今年の四月やっとなりたかった作業療法士として病院へ入社。研究熱心で真面目な人が多いんだろうと思っていたのが今の職場に対する第一印象。でも、入ってみたら全く違う現実。人間関係はギスギスしてるし、真面目なのか真面目じゃないのかハッキリしてない職場。「なんで、こんな職場に入ってしまったんだろう」これが今の私の心の声。6月に新たに増えた同期。でも、同期はしっかりしてて、なんでも出来る。しかも、色んな人と話せている。なのに自分に対しては、出来てない等の声。今はそれが辛い。先輩らがヒソヒソと話している姿を見るだけで1番に浮かぶのは「退職」。
大体、親にも相談出来たらいいが、私の場合は出来ない。なぜなら、親は20年と同じ職場で頑張ってきたから。「新人なんだから3年は頑張れ」「新人なんだから、返事と謝ればなんとかなる」そんな言葉しか帰ってこない。だから、私は親に相談するのが嫌い。
私はこの投稿を見ている皆さんに聞きたい。「1年以内で職場を離れ、ストレスが理由は甘えか」。
私が今欲しいのは上司に辞めたいと言える勇気と気軽に相談出来る人。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
すぐ仕事場を辞めるのは甘えですか?
感想2
ただつらさや辞めたい気持ちだけが募っていく状況で、そのことを職場の人にも家族にも言えない、そんな身動きの取れないような状況を文章を読ませていただいて想像していました。
「こちらに見せている部分」と「現実に見えている部分」が全く違う、ある種のブラックボックスのような部分が仕事や職場というものには少なからずあるように私は思っています。実際、私自身もフリーター時代から今に至るまで数々の仕事を始めては飛び、始めては飛びを繰り返してきて、「なんかオシャレで美味しそうに見えていた食べ物が蓋を開けてみれば闇鍋だった」というようなことをいくつか経験してきました(突然の自分語りですみません。。。)。それがあなたのように目指していた資格職でやっとなりたかった仕事ならなおさらショックは大きかったであろうな…と。
加えて職場のギスギスした人間関係やハッキリしない職場の雰囲気や能力主義的に周囲との比較を感じさせられる職場なら「辞めたい」と感じることの方が私には自然に思えます。
しかしながらそういったあなたの状況に対して(私自身も言われたことがある言葉ですが)親から向けられた(世間的にもよく囁かれる)「3年は頑張れ」という謎ルールはあなたにとってとてもプレッシャーと選択肢を奪うものになっているでしょうし、現状にさらに追い込まれるようなことになる気がします。
もちろん、親や世間で言われるように、もしかしたら「3年は頑張る」ということで見えてきたり、形になってくるものもあるのかもしれませんが、他の誰でもない自分が働き続ける中で自分自身が感じた直感や手ごたえのようなものは誰に否定されるものでもないはずです。たとえ原因が人間関係であろうが業務とのミスマッチであろうがストレスであろうがそれを「甘え」だとは少なくとも私は思いません。
「やっとなりたかった」という仕事に就けたということにはきっとあなたの並々ならぬ努力やかけた時間があると思います。ですが、もうこれ以上続けられないと限界を感じているなら「辞める」という選択肢があってもいいと勝手ながらに私は思ってしまいます。
私などがあなたの仕事や生き方に安直な言葉を言えないのですが、続けるや辞める、または自分では思ってもなかった道なども含めて、少し時間をかけて落ち着いて考えてみる、そんな瞬間があってもいいのかなと個人的には思いました。
投稿ありがとうございました。
感想1
率直に、甘えではないと私は思います。私は新卒で入社した会社を3カ月弱で退職しています。3カ月で辞めた自分に対し、「向いていなかった」とは思っても「甘えていた」とは思いません。
「とりあえず3年」と少し前までは言われていましたので、親御さんもその感覚があるのかもしれません。私が退職する際も、そのことを考えました。3年の間に粘り強く頑張ることで、いつかは結果を出せるかもしれない。でも3年の間に何もできなかったら。自分を壊すだけだったら。転職して、同じ3年間でもっと自分を伸ばすことができていたら…。そんな風に考えて、私はサクッと見切りをつけてしまいました。(いえ、本当は限界だったので居続けられなかっただけです)
親とあなたは違うし、時代による考え方やニーズも違う。その職場は続けられなくても、違う場所なら難なく続けられるかもしれない。色々な可能性があります。だから私は甘えだとは思いません。
親という身近な存在に相談できないことは辛い時もあるかもしれませんが、ここにはたくさんの人がいて、辛さや悩みを聞くことができます。身近な人に相談できないとき、またこうして死にトリを使ってほしいと思いました。