私が死にたいのは、命を守ることに疲れたからです。それとかなり変わった部分があるからです。
小さい頃、私は「できる子」だったようです。実際幼稚園で小学校高学年の漢字が読めたり英会話教室でアルファベットの覚えが早かったり、何かと親に褒められていた記憶があります。ですが幼稚園は地獄でした。着たくもない園服を着せられ、冷め切ってぼそぼそした給食を食べさせられ、先生たちはいつも面白いくらいに機嫌が悪かったです。今なら何か法律に引っかかるような幼稚園でしたね。通園費用が安く、PTAもなかったので父兄には好評だったらしいのですが、実はお金の絡みでやらかしているのを隠していたらしいです。
子どもだった私には登園拒否する選択はできませんでした。よく大声で泣いたりしていたので、おそらく私も先生に殴られたくらいはあったんじゃないかな? クラス全員の前で一人の子がつるし上げられることもよくありましたし。
幸い私は祖父が地域の「偉い人」だったため、えこひいきという形ではありましたが割かし酷いことはされなかったです。しかし父親がよく殴ってきたり母親が父をかばい続けたりしたので、私は「相手を怒らせないこと」を基準に行動するようになっていきました。
結局何も言葉がでなくなり、幼稚園での虐待じみた経験もあってか小学校以降も家の外では話すこと、クラスで他の子と意思疎通をすることができなくなりました。喉がつまったような感覚がして、声が出ないんです。最近になって、失声の症状があるとわかりました。正直声が出ないのは好都合でした。私にはいろいろと変わったところが多すぎたからです。
なんというか、今の人生は2週目というか、いわゆる前世? らしき記憶があるんです。 幼稚園の頃に漢字が読めたとか、表向きに別の理由をつけたのですが、幼稚園の時将来の夢に「昔やっていた職業」を言ったりとか。アヤシイ話だと思われて仕方ありません。親に「人は死んだらまた生まれてくるんだよ」と言ったら気持ち悪い顔をされましたし。
けど、私の中では真実で、全然知らないはずの場所を好きだなと思ったり、食べたことのない「ひつまぶし」を食べたいと言って気味悪がられたこともありました。なので、このことは誰にも話せていませんし、大人になったらもう妄言扱いになるので。私は変なんだ、しゃべっちゃいけないんだと思うようになりました。
大学などで前世の記憶を研究されている方は大体幼い子ども(大人になったら前世って忘れてしまうらしいです。大人だと話を作れますからね)の持つ「記憶」を募集することが多く相手にされないでしょう。かといって霊能者はお金をとるばかりの印象があって近づきたくもありません。
もっとも前述の失声や親の暴力、学校での孤立やいじめもあって生きるのがいっぱいいっぱいになって、それでも「勉強しないと荒れた高校に行くことになる」と言われて頑張って進学校に入学しました。しばらく「前世」のことは忘れていましたし、友達ができてしゃべれたりもしました。それでも全然知らない土地を異様に懐かしく感じたりはありましたが。 勉強頑張って高校行ったら、今度は大学入るのに勉強することになったり、結局赤点をとって親に殴られ「おまえはできる子なんだよ。頭いいし運動だってできるんだよ」とすがるように言われたり、「高校生なんだよ!」と「お友達と外で遊んで青春を満喫すること」を期待されてしんどかったです。私は昔から疲れやすく、中学で起立性調節障害と診断されたりもしたのですが、「お外に行こうよ、家にいてばっかじゃない」とやたら無理矢理親に「おでかけ」させられました。行かないとヒステリー起こされるので、生きるために我慢していました。おかげで宿題する時間がなくなったこともあったのですが。
親は「勉強ができて運動もできてお友達もたくさんいる」娘がほしかったようなので、私が生まれてしまったのははずれくじだったんじゃないかな。
いろいろ失敗して短大に進学し、声優さんやイラストレーターに憧れても親に「普通にお勤めして。安定した長くいられる会社で」と言われ従おうとしましたが精神を病んでしまい、全部だめになってしまいました。むかつくのでたくさん腕をきりました。親はなにも反応しなかったです。
結局前世の記憶があり何もできなくなった私は、短大をやめてひとりぼっちになり、その後いろいろあってずっとひとりぼっちでいます。好きなひとができてもわざと自分から嫌われて、その後寂しさとか全部こらえてます。
そもそもこの世界って、とってもいきにくいです。人と人が出会えば殴り合って戦争して。人を利用したりだましたり、私は女なので30歳こえたらもう終わりかなと思っています。30すぎると途端に世の中から大人らしくとか家庭を持てとか欲求されますし、私は全部諦めています。めんどうだし、人間という生き物が信用できません。前世のこと話せないのも苦しいですが、愛を感じられない世界や暴力に満ちた日常に失望しました。
母親には近所のコンビニに行くのにも許可が必要ですし、何を買ったのか聞かれることも多いです。私は働いていませんし、怒らせて面倒にしたくないので従っています。ぜんぶ、ぜんぶ面倒です。命を守っていれば、幸せになれるとしんじてました。実際優しいひともいましたが、母がうるさいので外出が難しい。結局私がヒステリーを起こして嫌われてしまう。 愛がほしかったです。安全がほしかったです。前世とか、知らないほうがしあわせだったのかな。どうせ人は、いつかは死ぬのに、わざわざ戦争するんだろう、いじめとか差別とか、価値観の押しつけとかするんだろう。
眠ってる間に消えればいいのにと思ってしまいます。
感想1
「愛を感じられない世界や暴力に満ちた日常に失望」させるような世界をつくってしまって申し訳ありません。同時に、私はその失望に共感しました。
愛ってどうすれば分かち合えるのでしょうか。どうしたら安全に暮らせる世界になるのでしょうか。戦争は繰り返され、いじめ・差別、価値観の押し付けなどは身近に溢れているので、他人事とは思えません。切実に何とかしたいと悩んでいます。
母親に理想像を押し付けられて精神的にも物理的にも拘束され、自分として存在すること、生きることは認められなかったのだと思います。そのなかで何とか命を守ってこられて、この経験談を通して繋がってくださったことに敬意と感謝を抱いています。
存在を否定されて苦しんでこられたから、この世界の暴力がよりよく見えるようになったのではないか、とも思いました。私は、こんな世界のままでは誰も幸せになれるとは思わないし、世界を変えたいと思っています。世界を変えるためには、この経験談のように、世界は暴力に満ちて、愛が失われていることへの警鐘を発信してくださることがとても重要だと考えています。
また、前世らしき記憶があるというお話も興味を持ちました。この社会では、一般論から外れることは言ってはいけない雰囲気があると思います。しかし、少数派の人の話を聞かなければ社会は進歩しないし、生きづらさを抱え続けるだけだと思います。学問的な研究はなかなか難しいのかもしれませんが、機会があればもっとお聞きしてみたいです。
どのように生きるかは、個人の自由であるはずなので、社会が押し付けてくる価値観に流されず、あなたらしく人生を歩んでもらいたいと思いますし、そのために死にトリで協力できることがあるなら教えてください。