経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

我儘で贅沢な悩み

私は恵まれている。
親兄弟や祖父母含め、親戚はみんな優しくていい人達で、家族仲は極めて良好。実家暮らしで家事は親にして貰っていて、何不自由なく暮らせている。元々友達は少ないが、数少ない友達も皆んないい子達。新卒で入社して4年目の会社でも、上司も同僚も気のいい人達で分からない事があって質問をすれば丁寧に教えてくれるし、パワハラともセクハラとも無縁。飲み会とかも強制ではないし、雑談もとても楽しい。

それでも私は、今、死にたいと思っている。
少し嫌な仕事が回ってきて、思った通りにこなせなくて、仕事が手につかなくなってしまった。周囲は「相談してね」と言ってくれるが、自分以外に業務を把握できている人はほぼおらず、他の人も忙しいのが分かっているため相談もしにくい。そして悪意なく、本当にシンプルな褒め言葉として「貴女は頑張ってるよね」と言われ、自分よりも大変そうな後輩や同僚を見るととてもじゃないが相談できない。気づけば残業が慢性化し(それでも月20〜35時間)、集中力が落ち、ミスが増えてしまう。周りからはそれなりに高い評価をもらえていても、その評価に見合うだけの成果が出ている気がしない。些細なミスから大きなミスまで色々ある。何度も何度もそれを思い出して負の連鎖に陥る。気づけばずっと昔のミスや嫌だったことまで思い出してしまう。(なぜ忘れていたはずの嫌な記憶を思い出してしまうのだろう?)家に帰って、寝る頃には「明日が来なければいいのに」と思ってしまう。そして目が覚めて、会社に行き、仕事をし、また一部の仕事は捗らず、家に帰って寝る頃には死にたくなる。

仕事が原因なのは明白で、でも仕事を辞めたいかと聞かれればそうではない。投げ出したくない気持ち、期待に応えたい気持ち、周囲にとって理想通りの自分でいたい気持ち、上司や同僚や後輩からの期待が重すぎて逃げ出したい気持ち、それらが膨れ上がってのしかかってくる。誰かに相談する決心もつかなくて。そうしている内にまた仕事もミスも疲労も溜まっていく。残業だって36協定以内かつ、原因は自分の集中力の無さ。ミスだって何だって自分が悪い。そして相談できないのも、自分の弱さとつまらないプライドが原因だ。結論、全部自分のせいなのは自覚している。

私は恵まれている。
他の人に比べれば家庭環境も職場環境も何もかもが恵まれている。それでも「あぁ、死にたい」と思ってしまう私は周りから見ればきっと我儘で贅沢な悩みに見えると思う。

そう考えると、自分はまだ頑張れるのではないかと、まだまだ大丈夫なのではないかと、そう思っているというよりはそう信じて自分に暗示をかけ続けている。でもきっと、どこかで誰かに「貴女はもう限界ですよ」と言われるのを待っている。ただし、それを言われるのが怖いとも思っている。これも我儘で贅沢な悩みだ。

感想1

「私は恵まれている」という言葉ではじまり、最後の方に再びその言葉が使われていることが印象的でした。「我儘で贅沢な悩み」として終えつつ、その言葉をタイトルにしていることもまた印象的です。
一方で、「それでも私は、今、死にたいと思っている」という言葉や「どこかで誰かに「貴女はもう限界ですよ」と言われるのを待っている」(言われるのが怖いと思うことを含め)という言葉に、率直さのようなものを感じた私がいます。「恵まれている」と感じながらも疲弊しきっている、あるいは「恵まれている」と感じているからこそ疲弊することとなったあなたの葛藤や、安心して気持ちを吐露することができない苦しさを想像しています。

あなたの苦しさはあなたが書くように「仕事」(環境)によるところが大きいのかもしれないと私としても感じました。人の苦しさの理由は多種多様で複雑なものだと考えていますが、あなたはきっといろいろな人の思い(気持ち)を汲んで考える人のように思えたので、今の職場環境に漂う様々な思惑や期待を必要以上に感じ取ってしまって苦しくなっているのかなと思ったのです。しかし、「恵まれている」あなたはその環境に対して不平不満を言うことができず(不平不満をそもそも持たないようにしているのかとも感じました)自分を強く律し続け、「限界」がきているのかなと想像します。一日の大半をそうした仕事(働き方)に費やさざるを得なくなっていることが追い打ちをかけて、あなたを苦しめているようにも勝手ながら感じたところです。

仕事を辞めたい気持ちはないということで、ひとつ気になったのはあなたが今の仕事とどのような経緯で出会ったのだろうということでした。その仕事を選んだ理由ややりがいのようなものはどのようなものだったのでしょうか。それらが今の環境・働き方ではうまく実現できなくなっているようにも思ったので(仕事を変えても変えなくても)改めてあなたの気持ちをもとに、なるべくそれに沿うような働き方にできたらいいなと私としては思います。今のつながりの中に一緒に考えてくれる人はいないでしょうか。

最後に、私は人が誰かの力を借りながら安心して生きていくことは権利だと考えているので、あなたの話を「恵まれている」とも「我儘で贅沢な悩み」とも思わなかったと伝えたいと思います。そもそも「恵まれている」とされるそれらは運であり、あなたが選んだことではないようにも思いますし、仮に「恵まれて」いるとしても、転んで(ミスをして)ケガ(心のケガ)をしたら痛いことに変わりはなく、その傷はケアされる必要があるのだと私は考えます。
それでもあなたが「恵まれている」ことにうしろめたさを感じるのは、運の力で物事が進むことを自己責任として片づける世の中や、誰かの苦しみを覆い隠すほどに格差が広がり、余裕のない社会となってしまっているからではないかなと私は考えます。そういう社会ではなく、人が弱いままに生きていける社会であってほしいなと私は思いますし、あなたが今のつながりの中で弱さや傷を大事にしあえるといいなと願ってしまいました。投稿ありがとうございました。

感想2

あなたが日々の大部分を占める仕事という環境の中で多大な労力を費やし、それでもどうにもならない状況に、苦しみもがいているような様子を想像しています。それに悩むことは我儘でも贅沢でもないと思いましたが、一方では、これまでの生活の中での困難は、どちらかといえば、自分が掌握できる責任範囲で対処できていた経験が多かったのかなと思うと、自分一人ではどうにかできそうにないことが降りかかってきてしまった時に、どうやって対処できるのか、どうやって他者を頼ればいいのかもわからくなってしまいそうだと思いました。

この世の中には自己責任論がはびこっていますが、実際にはほとんどすべてが偶然にすぎないと私は思っています。たまたまいた場所やたまたま持っていたもの、環境によって決まってしまうことがとても多いからです。人には当然限界があるし、大丈夫であるかどうかはその人が悪いかどうかにはなにも関係がないと思います。大丈夫でない、限界だから休みたいということをあなた自身が決めていいと私は思います。そして、自己責任で解決する必要はなく、困った時に他者を頼ることも、自分の頑張りでどうにかせずに、環境の問題として、協業することはとても大切だと思うし、あなたもそれを選ぶことはわがままでも弱さでもあなたの責任でもないと思います。
ただ、そうは言ってもどうしたら?という状況にいるのかなと想像しているので、その中であなたが死ぬというやり方以外で、状況を変える方法が思いつかないことも無理はないと感じました。

あなたの文章から、きっとあなたのセルフイメージはこれまで周囲の期待とも比較的合致してきたのかな、と思います。そうすると、自分自身の期待と、他の人の期待がだんだん混ざっていって、自分がありやすい姿が見えづらくなってしまうこともありそうだなと思いました。
恵まれていても、恵まれていなくても、苦しい時に、苦しいという気持ちはあなた自身と切り離すことがむずかしいものだと思います。私の経験からは、つらい感情を切り離そうとしていくと、どんどん自分がわからなくなってしまうような気もしています。他の人や他の環境との比較はいまだけ少し置いておいて、あなた自身のしんどさや不安をわずかでも楽にする方法や過ごし方が見つかるといいのかな、と思いました。

私自身も経験談を何回か書いたことがあるのですが、書いている中で少しずつ自分のことに気づいたり、整理されたりすることもありました。もしそんなふうに使えそうだったら、また言葉にして送ってください。経験談の投稿ありがとうございました。

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