子供の頃、とある番組のコントでプロレスラーに扮した芸人さんが歌っていた一節。
何をやっても中途半端で20代前半で夢だと思ってやってきたバンド活動が本当に仕事になるのか?を考えた時に自分の覚悟や戦略の無さに気づいて挫折しました。
それでも音楽に関係することしか自分にはできないと思い込んで楽器屋にバイトで入社。
何とか社員になるも毎月のノルマに上司や先輩からのパワハラに耐えきれず1度目の鬱に。
様子が変だと気づいてくれた上司の上の上司が静かな店舗へ異動させてくれ、症状が良くなると他にできることってないかな?と動くきっかけを作ることができて退職。
そこから動くきっかけとなった活動を仕事にするべく知り合いの伝手で入った会社で数年働きコロナショックと2回目の鬱。
その時に発達障害(ADHD)が発覚しました。
両親はその事実が信じられないのか、そんなことは無いと言葉をかけてくれますが当の本人が悩んでいることはみんなそんなもんだで流されてしまいます。
コロナも落ち着いて少しずつ知り合いの伝手で仕事をしていき、ADHDの薬を飲みながら生まれ持った癖と上手く付き合っているつもりですが、どこかで歪みは生じるもので買い物依存になり借金を作ってしまいました。
幸い周りの人には恵まれている方なので仕事には困りませんが一度出てしまった依存から抜け出すのはとても辛く、クレジットカードを焦げ付かせてしまったり返済が遅れたりで、両親や友人に迷惑をかけてしまっています。
周りの手助けで返済の目処は立ちましたが、その後はどうするんだろう?
30代半ば独身、恋人もおらず周りは結婚して親になっていきます。
自分自身に結婚願望はなく、また子を作るとするとADHDを引き継いで生きづらい人生を歩ませてしまうだろうと考えると、子を欲しがらない女性を探すと言うのはとても難しく、恋人はつくらず結婚もせずこのまま1人で生きていていくのが良いのかなと思っています。
親よりは先に死ねないなと考えると今すぐ死にたいわけでは無いですが、このままダラダラと生き続けていたくも無い。
死ぬ勇気は無いが誰にも迷惑をかけずいっそ消えてしまいたい。
生きてるって何だろ?生きてるってなあに?
子供の頃はゲラゲラ笑っていたこの一節が、大人になるとこんなにも重く感じるのかと思う今日この頃です。
感想1
子どもの頃は漠然としていた生きるということも、大人になって自分の足で暮らしていくなかで、より細分化され、日常に落としこまれ、一つ一つが現実的で重たく感じてしまったのかなあと想像しています。その暮らしのなかで感じる少しずつ蓄積された不自由さ・生きづらさが、終盤の「親より先に死ねないと考えると~いっそ消えてしまいたい」という文章に表れていると感じていました。
買い物依存症になってしまったことを、歪みと表現していたのが印象的でした。周りから助けられたり、服薬して発達障害と付き合っていったりするなかでも、ご自身のなかにある苦しさが時折表面に浮き上がってくる時があるのかなと想像していました。
ご両親の言葉が、ご自身の苦しさを封じたり否定する呪文になっていないかなとも気になりました。「みんなそんなもんだ」という言葉は、「特別なことじゃない・仲間がいるから安心して」といった意図でだったのかもしれませんが、言われた側は「みんなは平気で乗り越えられることを自分はできない」「辛いと感じるのはおかしい」と、辛いと感じることさえ封じられたり否定された気持ちになるのではないかなとイメージしていました。
現在が積み重なって将来への不安をつくりあげているなかで、歪みを持ちながらも続いていく暮らしのなかで、書くという行為も買い物と別の吐き出し先になれたら良いなと思いました。
経験談を書いてくれてありがとうございました。