経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私なんかの体験から、誰かが救われれば幸い

 生まれてこのかた、誰も話を聞いてくれない人生でした。ただ正しくは、私が話してこなかったと言えるのではないかと思い、また核心をついてきてくれる人はおらず私の表面の人物像のみでその核心を予想し聞き返して頂ける機会が欲しかっただけの私のわがままではないのかと思える傲慢な人間の人生の体験談でしかないと今は考えています。
 私は25歳となります。よく人から、頭がいい優しいなど褒めて頂くことが多い人間ですが、その反面、失敗したこと努力したことなどない羨ましいと特に目上の方、職場の上司やそれぞれの教育機関の教員又は指導員の方に言われます。
 幼少の頃はよく母に怒られていました。3歳上の姉と同じような行動をすることを望まれました。落ち着きのない子だったのです。父もそんな落ち着きのない私をよく怒鳴る方で、ただ2人とも怒る時以外は構ってもらえませんでした。祖父母とも暮らしており、怒られたりすることは少なかったのですが数字がつく評価については常にトップでないと少しお小言を頂くような子でした。
 幼稚園から大学まで、周りの教員、生徒の親御さんなどからすれば天才だったんだろうと思われます。少し成績が私より上だと、学友たちはあんなに凄い人物より上だったと声高らかに話したり、親同士の会話でも聞く機会があったため疎まれるような存在だったともいえます。
 加えて、教員や指導員たちは私の数値を見て苦労したことがないと羨ましいと私が何か失敗をする度に話、だから今しっかり話しておくんだと厳しめに指導頂くことも度々ありました。
 社会人になってからは、周りの状況を判断することが困難な場合が多くすでに2回転職をしています。世間一般でいう頭の良さが、バレてしまうと周りの要求ややっかみは増え、いつの間にか大量の仕事を抱えこみます。また、私は普通の人が普通に出来ることが難しく(教えられたことを一度で覚える、周囲の状況から判断し報告するなど)現在の職場ではバイトより使えない覚えが悪い、状況を見たらすぐに分かると勤めて10日で、全ての判断を何もやり方を教わらずに前職の知識等をつかいながらこなしますが、先日からため息をつかれたり、近くで大きな物音を出されたり、分からないことを聞くと前教えたよねとぼやかれたり、わからないことがあったら先に全部聞いといてと言われたりと、右も左もわからない状態でなげ出されてしまいました。
 通常であれば転職するところですが、現在父の代わりに家族4人分の食費を払い(家のローンや光熱費は払ってもらえますがそれ以上は父が遊ぶため不可能らしいようで畑を耕しながら失職する3ヶ月前から行っていました)、半年間失職し失業保険を受けたのも最後の1ヶ月のみで金銭的余裕がなく、やめるにやめられない状態になりました。
 これが私の外から見た主な概要となります。
 一度精神科の方も受診しましたが、ただの休みたい病だと医師の方に笑われて終わりどこにも逃げ場がなくなってしまいました。
 怖くなったのです。自分の本音を話すことが。弱みを自分以外の他者に晒すことが。
 ここからは、私の歩いていた主観の私の人生の話です。
 途中書かせていただいたように、私はおおよそ8割の人が当たり前にできることが難しくそれらを習得するために工夫をこらさねばなりませんでした。
 例えば、文字。私は文字を覚えることが苦手でした。ただ、私は風景画を得意としており、文字を絵として覚えることで学業や今を乗り切っています。ありえないと思われるでしょうが、これが私の当たり前の一部なのです。そしてその方法は、想像以上に時間がかかります。増やしていけば、新しい文字はそこまで苦しくありません。例に26文字しかないアルファベットからなる英語はそこまで苦ではなかったのです。
 普通の人がつまずかないところでつまずき、必死で学びどうにか普通の人になれれば簡単ですが未だに出来ないことも多々あります。
 時間の間隔があまりないため、アラームなど時を知らせる手段が必要だったり、覚えるためのメモは人の2倍以上細かく書かないと分からなくなってしまったり、社会には向かない人間です。
 外側から見ると、つまずかない立っている人、また自分がよくつまずくので分からないということへのアプローチの手段が豊富のため他者に何か指導しなければならなくなったときに理解をしてもらいやすいということ、物事に対する捉え方を変え一部効率よく回せることがあるため人は、優しい人や天才といいますが、私は天才がこんな人生を歩んでいるのであれば、凡人と呼ばれる方がよかったです。
 嫉妬されずに友人を作りたかった。家族と笑いあったりしたかった。尊敬のフィルターをとうされずに、自己を相談したかった。
 これが傲慢な私の体験です。この体験が他の似た件で困っている方への手助けを模索するなどするときに役立つことを望みます。
 最後に、困っている方が近くにいればこうすれば良いという情報よりその人の話を深くまで聞いてあげて下さい。困っていることがわからないのであれば一緒に考えて下さい。その人のつまずくところにはなんらかの共通点があります。時間はかかりますが、一緒に見守ってください。1人にしないで下さい。多くの理解ある方現れること願っています。

感想1

自分の本音を出して人と関わることができなかったことが、一番つらかったのかなと思いました。ずっと一人で孤独に耐えながら、誰かに理解されることを、諦めつつも望んでいたのだろうと想像します。
関わる人たちからは、要求、感情、評価を押し付けられてきたのだと思いました。これは非対等な関係で、あなたが自分のことを表現しようと思えるような環境ではなかったように思います。自分の考えや気持ちは無いことにされている、あるいは勝手に決めつけられている、と感じそうです。
ここに書かれている職場と家庭での現状を読むと、どちらでもあなたが理不尽な要求をされ、搾取されているけれど、逃げ出すことを諦めているのかなと思いました。
でも、これから逃げ出す方法や場所を一緒に探したいと思いました。あなたが過度な恐怖を抱かずに自分のことを表現できる相手や環境を、ゆっくり探していけたらと思いました。
「1人にしないで下さい。」というあなたの思いは、今この社会で、多くの人が感じていることなのではないかと想像します。それが叶えられる世界を、微力ながら一緒に作っていきたいと思います。
最後になりましたが、経験談を発信してくださって本当にありがとうございました。

感想2

正直な気持ちを書いて送ってくれて、ありがとうございます。長年、周囲から気付かれないようにしてきたことを表現すると、こんなにも力や思いが宿るのだなぁと実感しながら読みました。読んで考えたのは「こんなにも誤解され、隠し通すことができたのは、なぜだろう」ということです。1つは大人が子どもの気持ちよりも、できることや能力を重視する価値なのかなと思いました。また、子どもが、一人では生きられないゆえに周囲の大人の期待に応えようとして生きのびる存在であることも影響しているのかもしれません。
大人の私たちは安易に大人の都合を持ち出して、いい子や悪い子のレッテルを貼ってしまったり、こうあるべきだというメッセージを発しますが、それによって子どもに強制力となってのしかかったり、本当の気持ちを抑圧したりすることがあることを、もっともっと理解する必要があると思いました。
経験談を読んで、何ができるかより、何を感じているか、何を考えているかということに注目する人でありたいと思いました。そして、そうしたことが大切にされるために、何ができるか一人ひとりがそれぞれの場所から少しずつ考えていきたいと思っています。
最後に「傲慢な私」とありましたが、あなたの書いた文章からは傲慢さはまったく感じられませんでした。むしろ、謙虚さが伝わりました。人の感じることというのはそれぞれなのは本当に不思議です。また、よかったら死にトリに来てください。

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