経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

愛したい愛せない、鮮やかに消えたい

私は静岡県に住む30代の会社員で、普段は自閉スペクトラム障害を抱えながら生活をしているのと、今は昨年の春から二次障害で患っている適応障害の症状が酷くなり休職をしています。

昔から仕事であろうと勉強であろうと、どんな事を真剣に取り組んでも人から面白がられ馬鹿にされてばかり。

それは場所を問わず、いくつになっても辛い。

また周りと比べ、家庭と社会においても人付き合いが長続きしなかったり、気持ちが上手く伝わらなかったり、何の障害も抱えず生きている人達を見ていると劣等感を感じ生き辛い。

最近も、私の事を傍で心配して下さった上司に頼り過ぎたあまりか心労に追い込んでしまい、そこで私は改めて人を愛したいが愛せない存在なんだと悟ってしまった。

その生き辛さの穴を埋めたり、満たしていきたい為なのか時に衝動的になり、今となっては少し己の弱さを自覚している部分はありますが、衝動買いやゲームの課金をしてお金の無駄遣いをしたり、スピリチュアルにハマって自己啓発のセミナーに参加したり、カウンセリングを受けたり(どっぷりハマっていた頃が異常でした)時には生きるのが辛くなると自傷行為やオーバードーズに走る事も。

その結果、今までのお金の無駄遣いと度重なる休職で収入の減少が祟ったのはもちろんの事、気が付けば生活は火の車。クレジットやローンの支払いが間に合わず、金銭面では債務整理を検討せざる得ない羽目に。

できる事なら、ひっそりと鮮やかに消えたい…と思う今日この頃であります。

感想1

今の素直な気持ちとこれまで感じてきたことが書かれていて、“好きでこうなったわけではないのに”という思いも抱きながら過ごされてきたのかなと想像しながら読んでいました。何事も真剣に取り組んでも馬鹿にされてしまうことや人間関係の上手くいかなさから、ここには表現しきれないくらい、虚しさや悔しさを飲み込んできたのではないかなと感じます。そのような中で、自分を気にかけてくれる人の存在は投稿者さんにとって大切にしたいと思う一方で人との距離感であるとか相手のキャパを量ったり考えたりという経験の少なさやそもそも学べる(誰かが指摘してくれたり教えてくれる)機会が少なかったのかもしれないなと想像していました。そのことから投稿者さんは「愛したいのに“愛せない”」なのではなく「愛したいのに“愛し方が分からない”」だけなのではないかなと私は思いました。抱えている生きづらさによって、今は金銭面で苦しくなっている状況のようですが自分の弱さを自覚されたり、内省的に考えることのできる方なのだろうなと私は感じたので、生きづらさについて話したくなったり状況や気持ちを整理したいなと思った時はいつでも死にトリに参加してほしいなと感じます。また、タイトルと最後に書かれている“鮮やかに”消えたいという言葉が印象的で、投稿者さんにとっての“鮮やか”にはどういった意味合いが込められているのか機会があればまた教えてほしいですし、どうすれば投稿者さんの抱いている生きづらさが少しでも生きやすい方向に傾くのかなど一緒に考えてみたいなと私は思いました。経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

読ませていただきました。上手く(ちゃんと、自分が思ったように)やりたいのに、どうしても上手くいかない、そんな感覚をずっと抱えてきたのかなと想像しました。ふざけているわけじゃないし、サボろうとしているわけではないのに、他の人に比べてなぜか足りない結果になってしまう、そんな劣等感の積み重ねだったのかな…と。一方で、そういった掴み切れない劣等感ややるせなさに対し、課金や自傷、物事への没頭は、とても「わかりやすい」感覚・実感を得られる行為なのではないでしょうか。
人から馬鹿にされるのはいつだって辛いですが、その上で、自分でも自分を擁護しきれない感覚があるのだとしたら、ますます辛く、消えてしまいたくなるのも無理はないように思いました(本当は、みんな凸凹しているはずだし、失敗だってしているはずなのですが…自分だけ例外的にアウト、みたいな感覚になることが、私はよくあります)。
その感覚は簡単には拭えないものと思いますが(私も含め)、自分の感覚を自分の言葉で表現することに何か意味を感じるところであれば、また死にトリにいらしてください。投稿ありがとうございました。

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