今も時々死にたいと独り言こぼすけども、かと言って実行どころか準備すらしなくなった。そんな私の体験談だが投稿してみる。
そも生きてるのが辛いと言うか、ツマラナイと自覚したのは小四だ。母の話では幼少からボーっとしていたらしいし、幼稚園の年長で不登校…不登園?家庭的にも色々あったが、周りを気にしない性格。互いに個性自慢する兄弟と、忙しい母代わりの元気な祖母のお陰で悲壮感は無かった。小四のソレに理由はない、ただそう思った。そしてソレは大人になれば自立すれば解決すると思った。
結局、自立出来なかったのだ。色々夢を見たけども、現実は毎日をただ消費するだけ。受験にしろ就職にしろ大した努力もせずに入って、そして全く成果も出せず終わった。別に何か非難されたワケでもない。ただ、居た堪れない。先を見られなかった。
かと言ってバイトすら上手くいかず苦痛だった時、いよいよ生き詰まったと思った。辞めるとも言い出せなかった。正社員を辞める前から、準備はしていた。準備はカンペキだったのに、何を思ったやらタイミングが悪過ぎる。具合が悪いと家族に言って休んだ後にしたのだ。気付いたら、精神病院のベッドだ。
病院で診察を受けたが異常はない。何で死のうとしたか?芥川だって言ったじゃないか、漠然とした不安。私はせめてキレイに死にたかった。家族は責めなかったし泣かなかった。入院の間に本を数冊差し入れてくれた。初めて読むSF小説とナチスの強制収容所を生き残った「夜と霧」で感動した、納得とまではいかなかったけれど。確実あっさり逝けると思ったのに失敗したので。少なくとも自分の場合は何か奇跡が起こらないと駄目なんだと思う。
同じ入院患者は認知症の高齢者が多く、うつ病で無気力な若い人や変わった人は数人だった。仲良くなった、みな優しく純粋で可愛かった。暇だったので千羽鶴を折り始めたら、ウツで寝てた人が沢山折ってくれて感動した。世間で気の利かない筆頭だった私が、ここではマシになる。恥ずかしくて理由は言えなかった。ここにいる人達は誰も何も悪い事していないのだ。それでも多くの人は他に帰る場所など無いから、ここにいる。帰る場所がある、一人で生きていける内が花なのかもしれない。それとも、孤独死よりは務所入りのが幸せか。
退院してから、些細な事で家族と口論した。母は言った「あんたは結局とことん自分勝手で逃げたいだけなのね」その通りだ、だけど嫌な事から逃げて何が悪いんだ!
それから色々あった。
時間のできた母と出掛けて話すようになった、母もギリギリだったのだ。
今は泣く泣く辞めたが、良い職場に入り、たくさんの母代わりや友達ができた。もう滅多に会えないが、良い思い出だ。
自分でも一人で四国へ片手間お遍路の旅行したり、婚活などもした。こんなに色んな人と話したのは初めてじゃないか。学生の時も授業以外は本を読んでる方が好きだった。
仕事はまだ悩むし、結婚は他の兄弟がいるし構わない。そも私みたいなのが子供を育てられるやら危な過ぎる。
数人いる年齢の近い友人は忙しくて会えないが、私の性格も性格だし、長年一人でいると定期的な寂しさも無くなるものだ。初対面の人でも話せるし、添い寝は気に入りのぬいぐるみで充分なのだ。
逃げ癖は相変わらずだが、母に愚痴れるしカラオケや出掛けたりと選択肢は広がった。仕事もだが、もっと料理や家庭菜園の手伝いもしたい。
先を考えると全く見えないが、考えても仕方ないから考えない。とりあえず死ぬのは親を看取ってからにしないといけない。
あまりに最低過ぎる私の話に、不愉快になられたら申し訳ない。まぁ何かの参考になればと思って。死に損なって調べてて見かけたが、どうも思春期の次に20〜30代ってのは精神不安定になる時期らしい。私もそうだったし、ここのアンケート見ると一理あるね。気休めになれば。
追記:もう一つ、上記の経験に関連した他人に言えない話をついでにさせて下さい。
*怖い話です、苦手な方はご注意下さい。
入院の始めの頃かな。夜中に、同じ入院患者で歳の近い娘がちょっと変わった娘なんですけど私の個室に訪ねて来たんですよ。話があるんですって。でも、夜中だし私はぐっすり寝てたんですよ。後にして、明日の朝にしてって断ったんです。そしたら急に声色が変わって「こっちの苦しみも知らないで、お前も同じ目にあわせてやる‼︎」って襲いかかってきたんです!でも、先にも言いましたけど、私は非常に眠かったから「うるさいっ、私には家族がいるんだ!」って布団ごと、はね除けたんです。そしたら、夢だったってオチですが。
精神病院だったし、ぞっとしましたね。死のうとしておいて、何を今更怖がってるんだって話ですが。自分で死ぬならいいけど、幽霊にとり殺されるのは御免です。もしかして、自殺したら、自分でも思いもよらずに現世を漂う事になるのかもしれませんね。そう考えると、幽霊?に悪い事しました。御冥福を祈ろうと思います。
いや、まったく幽霊などと下らない話ですが。私は霊感とかないんですけどね。ちなみに、幽霊?が擬態したであろう彼女とは今でも交流があります。気のいい娘です。
怖かったけど色々考えさせてくれる出来事だったので、ここに紹介させて下さい。ここまで読んでくれて、本当にありがとう御座いました。
感想1
「居た堪れない」という表現に、とても共感しました。居た堪れないという言葉は、よくも字面をみてみれば、居ることがつらいという意味だとわかります。恥ずかしいとか、申し訳ないとか、ただつらいとか、その理由はいろいろあると思いますが、私の場合、死にたくなるということは「居た堪れなくなる」ということだと理解をしています。
入院中のエピソードにあった「ここにいる人達は誰も何も悪い事していない」という言葉に、本当にそうだと感じました。悪いことをしていなくても、悪者のように扱われてしまう社会は窮屈だと思います。その窮屈さがどうしたらすこしでもほどけるか、これからも考えたいと思いました。
自分勝手に逃げられることはとても大切な力です。逃げたいときに選べる逃げ場所が安全で安心できる社会でないといけないと強く思います。
あなたが悩みながらも、日々暮らし、生き続けていることをうれしく思います。それを知ることができてうれしいです。
経験談を送っていただきありがとうございます。
私も「実行どころか準備すらしなくなった」といつか書けるように、悩みながらでも、日々をのんびり暮らしていきたいと思いました。