経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自死という支えがない今

ここに書き込むほど深刻なものでは無いけれど、苦しいので少し吐き出させてください。

子どもの頃から周りとは何かが違う、生きづらいという思いがずっとあります。
大人になってから、何か病気もしくは発達障害があるのかと勇気をだして精神科にかかったことがありますが、問題なかったらしく、医師からはなぜ来たのかと鼻で笑われました。
その時は「医師が鼻で笑う程度の事で悩んでいた恥ずかしさ」と「しんどいのは怠惰で性格が悪いだけという事が発覚した絶望感」で内心ぐちゃぐちゃでした。

現に元義母に性格、育ちが悪い、察しが悪い、息子・孫が可愛そうと言われた経験があります。その時は「そんなことないし、言われる筋合い無いわ!」と思っていましたが、今思い返せば間違いじゃなかったんだと思います。

現在は離婚し、子どもと一緒に実家へ身を寄せています。
本来であれば今すぐこの世から消えてしまいたいですが、息子がいるから死ぬ訳にはいきません。息子がいるから死ねなくなったんです。本当にしんどくなったら死ねるという希望を持って生きていた私にとっては絶望です。
子育てはとても楽しいけれどふとした瞬間、過去の言動を思い出しては苦しい、しんどい想いでいっぱいになります。なのにいざという時の自殺を選ぶことが出来ない。何を支えとして生きればいいのでしょうか。

「こんな親の元に産まれて可哀想」それは他人や私が決めることでは無いけれど、息子本人が将来自分は可愛そう、生まれてこなければよかったと悩まないかとても心配です。

感想1

ご投稿ありがとうございます。「本当にしんどくなったら死ねる」という思いが追い込まれたときの頼みの綱になっていた、でも自分を必要とする大切な人がいるから、それを最後の切り札として持っておくことさえできない――このジレンマに、投稿者さんの切実な苦しみを感じました。ただでさえ生きづらさを抱えて子育てをされているのに、精神科では適切な治療を受けられず(読むかぎりでは、明らかに医師の態度に問題があります)、元義母から人格を否定されるようなことを言われ、離婚の経験もされて、何重にも苦労されたのだろうと察します。今のご実家が、少しは安心できる環境であることを願うのですが、いかがでしょうか。

投稿者さんの苦しみは、十分に深刻な状態にあると思います。自死の思いが心の支えになるような生き方をせざるを得ない時点で、自分自身や他者に対する基本的な信頼感、安心感が深刻なダメージを受けていると推測されます。安心感を持っている人は、いざという時に何とかなると思えますし、気軽に他人に頼ることができるので、すぐに自死という解決手段を思いつかないからです。このダメージのうえに、精神科の誤った対応や、周囲の人の悪意の言葉がのしかかり、投稿者さんの心を繰り返し傷つけてきたではないでしょうか。投稿者さんの生きづらさは、医師の見立てどおり、狭義の精神疾患や発達障害ではないかもしれません。ですが、例えば生育環境で受けたストレスが大きい人は、大人になってからも生きづらさを抱えて生きることが知られています。

もう一度言いますが、投稿者さんの生きづらさは、すでに十分に深刻な水準にあると思われます。今まで何に傷ついてこられたのか、安心感の土台がなぜこれほど浸食されてしまったのかについて、丁寧に見直す機会があるとよいのではないかと思いました。よろしければ、そのためのツールの一つとして、今後も「死にトリ」をご活用ください。

最後に、個人的な話で恐れ入りますが、私は母と情緒的な交流がもてなかったので、大変な緊張を抱えて生きておられるなかで、こんなにも心配してくれるお母さんがいて、息子さんがうらやましいと思ってしまいました。あなたが息子さんのことを愛していらっしゃることが、文面からよく伝わってきます。

感想2

読ませていただきました。
読んでいて、あなたの周りの人に怒りを覚えてしまった、というのが率直な感想です。医療的な定義で何かに当てはまらなくても「自分を知りたい」という思いは否定されるべきではないし、もしも何かの場面で、努力や配慮を少しくらいサボったとしても、それを理由にあなたが嘲られていいことにはならない、と私は思います。しかし他者の言葉は呪いになりますし、一度「自分が悪い」「いつでも死を選べる」と思ったら、そこから抜け出すのは中々難しく、ある意味一番、自己完結型で自分の苦しみを終わらせることができる選択肢だとも感じていて…それほど強い切り札が封じられるくらい息子さんを想っているあなたがいるのだと想像しますが、でも同時に、逃げ場がない感覚でもあろうかと。
私は、あなたと息子さん(そしてご実家の家族)、そうした近いつながりの中だけでしんどさを消化しようとしないことが、大切ではないかと思います。過去に囚われて動けなくなってしまったり、しんどさに耐えられない時など、自分に余裕が無い時ほど、身近な人に矛先が向くような気がします。
「とても楽しい」と感じられている子育ての中で、楽しさや、伝えたい大切なことは息子さんに向け、しんどさ、やるせなさは、死にトリのような場所に向ける、というのはどうでしょうか?深刻さや誰かと比べてどうか、ということは一旦置いても、あなたが苦しい時、「いざ」と思うくらいしんどい時には、また死にトリに来てみてください。お待ちしています。投稿ありがとうございました。

お返事1

拙い文章にも関わらず、お忙しい中丁寧にご返信頂き感謝しかありません。
お二方の返信を読み、気がつけば涙がこぼれていました。
今回のやり取りで、私は自分の経験や存在、考え方を誰かに伝えた上で認めて欲しかったんだと気づきました。
私の話を聞いてくれてありがとうございます。存在を否定しないでくれて本当にありがとうございます。

お陰様で投稿当初より生活が安定し、少しですが心の余裕が持て自死への想いは薄れています。
「死にトリ」という新しい心のお守りがひとつ出来たので、もし心が折れそうな時、生きる事にしんどくなった時にまたお邪魔させて頂ければと思います。

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