経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

絶え間なく地獄

(人によってはフラッシュバックのきっかけになるかもしれないような内容です。また、本文中、特に社会福祉に関する部分は、情報が古い、もしくは誤っている可能性があります。ご承知おきください。)

小さな頃から完璧主義な親に抑圧され、過度に期待され、評価を求められて育ってきた。根性論で叩き上げ、悪い評価をなじり、子どもの人格に向き合うことはない教育方針だった。
小学生の私が性被害に遭った時には、親には世間体を心配された。母はパトカーで家に来た警察官にキレる有様だった。私は親すら敵と理解した。
学生時代は終わりのない親からの期待に応え続ける日々。心にも身体にも鞭を打ち、綱渡りのような気持ちで良い成績、芸事の高評価を取り続けた。優秀な学生でいられるよう、努力した。
高校卒業後は、実家から逃げるために上京した。でも、実家を離れたとたん、燃え尽きて何も手につかなくなった。まともに生活できなくなり、自傷行為も兼ねて18歳で風俗業に足を踏み入れた。
そんなギリギリの日々の中、19歳の時にはじめて彼氏ができた。そのおかげで、いくらか精神状態を持ち直した。けれど、付き合い始めて数ヶ月、生活のこと、家のこと、風俗のこと、どれも限界になってしまい、自殺の準備を始めた。そのうち、最後に彼に会いたいと思った私は、死にたいと思っていると連絡した。家においでと言われ、すがるような気持ちで、一人暮らしの彼氏の家へ向かった。でも、到着してすぐに言われた言葉は「死ぬんだったら最後に生でやらせて」。
既になにもかもどうでもよくなっていたうえに追い討ちをかけられ、絶望した私はされるがままだった。そして、妊娠した。
すぐに連絡をとった彼の返事は中絶一択。
私自身が生まれてきてよかったなんて思えたことないのに、命を生み出すなんて無責任なことできない。ましてや、ただでさえ貧乏な私が、人一人の命を背負ってやってゆけるわけがない。でも、赤ちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいで、ギリギリまで悩んだ。命を前にしてお金の話など瑣末なことなのだけれど、手術費用の問題もあり、彼のお母様に出してもらった幾らかの費用と自分のバイト代を合わせて、中絶を決断した。
この罪は償わなければならないと、今でも心に突き刺さっている。

20代に入っても引き続きズタズタだった。
精神状態は相変わらず壊れたままで、安定して仕事に行けないから通院するお金もない状態だった。お金がなければ全てがない。貧乏が憎かった。
一人暮らしで高くつく生活費を借金でまかない、動ける程度に体調が良い時にはソープに出勤して、少しずつ返すのを繰り返した。そのうち頻繁に病気にかかるようになり、滞納するのにも限界がきて、20代半ばの頃自己破産をした。そして、生活に困窮していることを初めて役所に相談した。
生活保護を申請できること、申請するにあたって扶養照会があることを教えてもらった。
親の性格からして、扶養照会で連絡がいけば、世間体が悪いので帰ってこいと言われるだろう。それも、こちらから分籍するなりして縁を切っても連絡がいくらしい。またしても詰んだ私は、沢山の薬とウイスキーをそのまま大量に飲み自殺を図った。
結果、どうも肝臓がものすごく強いらしく、生き延びてしまった。実家に顔を見せない親不孝者であることにも罪悪感があった私は、諦めて、実家に帰ることを選んだ。今考えると、帰ってはいけなかったと思う。

実家に帰った私は、仕事を探しつつ精神科に通院を始めた。親は、相変わらず私のことを優秀な娘だと思い込んでいて、私も親の機嫌取りに尽くした。
仕事でも消耗し、家の中でも消耗する生活。回復できる居場所などどこにもなく、希望のない人生に絶望した。そして、再び自殺を図った。立体駐車場の高層階からの飛び降り。鉄骨に登るところまでは行ったものの、死ぬまでの、落下最中の恐怖がよぎってしまい、最後の一歩が踏み出せない。結局警察に保護され、精神科に入院となった。
病室は閉鎖個室で、私にとっては人生で初めての安心して過ごせる場所だった。対親仕様に繕った私でいる必要もなく、住処を失う心配もなく、初めて、素の私を受け入れてくれた居場所だと思えた。
そんな入院生活も、親がお金を出してくれたから実現したものであって、お金を出させたからには、親にとって利をなす存在でいなければという思いがより強くなった。
入院して持ち直した体調も、退院後実家に戻るとすぐに悪化した。生まれてから今まで絶え間なくドブ臭い地獄に生きてきて、死にたい、生まれてきたくなかったと思うことはあっても、生まれてきてよかったと思えたことは一切ない。
要は、生きるデメリットはたくさんあるのに、生きるメリットが全くない。希望も何もない。今まで親のことを一番に考えてきたからか、私自身が何を望んでいるのかさえわからない。
両腕を傷だらけにして、日常的なODに依存して、周りを振り回して、それでも、最後の一歩が踏み出せてない。

どうして、こんな人生をまだ生き続ければならないのか。どうして、楽に死ねる方法がないのだろうか。生きたくないだけなのに、どうして、死ぬには怖くて苦しい思いをしなけれいけないのか。もしくは、怖くて苦しい思いをしてもなぜ失敗するのか。
社会は、私のような生産性のない無価値な人間を必要としていない。私も社会を必要としていない。利害が一致するのに、なぜ死なせてくれないのか。
実家に住まわせてもらい、入院費まで出してもらっている立場でありながら、なぜ親のことを許せないのか。憎んでしまうのか。
親にとって理想の娘であり続けられたなら、きっとこんなふうにはならなかった。メンタルをくじくこともなく、常に親の期待に添える娘だったなら、きっと親や家族みんなのことも幸せにできたのに。私が壊れてしまったばかりに、親や家族の幸せを壊してしまった。

それから、首吊り失敗、二度目の飛び降り失敗を経て、精神科病棟の病室で今、この文章を書いている。人生の苦しみを自殺行動にぶつける私と、社会や他人にぶつけて犯罪者になってしまう人と、その差はほぼ無いように思う。救いようのない人生、最後の一歩はいつ超えられるんだろう。

感想1

「地獄」と表現されるこれまでの投稿者さんの環境には、暴力と、投稿者さんを蔑ろにする価値観を「絶え間なく」押し付けられる状況があったのだと感じました。また、親に直接言われるわけではなくても、その「教育方針」を強く埋め込まれてしまっていると、努力することをやめられなかったのかなと想像しました。
彼氏さんから言われたこともまた、投稿者さん自身でなく、彼氏さんの欲望を優先する言葉で、限界を感じていた投稿者さんをさらに追い詰める言葉だったと思いますし、その結果として妊娠があり、どうしていいかわからない気持ちになったかもしれないと思いました。
国の制度でも投稿者さんをちゃんと守ってくれない状況があって、やりきれない気持ちになりました。本当に必要な人が、しかもそれを自ら求めているというのに、扶養照会などで結果として阻むことになるというのは、おかしいと思います。でも、そうやって言われてしまうことが実際にあるのだと改めて知りました。
閉鎖病棟で「人生で初めての安心して過ごせる」という経験を投稿者さんができたことはとてもうれしく思いました。つくろわずに、ただ自分でいられるということが、投稿者さんの人生でどれだけむずかしく、得難いものだったのだろうと思います。投稿者さんがなるべくつらくなく、安心していられることがなによりも大切だと思います。
でもその環境が恒常的にはなく、実家に戻らなければいけない、というのも、おかしなことだと思います。
自分の理想を、自分の子どもであっても他の人にぶつけることはしてはいけないと私は思います。人として関わる上で、なんらかの期待をすることはあるかもしれないけれど、それがかなわないとしても、それは相手のせいではないし、それを子どもに押し付けてはいけないと強く思います。そうしないと、人と人として関われなくなってしまうと私は思っています。
死にたいと思うことは悪くないと思いますし、自殺は悪いことのように言われることもありますが、死ぬことも悪いことではないと思います。私も死にたくなったり死のうとしたりしてきたことがありますが、そうでなければやっていられなかった状況があると思っています。また、犯罪という行為をした人についても、もしかすると、もし状況がなにか違えば、その必要がなかった場合も多いのではないかと思っています。
投稿者さんが安全な場所で、理想や期待のことを考えずにいられるために、どういうことが必要なのか、一緒に考えてみたいと思いました。それはおそらく、投稿者さんだけのことではなく、この社会の中で多くの人が必要としていることだとも思います。投稿者さんがこのように経験談を送ってくださったことも、そういったことを考える機会になっていて、ありがたいです。投稿者さんにとって「地獄」でない時間が少しでもあることを祈っています。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。
幼少期から親の期待や理想を押し付けられてきた中で過ごすことで、親にとって完璧な娘でいることに幾度となく限界を感じることがあっても、完璧になれない自分も許せない(自分の本心というよりかはそう感じてしまうように刷り込まれてしまっている感覚を私は読んでいて感じました)し環境も許してくれなかったのではないかなと想像していました。
「親すら敵と理解した」とありましたが、身近な人がそうであると自然と誰かに相談しようという考えにもなりづらそうですし、「教育方針」を植え付けられている状態ですと助けを求めるという感覚さえも奪われてしまっているようにも思えました。
やっと実家から離れられたと思っても次々と降りかかってくる出来事に、死にたいと思い何度も行動に移してしまうことは決して悪いことではなく、そうなっても無理はないといいますか自然なことだと私は思います。本当の自分さえも見失うような状況で、投稿者さんにとって「死」を選ぶことが今は唯一自分を取り戻す方法でもあるのかなとも考えていました。
「生きるデメリットはたくさんあるのに、生きるメリットが全くない」「社会は、私のような生産性のない無価値な人間を必要としていない。私も社会を必要としていない。利害が一致するのに、なぜ死なせてくれないのか」という思いは、個人的にとても共感ができる部分です。投稿者さんも含めこの社会に生きる人の中でもこのように思う人はたくさんいるのではないかなと感じ、国の制度についてもすぐには現状どうすることもできないとしてもどうすれば少しでも守られる人が増えていくのか、どういうものがあれば安心安全に暮らせるようになっていくのか、生きることよりも死ぬことを選択せずともいられるようになるのか、社会全体の問題として最後の一歩を超える前に投稿者さんと一緒に考えたいなと思いました。

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