経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

苦手なことを続けた結果

もともと大きな機会音、空気の悪い場所が苦手でしたが、知り合いということもあって、ちょうど仕事をしていなかった期間だったので、断ることもなく、勤め始めました。木工品です。機械を使って木を切ったり、リスクの高い機械は扱わないとは言っていましたが、入社してすぐリスクが低いと思われる機械を扱うことになりました。
もともと事務出身でパソコンに関する専門学校を卒業したのでパソコンに関しては得意だけど、
木工品に穴を空けたりする機械ですら怖い自分は説明を受けても恐怖でしかなかった。また、繊細な木工品なようで、爪が少し伸びててトンッとついただけで加工された木材にキズがつくと注意され、研磨も足りてないなど注意されることが多く、次第に苦しくなっていきました。マニュアルもない、『だいたいこのくらいで良いから』という曖昧な説明が嫌で、合っているのかわからないまま、5年勤めていました。家族の介護もしていたので休みに融通が効いていたのです。それで給与も良くしていただいたので、自分に鞭打ってでも働いていましたが昨年、ついに涙がボロボロ溢れて、仕事や生きることが嫌になりました。精神科に相談したところ、適応障害と診断されました。鞭打って続けた結果、適応障害。医師からは転職を薦められました。休職制度もないので、退職することにしました。今の状態としては何もしたくない、働きたくない。でも働かないと生活できない、自分に合う仕事見つけるのがあるのだろうか、また新しい職場で人間関係を作るのが怖い。そんなことを日々繰り返し思っては、生きる価値無いのかもしれないと思ってしまってます。

感想1

経験談の投稿、ありがとうございました。
仕事と介護の両立だけでも、自分の時間はあるのだろうかとか休める時間はあるのだろうかと勝手ながらに想像をしてしまうところですが、さらに元々苦手なことが仕事の内容に含まれており、それを5年も自分に鞭打って働かれていたというのは誰でもできることではないだろうと思いながら読ませていただき、あなたの行動力や忍耐力はどこから湧き出ているのだろうかと感じました。
繊細なものを扱う仕事を想像するだけで、私なら息が詰まりそうだし、マニュアルもない中で、自分の腕が頼りみたいな世界なのかなと思うと、精神的な苦労も多そうだなと感じました。(私の勝手な想像ですが。)

ただ、人にはそれぞれ自分の頑張れる限界があると私は考えています。
それをコップに入った水で例えるなら、仕事を始めた当初から、苦手な音や空気に毎日触れている時点で、常に水が溜まり続けて、もうコップには8分目まで水が入ってて、もしかしたら5年の歳月をかけるよりもっと前にいっぱいになり、溢れていたと想像してます。でも、あなたには、その下に受け皿的なものがあって、水はもう溢れているのに頑張り続けていたとさらに想像します。でも、受け皿にも水がいっぱいになった時に、あまりの重さに受け皿ごと底が抜け落ちてしまい、コップも受け皿も全て一気に流れ出てしまったと想像しています(分かりづらかったら、すいません。)。
そしてその水がそのままあなたの涙として体に現れ、限界を現していたのではないかと想像しました。

この経験談から、あなたが「だいたいこのくらいで良いから」と言ったような曖昧な感じではなく、責任感を持ち、少しも妥協することなく完璧に事をこなしたいという真面目な気持ちも感じました。そのため正解が明確でないということも、ストレスに感じる方なのではないかと勝手に想像しています。(違っていたら、すいません。)

今は、溜まった水を流し切る作業に徹したらどうかなと思いました。
生活のためにも働かなければいけないということで、追い詰められている気持ちもありそうだと感じますが、溜まっているものは吐き出すことで次に進むことができる時もあると私は考えています。
事務仕事やパソコンが得意と教えてくれたので、次は自分の得意なことを仕事にしてみるのはどうかなと思っています。今は、何もしたくないし、新しい職場に対する怖さもあって当然だと思ってます。だって、それほど、今まで自分の気持ちよりも生活のために辛いことを続けて来られたのですから。
日々、色んな思いがぐるぐるしながら、死にトリを見つけてくれたのであれば、またぐるぐるした思いを聞かせてほしいと思いました。「生きる価値」を探すのは一人では難しかったりするものではないかと私は思うので、一緒に考えて行けたら良いなと思いました。

感想2

仕事で無理をせざるを得ない状態が続いて、とてもしんどかったのだろうと思いました。
やってみなければどのくらい得意か苦手かということはよくわからない場合も多いと思います。知っていても、実際はそれ以上だった、ということもありそうです。もちろん、それがわかることは、自分に合うもの合わないものを知っていく過程でもあり、悪いことではないと思います。

「合っているのかわからないまま、5年勤めていました」とも書かれていることから、働くメリットもありつつも、自分でもこのままでいいのだろうか?と自問しながら、続けてきたのかなと思いました。
「今の状態としては何もしたくない、働きたくない。」と書かれていて、自分自身の気持ちに気づいているのだろう、と思います。でも、お金のこともあり、どの選択も選びがたい感覚があるのかなと思いました。

私はしんどいときに働く必要はないと思っています。人にはまずその人であること(生きることそのものや、生活、あるいは、たとえば健康で文化的な最低限度の生活…などと言い換えられるかもしれません)がはじめにあり、仕事はその上にあるものだと思います。生きる価値もまた、生きているすべての人にあると私は思っていて、仕事によって変化するような価値があるとすれば、それはとても局所的なものだと感じます。

お金がない状況では生活保護制度もありますし、働かなければ生活できない、ということもないと思います。また、つらいときに相談ができる機関を活用するのもよさそうです。
そのほかにも、投稿者さんがしんどいときに休んで、ゆっくり心や体を回復させていくことができるためには、どんなことが必要なのかな、と思います。たとえば、こういうもの、人、制度があればいい、と思うことはありますか?よければ教えてください。

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