指すお金を貯めることで頭がいっぱいです。
健常者の方達にとっても大変な仕事があるのは私も知っています。まだ歩けていた頃に働いていた場所で無給で働かされた事もあったので…ですが、身体的ハンデを抱えた人達の場合、そもそも職を選ぶ段階から極めて選択肢が限られていて、合わなくても次が見つかる保証がないからと働き続ける道を選ぶしかないことは大きな問題なのではないかと思います。
大分持ち直したので、少なくともこの返信をしている今の私は「死にたい」とは思っていません。ですが、「生きるのが辛くて息苦しい」とは感じています。

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