経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

深海のような心の底にあるトラウマ

世の中に仲良し親子ってあるんでしょうか。
きっとあるんでしょう。けれど私はそんなのとは無縁でした。

今から49年前に24歳の優しい父、21歳の綺麗な容姿の母の長女として生まれました。
父は幼少期に祖父が離婚、再婚した継母にも邪魔者扱いされて育ったからか、子供には無償の愛情を注ぐ父が大好きでした。母は若くして母親になり、生活も豊かではなかったので、子育てにはかなり悩んでいたようです(当時通っていた保育園の園長先生から18歳の時に会いに行った時に聞きました)

私が7歳の時に父が初期の食道がんになり、小1は母方の祖父母に預けられてた。祖父母と同居している叔母家族からしたら、1人喰い口が増えると食費もかさむので、遠回しに「邪魔者扱い」。看病の合間に母が会いに来てくれたけど、「私が我慢したらいい」って子供心に思い、「寂しくないよ、大丈夫だよ」ってごまかした。
父が退院して1年後に妹が出来た。
妹は私と違って手が掛からずに育ち、母はまだ10歳の私に家事と妹の世話を任せて、働きに出た。
事ある毎に母は私に「お前が生まれなかったら私はこんなに苦労しなくても済んだ。妹の方が要領よくて迷惑掛けないから、お前は疫病神だ」と、言い続け、中学、高校と部活も出来ず、長期休みも友達と遊べず、幼い妹の面倒と家事をしていた。
高校時代も早朝から起こされて、真冬の寒い朝から洗濯を干して、夜も体調が悪くてもお風呂は最後で、風呂上がり後はお風呂のカビ防止の為に壁や天井まで拭き掃除をして、洗濯が終わった洗濯物を伸ばしてからでないと寝ることは許されなかった。
25歳になり、元夫と入籍、結婚をし正月に実家に帰るって約束したのに、父はある理由で自死した。
父を引き留める為にあった最後のトリガーを引いたのは「母の暴言」だった。その直後に父は死んだ。

葬儀が終わってその夜に親族の前で母は私にこう言った。「なんで、お父さんやなくてお前が死ななかった?お父さんが死んだのもお前のせいや!」
昔から悪い事があれば私のせい。「葬儀の時に流した涙は演技だった。よく上手く演技が出来たな」

母の八つ当たりの暴言に亡くなった父は激怒していた。それから父の四十九日を終えてから、母と縁を切った。その後離婚したけど、母の戸籍には戻らず、自分の戸籍を作った。今は内縁の夫と夫の父が私の家族だ。
けど、深海の底にあるトラウマは今、上がって来ようとする。母が25年間浴びせた暴言は私の心を深く刺さったまま。母を許す事は出来ない。子供は好きだけど、私も母の血が流れてるから、私のコピーを作るなら…。親父。お爺ちゃんになる夢叶えられないでごめんなさい。

感想1

あなたと同じ時期に少し重なるような経験をしていたので、じっくり読ませてもらいました。
私も自分の親とは決して良い関係ではありません。
私は7歳になる時に親が離婚して、つい昨日までおじさんと呼んでいた人が突然父親になりました。そしてその育ての父親は私が25歳の時に自死しました。(経験した年齢も似ていて驚きました)幼少期から私は母親のヒステリックや父との関係をずっと見てきました。あなたは私と同じような時期に家事まですべて担って、それでも母親からは八つ当たりや暴言を受け続けていたんですね…。本当にどんな感情を抱いて、我慢してきたんだろう…想像してもしきれません。存在ごと否定される言葉の数々はトラウマに直結します。ダメージを受けたできごとは時間的にどんなに過去になっても、感情や記憶された場面はつい昨日のことのように思い出せると聞いたことがあります。
“深海のような心の底”にあるのにも関わらず浮上しようとするトラウマ…。そして許せない気持ち。トラウマの影響がどういったものかをとても分かりやすく表している言葉だと私は感じました。あなたは今も父親さんとずっと会話をしているんですね。(勝手ながら少しだけわかるな…って思いました)父親さんはふとした時の心の支えになっているんだろうなとも思いました。同時に母親さんと縁を切ることで過去に区切りをつけて自分を生きているあなたに、強い意志や生き方のようなものを感じます。
今回はあなたの投稿を読みながら、私自身の過去も少し眺める時間をもらえました。
ありがとうございました。

感想2

子どもの頃の情景から今の自分につながる物語をそれほど長くない文章で綴ってくれました。あなたが感じたことや受け取った状況などがあなたの視点で書かれていて、自分ではどうすることもできない物事をあなたがずっと1人で引き受けてきたことが強く伝わってきました。
母親に対する率直な気持ちも伝わってきました。そして、母と縁を切ったことにホッとする自分がいました。冒頭に「仲良し親子」についても書いていましたが、親子の関係はとても不思議だといつも私は思います。そもそも親子と言えど、別の人間同士なので、仲良くなる場合もあるでしょうし、相性が悪い場合もあります。相性以前に、あなたのようにケアをしてもらえない経験や理不尽な押し付けを受けたり、虐待を受けた場合は複雑な心理状態や関係性が捻じれたりすることもあります。そして、前提として親を大切にしようとか、感謝しようとか、敬わなければならないとか、家族は仲良くすべきとか、いわゆる家族神話が世の中にはあるので、より複雑です。本来は保護してもらうはずの親から権利を奪われた経験のある人は、親との関係や関わり方にいつまでも苦しむことがあるのを、身近でもたくさん見てきました。
だから、あなたがすっぱりと縁を切ったことにあなたの力を感じました。ただ、縁を切ったからと言って心の中に刻まれたものがすっぱりとなくなるわけではありません。まさにタイトルにある「深海のような心の底にあるトラウマ」は深いところに確かにあり続け、あなたの心を揺さぶり、今の生活にも影響を与えているのでしょう。
ただ、私が強く感じたのは心の側にあるトラウマを含めて今のあなたの存在や力があるのではないかということです。トラウマが自分の意思とは関係なく、上がってこようとするのを感じて、自らをコントロールしようとする心の動きが伝わってきました。あなたはトラウマに支配されるだけの無力な存在ではなく、トラウマに手こずりながらも確かに自分自身の主人公になろうとしているように感じました。だからこそ、こうして自分の言葉にして、表現して、伝えようとしているのだろうと私は思っています。
必要なら、何でも何度でも伝えてください。表現したり宣言したりすることがあなたがあなたであるための手助けになると私は思っています。

お返事1

お忙しい中で、私の拙いまとまりない経験談を読んで頂きありがとうございます。

感想1さんの方は私と同じ年齢の時に似たような経験をされていたとは驚きです。タイトルの「深海のような心の底」はいろんなアイデアがありましたが、客観的に自分を見た時にその言葉が浮かんだので、タイトルにしました。
今回こちらに投稿した事で、私の中で少しばかり整理が出来たように感じました。父が亡くなり24年。私の心の根底には亡き父との温かく優しい思い出があります。幼な心に母は私を「娘」というよりは「自分の人生を自由を奪った存在」だったように思います。きっと母も祖母から母親の優しさを与えて貰えなかったのかもしれません。(母は四姉妹の次女です)母も若い時に芸能人になりたいっていう夢があったみたいですが、祖母から反対されたから、諦めたと聞いてます。もしかしたら、母は私を子供時代の自分と重ねて「お前も私と同じように好きな事をしたり、夢を持ったりで思い通りに生きるなんて許せない」って思っていたのかもしれません。
そして、私は母の若い時間を奪った邪魔な存在だから、母の苛立ちやストレス解消の捌け口になっていたのかもしれません。

感想2さんのコメントも、私が気づかなかった「部分」の気付きも出来ました。

自分としては「父の歳を超えてやる」って思ってました。時に心が折れそうになりましたが、大阪に移住して初めて出来た親友との出会いは私に「強さ」をくれたように感じます。

親友は生まれて7日で産みの母に捨てられ、育ての母に育てられました。実父はDVが酷く、後に再婚した義父に育てられてきましたが、親友が若い時に甲状腺がんと乳がんを2回経験していて、片方は全摘してます。その親友がある時自死する人が多いっていう話の流れで彼女はこう言いました。「貴方のその命要らないなら、私にちょうだい。私は元気な身体で生きていたい。毎朝、目が覚めて起きれた時、とても感謝してる。ああ、今日も生かされてるって」。

その言葉を聞いた時に私は「この子の為にも生命を粗末にしてはいけない」と。

トラウマに押しつぶされそうになります。けど。生きたくても生きれない人達がたくさんいる。死ぬ気になればまだ頑張れる気がする。命を断つのは「逃げてるだけ」って私は自分に言い聞かせてます。

いつかは人生の終着駅に誰もがたどり着く。それなら、途中下車して違う景色を見に環境を変えたらいい。私は自分のキズを癒す方法は今だに見つからないけど、周りにいてくれる人達を大切にしていけばきっと終着駅に着く時には癒されるかもしれない。

そう思っています。

ここでお話させて頂き、重い荷物を少し降ろせたように感じます。少しでも私の言葉で一人でも多くの人達に生きる支えになれば、私がこの世界で与えられてる役目を果たせるかと思います。

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