わたしはASDです。
30にもなって実家から自立できずに母親に養ってもらっています。
小学校高学年から中学生にかけて、自宅で日常生活ができないほどの、泣き叫び暴れるパニックで精神科病院に複数回入院しました。
母親と母子分離ができない状態が今でも続いています。
中学から高校にかけて自宅アパートからの飛び降り、オーバードーズ、アームカットなどで入院していました。
5年かけて通信制高校を卒業し、派遣の事務職で働き始めましたが、1年もすると普通の人に擬態することに疲れて、適応障害になり退職します。普通の人の擬態はうまく行くようで、どこの職場でも高い評価を受けますが、それは皆が60%ほどの力で働いているところ、わたしは100%時には120%で働いているからでしょう。私にできて他の人にできないことなんてあるはずがないと思って、言葉通り受け取ることができません。
派遣で働いたり退職して何年か療養したりを、繰り返していたら20代は、あっという間に過ぎ去り、30歳です。
子供の頃から変わらず、不安や気になることがあると自宅で、泣き叫び暴れるパニックを起こしています。
もう伸び代のない歳、母親も歳をとり還暦も近いです。
わたしが生きている意味なんてないです。
昔からの夢だった子犬を最近迎えました。
細々と働いていた時に貯金した数十万円で犬を買いました。
犬なんてみんな飼っています。私にもしつけやお世話ができると思いました。
しかし子犬がきて余計に私の体調は悪くなりました。
わたしはのASDという障害を甘くみていました。
子犬の予期せぬ行動が本、動画などの情報と異なるため、思い通りにいかなくて、不安になり大暴れのパニックです。
犬も一緒に暮らしている家族も大迷惑です。
もう迷惑をかけないために、わたしは死んだ方がいいと思います。
死んで母親にはこれまで嫌な言葉などかけられてきた報いとして後悔してほしいです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
ASDの死にたいわたし
感想2
経験談を書いて送ってくれてから、しばらく経ちましたが、子犬とどのように過ごしているでしょうか。子犬は成長するので、状況が改善しているかもしれないし、大変な状況が続いているかもしれません。
経験談を読んで、自分に起こっている状況を離れたところから見て、分析することはできるけれど、実際に何かが起こっている時には処理が間に合わなくて、パニックになっていることが多いように感じました。リアルタイムで降りかかる状況に対して、処理が追いつかないこと、そしてそれをうまく言葉にしたり、周囲に助けを求めたりできないことは想像以上に大変なことだろうと思います。そのことによって、あなたが随分と自分に対して否定的な感情を抱いているように感じました。それがまさにASDの特性の一つであり、一方的にあなたのせいではないと私は思いました。ただ、あなたにとっては、それはつまり自分のせいで、こんな自分なら生きていく意味はないと思ってしまうかもしれません。
それでも私はやっぱり、あなたのせいではないと思ってしまいます。なぜなら、あなたには必要なことを自分の分かる方法で学ぶチャンスがなかったと思うからです。子ども時代には周囲からの強い刺激で落ち着いて学ぶ状況ではなかったと思いますし、働いている時には「擬態することに疲れた」とあり、相当に無理をして働いていたことが想像され、そう考えると、本来持っているあなたの能力を伸ばしたり、発揮したりする機会を得られなかったと思うのです。チャンスがあってもサボっていたり、そのチャンスを放棄したのであれば、責任が少しは生じるかもしませんが、そんなことは感じられず、むしろ、これまで一生懸命に真面目に生きてきたようにしか私には見えませんでした。
母親への複雑な思いも少し書かれていたので、家族ではなくあなたのことを理解して、学ぶチャンスを手伝ってくれる人に出会ってほしいと思いました。あなたは「伸び代がない」と書いていましたが、私には学んだことも、力を発揮する機会もなかったとしたら、ある意味伸びしろはあるのではないかと感じています。(自分の周りには大人になってから多くを学んでいく人を見ている経験からの意見です)
現実的に絶望することや嫌になることも日々多いかもしれませんし、そんなことをここで言われたところで、現実の生活には直接役に立たないかもしれませんが、経験談から垣間見えるあなたの真面目な生き様を感じ、陰ながら味方や理解者に出会えることを願っています。
死にトリが何か役に立ちそうなら、いつでも気持ちを表現しに来てください。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
自分自身への失望や、自分と付き合うことへの疲弊で、気持ちの行き場がない状態にあるのかなと想像しながら読みました。
私も30歳のASDで、過剰適応してはそのコミュニティから離脱しての人生を送ってきたので、痛いほどわかるというのがまず一番の感想です。(実際にどこまでわかっているかは別として、ものすごく自分事と感じて読んでいます)
私は最近はそこまで行動化するようなパニックはありませんが、予想外のことや、キャパオーバーなことがあった際のストレスや自分のどうしようもなさは痛感してきました。
パニックになった際には、周りが困惑したり腹を立てたりするのはわかりつつも「一番苦しくて、こんな自分をどうにかしたいと思っているのは私なのに…」と悲しさを感じていました。(当時はそこまでは意識化・言語化はできませんでしたが)
あなたがどこまでそれと同じかはわかりませんが、周りの人の数倍気を張って努力しているのにかかわらず、それが伝わらなかったり結果だけで判断されてしまうことが、ASDの生きづらさの一つなのかなと思っています。
私の場合はそれが時々世界への恨みとなって、自分の中で暴れます・・・。
皆が60%のところ、自分は100%や120%で働いているという部分はかなり近い感覚で、私の場合は200%の出力をしては、1~2年で燃え尽きてしまう感じです。
あなたは意識をすると擬態がそこまでできる力があるからこそ、ストレスを蓄えてしまい、反動で不安になると激しくパニックになるとかもあるのでしょうかね…?能力的に高い部分があるからこそ、苦手な部分とのギャップが激しく、自己コントロールが難しいのだろうか?なんてちょっと思いました。
ASDな自分とともに歩む人生は、ストレスや苦手なことが襲い来る中で、柔軟な対応のできない自分を操って誤魔化して・・・の、自分との闘いの連続のように私は時々感じます。
セルフコントロールを身につけるのは簡単じゃないですが、安心できる環境と周囲の理解、適切なフィードバックがあれば、少しずつ自分との付き合い方を学ぶことはできると思っていて・・・あなたには、その何かしらの(環境的な)要素がそろっていないのではないかと勝手ながら想像しています。
こうやって文章にしたことは、何かしら大切な一歩のように私は感じました。またいつでも書きにきてください。