経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

どうすればいいのか

私は“優等生”という括りだったと思う。
中学の時はほとんどのテストで1位か2位だったし、先生が卒業アルバムに○○のようになりたいと書いてくださるような人だった。
勉強も部活も精一杯頑張れていた。

……高校1年生の秋までは。

コロナで2日ほどオンライン授業になり、通常登校ができるようになった日、私は起き上がることが出来なかった。学校が嫌だという訳ではなかったが、どうしても起き上がれなかった。
そこからズルズルと学校を休み続け、3年前の12月、初めて病院にかかった。
抑うつ状態。当時の私はそう診断された。
進学校に通っていたが高校2年生の夏に通信制高校に転学した。翌年の1月、うつ病と診断される。

そこから無事に卒業し、保育の専門学校に入学したのが今年の4月。目標に向かって頑張ろうと思ったが、周りの空気に耐えられず僅か4日で登校拒否。その月のうちに退学した。
書ききれなくなりそうで省略したが、何度も死のうと思った。大量服薬をした。自傷行為もしばらくの間繰り返した。自殺未遂もした。通信制高校で出会った友達に影響され、しばらく動けない日もあった。それでも今生きている。

バイトもしていない、だからといって家の手伝いをする訳でもない。ただ横になって寂しさを紛らわすためにYouTubeを流し続ける日々。早く動き出さなければと焦りだけが募っていく。

私にはどうすればいいのかわからない。ただ生きていくのが嫌なことだけはわかっている。
小中の同級生は、先生はこんな私を見たらどう思うだろうか。まあ特に何もないだろう。そうやって誰の記憶にも残らないまま消えていくのだ。

早く消えてしまいたい。

感想1

あなたが過去の自分とのギャップに苦しんでいるような気もしたし、現状を受け入れられない苦しさがある事も感じ取りました。同時に、”優等生”だった自分でいた時あなたはどんな感情があったんだろうって気になりました。「嬉しかったのかなぁ、満たされてる感じとかあっただろうか…それとも苦しかったりしなかったか…仮にそうだったとしたらどんな時にそう思ったんだろう」って勝手に色々考えています。というのも、”優等生という括り”や、”頑張れていた”とあったので、どこか義務的だったり役割を果たしていた感覚、自分自身というより客観的な感じがして聞いてみたくなったんです。誰かのためにやってたりとか、そうでなければならなかった・そうなってしまった…のような背景があったのかなって想像していました。でも当時と今のギャップみたいなものもあるから今の自分が「出来てない」みたいに感じちゃって、そこに意識が向いてしまってるようにも思いました。読みながら、専門学校があなたにとって凄く苦しい空間だったと容易に想像ができてしまいました。だけどそこだけがつらかったのではなく、あくまでキッカケの一つで、元々あったつらさ・うつ・書ききれないほどある沢山の苦しさがあったのも同時に感じています。第三者だから言える事と承知なのですが、耐え続けず退学を決めその場から離れられた事を「良かった」なんて少しだけ思ってしまいました。

そして私も、バイトしないで家の手伝いをせずYouTubeを流し続ける日々が長くありました。動画を観ていても自分の現状に悲しくなったりして、もはやちゃんと観ていたかすらわかりませんでした。そんな時に限って「仕事」とか「ニート」なんてワードが出るような広告が流れたりして更にやられてました。焦るけど何も出来ない・そもそも怖い・何がやりたいか出来るのかもわからず。なのであなたの”どうすればいいかわからない”の気持ちに勝手にいっぱい共感してます。「何かしてないといけない!」みたいな気持ちにさせられるのって本当になんなんだろうかと考えちゃいます。これは社会がそう思わせているのか?とも思うし、みんな何か出来ててそれが正しい・認められる。みたいな感じがある気もしちゃいます。やめて欲しいです本当に。(私が勝手にそう感じてるだけかもですが…)それがなかったら「何もしてない今を受け入れよ〜」とか、ただ単純に「私今何もしてないよ!」を気にせず言ったり過ごしたり出来たかも知れないのにって今感想を書きながら思ったことでした。

もしよかったらまた、あなたの気持ちや考えていた事を知りたいなと思っています。投稿ありがとうございます。

感想2

最初の“優等生”という文字を見て、周囲が求める理想のあなたを保ったまま走り続けてきたのかもしれない…そんな風に思いました。最後まで読んでみて、もしかしたらエネルギーが枯渇したのかも…そんな想像もしました。
理想のあなたを保つと私は表現しましたが、あくまでも私の想像であってあなたはそんな自覚はなかったかもしれません。学校で頑張っていた頃の学校以外の生活について書かれていなかったことが少し気になりました。勉強や部活を頑張って帰ってきた家は安心できたでしょうか。“休むと頑張るのバランス”、言い換えると“緊張したり集中したりする自分とだらだらした自分”のバランスは取れていたでしょうか。学校でも家でも優等生で休まる暇がない…そんな日常が続いた結果、無気力な自分が訪れる、自然と涙が流れてくる…そんな経験を語る人もいます。あなたの中で再度目標を見つけて頑張ろうとしたけれど、空気に耐えられなくなったのは、評価されることや、同調圧力を感じるようなコミュニティにアレルギー反応が出ている様な印象も持ちました。耐えられなくなったという反応はある意味、自分を守る反応でもあるのかなと私は感じました。
先ほども触れましたが、自分が自分(自然と自分から湧き出る意思や願いや感情を感じる自分)を生きるというよりも、“周囲が求める、社会が求める自分”を必死に生きてきた結果、生きる意味が見えなくなる人は実は少ないと私は思っています。
今はこれまでの自分や周囲から評価されてきた自分とは違うかもしれないけれど、あなた自身が「心も体もまだ休んでほしい」と言っているような気がしています。
最後に少し話は変わりますが、私は30代に入った頃、自分の言葉を持とうと思うような経験をしました。それからずっと”自分の言葉をもつ”ことがテーマです。この前ある研修に参加しました。話をした精神科医さんが「人はしんどい経験をすると「自分の言葉を失う」と話していました。なるほどと思いました。しんどい経験とは自分がわからなくなる、どうしていいかわからなくなる状態なんだって。そこから回復するには少しずつ自分の言葉で話すことだって話していました。
あなたは横になりながらも死にトリにたどりついて経験談をこうして書いている、そして自分の本音を言葉にしています。それはあなた自身があなたを生きていることに他ならないと思いますし、とても大切なことだと投稿文を読んで私は改めて考えさせられました。
あなたってどんな人なのかな…って想像をしながら感想を書き終えます。

お返事1

あたたかい返信ありがとうございました。

まず感想1を書いてくださった方へ。
元々の真面目な性格も相まってか優等生でいることに苦はありませんでした。今思うと気付かぬうちに自分を縛り付けていたのかもしれませんが、それが自分だと思って疑っていなかったんだと思います。自分を認めてもらえて嬉しかったのもありますし。だからこそこのような状況になったことが受け入れられずにいました。
でもこの感想で「否定されないこと」のありがたさを感じました。今も焦りと自己嫌悪、書いた当時はなかったのですが病名が変わるかもしれない不安に包まれています。ただ、私のことをそばで見ていない方にも間違ってないよって言ってもらいたかったんだと思います。なんだか心の荷物が少しだけおりたような気がします。

感想2を書いてくださった方へ。
家での様子は正直言ってあまり覚えていませんが学校にいる時に比べればだらけていたのだと思います。父が買っていた少年誌を読んだり小学生の時は3DSをしていたり。学校で頑張っていた分家ではゆっくりしていたんだと思います。友達と遊ぶことも高校までほとんどなかったため、我ながら大分大人しい放課後を過ごしていたなと逆に少し寂しいです。
一度高校で転落した分自分がどんな風に思われているのか怖かったというのはやはりあると思います。もし成績が悪かったら、親に迷惑をかけることになったら、と怖かったです。同じ夢を持っているからこそ切磋琢磨できそうだと思っていましたが、差をつけられるのが嫌でした。
「自分の言葉を持つ」。とてもいい言葉だと思いました。私も自分のことが自分で言えなくなっていたな、と振り返ると思います。言葉は自分を伝える重要なものなので、これからそれを大事にしたいと思います。

途中で頭の中がごちゃごちゃになったため、変なところがあると思います。申し訳ありません。

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