経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

楽でいられる場所を探している

30歳、独身です。女一人でかれこれ10年ほど一人暮らしです。
家族とは不仲で(というより、お互いが我慢しなければ三日も一緒にいられない関係で)、何かを相談しても私の考えは親に否定されるばかり。兄弟は兄と弟がいますが、ひとつ上の兄は発達障害で学校を中退後、ずっと実家にこもっています。昔から母親には「女は結婚して家を出ていくものだから、ここにアンタの居場所はない」と言われて育ちました。
家も親も私には重荷で、他人も信用できず、一人で生きていくために昨年新居を建て、今はローンを払いながら生活しています。
誰も助けてはくれない、仕事も休めない。そう思って、とにかく自分の人生を自分で何とかするために頑張っています。

しかし、朝動けずに仕事を休んだり、仕事中に泣いてしまったり、衝動的に自分に痛めつけるようなことが増えてきました。
デザイナーの仕事をしていますが、職場の環境が自分に合わない自覚があり、電話の音や人の話し声でイライラしたり、スピーカーから流れるBGMも気が散ります。
自分の席は狭く、後ろの人の椅子が当たったり、コピー機に行く他のスタッフが頻繁に私の横を通ります。人の会話が耳に入ると、内容がすべて聞こえてしまい、謝る人や怒る人、話す人の感情も伝わってくるようでした。
上司にも相談しましたが、「みんなが我慢しているから」と言われて改善される様子はなく、せめてBGMは止めてくれないかと相談しましたが、「勝手に止めればいいよ」という返答。しばらくはその言葉の通り、自分でBGMを調節していましたが、誰かが再生し、音量を上げ、それを私が止めるイタチごっこが続くだけでした。

ただ、どんなにイライラしてもそれを隠してニコニコして、穏やかなふりをしている自分も嫌いでした。
仕事でも、たまに会う家族にも、自分が消耗するだけだとわかりながら、気を遣って声を掛けたりフォローする自分も嘘吐きのようで、自分が自分以外の誰かに操られているようで嫌でした。
自ら世話を焼いておきながら、そのうち勝手に爆発して自滅。周囲に不機嫌を振りまいたり、物にあたるなどの行為が目立つようになってしまいました。
「私が我慢すれば丸く収まったのに、なぜ我慢できなかったのだろう」と思い、つらくなります。

この生きづらさは何なのか、本を読んだり、ネットの診断ツールを試しているうちに、どうやら自分はHSS型HSPだと思うようになりました。
病気ではなく特性のため、治すことはできないとありましたが、何となく自分の説明書を見つけたような気がして、しばらくそれを心の拠り所にしていました。

しかし、先日私の家に寄った親にHSPの本を見られてしまい、「アンタが繊細?思い込みなんじゃないの?」と一言。大事にしていたものを土足で踏みにじられたような、怒りや憎しみに似た感情が湧きました。
ですが同時に「他者はおろか、家族にも自分を説明できない、わかってもらえない」という虚無感のような気持ちもありました。

仕事中に職場の給湯室で窓を開けて、気分転換に深呼吸をしようとしても、窓の外を見るとそのまま飛び出したくなります。
実際には二階程度の高さなので、「こんなところから落ちても怪我するだけだよね」と思い、やめてしまうのですが。
シンクに包丁があれば、思わず手で掴んでしまいます。すぐに怖くなって戻してしまうので、まだ何も起きていませんが、そのうち何かをやらかしてしまうのではないかと、自分で自分が怖くなることがあります。
自分で建てた家だけが安心できる場所でしたが、先日近所の方に「そのうち町内会の班長をお願いすることになるので、よろしくお願いします」と言われ、これ以上負担が増えても、私は頑張れるのだろうかとつらくなりました。

今は、オンラインゲームでチャットしてくれる友達が心の支えですが、オンライン上の関係は物理的に距離もあり、強く頼ってしまうことはできません。
現実には自分が楽でいられる場所はないのだろうか。そんな場所をずっと探しています。

感想1

感想1
経験談の投稿、ありがとうございました。
幼少期の経験から、自分を守るために一人で生きていくことを選択してこられたか、それとも一人で生きていくことを選択せざるを得なかったために、様々な努力の上、現在家を建てて、一人暮らしをされていると想像しました。人は、生きていく中で様々な選択をし続けて、自分が安全に快適に過ごせる環境を目指していくものだと私は感じておりますが、その選択が結果として希望に添えた時と添えなかった時の両方がどんな時もあると思っています。

ただその中で、あなたの経験談を読んでいて、思ったことがあります。
自分の生きづらさの正体は何?と考えたときに行った、診断ツールについてとHSPについてです。
自分の取り扱い説明書を見つけたような気がして…とありますね。もしかしたら、ずっと生きづらさは抱えていながらも正体不明のあまり、たくさん悩んだり辛い経験をしてこられたのではないかと勝手に想像しています。自分の取り扱い説明書が見つかった、または生きづらさの正体がなんとなく明確になってきたと感じた時の気持ちを想像すると、お守りのような心の拠り所だったのではないかと感じました。

私の感覚ですが、世の中には、HSPの診断ツールは存在していながらも、あなたの親さんのようにHSPさんなどに対して土足で踏み込んでは人の気持ちを考えず言いたいことを平気で言ってしまう人の診断はないように思います(もし存在していたら、ごめんなさい)。HSPさんにも種類があり、あなたが「HSS型HSP」だと教えてくれました。反対に、親さんのように「HSPさんに対しても土足で踏み込んでしまいがちの〇〇型」っていう診断ができるツールがあってもいいと思うんです。
ここ最近、HSPについて本や雑誌などで取り上げられることも多いし、有名人さんがHSPを公表することが増えていると感じます。なので、HSPについてが特に公にされているように感じ、あなたのように自分の生きづらさの取り扱い説明書になって自分を知るきっかけになって、対処方法が少しでも分かることはいいと思うんです。でも反対に、HSPさんが自分について知るだけでは、生きづらさは無くならなくて、「HSPさんに対しても土足で踏み込んでしまいがちの〇〇型」の人も自分の性格や考え方を学ぶ必要があるのではないかと私は思ってます。

最後になってしまいましたが、「楽でいられる場所を探している」というタイトルをつけてくれて、私も改めて考えることができました。あなたがこれから少しでも少しづつでも楽にいられる場所を探していくのであれば、私は楽でいられる場所を少しでも少しでつでも作っていけることができたらいいなと思ってます。そのためには、きっとHSPの人もHSPには当てはまらないとされる人もお互いのことを理解することが必要だと感じます。
あなたが発信してくれた経験談も一歩だと思ってます。もしよろしければ、また死にトリにあなたの気持ちを聞かせてくれると嬉しいです。

感想2

読んでいて、投稿者さんはさまざまなことを感じ取りながら、それによって疲れ、「これ以上頑張るのはむずかしい」と感じているけれど、ほかに頼る人も思いつかない状況で頑張る以外の選択肢も思いつかず困っているのかなと思いました。
職場環境のエピソードからも、投稿者さんが、目に見えない他の人との違いによって、理解されないまま苦しんでいる様子が伺えました。

人の感じ方や受け取り方は、実際にはそれぞれかなり違うことがあるにも関わらず、そのことはあまり知られていないと私は感じています。
投稿者さんはこれまでに幾度も無理解に晒されたり、そのせいで困ったり、傷ついたりしてきたのかなと思いました。
家族であっても、それぞれの感じ方が大きく違うことを知らないと、違いを理解することが難しい場合もあるだろうと思いました。

能力や経験を活かしてデザイナーという仕事をして、家を建てられて、自分の居場所を自分で確保して、自分で自分を守ってきたのだろうなと思いました。でもそれは仕事をする、などの投稿者さんの努力によって成り立ってる面があるために、息抜きがしづらいということもありそうだと思いました。

日々過ごす中でストレスを減らせるようにするにはどういう環境や工夫があればいいのか、話し合ってみたいと思いました。すべてを対処し切るのは簡単ではないかもしれませんが、少しでも投稿者さんにとって苦痛な刺激を減らす調整ができたらいいのかなと思いました。
また、投稿者さんがゆったりできて、穏やかに回復できる時間と、困った時や頼りたくなった時に話ができる人があればいいなと思いました。身近な人になかなか伝えられなければ、死にトリのとりコミュなども活用してみてください。

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