経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

早くどうにかなりたい

読んでくださってありがとうございます。「死にたい」で検索していたら偶然つらチェックにたどり着いて、経験談を寄せてみようと思って投稿することにしました。書こうとすると具体的な話ばかりになってしまいます。申し訳ないです。

 物心ついたころから、ずっと死にたさやそれに似た気持ちがある。どうして自分が死にたいと感じているのか、そういえばよく考えたことがなかった。

 母と父がいる。共働きだ。物理的な暴力に達したことはあまりないのだが、ほとんど毎日喧嘩していた。朝起きて仕事にいくまでに、帰ってきてから寝るまでに。ずっと言い争いをしていた。怒っている父と泣いている母を見るのがとにかくいやだった。火種はいろいろだが、学校から遠い場所に住んでいる自分の送り迎えについて、ご飯をどうするのかということが話題になった時、特にいやだと感じた。この人たちが怒ったり悲しんだりしているのは全部自分のせいだから、自分はいない方がいいんだとそのつど思っていた。自分の部屋を持っておらず常に居間で過ごすしかなかったので、自分だけの空間に逃げこむという選択ができなかった。
 母は仕事が休みの日、ずっと布団で横になっていた。そうして寝てばかりいること、家の片付けや家事をやらないことを、昼ごろになると父が枕元にきてねちねちと指摘していた。疲れている人になぜ怒るのかが理解できなかった。そのおかげか、怒っている人が苦手になった。父は普段の会話の中でも、いろんな属性を差別的に扱っては笑いにする人だった。父は妙に理屈じみていて、なにか返しても言葉でねじ伏せられるしかないから、笑って話を合わせるしかない自分がずっといやだった。実際殴らないでいてくれるだけありがたいと思っていた。
 母はよく、おかあさん死んじゃうかもしれないと自分にこぼしていた。死なないでほしいとは言えなかった。仕事で忙しいことは知っていたし、家で毎日存在を否定されていて、なにより自分がいる。死にたくなるのも当たり前だろうと思っていた。母は祖母とも喧嘩をしていて、頻繁に家出していた。数時間もすれば帰ってきてくれたけど、死にたさを打ち明けられることと合わせて、母がいなくなることが本当に怖かった。
 両親それぞれから、お前は母、もしくは父に似ていて本当にだめだなと言われたことがある。自分はあなたたちの血でできているのになあと思って泣いた。いったい誰に似たんだろう、お前はうちの子じゃない、出ていけ、産むんじゃなかったと何度も言われた。全部、そうか、とまじめに受けとることしかできなかった。

 兄から身体的な暴力をふるわれていたこともあり、家は安心していられる場所ではなかった。だから学校が好きだった。先生を親のような存在として慕うようになった。学業だけはそれなりにできたので、先生に褒めてもらえることがすごく嬉しかった。テストで満点が返ってくるたび、生きている心地がした。同級生とはコミュニケーションをうまく取ることができず、小学校の時からいじめられていた。なにかおかしいと気付いてはいたが、家族のことは信頼していないし先生の前ではできる子でいないといけないので、誰にも相談することはできなかった。いじめられることは本当にいやだったが、家にいること、大好きな先生に会えないことはもっといやだったので、学校を休むことはなかった。皆勤賞をもらった。
 それでも一度だけ母の前で、学校に行きたくないとつぶやいたことがあった。どうして?行かないとだめだよと言われた。それからは、家の外で起きたことを家族に一切話さなくなった。
 かろうじて友達と呼べそうな子がひとりだけいた。でも、自分が言うことを全部否定してくる人だった。しかし友達はその子しかいないので、本当にひとりぼっちになってしまうことが怖くて、違うとかいやだとか言い返せなかった。中学の途中から友達がもうひとり増えた。家によく遊びにいかせてもらっていたが、自分と家族構成はまったく同じなのに真逆のきらきらした家庭に見えて、ひどくうらやましかった。
 その頃は友達にはずっと、ここから逃げたいと言っていた。親が運転する車ではなく、子どもひとりでも乗れる電車で。家も学校も正しい居場所じゃない気がして、どこか遠いところに黙って消えてしまいたかった。

 進学校とされる高校に入った。中学までのなごやかな空気とは違った、大学進学を目指した勉強についていけなくなり、成績は右肩下がりになった。先生に認めてもらえる方法がなくなった。相変わらず同級生との人間関係はうまくいかず、部活を転々とした。クラスの子に物理的な危害を加えそうになったことをきっかけに、学内カウンセリングに通うようになった。カウンセラーさんと保健室の先生、そして事情を知っている担任だけが心の頼りだった。
 かなりの田舎だったので、中学を出るまでは、変だけど頭はいい人、頭はいいけど変な人、みたいな扱いを受けて育ってきた。高校で唯一とりえだった学業すらうまくいかなくなり、それなりに絶望はしていたものの、成績で下の方にいることでようやく「普通」になれた気がして、なぜだか嬉しい自分もいた。部活も、最終的に投げやりになって飛びこんだ場所が意外と居心地がよくて、高校時代は結局部活に打ちこむことになった。
 学年が上がるにつれ、クラス替えに耐えられなくなったり、当初予定していた大学に入れなさそうな感じになったりして、精神が不安定になった。そしてすごく複雑な事情があり、信頼していた担任がいなくなった。この頃から明らかな自傷をはじめた。「逃げたい」という言葉が、明確に「死にたい」に変わりはじめた。

 高校入学と同時に、ネットのコミュニティに顔を出すようになった。そこには、つらい事情を抱えた同じ年齢層の人たちがたくさんいた。いろんな話を聞いていくうちに、自らの家庭事情は全然ましな方なのにどうして自分はこんなに苦しんでいるのだろうと感じるようになった。実際、あなたは恵まれている方だと怒られることもあった。具体的に死ぬための方法をいろいろ調べはじめた。親元を離れて一人暮らしをはじめてから死のうという自分勝手な考えに行き着いた。

 幸い、高校の途中から志望しはじめた大学に入学させてもらうことができた。地元を離れた。親と物理的な距離を取れたことで、とてもせいせいした気持ちになった。
 引っ越したその日から不眠の症状がみられるようになった。地元と違って常に人でごったがえしている都会が、かなりのストレスらしかった。親に黙って精神科に通うようになった。世間体を気にして地元で病院に通わせてもらえなかった反動もあったし、なにより処方薬をもらえることがかなり嬉しかった。これでようやく死ねると喜んだ。
 学業で思うような成績が出ず、家事もままならず、友達にはとにかく部屋が汚いと言われつづけた。バイトも始めたが、相変わらず人間関係でつまづき、不器用すぎて仕事をうまくこなすことができなくてどれも長続きしなかった。怒られるたびに父やいじめてきた人たちのことを思い出してしまい、そんな自分を非常に情けないと思った。周りの同じ年齢の人たちはみんななんとか生活しているのに、どうして自分はこんなに何もできないのだろうとずっと思っている。
 しばらくして、人間関係で大きなトラブルを起こしてしまった。よりによって、慕っている先生との間で。明確な加害者になってしまった。そのくせ自分が本当に恐ろしくなり、いやになり、部屋にこもるようになった。他人となんらかの関わりを持つことが怖くなった。自分は父と同じで、誰かを傷付ける才能があることに気付いたので、社会に出ることを諦めようと強く思った。

 大学の活動で燃え尽きた感じになった。生活の大体が狂い、たまたま好きな人たちと会えて嬉しかったこともあり、そこに断薬による精神の異常な高揚が重なって、とうとう自殺に踏み切った。もう未練のようなものはなかった。救急車を呼ばれた。死ぬことができなかった。地元から駆けつけた親が病院に迎えにきていた。最悪だと思った。身体は死んでいないのだが、明らかにこの日からなにかおかしくなった。
 大学を休んで療養することになった。休んでいる間も何回か未遂をしたが、どれもうまくいかなかった。一度実行に移したことで死ぬことに対してのいろいろなハードルが下がってしまった。もう生きているのか死んでいるのかわからなくなっている。薬を飲むだけでは死ねないことはとうに知っているはずなのに、痛みに弱いこともあり、思い切って自分にとどめを刺せない自分が本当にいやだ。覚悟がほしい。

 新しく通うことになった病院で、発達障害だと診断された。今まで人とコミュニケーションがうまく取れなかったこと、手先が不器用なこと、いろいろと理由が判明してほっとしたところもある。でもできないことがはっきり見えてきた分、他人との違いを強く意識するようになって、すごくつらい。自分の身に起こったことも変わりはしない。
 死にたいという気持ちを抱えていることが親にバレてしまったことが、とても恥ずかしい。恥ずかしいし、父は内心こんな自分を馬鹿にしているのだろうと思うと悔しい。先述の出来事を受けてから、両親は「私たちは幸せな家庭だ」「あなたたち兄弟が生まれてきてくれてよかった」などと発言するようになった。申し訳ないが、あの家を幸せな家庭だと思ったことは一度もない。どうして生まれてきたのか自分に詰問したのと同じ口で、そういうことが言えるんだなと思った。こうして家族をいつまでも信頼できていない自分が悲しい。おなかと財布にこれほどまで痛い思いをさせているのに、自分はのうのうと、感謝もしないで生きている。感謝ができない。申し訳ない。

 現在、大学には戻ることになった。次はいつ死にたさの強い発作がくるのだろう、また同じように誰かを傷付けてしまったらどうしよう、発達と精神に障害があるけどこのまま生きていけるんだろうか、実家にはもう戻れない、戻りたくない、でも田舎にも都会にもそれぞれ息のしづらさがある、ぜんぶ自分の荷物のはずなのに抱えきれないでぶっ壊れそう、もしかしたらもう壊れているのかもしれない、壊れているか自分じゃわからないから誰かに助けてほしい。書いて気付いたが、まだ助けてほしいと思っている自分がいる。よわい。いろんなことを考えながら、まだ死ぬことができないでいる。

長々と書いてしまいました。最後まで目を通してくださった方々、本当にありがとうございます。ごめんなさい。

感想1

 経験談の投稿、ありがとうございました。母は憔悴していて、父・兄は恐怖を感じる存在と、安心して関わることが出来る人が家庭内にいなかったように私からは見えました。実際、私が幼少期に母親から「おかあさん死んじゃうかもしれない。」と言われたら、不安と恐怖でいっぱいだったと思います。しかし、あなたは「死にたくなるのも当たり前だろう。」と母に思っていたとのことで、幼少期から達観せざるを得なかったのかなと私は思いました。そして後に両親が「私たちは幸せな家庭だ。」と発言するようになったとありました。この部分を読んで、私自身も過去の経験も思い出しました。少し私の話になってしまうのですが、中高生の時期、親との関係性で心が疲弊しきっていて、今でもその時のことは忘れられません。しかし成人した後、親はその時のことを無かったことのように、大事と捉えていないように笑いながら話していました。その時、私はこんなにも忘れられないし、思い出したら辛いのにと身体に衝撃が走りました。私は、あなたが幸せな家庭だと思わないのは自然なことだと思いましたし、私のこの出来事が起きたときと、あなたが両親からその発言を受けたときの感情は、似ている部分がありそうだと思いました。
 また、経験談をすべて読ませて頂いて、あなたが必死に今日まで生き抜いてきた様子が伝わってきました。学業を頑張ってきたこと、先生達やカウンセラーを頼ってきたこと、ネットのコミュニティに顔を出してみたことなど、どうしたらいいのかわからないまま手探りで進んでこられたのかなと私は思いました。(あなたがしてきたことで、ここには書かれていないことも、まだありそうです。)しかし、上手くいかないと感じることも度々合ったように思います。それが積み重なり、今現在は「どうしたらいいかわからない、不安、どうしよう。」といった気持ちでいっぱいなんじゃないのかなと私は思いました。(タイトルも、「早くどうにかなりたい」で、最後の方にも「助けてほしい」とありました。)
 しかし私からは、あなた自身にSOSを出し、人と繋がることができる力があるようにこの経験談から思いました。あなたは、「ぜんぶ自分の荷物のはずなのに」と仰っていたけれど、私はあなた1人の荷物だとは思いません。あなたが今自分の荷物だと感じているものを、社会全体で抱えていくために、周囲を頼ることができそうな状況でしたら、頼って欲しいです。そして、もし良かったらこの死にトリも積極的に利用していってほしいなと思いました。またお待ちしていますね。

感想2

とても簡潔で、文章も読みやすく、わかりやすかったです。「死にたい」という気持ちがどのようにして形成していったのか、一つの具体的な経験としてよくわかりました。読みながら、「なるほど」と心の中で何度も頷いていました。つらチェックからの声掛けから書いてくれたとのこと、ありがとうございます。
家の中に常に存在否定(間接的なもの、直接的なものの両方)が充満していて、否定的な感情を吸い込み続けながら育つことの苦しさを強く感じました。公害で汚染された空気を吸い込み続けたり、汚染された水を飲み続けたら、誰もがわかりやすく身体を壊して問題になりますが、それと同じぐらいいやひょっとしたらそれ以上に否定で汚染された感情を吸い込み続けることは、心を壊していくものだろうと感じました。そして、残念なことに空気や水の汚れのように検査をして汚染度合いがわかるわけでもないですし、それによって壊れた心は、まるで努力不足や弱さのように思われてしまい、理解されることも少ない実情を考えると、何と理不尽なことなのだろうと思います。
また、感情の汚染が目に見えないのと同じように、あなたが大人になってから診断された発達障がいもまた見えない困難であり、周囲から誤解をされることが多いものだと感じています。自分でもうまく理解できず、自分の力ではどうすることもできない環境や特性といったものを抱えながら、何とかしてこようとした努力も痛いほど伝わってきました。一人で何とかするには大きな課題だったのだろうと思いますし、そんなときにあなたの近くに理解や支えがあったらと願う気持ちでいます。
ただ、そんな苦しみが伝わってくる一方で心強く感じたこともたくさんありました。父が母を責めるシーンで「疲れている人になぜ怒るのかが理解できなかった」という気持ち、「家も学校も正しい居場所じゃない」という感覚、そして「親と物理的な距離を取れたことで、とてもせいせいした気持ち」など、あなたが感じることはどれも素直でストレートでそうした感じ方や気持ちが明確に表現できることに存在の強さを感じています。ところが、この後には「情けない」「自分が嫌だ」「申し訳ない」など諦めや無力感、自己否定の表現が続いていくのを見て、心がギリギリまで追い詰められて、悲鳴をあげているように感じています。そして、「あの家を幸せな家庭だと思ったことは一度もない」という気持ちと家族に感謝できないことへの罪悪感で葛藤する姿にも苦しみの深さを想像しています。
そう考えると、もうこれ以上頑張れないし、楽になりたいという思いが湧き上がってくるのも当然だと思いました。でも、私には最後の方に書いてくれた「ぜんぶ自分の荷物のはずなのに抱えきれないでぶっ壊れそう、もしかしたらもう壊れているのかもしれない、壊れているか自分じゃわからないから誰かに助けてほしい」という表現が印象に残っています。
あなたの心はボロボロの状態かもしれませんが、あなという存在はまったく壊れていないと思います。あなたが自分でいようとしたから傷つき、あなたを守ってきたのだと思います。あなたが背負っている抱えきれない荷物はあなただけの物ではなく、私たちも一緒に持つのを手伝えるのではないかと思います。そう考えると死にたい気持ちを持つ人は、私たちみんなが抱えるべき重い荷物を肩代わりして持っている状態なのかもしれないと思いました。
もしよかったら、荷物を分け合ったり、軽くする方法をもう少し一緒に考えてもらえませんか。きっと大切なことをあなたは教えてくれると思います。
返信が遅くなってしまい、申し訳ありません。

お返事1

長々とお話を聞いてくださって、本当にありがとうございます。
助けを求めたり、自分の気持ちを表現できる強さがあるとおっしゃっていただいたことが意外でした。自分は、社会になじめないまま、はみだしたりこぼれ落ちたりしてそのまま消えていく存在なんだという感覚がずっとあるので、かなり新鮮でした。
自らの持つ疾患や障害に関してのことで、なにかを周りにお願いするのは悪いことではないということを、最近少しずつですが知りつつあります(そう理解はしているつもりなのですが、実践するとなるとたくさんハードルがあると感じます)。
負担の大きな経験によってすり切れた心は、どう扱っていけばいいんだろうと思ったりしました。特に自分は、こうして誰かに自分のことを話さないと生きていけないような気がしてしまう気質なので、いろいろ気をつけないといけないなとよく思います。
あまりうまく言葉にできないのですが、よりそって丁寧にお話を聞いていただいたことに、すごくほっとしました。いただいた返信は大切にしたいと思います。ありがとうございます。

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