経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分が分からなくて、どうしようもなくて。

今思えば私は幼い頃から人の顔色を見て行動するタイプでした。原因はおそらく母と祖母です。
今は一人暮らしですが、社会人になる前は両親、祖父母、兄と暮らしいていました。母と祖母は親子なのですが、物心ついたころには関係性が悪くお互いに無視したりしていました。母からは祖母へ対する愚痴を聞かされ、祖母からは母、父への愚痴を聞かせれ、更に兄が思春期に入ってからは一緒に食事をしなくなったことから、兄に対する愚痴まで聞かされるようになりました。
父も祖父も見て見ぬふり状態で私は自分が我慢して愚痴を聞いていればいいんだと思う事にしました。
しかし、成長するにつれてなぜ自分が我慢しなければならないのか?と思うようになりました。高校時代は部活で忙しいなかで駅まで迎えにきてもらう車の中で母が何を話してくるのか怖かったです。部活でうまくいかないことが続きメソメソしてる私が気に入らなかったのか、酷く傷つける言葉を言われたこともありました。
専門学校に入学し、卒業したら絶対に家を出ると決め必死に勉強しました。学生の間も母と祖母の関係は変わりなく板挟みの状態が続きました。行動範囲や関わる人が多くなったこともあり、自分が理不尽に思えてなりませんでした。仲良く家族で食事をする話を人から聞いたときに驚きました。私にとって食事の時間は静かで箸と茶碗の当たる音がする時間でしかなかったからです。苦痛でした。
専門学校を卒業して、無事に一人暮らしをするようになりました。就職先で頑張ろうと張り切って頑張りましたが、うまくいきません。こんなこともできないのか、先輩が入ったころはもっと大変だったんだ。など、いわれどんどん自信をなくしていきました。眠れなくなり、食べまくり…相当めちゃくちゃな生活だったと思います。
何度かの転職で本当にどうしようもなくなり、精神科にかかるようになりました。上司に何を言われるだろう、自分はしっかり働けていないのではないか、またできていないことを指摘され叱られる。声が震えて喋ることができないのを許してもらえず、前向きな事を言うまで帰らせてもらえませんでした。
退職し、今はアルバイト生活になり約1年です。正社員でない、責任がないことで少しは楽に暮らしています。このままではいけないと分かっているのですが、前へ進めません。
友達は結婚や出産と忙しいながらも幸せそうに暮らしています。なんて自分はダメなんだと思ってしまいます。
精神科への通院も続けて、障害者手帳も取得しました。そんな事は誰にも言えません。良くなる気はないのか?と聞かれそうで怖いのです。この辛く、苦しい状態が良くなるとは何なのか分からなくなってきました。自分がどうしたいのか、どうなりたいのか(どうなりたかったのか)分かりません。
家族とは距離を置いています。でも、辛いんです。頭が回らなくなって、胸が苦しくなって、鼓動が早くなって、悲しくなって、虚しくなって、どうでもよくなっての繰り返し。人生が楽しいなんて思ったことがありません。ずっとずっと暗い洞窟の中にいるような感覚です。
私に幸せな未来はあるのでしょうか?教えてください。

感想1

投稿をありがとうございます。
あなたが家族によってある種の支配をされ、力を奪われ続けてきたのかなと感じました。母や祖母から愚痴を聞かされること。そしてその状況を父と祖父に無視されたこと(守られなかったこと)は、あなたを追い詰め、傷つけ、孤立させていったのではないだろうかと想像します。
そのような家庭環境で過ごしながら、あなたが「なぜ自分が我慢しなければならないのか?」と気づいたことや「理不尽」と思えたことは率直にすごいなと思いました。同時に、それによって生まれた怒りをあなたはひとりで背負い続けてきたのではないかと想像し、そうだとするとそれもまた大変だったのではないだろうかとも思っています。

あなたは今、自分がどうしたいのか等が「わからない」と書いていますが、上記のような状況に立たされてきたらそうなるのもおかしくないよな…と感じます。ただ、仕事で自信を無くした際にあなたが取った行動からは、皮肉なことに、あなたが誰かに「愚痴を言う」ことができなくなっているように見えました。それがあなたの「わからない」や「暗い洞窟の中」にいる感覚に寄与しているようにも思えたのですが、どうでしょうか。あなたが「家族と距離を置いていても辛い」といった状況にあるのは、もしかしたらあなたと「愚痴」との関係に何かヒントがあるのかも…などとも勝手ながら想像しています。あなたの母があなたの「メソメソ」に対して酷い言葉を浴びせた経験も、あなたから弱音や「愚痴」を吐く力を奪ったのかもしれないと私は感じています。あなたが弱音や「愚痴」を安心して言える場があれば、そもそも社会にもっとそういう場があれば何か違うだろうか…と考えさせられています。

少し私の家族の話に触れさせていただきます。私の家族はあなたほどではありませんが、うまく機能しない家族でした。そのため、私の兄弟姉妹はあなたのように「仲良く家族で食事をする話」を聞いて「驚き」、うらやましいとよく言います。「ガチャ」とよく言いますが、うらやましいと聴く度に理不尽さを感じる私がいます。
この社会では「家族」=「温かくてよいもの」で、それが「ふつう」とされており、「家族」を悪く言うことはタブーとされているように思います。それは「社会による支配(呪い)」ではないかと私は考えています。冒頭で「家族による支配」の話をしましたが「家族による支配」は「社会による支配」と密接に関係していると思っています。あなたが「アルバイト」をしていることを「このままではいけない」と書いているところは、あなたが「愚痴を言わない強い人にならないといけない」と「家族」から「社会」から思わされていないだろうかと少し気になっています。「支配(呪い)」は中にいる人には気づけないもののため、もしよければあなたと一緒に家族や社会について、そしてあなたの言う「幸せな未来」について考えることができたらと思いました。安心して「愚痴」を言いながら。もしよければ今後も死にトリに参加していただけたら幸いです。投稿をありがとうございました。

感想2

自分のことをよく分析し、把握している側面と、この先どうしたらよいか分からない閉塞感の両方を感じる文章でした。今、将来が見えず、絶望的な気持ちなのだろうと思いますが、私は読んで、これからあなたの人生が始まるのではないかという気持ちを抱きました。理由は、子どもの頃から今まで、あなたが尊重されるような環境ではなく、逆に抑圧や搾取されるような状況が続き、今はそこから距離を置いて、自立のための土台作りを始めることができるのではないかと思ったからです。それは遠回りのように思うでしょうし、この状態で今さら何を…と思うのかもしれませんが、私は今からでも遅くないだろうし、何とかしたいという気持ちがこうして自分の経験や気持ちを書いて送る行動につながったのではないかと感じています。
子どもの頃のあなたは家族の緩衝材の役割を担わなければならない状況にあり、自分の希望や決定は後回しだっただろうと思います。また、その後に就職し、一人暮らしをして自立しようと思ったときには、子ども時代の心身の負担の蓄積で思うように力を発揮できなかったと思いますし、他者との関係づくりも相手に合わせることで何とかしようとして自分本位の人に搾取されてしまうことになったのだろうと感じました。
タイトルに「自分が分からない」とあります。私は分からないことを分かっていていることが第一歩だと思いましたし、どうしようもないのも無理もないことだと思います。分からないことをこうして、明言し、どうしようもないから誰か助けてもらいたいと願うことも、自分として生きていきたいという気持ちの表れだと感じました。こうした気持ちを秘めながらも、出すことができずに自分を抑えて周囲に気遣いながらここまで生きてきたことを心から労いたいと思いました。
周囲にあなたのことを理解して支えてくれる人はいそうでしょうか?手帳も取得したとのこと。使うか使わないかはあなたの気持ちなのでどちらでもいいと思います。こうして、自分の状況を理解し、発信した自分の力を信じて、他の人の力も借りながら自分の人生を歩んでいくことができると思いました。周囲に言えそうな人がいないのなら、また死にトリに発信してください。いつでも待っています。

お返事1

感想を読んで思ったこと

日常の愚痴は言うことができるのですが、追いつめられていたり、いざ家族の事となると言えません。
「家族、社会による支配」という言葉に納得がいきました。
また、これから人生が始まる、これからの土台作りとは思いつきませんでした。
そう思えるようになればいいな…

気持ちが落ちているときは、人に話しても仕方がないと思ってしまいがちです。でも今回、この場に投稿をして自分の思いに感想をもらえたことがとても嬉しかったです。ありがとうございました!

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