現在45才、
小学校低学年から学力が低く親から罵倒はされましたが多少の暴力っという期待を浴びた程度で、高校も市立にしか合格できず、就職も誰でも合格できる会社で怒られながら3社で働いてきました。コロナの影響で人員削減にあい、派遣で能力の差から言葉攻めにあい生きる意味を失い、カウンセリングを行うと自分が発達障害だとしり、更に生きる意味が無いことをしりました。趣味や友人など作ろうと思ったが、人間全て敵の認識は消えず、就労支援と生活保護で死を待つ生活をしている。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生きる意味
感想2
あなたの人生を垣間見て、この世の中が能力だけで人を判断することがあまりにも多いことを痛感しています。背の高い人や低い人がいるように、能力にも個人差があるのですから、高い人もそれほど高くない人も、でこぼこの人も、それぞれの持っている能力に応じて力を出し合う方がいいと私は思っています。でも、実際には一定の能力がそろっていないと、否定されたり、軽んじられることがあります。そのことによって発揮できるはずの力を出すチャンスが奪われていくことをとてももどかしく、理不尽だと思います。どうして、そうなってしまったのだろう?と考えています。
もっとも印象的だったのは「人間全て敵の認識」というところです。私の周りにも生まれ育った経験から同じような認識が強くあり、その認識から抜けられず苦しんでいる人がいます。ただ、ゆっくりではあるけれど、年齢に関係なくその認識が変わることもあると私は信じています。あなたにもほんのわずかかもしれませんが、人を信じたいという気持ちがあるのではないかと文章から漂う雰囲気から感じました。だからこそ、こうして気持ちを送ってくれたのかなと思います。就労支援につながっているとのことなので、今のところでもいいですし、他の支援機関もあると思いますので、あなたのことを少しでも理解してくれる人がこれから増えることを願っています。
感想1
生きる意味を考えずにはいられない約40年間だったのかなと思います。
安心感を得たり、守られて良いはずの親から逆に罵倒された経験が何度もあるなら、人間全てが敵なのではないか…という恐れが芽生えても不思議ではありません。就職時まで怒られたんですね…。社会に出てからも、人間が良い方に上塗りされるなら良いけれど、余計に敵認定せずにいられないパワハラかいじめのような経験をされたのは何とも理不尽だったと私は感じました。
発達障害だと知った=生きる意味が無いと感じた理由をもう少し知りたいと思いました。中には発達障害だと知って、これまでの違和感や周囲の無理解の意味を知り、生きやすくなったというひともいますが、あなたはきっとそうではないということですね。人知れずぐっと暴力を我慢してきて、それがこれからも続くのか…そんな風にこれからを悲観しているようにも私には映りました。
対人は怖い感覚もあるかもしれませんが、今回死にトリに参加してくれたように、これからはいままでとちょっと違う形で人とつながって、感じていることを言葉にしてみることもお勧めしたいです。少なくても私はあなたとこうやってつながれてあなたを想像しながら言葉を交わせたことは嬉しいなって思いました。
「まもろうよこころ」で検索すると匿名で無料の電話やSNSでお話できるところが出てきます。そういったところで顔が見えない人とお話するのもいいかもしれません。
投稿ありがとうございました。