経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

人生リセットしたい

29歳女です。
私の家は、母親が働き、父親が家事をする、一般家庭とは異なる役割分担の家庭でした。
ただ、父親は家庭的な人とは言いづらく、頑固で不器用で娘の私の扱いに不慣れで、小学校5年以降、必要に迫‬られなければ「うん」「ううん」以外の会話をした記憶がありません。
一方の母親は夜23時に帰宅、朝10時まで寝て出社で、中学生時代まで平日に会ったことがありませんでした。

そして私は幼い頃からアニメ漫画好きだったのですが、周りの女子に同じ趣味の子はおらず、「オタクはキモい」「アニメ・漫画は恥ずべき趣味」という考えが世間一般の主流な時代だったため、友達もろくにいませんでした(小学校中学年まで男の子とばかり遊んでいましたが、高学年から思春期にさしかかったせいか誰も遊んでくれなくなりました)。

そんなこんなで、小学校時代はずっと一人で絵を描いている日々。地元の中学に行きたくなかったので受験をして、女子が苦手なのにそこしか受からなかったから女子校へ。
一人でいるのが当たり前だっていたので、中高もろくに友達が作れないまま。

大学でも友達はもちろん先輩後輩もできず、思えばこの頃から鬱の傾向があったと思います。毎日通学するたびに涙が止まらず、3年生の頃には昼過ぎの授業にすら起きられなくなることがありました。

アニメ漫画好きが高じて声優を目指していたのですが、教育熱心で「いい学校・いい会社に行くことこそが人生の価値」と思っている両親には微塵も応援されず、夢どころか趣味も否定され、挫折して普通に就職しました。
ギリギリまで声優を目指していたため、就活は出遅れて大迷走して新卒で入った会社は1年ちょっとで辞めました。

26歳で父が亡くなったのですが、正直せいせいしました。
心の枷がひとつなくなったようで、そのときから不謹慎ながら少しずつ精神が安定して、本当にやりたいことをやろうと思えました。
声優はもう目指すには遅い歳だったので、幼い頃好きだった絵に没頭し始めました。

SNSに投稿し始め、同じ趣味の友達もたくさん出来て、ようやく人生に希望を持てたと思っていました。
しかし、心を病んでいた大学時代〜社会人数年目まで絵を描くことをぱったりやめていたせいで、同世代や歳下のうまい人たちに多大な嫉妬を覚え、果てしない後悔に毎日苛まれています。

趣味が本当に狭く、芝居と歌と絵くらいしか興味がないうえに友達もほとんどいないため、その分野で自尊心を保てないと本当に何もかもがダメになるようでつらいです。
他に寄りかかれるものを探すべきなのでしょうが、自分が幼い頃から熱中できたものが絵くらいで、今の年齢から新しいものを始めても結局先駆者とのギャップや若い人の眩しさを見て同じように苦しむことが想像に容易いので、新しいものに手がつけられません。

機能不全家族で育ったと感じているので「家庭」という概念にまったくいい印象がなく、子供にも結婚にも興味がなく、一人の時間が好きなので恋人を欲しいと思ったこともありません。

人生が空っぽです。
29年もの間、何をして生きてきたのかわかりません。
この先の未来が好転する展望もなく、これ以上生きても惨めで情けない思いをし続ける気しかしません。
世間知らずだった若い頃なら自分の未熟さにいい意味で無自覚でいられたのですが、この年になると人間としての出来の悪さを自覚する日々なため、生き恥を晒すのがつらく、はやく死んでしまいたいです。

人生大逆転させるための行動を起こす体力ももうありません。
早く楽になりたいです。

感想1

 経験談の投稿、ありがとうございます。これまでにご自身が大好きなこと(アニメ・漫画)が否定され続ける風潮の中で過ごしたことに加え、子どもの頃から今日に至るまで、人との距離の取り方に難しさを感じる場面が多く、寂しい思いをすることもあったのかなと想像しています。
 投稿の後半で「人生が空っぽ」であったり、「惨めで情けない思い」や「生き恥」という、今投稿者さんの脳内メモリの大きな部分を占めている(であろう)言葉が並んでいました。「生き恥を晒す」という言葉に触発されて考えたのは、投稿者さんの中に「なりたい自分像」や「こうあるべき」という姿を持っていること、周囲(もしくは世間)の「普通」の人たちの生活と比べてしまい、そこに近づくことが難しい状況にいると感じているのでつらいのかなと思いました。

 一方で、「好転」「大逆転」といった、今の状況を変えることを志向する言葉も散見されます。本心としてはやっぱり今のつらい気持ちが続く状況から抜け出したいと思いつつ、何かを変えて行くだけの心の電池が残っていないという状態なんだな〜と想像しています・・・ 

 ここで少しだけ夢や好きなこととの距離感についてお話ししたいと思います。それは、例えばですが、野球部に入った人がみんな甲子園優勝というテッペンを目指して練習にうちこむ訳でも、勝ち抜いてメジャーリーガーにならないといけない、という訳でもなく、草野球をして楽しんだり、練習をすることや試合を観戦・応援することが好きと言う人もたくさんいるはずです。(それは吹奏楽やクラシックをやる人にとっての楽器もそう言えると思います)

 そこで私が個人的に気になったのは、「人生大逆転が成功した姿」、つまりご自身の中でどのような理想の自画像を持っているのかなという点です。例えばですが、今後声優やアニメ制作の現場に何らかの形で関わっているという姿なのか、SNS上で継続的にアップすることでアマの枠を超えてプロを目指して行くのか、それともあくまでも趣味として留めつつ、ファンコミュニティで推しを愛で、その友人たちとの繋がりを大事にする生活という姿か、というように、色々な関わり方や距離感があるかもと思っています。
 誰かと比べてしまったり、才能がある人に憧れる気持ちが出ることって実は私もあります。(楽器をやっています) ただ、人によって辿ってきた道が全く!違うので、戦う(?)相手(比較対象)は昨日までのご自身、という考え方もできるかもしれません。それに、毎回「向上」を目指す必要も本当にあるのかな?と思ったりします。それは、AIがはびこる昨今の世の中で、味や思いがつまった作品は生身の人間だからこそ作ることができると信じています。
 「あの時にああしておけば」と思うこともあるかもしれませんが、ぼちぼち、ふと肩の力が抜けてゆったりと過ごすことができますように・・・

感想2

芝居と歌と絵に興味があると聞いて、良い趣味を持っているなあと感じました。ついこの間、芝居を見に行ったばかりなのですが、夢と現実の間にいるような特別な時間でした。芝居や歌や絵というものがあなたにとって、どういう存在なのかもう少し詳しく聞いてみたい気持ちになっています。

機能不全家族で育ったということで、「家庭」という概念に良い印象を持てないのは、幼い頃にたくさん我慢していたことがあったのではないかなと感じます。また家での会話がなかったことで、自分の内側にこもるようなことしかできない時間も多かったのではないかなとも想像しました。

そうした、つらい時や苦しい時にもあなたを支えたりトキメキをくれていてくれたものがアニメや漫画だったのだろうかとも感じています。(丁度わたしもあなたと同世代のオタクなのですが、当時学校では煙たがられ、隅の方でひっそりと楽しんでいたのを思い出しています。)

SNSなどを通じると、実は仲間がたくさんいて嬉しい気持ちにもなりました。あなたのいう嫉妬心で苦しいという気持ちもわかりみがあって、受け止めたい気持ちでいっぱいです。わたしたちの嫉妬心というのは、英語では2種類に分られ「他人が持っているものを欲しい時に生じる感情」と「自分が持っているものを取られる時に生じる感情」があるようです。

どちらの嫉妬心も苦しいものですが、どの分野でも上には上がいることなどを考えると、嫉妬心を抱かないというのもとても難しいことのようにも思えてきます・・。(「あこがれ」だけの感情しかなかったらどれだけいいだろう。)

「他人ではなく、自分自身に嫉妬していられたら」どれだけ幸せだろうなあと考えたことがありました。文章を読んで、好きなことを好きでいられるあなたはきっと自分で気づいていないかもしれない魅力をたくさん持っている方だと感じています。騙されたと思って、「私の絵が好きで嫉妬するわ〜」「私は私で嫉妬するわ〜」など声に出してみてほしいなと思います。

少しでもそう思うことができたら、わたしはそれこそが人生の大逆転のはじまりなのではないかな、と思ったりもします。

経験談への投稿ありがとうございました。

感想3

投稿、ありがとうございます。

「世間知らずだった若い頃なら自分の未熟さにいい意味で無自覚でいられたのですが、この年になると…」ということばが
同年代のものとしてうんうん、と思わず首を縦にふっちゃうなあと思っています。
(共感、というにはおこがましいかもしれませんが…)
若いけれど若いだけではいられなくって、もう少しいろんなことがみえてきて、
そうするとこれくらいの年齢だったらきっとこんな感じ、というのに自分が沿っていない(レールに乗れていない)焦りとでもいうのでしょうか。
でもそもそもどんな人間だったら出来がいいんでしょう、なんで出来が良いと思うのでしょう。
そこに社会の側が押し付けてきている「あるべき姿」があるんじゃないの、
社会の側が押し付けてきているものがそもそも良いものではないんじゃない
良いとか悪いとか誰かが決めるものなの~?と思う気持ちも個人的にはあります。

機能不全家族と感じる環境で育ってこられたこと、
友だちがうまく作れないと感じていること
趣味の世界で嫉妬すること
そういったことたちが積み重なって
「こうありたかった」「こうあるべき」とあなたが考えている理想像とは
今の自分がずれていて、そこの葛藤があるのかもなあという印象です。
(その理想像も先の話とおんなじで、社会や周りが押し付けてくるもの気が付かぬうちにあなたの中に取り込まれているのかもしれません)

また、あなたの思う「大逆転」した人生は一体どんなものなのだろうな、しりたいなと思っています。

一方で文章の端々にあなたの力を感じるなあというのも正直な印象です。
例えば、中学受験をして受かっていること、
好きなことをやめず続けるのも就活は出遅れたと言いつつ内定をもらってきていて
絵を描いて投稿して友達を作っていることも、
今この文章をかいて投稿されていることも、力だなあと感じています。

嫉妬心も、もっとうまくなりたいと思うあなたの力がゆえなのかなと。
嫉妬ってネガティブにとらえられがちですが、エネルギー源でもあると思っています。
支配されるととっても苦しいですが、これは嫉妬である、なぜ嫉妬しているのか、というように少し客観的にみてみると嫉妬が違う顔をみせるかもしれません。

あなたには力があって、自分が生きていきたいように生きていける方のように私は感じています。
自分自身が「あるべき」と感じている姿が果たして本当にそうなのか、ということを考えて
周りとおんなじじゃなくってもいいかも、と心の片隅で思っておくと
これもまた違う顔が見えてくるかもしれないなあ、と個人的には思っています。

大逆転、まではいかないかもしれないですが
ちょっとちがう方向に道が見えてくる可能性があるなと思いました。

今回思いを綴っていただいて、つながったのも何かの縁だなと感じます。
また投稿をしにきたり、のぞいたりしてくれたら嬉しいです。

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