経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

働くのに疲れました

私は社会人6年目になります。2回転職をして現在3社目で、今の会社で働いて1年半が過ぎました。でも、また辞めたい気持ちが大きくなっています。
1社目は2年2か月、2社目はちょうど2年で辞めました。3社目こそは、今までよりも長く働けたら、と思っていました。
1社目は、就職活動がうまくいかず、派遣社員として働いていました。派遣先の担当者は、変わっている…と言えば聞こえはいいですが、自分たち独自のルールで仕事を進める人たちで、やっていることややり方がおかしいと伝えてもそれを理解しようとせず、意味のない仕事だとわかっているのにやり続けなければならない状況に苦痛を感じていました。派遣会社のほうはお客様第一主義で、会社が理想とする人物像を押し付けるばかりで、正社員にもなるいい機会だと思い、転職を決意しました。
前までの環境よりもいい環境であることを願って転職した2社目はさらにひどいものでした。私が入社した直後だったにも関わらず、仕事もろくにせずに人が聞こえる声で悪口を言うような人ばかりで、影でこそこそと私の悪口を言っているのも聞こえました。人間関係が良くなくても、仕事に集中できればよかったのですが、入社して間もない頃は机の上に資料を置かれ読むように言われただけで終わり、そのあとも仕事がほとんどない状態で、ずっとやることがなく机の上に座っている日々でした。せっかく転職をしたのに、このようなことになってすごく悲しくなりました。
仕事もなく、孤独な生活に耐えられず、またストレスからPMDDの症状もひどくなり、転職活動をして辞めることを上司に伝えました。仕事もほとんどやることがないので辞めたい、と伝えると「あなたが仕事をつまらなさそうにしてたから任せられなかった」と、そう言われました。
確かに、仲良くやっていきたいと思える人もおらず、仕事もほとんどない状態で、やる気がなかったのは事実です。こちらに全く非がないとは言えません。ただ、私は2年間とてもつらかったのです。それに対して私が悪い、と言っているような言い方をされ、ただただショックで、涙が止まりませんでした。最終出社日、帰りの車でずっと泣いていました。それだけつらかったのだろうと思います。
3社目は、仕事を覚えるまでは少し落ち込むこともありましたが、人間関係も大きく悩むことなく、1年ほどは順調に仕事を進めてきました。しかし、半年ほど前から一緒に仕事をする人が変わり、状況が一変しました。先輩社員と二人で仕事をすることになったのですが、機嫌が変わりやすく、仕事がうまく進まなかったりするとイライラしたりすることがあり、私にあたってくることもしばしばありました。神経質で人の気分に左右されやすい私にとって、仕事がとてもやりにくくなってしまいました。毎日調子が悪かったわけではないのですが、それでもいつ相手の機嫌が悪くなるのかわからない状態で仕事をするのもしんどいなと感じたり、きつく当たられてつらくなる度に仕事が手につかなくなってしまうこともあったので、上司にも相談しました。できればその人から離してほしかったのですが、人員配置の調整が難しいとのことでやんわり相手に伝えておくから、で終わってしまいました。その後も度々気分が落ち込んでしまうことがあったので、やはりつらいです、と伝えると、前よりはましになった、とかもっとひどい人はいる、と言われ一蹴されてしまいました。それどころか、残業時間少ないのだからもっと人の仕事を手伝うように、と言われて終わりました。もうこの上司には相談できないな、と思いました。
もしこの状況が改善されないのであれば、我慢するだけ意味もないと思い、退職も考えています。ただ、いい加減どの会社でも長続きせず、本当はもう少しだけ長く働いていたい
、という気持ちも多少あります。
私自身、一つの会社で長く働き続ける必要はないと考えています。せっかくならいろんな場所でいろんな人と、いろんな仕事を経験したほうが価値観や世界観が広がると思っているためです。仕事は最低でも3年は、と言われていますが、私自身は3年は根拠のない数字だと思っています。我慢するくらいなら、1年でもやめてしまってもいい、とは思ってもいます。それでも、あまりにも我慢が苦手すぎるのではないか、ほかの人はこんなことですぐに辞めたいと思わないのではないか、と考えてしまうこともあります。
今の会社で環境の改善に向けてできることをやってみるつもりではありますが、それでも無理そうだったら辞める決断をしてしまうのだと思います。人それぞれだとは思いつつも、一つの会社で長く働けない自分をよく思っていない自分もまたいるみたいです。
まだ3社目、と言われるかもしれませんが、自分のことしか考えない、自分の物差しでしか物事を考えられない人ばかりで、私はもう疲れました。これから先の明るい未来なんて見えません。一日中一日をただ、淡々と乗り切るだけです。
少しわかりにくい文章かもしれません、すいません。

感想1

なるほど、タイトルが「働くのに疲れました」なのが納得するような内容でした。これまでのあなたの「働く」が説明されていく中で、難しく、厳しい現実が描かれていて、私自身も年々働く現場の難しさを感じていたので、自分の実感とも重なるところがありました。
かつては終身雇用が当たり前で、長く働くのがいいことで当然だという価値が強かったように思いますが、今はそうではないように思っています。だから、あなたが最後の方で書いてくれた「最低でも3年」に根拠はないと感じたり、「我慢するぐらいなら、1年でもやめてしまってもいい」と思ったりすることにとても共感しました。そして、「せっかくならいろんな場所でいろんな人と、いろんな仕事を経験した方が価値観や世界観が広がる」というのも賛同します。そして、同じところで長く働き続けることもまた、それもありだと思う気持ちもあります。要するにどんな働き方がいいのか、どんな仕事が向いているのか、人それぞれであって、「働く」に絶対的な正解や善し悪しはないと思うのです。
あなたの言う通り、いろいろな体験を通じて選んでいける道が多い方がマッチングのバリエーションが増えるだろうと思います。ただ、現実にはバリエーションは少なく、仕事を決める際の選択権は就活や採用という場面で、会社が人を選ぶスタイルが主流で、働く人が選ぶ側面は少ないように思います。有効求人倍率の関係で、どちらの立場が強くなるのか経済状況にもよりますが、私は本来、数の理論でどちらの立場が強いという問題ではなく、働く側も会社もお互いに話し合ったり、試したりして、選び合うことが大切なのかなと思っています。あなたの経験談からも、双方が納得する語りで「働く」をコーディネーションできる新しいスタイルの必要性を感じました。そして、同時にそうしたスタイルができていく未来が見えないことが、絶望感や閉塞感につながるのかなと推測しています。
働き方がかつてのスタイルから変化をしています。どの方向に変化するのかはあなたのように自分で経験して確かめて、そして感じて考えていく人たちが声を上げることによって違ってくると思っています。働く人の声が見えなければ、会社や社会の都合に偏った変化になりそうなので、あなたの経験はとても貴重なものだと感じました。
そして、こうやって「働く」ということについて率直に話したり、意見交換する機会を持ちたいと思いました。また、書きたくなったらいつでも書いて送ってください。

感想2

この6年間3つの仕事であなたが経験してきたことに頷いたり、納得したり、自分の意見が浮かんだりしながら読ませてもらいました。特に“仕事は最低でも3年”は確かに私も何度も聞いたことがあります。職種によるのかもしれませんが、私はモノづくりに長くいたので、3年説は納得していました。道具を一人前に使えるようになるには最低でもそれくらいかかるという実感です。一方で嫌な人間関係(ハラスメントがあったり、学ぶべきことがない関係)なら年数関係なしにすぐにやめた方がいいと私も思っています。今まで10社くらい勤めてみてそう思うところです。
あなたが2社目で経験した「仕事を与えてもらえない」というのは「過少の要求」というパワハラの一種なんだそうです。それがどれくらい辛いことなのか経験談からも伝わってきます。
職場の人間関係って本当に何とも言えないしんどさがありますよね。特に感情的に八つ当たりがあったりするとそっちばかり気になって仕事どころではなくなるのかなって思います。ただ、3社目である今の職場については、できるだけ何とかして少しでも長く働きたいというはっきりとしたあなたの意思が見えます。もしかしたら1社目や2社目の経験がどこか生きているのかもしれませんね。私はこれまで職場の人間関係で悩むときって、自分の考えるべき範囲と相手が考えるべき範囲を混ぜて考えてしまっていました。相手の領域のことまで考えたって変えられるわけでもないし、自分のできること、やるべきことに集中して淡々とやっていこうと考えるようになってだいぶ楽になった気がします。だからあなたが経験談の最後に書いてある「淡々と乗り切るだけです」というひと言に妙に頷きました。
それでも経験を積む価値がないと思ったら辞めるのも全然ありだと思いますし、疲れた時は仕事を長めに休んでみるのもいいと思います。さらに一定期間生活が成り立つのなら仕事をせずにゆっくりするのも良いかもしれませんね。
仕事を成長の機会と考えるか、仕事は生活のためって割り切るかにもよって考え方も変わるかもしれませんが、いずれにしてもあなたが安心して生活できることを私は願っています。

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