経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

不幸を断ち切りたい

私が生まれた時、両親と母方の祖父母で生活していました。ですが家庭内はすでに不和だったかもしれません。

私は3歳ごろに発達障害の診断を受けたそうです。4歳には保育園に入所しましたが、両親の仲がこの頃から冷え切っているのは幼いながらに理解できましたし、母から叩くなどの体罰を受けるようになりました。
また私はコミュニケーションが苦手で人とどう関わったらいいかがわからないことが多かったのですが、この頃から人の顔色を常に伺うことを覚えました。自分が人と違うことも理解していました。
また、私はおばあちゃん子だったのですが、母は私が祖母と関わることをよく思わず、「迷惑になるから」と会うことを止められていました。父はその頃から家に帰ることがなくなりましたし、祖父は何をしているかすらわからずにいました。父、祖父のことは話題に出すことすらタブーな雰囲気がありました。

小学校に入学すると特別支援学級に入りました。このことは同級生から「かわいそう」と言われたりしましたし、支援学級内では重度の知的障害を伴う子どもが多く、私は常に放置されていました。学級内の先生は性格が悪いひとも少なくなかったです。
小学三年生から卒業まで殴る、蹴る、暴言などのいじめを受け、何度も親や担任に相談しましたが誰も解決できませんでした。担任はいじめをする児童に軽く注意するだけで、母は慰めてくれたり学校に電話することも頻繁にありましたが、「強くなりなさい」「逃げたらいけない」と言われることもしょっちゅうでした。10歳頃から「しにたい」と考えるようになりました。

いじめを避けたくて、地元の私立の中学校を受験し、入学はしたものの、そこでも私の悪い噂はすでに広まっていたようで、クラスの男子から「キモい」「保険金殺害してやる」などの暴言を吐かれるようになりました。そんな中でも私は「殴られるよりマシ」と思うようにしてヘラヘラしていました。優しい先生方もいましたが、誰もこの状況を解決できませんでした。
中2の頃、私は英語が好きだったので本格的に学びたいと思い、留学を考えたことがあります。このことを母に伝えたら、「どこにそんな金がある」「甘いんじゃよ」と怒鳴られ、自律神経のバランスを崩しました。
母はその頃父と離婚寸前で、その間に入った祖母とも仲が険悪になったのですが、どんなことを言われたのかを延々と私に愚痴っていました。私はそれから逃げることを許されませんでした。
中3、ストレスが祟ったのか、聴覚過敏がひどくなって保健室登校になりました。その頃に担任に紹介してもらった英語を専門的に学べるインターナショナルハイスクールに入学することを決めました。

高校に入ってからもしばらく聴覚過敏が酷かったのですが、私のしんどさは母から来ていると気づき、母に長い手紙を書きました。母はその時は真剣に謝ってくれましたが、あまり態度が変わることはなかったです。
高校二年生の時、当時好きだったクラスメイトの男子から性行為に誘われました。そういうことは付き合っている人としかしてはいけないと考えていたので、最初は断っていたのですが、LINEするたびに性的な話題を出されることが増えました。性的な行為や暴言がひどく、誰にも言わず耐えていましたが、思い通りにならなかったのが不満だったのかしばらくすると私の後輩と交際を始めていました。
それがとてもショックで精神的に不安定になり、高校三年生になった頃には精神科でうつ状態とADHDの診断を受けました。高校は結局その年の夏に通信制の高校に転校しました。

また、当時両親の離婚が決まり、弁護士を挟んで話が進んでいました。その離婚のきっかけとなったのが母だったそうで、母は何年も個人的に知り合った男性に相談を持ちかけていたそうです。父は探偵を使い、母がその男性とホテルに入るところを撮ったそうなのですが、このことは母が自分から私に話し、「ゆっくり相談したかったから」と言っていました。この件について祖母は「あなたのママは男の人とお付き合いしているのよ」と何度も私に言いました。この頃は本当に居場所がなく、何度もどうやって自殺しようかと考えていました。
翌年、私は精神科に1ヶ月入院し、高校も卒業し、専門学校に入学したのですが、当時服用していた薬の影響で倦怠感がひどくてほとんど登校できず、結局今の大学に転校しました。
その頃から母は歯科助手として働き始めましたが、上司からパワハラを受けたと毎日愚痴を言われて精神的に辛かったです。その職場は今はやめて別のところで働いているのですが、それでも毎日大変そうです。母が家にいない間は料理や掃除などの家事を私がすることが多いのですが、それでも毎日できないこともあります。そういう時、私は自分が役立たずで穀潰しだと自分を責めて死にたくなります。

高校を辞めた頃から私の感情の波はひどく、自分でも知らないうちに考えが変わってしまうこともあり、どうやってその波を小さくできるのだろうか、と考えた時に「家族と離れて一人暮らしすること」が思い浮かびました。
「こんだけ自由にさせてるのに」「考えが甘い」「自分はずっと気を使ってるのに」と私がしんどくなって感情がコントロールできなくなるといつも母に言われます。その時、私はいつも申し訳なくなって死んだらいいのかもな、と思います。ですがその言葉を言われるかもしれないという一種の恐怖が私をしんどくさせてる側面もあるのではと思うようになりました。

また数年前、祖母は祖父に何千万も自分のお金を使われていたことがわかり、精神的に落ち込んで会うたびにその愚痴を聞かされます。それと同じくらい言われるのが「あんたのとこは乱れてる」という言葉です。両親が離婚してから言われることが増えました。祖母にしてみたら自分の娘が離婚したということが耐えられなかったのだと思います。
その「乱れてる」原因の一つは妹にあると思います。
妹は私と年子で、昔から気が強くて気ままで自分の思うようにしないと気が済まない性格です。私はずっと妹に気を遣ってしんどいことが多かったです。妹は高校生の頃から「歌手になりたい」と言い出し(祖母は特に不満だったそうです)、上京もしたのですがうまくいかず、身体的・精神的にバランスを崩して今年地元に帰ってきました。妹が帰って来てから人に当たることが増え、母も気を使ってばかりです。
私が妹と同じ空間にいることでストレスなのは「あんたらは仲が悪い」と母や祖母に言われることです。性格が真逆だからかもしれませんが、妹に話しかけても愛想が悪かったり、「おはよう」とかの挨拶も無視されたり、かなりストレスです。もちろん、妹に助けてもらったこともありましたが、それでもこの辛さがなくなるわけではありません。

末っ子の弟は今大学生で、一人暮らしをしていますが、個人的に今の家族と距離を取りたがっているのではないか、と思うことがあります。父とは徐々に疎遠になってきています。父の両親も離婚していたそうで、父(私の祖父にあたる人)はアルコールに依存して亡くなったそうです。父の妹も行方がわからず、父の弟はお金のトラブルで仲が悪いままです。

私の家庭はいわゆる「機能不全家庭」と言われるものかもしれません。「自分の家庭はなぜこんなに不幸なのだろう」と考えましたが、結局のところ父も母も祖母も祖父も自分の不幸や向き合うべき課題から逃げ、お金などで誤魔化していたに過ぎず、そのツケが今になって回ってきたのだと思います。でもそれは私も同じかもしれません。この人生を生きていくのは私ですし、不幸な人に引っ張られて人生を台無しにはしたくありません。
私の不幸はどうやって断ち切ることができるのでしょうか。報われない、辛いと嘆くことはもうやめたいです。

感想1

複雑なことがらが、整理されて書かれた文章だと感じました。それはきっとあなたが何度も問題や困難の中で、これまでから現在までの状況や環境、自分自身が感じていることについて考えて、捉え直してきたからなのではないかと思います。
文章からは、あなたが物心ついたときから身の回りで「不幸」を感じ取ることがたくさんある生活をしてきたのだろうと思います。幸不幸というのもなかなかニュアンスの難しい、捉えどころのない言葉だなぁと私は感じるのですが、あなたの文章から受け取ったのは、あなたの周囲の環境では、絶えず暴力や、あるいは物理的な暴力ではなくても暴言や排除など、協調ではなく力による応酬が続いてきたのだろうということです。それは、平穏とはほど遠い、ある種の戦場のような場所だったと言えるのではないかと感じました。学校でのいじめは大人がいても解決されず、家では大人たちの関係性の中で振り回されてきたのではないかと思います。
あなたのお父さん、お母さん、祖母さんは、それぞれ絡み合った困難を抱えているように思いました。「結局のところ父も母も祖母も祖父も自分の不幸や向き合うべき課題から逃げ、お金などで誤魔化していたに過ぎず、そのツケが今になって回ってきた」ということについては、一面ではその通りかもしれない、と思いました。ただ一方では、その状況は本来社会が支えるべきものだと私は感じています。それなのに、社会構造があまりにも他者の困難に対して不十分だという問題が根本的にあるのではないでしょうか。それは自己責任論や、「家族は支え合うべき」というような風潮(裏を返せば、家族の問題は家族の中で責任や落とし前をつけるべきという風潮とも言えそうです)の強さからも感じることです。私はあなたのお父さん、お母さん、祖母さんも、もちろんあなたやあなたのきょうだいも、それぞれがもっと色々な制度や客観的な立場の大人に支えられるべきだったと思いますし、それは現在にしてもそうだと思います。外側にいる他者や制度、環境などに頼れない中で、その中にいる人たちで、足りないリソースの中でどうにかしなければいけない状況に追い込まれ続けてきたのではないかと感じました。その悪循環の中で、あなたやあなたの家族はなんとか生き延びてきたとも言えるのではないかと思います。
いじめについても、金銭についても、家庭内のさまざまな問題についても、それらが見過ごされてきたという状況には大きな課題があると思いました。なんだかとってもくやしいです。その状況はどうしたらましになるだろう…と考えています。

家族というのはある種の特殊な人間関係になりやすいと思いますが、私は家族だから支え合わなければいけないとは思わないし、人同士うまくいくこともあれば、いかないこともあるのは当然だと考えています。だからこそ、別の場所に住むなどの距離を取るやり方は有効な方法の一つになりうると私は思います。
個人的な話をすると、私も自分の実家では不和があり、「家族と離れて一人暮らしすること」は小学生の頃からずっと願っていたことでした。20代になってからは一人暮らしをはじめ、実際に物理的な距離をとれるようになり、自分の感情の波はだいぶ改善しました。といっても今も死にたい気持ちはあるし、感情の波もあるのですが……。関わりたくない人との関わりが同居時よりも薄れたことはとても大きく、苦痛からなるべく距離をとることは、生活を助けるものだと私は感じています。(私はいまは、家族に限らず、しんどくなる刺激からはなるべく距離を置くことを優先して生活しています。)一人暮らしもいろいろな状況の中で簡単ではないと思いますが、あなたには、あなたの人生をなによりもまず優先する権利がある、ということはは確かだと思いました。

「人生を台無しにはしたくありません」「不幸を断ち切りたい」という言葉にあなたが眼差すあなた自身の人生への意思を感じました。最初にも書きましたが、こうやってあなたの過去と現在をあなたの言葉で捉え直し記述することも、断ち切る準備の一つと言えるのかもしれません。あなたにとって安全地帯になるような場所が見つかることも、「不幸」から遠ざかる一つの重要な要素なのかなと想像しています。あなたの平穏に死にトリが役に立つ部分があればいいなぁ、と思っています。また、よかったら、あなたの人生の話を聞かせてください。投稿ありがとうございました。

感想2

これまでの自分の人生を振り返り、意味づけるために表現してくれた文章のように感じました。あなたが子ども時代に経験したことは、子どもであるあなたの力ではどうにもならないことがほとんどで、本来は周囲の大人に守られて、安心や安全を育む時期に不安や恐怖が常に近くにある生活をしてきたのですから、大人になったあなたが生きることが苦しく、しんどいのは無理もないことだろうと思いました。
最後に「自分の不幸」「報われない、辛いと嘆くこと」という表現がありましたが、私にはあなたの経験談が、自分の不幸を嘆いたり、報われないと感じているよう内容には感じず、そういうことは確かにあったけれど、それを含めて自分をどうとらえて、どうするのがいいのだろうか自問自答しているものに思えました。
言葉としてよく聞く「機能不全家庭」についても、違ったものが見えてきた気がします。これまではどうしても「機能不全家庭」が生きづらさの要因や個人の課題であるように思われがちでしたが、あなたの「結局のところ父も母も祖母も祖父も自分の不幸や向き合うべき課題から逃げ、お金などで誤魔化していた」というところを見て、機能不全家庭という家庭があるのではなく、向き合うべき課題に向き合うチャンスが少なかったり、課題を誰かに気づかれずいたりするぐらい、家庭が閉鎖的で、孤立している現状があることを感じましたし、お金というものが必要以上の力を持ち、根本的な解決を棚上げしてしまうことの深刻さも感じました。おそらく、一つの家庭という限られた集団で解決できることはそもそも多くはないし、課題は個人や家庭だけに要因があるのではなく、もっと大きな関係や環境の中で起こっていることなのだろうと思います。それが、いつの間にか個人や家庭の問題のように捉えてしまうのが「機能不全家庭」という言葉にも含まれているのかもしれません。
だから、こうしてあなたが自分の外に向かって課題を開示し、どうしたらいいのか問いかけている時点ですでに断ち切っていると私には思えました。実際に目に見えて何かが変わることだけが、問題の解決ではなく、事実の捉え方や意味付けが変わることが解決のスタートやきっかけになることも実は多いように感じています。
また、世の中には虐待の連鎖という言葉があり、虐待を受けて育つと同じことを繰り返してしまうかのように話されることがありますが、繰り返す人よりも自分の経験から学び繰り返さない人の方が実際には多く、繰り返さないためには信用できる人との出会いやつながりが重要だという話も聞いたことがあります。
子どもの頃の英語が好きだったこと、聴覚過敏がひどかったことなどのエピソードから、あなたは自分の感覚や気持ちを受け取って、それを尊重する力があると私は感じました。自分の感覚を信じて、守ろうとすると周囲から理解されずに生きづらいという実態は残念ながらあり、それがイコール生きやすさにならないところもあるのですが、その力を私は全面的に支持したいと思いましたし、一人ひとりが自分が感じることを尊重し合える関係を作っていきたいと改めて思いました。今後もよかったら死にトリに来てください。待っています。

お返事1

 この度は丁寧なお返事をいただきありがとうございました。
この投稿をした時期は本当に精神的に辛かったので、誰かが見ていてくれると思うだけで心が軽くなったように思いました。

 また、感想1の方は自身も精神的に辛い状況にある中、このようにお返事をいただけたことがとても嬉しいです。死にたいという気持ちを抱えながら、このように寄り添ってくれる人がいるという事実を知ることができた事が私にとって大きな力になりました。今回死にトリ上でのやり取りではありますが、今後の幸福を願わずにはいられません。

 感想2の方のコメントの中に「問いかけている時点ですでに断ち切っている」という言葉があり、今の自分を少し肯定できたように思いました。「断ち切りたい」と思える事が前に進んでいる事なのかな、と以前より前向きになれたかもしれません。

 投稿の中でいじめや家族の問題について触れていますが、両方の感想に書かれていたように社会全体の問題が私の周囲にもさまざまな形で存在していたのではないかと思うようになりました。実際、母のママ友も子どもに叱る際、髪を強く引っ張ったり、叩いたり物を投げたり、外に放り出したりと虐待としか思えないようなことを日常的に行っていたそうです。ママ友たちはそれを笑いながら話していたそうで、私は長年その風潮に違和感を覚えていました。そのような体罰を決して肯定はしませんが、一方でそれが当たり前の風潮の下で彼女らは自身を肯定せざるを得なかったのかなと思うこともあります。ある意味そのママ友たちは自身の正しさや倫理観、課題に向き合えなかった弱い人たちだと思います。

 投稿から少し時間が経ち、今は家族から距離を取るために準備を進めていいます。まだ学生という立場ではありますが、少しずつでも自分の考えや大切にしたい気持ちを尊重し、自分が納得できる人生を送りたいと思うようになりました。

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