ちょうど昨日、お母さんに「小さい頃行ったディズニーランドさ…」
って声をかけたんです。そしたら「何の妄想してるの?また変な病気?」って返されました。私は嘘つきなので、私の記憶もよく嘘を着くんです。
Didって診断されたのは中学校2年生の時に学校で私の中の人が暴れた時。
私がdidになったきっかけは父親の性暴力だそうです。でも、性暴力の記憶はもちろん私は父の顔も覚えて居ません。
そして、病院の先生やカウンセラーさんや学校の先生は、私の痣を母が付けたと言います。でも私の記憶にあるお母さんには、優しくて楽しい、可愛いお母さんです。
私は家も家族も学校も好きです。お母さんが元気な時は、2人でお話したり料理をしたりして楽しいです。 学校に行くと、先生は頭の悪い私を助けてくれるし、友達は悪いことをしたら治してくれます。
それなのに、私の中の人はいつもお母さんに怒られて泣いたりしてるし、暇さえあればodしたりリスカしたり。私のお母さんが怒るなんて、よっぽど私の中の人は酷いことを言ったりしたんだろうなぁと、反省します。母は怒った後いつも泣きます。産んでごめんねとか、こんなお母さんでごめんねといつも苦しそうで、
悪いのは私なのにって、毎日本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
学校に行く時、私の中の人(さっきの人とは別の人)は怒って自分のお腹を殴ります。何に怒ってるのかは知らないけど、疲れるからやめて欲しいです。
そして、私は頭が悪くてよく、話を聞いてなくて注意されたり、笑われたりします。人の声を聞き分けられなかったり、行動が遅かったり、空気が読めなかったり、教科書を読むのが下手だったり、グループで話すと理解出来ないくらい頭が悪いので、仕方ないです。でも私の周りの人は優しいので、怒ったり注意したりしてくれます。
なのに、そうやって怒ってくれてるのに、反省しないうちに私は私の中から抜け出してしまいます。ちゃんと注意を聞きたいのに、自分の身体は泣いてるだけで注意を全然聞いてないからまた悪いことを繰り返してしまいます。
私が死にたいと思う時、生きたくないと思う時は、こんな風に好きな人が私のせいで嫌な気持ちになったりストレスを感じたり。悲しくなったりする時です。
自分が悪いときも、中の人が悪いときも、いつも自分が憎くてしょうがないです。
だから私は死にたいです。もしも自分が何でも出来るくらいの能力があって、解離とかするような馬鹿な人じゃなくて、家族とか学校の人とかにも迷惑をかけないくらい頭が良くて性格も良かったら、そしたら死にたくなくなります。
良く周りの人は、家族や学校の人を責めるような言い方をするけど、私はそういう言葉を聞くのが悲しいです。本当は私が悪いだけなのにって思って悲しくなります。
私は毎日、もし私がいい子だったらと考えます。
私がいい子だったら、お母さんは産んでごめんねって泣いたりしなかったのかなぁって思います。もし私がいい子だったら、学校の人は私に嫌がらせしなくて済んだのになぁって思います。もし私がいい子だったら、先生は私に怒ったりしなくて良かったのになぁって思います。
きっと、私よりも私の周りの人の方が辛いので、いつもごめんなさいって思って私はよく泣きます。泣きたいのは私じゃないのに。
私は頭が悪いので、たまに間違えて楽しい時も泣いてしまいます。お母さんはうるさいといって怒ります。私もうるさいなぁと思うけど、泣くと息が出来なくなって死んじゃうって思って怖くて、そのうちに寝ちゃってます。死にたいのに泣いてて息ができない時は怖くて仕方がないです。そういう所も私の嫌いなところです。
私の今の1番の悩みは、毎日死にたくてしょうがないので、いっつも死のうとしてるのに、私の身体は都合がいいみたいで、死のうとするとその直前で他の人に交代してしまうことです。
なので、私は死ぬことも出来ません。いつもみんなが迷惑してるので、早く死んだ方がいいと思うのに、どうしても中の人のせいで死ねません。死にたいと言って自殺ごっこをする中の人はちょっとリスカしたり薬を飲んだりするだけで、気持ち悪くなるだけだから、どうせならちゃんと死ねばいいのにと思います。私が代わりにやったらきっと死ねるのに、と思うけど、代わってくれません。
泣くのやだな、明日もまた誰かに迷惑かけなきゃいけないのやだな、誰にも会いたくないな、って言うのが今の気持ちです。
感想1
経験談を書いて送ってくださって、ありがとうございます。
あなたの中に何人かの別のあなたがいて、時々、入れ替わり、気持ちや行動がたくさんあるという複雑な状況だと思うのですが、書いていることがわかりやすく、それが何の特別なことでもなく、あなたの当たり前の風景だということを感じながら読みました。その上で、あなたが死にたいと思う理由ももっともだと思いました。そして、死にたいのに死ぬこともできないことのジレンマも苦しいだろうと想像しました。しかし一方で、あなたの文章から悲しい気持ちやつらい気持ちはあまり感じ取りませんでした。むしろ、ちょっと楽しそうな雰囲気すら感じました。でも、その楽しそうな感じはできるだけ周囲に迷惑をかけまいとするあなたの気遣いからくるのかもしれないと思いました。さらには、その人を気遣う気持ちが、あなた自身を守るためにdidという方法を選択したのかもしれないとも思いました。私はdidについて専門的なことはわかりませんが、一般的には心の病気や正常ではない状態という判断になるのだろうと思います。でも、人間の在り方としては理にかなっていると私は思うのです。
あなたはひょっとしたら、周囲に迷惑をかけまいとして、自分の中にいろいろな役割の人を作り、そこで解決しようとしたのかもしれません。でも、結果として周囲に迷惑をかけてしまうことになり、そのことでより心苦しさを感じているのではないかと予想をしました(外れているかもしれませんが)。
そう思うと、私は周囲に迷惑をかけまいと役割を引き受けて頑張ってくれた(今も頑張ってくれている)「私の中の人」に『今まで頑張ってきたんだね。お疲れ様』と労いたい気持ちになります。そして、自分の気持ちや行動とは違うことする「私の中の人たち」にも気遣い、ともに歩んできたあなたにも心から敬意の気持ちを抱いています。私はあなたのことを嘘つきとも、頭が悪いとも、いい子じゃないとも思いません。いいとか悪いとか関係なく、あなたはあなたであり、それ以上でもそれ以下でもなく、それだけで私はいいと思います。