※本文中に、心理療法等に対する批判的な記述が含まれますが、それは筆者の個人的な経験に対する述懐であり、標準的な治療を否定するものではありません。筆者の基本的な立場は、むしろそれらに肯定的であるとご理解くださると幸いです。
ネットでとある記事(https://t.co/WubJGWKcwC)を見つけて、私はこのように思いました。「どうしよう。私も六年失敗しかしてこなかった。なんのためにもならなかった。どうしたらいいんだろう」。そこには、例えばこう書かれていました。>>私はある日、家族に対して、「自分を再起動させる時間が必要である」ということを理解させ、「私が働いていないことで残念に思うのをやめてくれないか」と言いました。<<私はこうも思います。「私を縛る枷は私自身なのだ。自分を再起動させる時間を奪ったのは、ただ私の非常な疑心暗鬼だけなのだ。母や教師は何も言わない。しかし私は一人で立ち直ることができない」。これは、日付が8/1に変わる頃、一気呵成に吐き出した文章をもとにしたものなので、脈絡なく話題が移り、しかも抽象的で「体験談」とは言い難いものだと思います。すみません。
私を私が許さない。私を許そうとしてしまう私を許すことができない。だからいつまでも進めない。私の中に渦巻いている際限なき自己肯定と、それに対する否定の上塗り。それだけ。それだけの人生。私は自殺に失敗した。死ぬこともままならない。生きることも、生きる努力をすることも。それを伝えることも。伝えられなければ、どうしたらいいか聞くこともできない。頑張って整理して、聞いたところで、しかし答えてくれた人は一人もいなかった。みんな、自分で考えろって、もしくは、今は何も考えるなって。それは自分で勝手に考えることだって、もしくは、今は心身を休めることが第一だって。それっきりだった。私に味方してくれた人は一人もいなかった、私とともに考えるよと言ってくれた人は。どうやって休めばいいか教えてくれた人は。ただの一人も。私のこの望みはそんなに無茶なのか?私のことを100%理解してくれと言っている、過度な理想化なのか?私のささやかな願い……。誰か一人、私のことを支えてはくれないのか。私一人でどうやって回復すればいいんだろうか。せめて、私が自分一人で回復できるところまで肩を貸してくれる人はいないのか。
そんなことを考えながら携帯を見ています。動画サイトを回っています。楽しくないのに反射で口角を引き攣らせることに喜びを感じて。見ても辛くなるだけなのに、学識と良識に満ちた人々のSNSを眺めてせめてもの自己研鑽に励んでいます、本も読めないのに自己満足だと思いながら。不安を隠すことがうまくなりました。うまくなればなるほど、もう続かないとも思います。こんなのいつまでも続くわけない。なのに本当はいつまでも続けられる体力があります。続いてほしくないのです。綻んで、誰かに労ってほしいのです。でも綻びなどしません、なぜならそこまでの負荷すらかかっていないのですから。私は実に惰弱で、それを許してもらえるほど、理解ある人々に恵まれています。だから、きっとこれ以上を望んではいけないのでしょう。すべては私の気の持ち様次第、と言って詰ってくれる人も、そんなことないと慰めてくれる人もいません。私が私のことを人に伝えることから逃げているのです。確かに、私は現在の自分を恥じて、人に見せないようにしているのです。そのことを含めて、やはり私次第なのです。私は勉強もしていません。就活も出来ません。卒論も書けません。そのことを授業で漏らしたら、「じゃあ今晩の夕飯はって聞いたら、それも決まってないって言いそうですけど」、そう講師の先生から笑われました。そのこと、本当に聞かれて、私は「知りません」って答えてしまった。自殺企図を起こしてから、私は実家に引っ込んで母と暮らしているのです。私はその日の晩御飯も知りません。決めていないより、遥かに悪い。彼はそんな私の事情を毫も知らない。ひどい侮辱に、私はへらへら笑っていました。
母との二人暮しは穏やかです。母も父も、私に節度ある態度で、普通に明るく冗談を言います。非の打ち所のない対応です。欠点のあるところまで含めて。自然。普通。恵まれた普通。でも、私は母に絡め取られています。母は自制心が強いだけなのです。それも巧みな自制心が。それはまさに私と同じです。母は私と同じ空虚を抱えて、私に甘えたがるのです。そしてそれを強く自制している。私と同じように(ただし、私は母に甘えることは、とてもでないけれど気持ち悪いことです)。昨日もお好み焼きを食べ、廃線を紹介しているテレビについて話して、夜もオカリナや音楽のピッチについて潑溂と、とはいかないまでも、気の置けない形で会話しました。聲の形という映画を、しかし私は母と決して見られなかった。母は寂しいのです。私を心配する気持ちが、そのエゴイスティックな寂しさと切り離せないのです。母にも味方がきっといないのです。そんなことを自分に言い聞かせながら、彼女からの心配を拒絶する言い訳を探しています。母は私に怯えているのです。
父はどこか子供のような人です。女子供には見せない助平さがあって、私はそれを軽蔑します。しかしそれも私のものなのです。父は子供のように子供らしいのに、実に社会人です。社会生活の知恵を、本当にしっかり見に染み込ませています。彼は、後輩の仕事の面倒も教育もちゃんと、十分、とても優秀に出来る。仕事が出来るのです。母と同じく高卒で学歴はなく、それに昔あったことで、出世ももはやしませんが、それでも大会社で、新人研修を任されるくらいに有能なのです(いかんせん大会社なので、仕事に余裕のある人にしか回ってこない役目なのだそうです)。そしてそれを愚痴る余裕があるくらいに。リモートで大変だよ。女の子が二人。自分の仕事片付かねえよ。彼女ら新人の内定者は、おそらく私より2つも年下なのです。そのことを父は忘れたのか、それとも私のために触れないよう慎重なのかわかりません。でも、何も考えていないようで、気を回すことの出来る人です。私に彼を軽蔑する資格は少しもありません。
姉のことはよくわかりません。少し欺瞞的だと思います。家庭内ですごい反抗期をして、私のことを心底から憎んでいたくせに、気づくと家族とよろしくやれるようになっていた。しかもそのやり方が、どこか嘘くさくて、その上本人はその嘘に満足しているようなのです。よくわかりません。ストレスの溜まっている様子もなく、まぁまぁの仕方でやっています。私とももう既に仲が良い。そのふるまいをしたくなる心理はわかります。しかし、それを臆面もなく、自分の心情との齟齬もなく行えてしまう気持ちはわかりません。彼女は不思議な人です。彼女は、いつの間にか自分の勉強を熱心にするようになっていました。私は出来ません。姉のことが私にはよくわかりません。
私は世間的にはエリートです。正確にはエリートの卵です。でも、もはや孵ることのない卵なのです。就活もしていない。卒論も書けない。語学もなくて、学校のわずかな課題をやる元気すら失くしかけています。エリートには責務があります。今や格言の刷り込みなどではなく、それが真実だと私にはよくわかります。社会的責任にはリアリティがあります。しかし、私にそれを担えるとはとても思えません。大人一人分の責任も担えない私に。そのような私を私が恥じて人から隠すのです(しかし、恥じて隠れることすら自らに禁じていた時期に比べれば幾分マシかもしれません)。私は世間的にはエリートです。日本で最高級のエリートとされるでしょう。でも、私にそこに入る資格はなかった。そう思いながら昔受験勉強をして、それなのに普通に受かってしまいました。私より入るべき人は他になんぼでもいたのに。私は一年浪人して勉強する力と基礎教養とを身に着けてからでなくてはいけなかったのに。私は受かってしまった。合格者平均点すら上回って。大学に入ってそのことを友人に何回か吐露しました。多くの人に気を使わせてしまいました。浪人した人にまで「受かって後悔している」と浴びせるなんて。みんな困っていました。当たり前です。非常識なのは私の方なのですから。申し訳ないなと思います。けれど、逆に言うと、みんな大学受験で自己肯定感を強くしていました。ずるいと思います。そんなこと考える私は死ねばいいのにと思います。合格報告の時、高校の担任に私は、嬉しいと思う、と言いました。けれども、本当は自己否定感でいっぱいだったのです。世間の評価と自己認識がどんどん乖離していくのがわかります。いいえ、それは嘘です。もともとから離れ切っていたのです。
高校に入った時、君はとても優秀だと言われました。入学早々受けさせられた模擬試験の結果です。ベネッセの用意した感熱紙には、最高ランクの学力レベルと中の下の学習習慣とを示す座標の交点で★マークがプロットされていました。習慣をつければ必ず合格できるといわれました。私にとっては、全然解けた気のしなかったテストです。高校受験にかかる模試でも、箸にも棒にもかからない点しか取ったことはなかったので、全く信じられませんでした、本当のことです。少なくとも、信じようとしませんでした。本当は浮かれたかったのでしょう。しかし、それを慎重に避けようとする心が私にはありました。中学、小学生の時分から、私は浮かれると必ず失敗してきました。もちろん、今だって気を抜くと、良心と人恋しさと嫉妬からハラスメントをして、嫌なことを言って、簡単なことに躓いて、人を不快な気分にさせます。後から気付いて私は私の死を願います。私は深い親交を持ったことがないのかもしれません。
話をもとに戻しましょう。日本のトップ大学に合格できると熱っぽく語る(その予言は最悪の形で実現しました)担任を前にして、しかし私も、自分に対する期待に身を任せたかったのだと思います。それでも、私がそれまで十年間培ってきた私への不信が、私にそれを許しませんでした。いいえ、これも不正確でしょう。不信は、常に信に裏打ちされていたのですから。私の中には、自惚れた自分がまず存在していて(本当はさらに内側に、素朴な私があるのですが)、その自惚れを打消そうとする私が一つ外側にいるのです。それは、人目を気にしてのことであります。自惚れは冷笑と村八分……。しかし同時に、自惚れで本当に失敗する自分をも、私はきちんと経験していましたので、私はそれを避けようとしました。自惚れて失敗して人を嫌悪感でいっぱいにしてしまうような自分すら信じてしまう私がいるということ、これを嫌いにならなくては私の気は済まなかったのです。……結局これらすべては人目を気にするエゴイズムでしょうか。それでも、自惚れがなければ、冷静な判断が出来て、失敗も少なくなると、自分のためにもなると、本当に信じていたのです。私は幼い頃から、自惚れる度に後悔しました。小学一年の担任には、自惚れていないことをも自惚れたことにされたこともありました。なんにせよ自惚れることは失敗することと同義でした。恒常的に失敗が連接するのなら、自信と失敗は同義です。自信にあふれながら失敗したり、全く自信なくて成功したり、またその反対もあって、私は私の気持ちをどこに置いておけばよいのかわからなくなりました。そうしていつからか、私は自惚れる前から後悔することにしたのです。
また脱線してしまいました。結局、私は担任からの望外の評価を受けてどう思ったか。偽りの喜びを表し、それとともに冷静さをも装ったのです。嬉しさを素直に受け止め、それでいて客観的な認識も出来る自分というのを作ったのです。作れば、そうなれると信じていたから。私のなれない、しかしならなくてはいけない、嫌味のない人間になれるにはこれしかない、真似をするしかないと思って、信じられないのにそう信じました。とはいえ、案の定、なりたい自分にはなれませんでした。私にそんな器用なことは向いていなかったのです。予想と結果とは、一致しないままでした。子供のころには確かに獲得した基本的信頼は、思春期を深めるにつれ次第に剥がれてゆきました。私自分で剥がしてゆきました(剥がせるわけがないのですが)。は努力が出来ない人間でした。高校になって、私はますます勉強が出来ませんでした。なのに、成績は下がりませんでした。おかしいでしょう?曲がりなりにも地元で一番の進学校なのに、ほとんど授業と一夜漬けと自責感でしか試験に備えられない私が、だいたい常に総合トップを取るのです。私は益々わからなくなりました。勉強がわからない。仕方も内容もわかってない。本当に理解してないのです。それなのに点数が高い。学年での相対的な位置においても、全国的な値においても(とはいえ、冊子に乗るような優秀さは、当たり前ですが、望めませんでした。だからこそ、私には無理だとも思っていたのでしょう)。これはひどい地獄でした。私は勉強が出来る部類の人間には珍しく、点数が上がる喜びも、知的能力の高まる楽しさも、高等学校においてはちっとも知ることが出来なかったのです。点数が上がれば下がることを気にする。点数が下がれば、本腰入れねばと思い、すぐ挫折して辛い思いをする。「また叱られる。勉強しないから」。しかし成績は下がらないので別に叱られることはありません。なので、自ら私はこんなに努力が足りないと披瀝して人を困らせました。人は努力していると私は自分に言い聞かせます。それなのに私は人より優れていました。私の何が優れているのか、てんでわからないと言うことは、大変に恐ろしいことでした。それらは、努力していない私を脅かすシグナルでしかありませんでした。どうやって獲得したのか知れない、そもそも持ってもいない能力を保持するように迫るシグナルでしかないと思っていました。一方で、私が人より優れているということは、喜ばしいことでもありました。結局のところ、私は自分が否定したがっていた価値基準に搦め取られてしまいました。しかも、その事実は隠されねばなりませんでした。自惚れて高飛車になることを恐れたのです。数々の物語において、高飛車さは凋落を示すわかりやすい兆候なのだと私は知っていましたから。そうして、私が優れているということは罪だと私は自分に言い聞かせました。次はない、次はない、勉強している人に勝てるはずがない、報われるのは彼らの方だ、絶対に次は落ちる、呆れられる、二十歳過ぎればってやつだ、ちゃんとやれ、ちゃんとやれ、何もしてない私が褒美を受け取ることなど許されない、私は罰を受けろ……。思ってもいないことを私は私に言い聞かせました。選民思想に陥ることを私は私に厳重に禁じました。そのようにして私はルサンチマンを高めていきました。屈折した形で、私は成績を維持しました。
私は俗流の価値などではなく、本質を重視しているつもりでした。点数なんか、他人の評価なんか、と。実際、そうだったと思います。人にはそう見せかけましたし、自分にもそう言い聞かせました。「勉強ばかりができるよりも大事なことがあるからね」という幼い頃の母の教えも、それに近いものだと思っていました(それは間接的に、私の長所、すなわち小学校以来の好成績を無意味とされることに繋がったのですが)。点数というものを軽視する合理的な理由も考えました。評価より中身だと。しかし、私はいつまで経っても勉強が出来ませんでした。ひどく矛盾した態度。点数を軽視しようとした結果、勉強することそのものを軽視してしまったのです。担任にもいつもそこをせっつかれました。「M(私のことです)はいつ本気を出すんだ?」毎回の模試の度、結果の如何に関わらず、私は落ち込んでいるように振る舞い(実際、絶対評価において不足していたことも事実だったのですから)、毎回の校内考査の度、私は悲しくなろうと努力しました。努力に向かうよう、私は私に鞭打とうとしたのです。しかし、この世には、ためらい傷、という概念があります。私は努力する努力が出来ませんでした。鞭打つ力にも手心が加わりました。私は怠けていました。私は私が疲れていることに自信が持てませんでした。大学生活を過ごすに連れ、私は私の心を誰かが破壊してくれることを望むようになりました。私は他人への疑心暗鬼を隠してにこやかにおどけて生活しました。へたくそな愛想笑い。ひとり大人になれない自分。ぎこちなく暴力的な信頼表現、他者批判。そんな努力しか出来ない自分を嘲笑おうとしました。それすらだめでした。結局、悲しみも落ち込みもなかったのです。日常では普通に楽しく笑っていて、白白としたものでした。
自惚れないこと、自分に夢中にならないこと。私が私に掛けた呪縛は、実に愉快な形で私に発現しました。失敗の数は減らず、しかし対人様式は丸くなり、つまり人当たりが良くなり、ささくれ立ってぎこちないながらも私は偽りのトリックスターを演じました。それでいつ、「ワザ、ワザ」と指差されるか、兢々としていました。指差されたなら私はきっと……。いいえ、そんなことを私はきっと恐れません。私はきっと気持ちいいでしょう、むしろ救われるでしょう。唯一の理解者を得た気持ちになるでしょう。安心して、しかし見下していた相手に見下される敗北感に打ち萎れながら、畢竟私は安堵するでしょう。私は本質的には全く、何も隠そうとしていないのです。誰かに気づいてほしくて、馬脚をチラチラさせている。それで気づいてもらえれば、私も悲愴なお道化のサーヴィスが出来てるんだ、私も悲劇の主人公みたいに人から憐れまれ、仕方ないと同情され、そして尊敬される。そうに違いない。気づいてほしい秘密は、往々にして最も隠したがっている秘密であるものです。嫌味のない人になれないのなら、せめて悲嘆にくれてうっとり出来なければ……。そうなりたかった。なれませんでした。当たり前です。こんなこと考えてる人は、たとえ指差されたとしても、そんな画策をしていること自体に自責感を覚えたがるに決まっているのです。そもそも、私の欠点を指差して嗤ってくれる、そんな優しい人がまるで悲劇のように現れるだなんてありえないことでした。私の周りには、人を思いやる心の強い、良い人しかいませんでした。そこにあって、私だけが、嫌な奴としていつも浮いていたのです。いい人に囲まれて、私は不満顔でした。中学の終わりころから、私は本が読めなくなっていました。論説も小説も、これから読む本がいよいよ面白くなる、そのような年頃から、本が面白くなくなったのです。何回も読み返さないと、国語の問題文も頭に入らない有様。ちっとも読めなくて、楽しくなかったのですが、自分がそうであるということに本当の意味で気づいたのは大学に入ってからでした。遅すぎました。今だって何も面白くありません。私は愚かでした。愚かだと今もわかっていません。私は今も愚かでした。
何を書けばいいかわからなくなってきました。とにかく、私はたいへん恵まれていて、知能も高いらしくて、しかし何も出来ないということです。この認識は、大学に入っての、頭のデキの劣等感というのでもないと思います。数値を追い求める勉強できる人の典型的な依存からは無縁でした。評定には昔から価値を置いていませんでしたが、よい成績をとりたいと言う欲望も持ちました。ある程度は実現しました。しかし、そのために頑張らねばならないことは大変な苦痛でした。そして私は私に失望しなければなりませんでした。本も読めない、努力もしない。本当に欲しい価値と理解と熱情には手が届かず、不要な点数ばかりが降ってきたのが初等中等教育でした。不要だというのに降ってきて、それすらなくすと私には何もなくなると思って、逆説的にそれに囚われました。逆説なので、私はそれに囚われきることすら出来なかったのです。高等教育において、アノミーとアパシーはいっそう加速しました。しかも私は、私を支えてくれる他人に感謝することも出来ませんでした。そして、そのことに罪悪感を感じられない自分を責めようとまでしているのです。人間のなり損ないみたい、って、誰か言ってくれたら、きっと私はとても嬉しくなるでしょう。人間のなり損ないなんて、いかにも一生懸命で美しいじゃないですか。でも私は人間です。しかも人間じゃない。皆と同じくだらない人間で、しかし皆と違って美しいところがない。人間のクズ、そんな人間です。人間なのです。「尊厳」を持つとされる、そのような人間なのです。
私は三ヶ月前、命を捨てようとしました。でも、捨てられませんでした。そのことについて、私がサバイバー意識を持っているかというと、そんなことはありません(ああ、泣きたい!)。私は死ぬ気がなかった。だから用意した薬物のもう半分を飲む勇気を持てなかったし、そもそも、手持ちの薬物が半数致死量にギリギリ届かないかもしれないとも知っていました。狂言自殺にこの上なく近かったのでしょう。私にはわかりません。人に言わせると、もしかすると……。そうでなくとも、苦しむ私を見て、自業自得だよと軽蔑した深夜の当直医の言葉は正しかったのでしょうね。薬でえづいていて、体も声も頭もうまく操れない私を見て、彼らは私が何の考えもなしに企図を遂行したのだと判断することに決めたようでした。彼らは心底苛立っていました。このクソ忙しい時に、何も考えず薬飲みやがって、剰え自分で救急車呼びやがって、とんだマッチポンプ野郎だ、若く甘えた顔つきで、どうせくだらない理由で飲んだに決まってる。そういう心の声を、私はもうろうとした意識の中で聞きました。死のうとした人間にひどいことを言うものだと思いましたが、しかし、きっと本当はその通りなのです。私はくだらない、自分のことしか考えない、つまらない思考停止で他人の手を煩わせ、保護者(二十代にもなって!)にも金銭的・心理的な負担をかけた人間なのです。結局私は反省しないで彼らのことを悪く言うのです。あれは、不器用な私に出来た唯一のメーデーでした。けれども、そんな舞台設定を隠して私は、「私はもう死ぬ、私はもうきれいな体だ、私は世界の害悪だから、人も自分も傷つけるひどいハラスメント野郎だから、仕事をすれば皿を割り、覚えが悪く、高学歴で使えないのだから」と悦に入ろうとしたカマトトちゃんでした。べつに嘘ではないのです。将来への手遅れ感と加害への自罰感情とは、今もなお交互に私のもとを訪れるのですから。しかし本当は、それを心から信じ切ることも、そうして悦に入ることも出来なくて、そんなところまで一人芝居、私しか見てない一人芝居を打たねば薬を飲むことは出来なかった。私は私に無条件の価値を見出していたからで、私の世界は私を手離してはくれませんでした。それが私にとっての一番の絶望でした。その上死ねなかった。死ねなかった。死のうと思うことすらできなかった。私に出来たのは、精々、死のうと思おうとしたことと、死ぬ素振りを物理的な行動で示したこと。それだけです。悲しくもなれません。悲しくなろうとしているだけ。悲しみで涙が出たことは、そもそも生涯において多分一度もないのです。だから、私はうつ病でもないのでした。ええ。
大学六年目のこの夏の初め、私は口を滑らせて、知り合いの大人に、私は5日前に自殺企図を犯したのだと言いました。彼は狼狽えて言いました。「あなた、そんなことをした風には全然見えないんだけど」。そう思います。私は外面がいいんです。本当は浅はかなのに、思慮深そうで元気そうにしているのです。私はどんな悲しみのときにも、潑溂とした知性が働いているふうに見せかけることが出来ます。悲しくないので。悲しくなれないので。私は、その短い会話の中で、「やめてください」と二度三度、言われました。私は彼の気持ちがわかります。しかしもちろん、わかるわけもありません。私は、「自殺をするな」という彼の言葉が、私への思いやりと彼の倫理観のせめぎ合いから出たもので、暫定的な、しかも心からの言葉なのだとわかります。しかし私は、彼の言葉の、私に資するところがどこにあるのかわかりません。私は、彼の倫理観には、深い学的洞察と、根拠と、合理性と、人々を死なせず生かすための含蓄と人間味があることがわかります。きちんと知解しています。私は、しかし彼の言葉がなぜ私には届かないのか、わかりません。「俺のことはどうでもいいのか。」のちの飲み会の席で彼が言った言葉を私はきちんと理解することが出来ません。なんで私は自分のことばかり考えているのでしょう? 私は他人が死ぬのが嫌です。ALSの人に、自殺を迫らざるを得ない日本の風土では、いかなる形でも安楽死は正当化されてはならないと信じています。自殺はポモの人たちが言ったような権力への抵抗にすらならない。私たちは合意なく人を傷つけてはならない。しかし、私は自殺企図を犯しました。芸能人の自殺に、私は安堵しました。私は、「人は死んではならない」とする言説に反対するしかない。人を傷つけてはいけないのに、自分を傷つけなくてはいけないと思っている。そして、私は本当は悪くないと思っている。なぜ、こんな矛盾が私の中に罷り通ってしまうのか、これが私にはわからないのです。
私の望みはおそらく一つです。この、私の声にならない矛盾の味方をしてくれる方が誰かいないか、少しだけでいいから、私がきちんと、私が一つの一貫した板となれるまで(今は“分裂”しちゃっているのです、多分。解離ではなく)、私が「或る私」になるまで、生業なんて大したことじゃなくていいから何か「やりたいこと」が芽生えるまで、私に肩を貸してくれる大人か友達。ネットコミュニティへの臆病さは、私を生かしてきたし、殺してもきたのでしょう。おかしな依存関係に足を突っ込むこともなく、しかし仮初の同胞意識も、相手が私のことを見てくれているという感覚も、得ることは出来なかった。私の友は、顔見知りのようです。高校以前の友とは、ひとり残らず絶縁してしまいました。時が、つながりを解いたのです。大学の友人は、迷惑を掛けていいと思えるほど、気の置けない関係にある人を一人も作れませんでした。私は少し、疲れました。心理療法家は、残念ながらクソの役にも立ちませんでした。そんなことないだろうと思って付き合ってきた四年間、五人みな、話を聞くだけでした。五人目なんか、自殺企図を起こしたと伝えたら、なんと返したと思いますか。「それをしてあなたはどう感じましたか」ですって。あなたから言いたいことは、何もないのですか……。医師は、ある時から、私の話を辛抱強く聞いてくれるようになりました。薬と生活支援の相談に乗ってくれる良い先生です。しかし、私に最も必要なのはそれではないようにも思います。私の言葉は一方通行です。辛抱して聞いてもらえるだけ、しかもそれにきちんと返してくれるだけ恵まれている、と思えない私がわがままなのです。しかし、言葉を交わしているはずなのに、私の言葉は相手から帰ってこない気がします。私には物質的な支援の他の松葉杖が必要でした。私は援助希求が出来ません。大丈夫?と聞かれても、何が大丈夫じゃないのか、わからないのです。だから、「危ない」と思ったときに電話して助けを求める、なんてカマトトぶったことできるわけないのでした。私はいつまでも先のことを考えることが出来ません。卒論や進路を考える時限が迫っているのに。この間、私は何も頼まないのに、いとこに対して母がアルバイトの斡旋を頼みました。口を滑らせたのでしょう、何かしないといけないと思って。しかし、私は母を詰るのを我慢しました。私が悪いのだから。優しい従兄が私を飲みに誘おうとしても、私は「ありがとう」の一言も言えませんでした。私が消極的なせい?一人でいないってどんなこと?他人はこんなにも私のことを考えているのに?私は、どうして私が悪いのかわかっていないのに反省しようとするとき、自分に対して死ぬことをお勧めするのです。このところはまた毎分毎秒……。
一人でいることは大変です。そんなことを、もう四年も言い続けていて、しかし結局、主治医も心理療法家も、肩の一つも貸してはくれませんでした。いいえ、きっとそうではありません。私の方が、人がせっかく肩を貸してくれるのに、それを受けるための腕を失くしてしまったのです。私は恵まれています。その状況に甘えながら、私は更に贅沢です。差し伸べられた手を振り払うのは私です。気遣わしげにこちらを見つめる眼差しから目を背けるのは私なのです。それでも、流石に一人は疲れました。われと失った心の腕を託ちながら、もう何年も言い続けています。
感想1
経験談を投稿してくださって、ありがとうございます。
すごい文字数で、びっくりしました。これを基本的には一日で書かれたということですから、きっと、エネルギーや体力をたくさん持っている方なのだろうと感じました。また、あなたは勉強ができて、いろいろなことをこれまでに学んでこられたのでしょうから、具体的に思考する材料もそろっているのかもしれません。
その材料とエネルギーで思考し続けたら、「ま、いいか」というような終わりが見つけられなくて、苦しくなってしまいそうだなとイメージしました。
また、たくさんの言葉を知っていて、言葉を使って考えることに長けているのだと思うので、言葉の海のなかで言葉に埋もれてしまうこともありそうだと感じました。
もしかすると、言葉的なことや意味の分かりやすいものごとから離れて、非言語的なこと無意味にも思えるようなことに心身を投じてみると、ふっと言葉の世界を抜けられるかもしれないと思いました。
読ませていただくなかで私には、あなたの思っていることや感じているところ、本当だと思っていることをあなた自身がなんとかして言葉にしようとしている様子が感じられました。だから…ということではありませんが、私も、私の思ったことをなるべく正直に、ていねいに、真剣に書こうと思います。(経験談で感想を書くときには、いつも、経験談の真剣さや力に引っ張られるようにして、気づいたら真剣になっている感じがします)
医師や心理療法家の対応への不信感とも呼べるような記述があり、私は共感を覚えました。
傾聴と呼ばれるような話の聞き方に対して、私は十分ではないと思うことがよくあります。
私自身も長く精神科にかかっているのですが、私の場合は医師に対して、生活に必要な薬を処方してもらうことと、私が立てた仮説や用意した資料を見て、医学の見地からコメントをしてもらうことの二つを求めていて、それは叶っていると感じています。
ただ、たとえば「自殺しそうな人がいたら」というようなウェブページに書かれている「話をよく聞きましょう」という表現は、ずいぶん不十分だという気もするのです。
もちろん、ひとりひとりに必要な対応は違うでしょうし、最大公約数的な考え方をすれば傾聴以上のことを言えないことも無理はありません。
ただ、今の社会では死に瀕したときに限らず、真剣な言葉を交わしあうことがむずかしいと感じています。あなたは「ともに考えるよ」と言う人を求めているように書かれていました。
私は、たとえばインターネット上に投稿された真剣な言葉に対してLikeボタンをひとつ押すだけで対応を終えてしまえるいまの状況は、苦しいなと思っています。書き手の真剣さと比べると、なんだかすこし無責任な感じがします。Likeの数で、書き手の真剣さや書かれていることの重大さ、おもしろさ、魅力を測ることはできません。でも、投稿した人は、きっとそれに一喜一憂するでしょう。Likeが多くても、少なくても、その喜びや悲しみは本来的ではない気がしています。
……これは私の個人的な感覚ではあると思うのですが、こう思うからこそ、ここでは一生懸命に経験談を読んで、自分の言葉で、自分なりの感想を書こうと決めています。
「私が一つの一貫した板となれるまで」と書かれていましたが、私は、人は板みたいに一枚ではいられないと思っています。
分裂を繰り返しながら、日々まるで違う人のようですらありながら、どこかで自分はひと続きの生きものだと認識するあたりが、人の面白さのひとつだという気もします。
エリートの責務についても書かれていました。「エリート」という言葉がむずかしくてよくわからなかったのですが、この場合それは勉強ができる人のことや勉強する方法がわかる人のことを言っているのかなと思って読みました。それはたしかに、とても魅力的な能力だと思います。
私はノブレス・オブリージュが必要な時代ではないと思うし、責務だと感じる必要はないと考えています。ただ、自分ができることを自分なりにやろうとして、それを実行できることは、すてきだと思います。
その力を活かすためには、どんな環境があるといいでしょうか? その力を活かしてやってみたいことはありますか?
エリートというと、社会のなかでなにもかもが上回っているというイメージをしてしまうのですが、考えてみれば、勉強ができることや、立ち回りがうまくできること以外にも、いろいろな能力があります。たとえば、パッと思いつくところでも、スポーツや、編み物や、人を安心させる力や、深く考えずに物事を進められる力などがあります。そのほかにも、数えきれないほどの力があるでしょう。
それらはみんな、その能力を発揮させられる環境が整っていればいるほど、気持ちよく発揮できるものだと思います。
たとえば、私は文章を書くのが好きで、生きづらい気持ちをずっと抱えてきたという性質がありますが、それらの感覚や経験は死にトリの活動を通して生きづらいと感じている人と交流するときに発揮できることがあるな、と感じています。私の場合、死にトリの活動は自分自身のやりたいことに近いので、そのために力を発揮できると心地よさを感じることができます。
あなたの持つ思考力や、知識や、学び取る力(そのほかにもきっといろいろ持っているのでしょう)を発揮してみるようなこともいいと思いますし、あるいは、まったく別のこと(たとえば消しゴムハンコを作ってみるとか、回文を書いてみるとか、ウェブサイトを作ってみるとか、料理を食べ比べるとか、バレーボールをするとか、プールで泳ぐとか……たまたま目についたものを手に取るようにしてみるのでもよさそうです)をしてみるのもいいと思います。
それに適する環境はどういうものでしょうか。私はあなたが、実はあまり「ちょうどよくない」環境にいるのかもしれないと感じました。
落ち着いて、あなたの心地よさを追求できる時間や場所を探せるといいだろうと思います。落ち着いて、心地よくいられる、あるいは没頭できる、あるいはぼんやりとしていられるところはどこにありそうでしょうか。
もし思いつかないようであれば、いっしょに探して見られればいいなと思いました。よかったら、感想を読んで感じたことを教えてください。