経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分に向き合いたい

自分がなにに困っていて、生きづらさを感じているのか、そもそも自分はどういう人間なのかを突き詰めて考えることが難しいです。それが自分の成育歴と関連してしまったら、たぶんスッキリするかもしれないけど、そこと向き合わないといけないのか、と思ってしまうからです。ここに経験談を書いてる人たちは、それでも向き合って生きてるし文章にしてるし、それなのに自分が書いて良いのかわかりませんが…。

幼い頃から「我慢すれば良いことがある」と教えられてきました。それは兄の機嫌を損ねないためでした。

2つ上に兄がいるのですが、僕にとって兄はずっと理解不能な生き物でした。なにがきっかけで爆発するのか、常に警戒し続けて生活していました。

父の転勤によって小中と転校を経験しました。僕は比較的新しい環境や人間関係に馴染めたのですが、兄は小学校の転校先でいじめにあっていたようでした(ずっと後に母親から聞きました)。ただ、その前から兄は母親に暴力を振るうようになっていました。今思い出せば僕も兄も母からしつけとして平手打ちをされることもあったし、初めのうちは母も抵抗していたと思います。でも兄が小学校高学年になって完全に逆転していきました。いつもきっかけは本当に些細な事のように僕には思えたのですが、こだわりも強い兄にとって許せないことは多くて、それを破ってしまった母が長時間リビングで叱責を受けていたり、体中が痣だらけになるほど殴られていました。僕はその頃兄と同室で、母が兄のいる部屋に呼び出されている間は部屋から出ていろと言われ部屋に逃げこむこともできず、母が部屋の前で謝罪と弁明を繰り返し、そこで気に入らないことがあれば兄が殴り掛かり、リビングまで母が逃げた末に殴られているのを見ていた記憶があります。僕は学校から帰るとほぼ毎日友達と遊びに出かけるけど、母と兄は二人っきりで家に残されていて、僕は夕方17時になって家に帰るとき、今日は兄の機嫌によって家の空気はどうだろうと考えながら帰宅していました。

母が僕に一度だけ殴られながら「助けて」と言ったことがあります。僕は怖かったし、本当に嫌そうな顔をしました。その時に消えたいと思いました。助けたいけど、怖い、自分には関係ない出来事と思いたい、そんな自分を消してしまいたかったんだと思います。

中2で転校したころ、身体的に兄と変わらなくなって、兄の機嫌よりも自分のことを優先したくなり、衝突することもありました。でも兄の矛先は結局僕から母へいつも変わっていき、母からは呪いのように「我慢してほしい」と言われていました。

一度、兄から包丁を向けられたことがあります。それも些細なことでの衝突だったのですが、なぜか兄の機嫌が良い期間が長く続いていた時期で、母ももしかしたら長い反抗期が終わったのかもしれない、くらいの淡い期待があったと思います。そんな時に些細なことで僕が兄の機嫌を損ねてしまい、包丁を向けられました。怖かったこと以外はその時どうしたか覚えてないけど、その時も結局母に対する暴力になったと思います。僕は住んでいたマンションの上階までエレベーターで上がって、たぶん10階くらいだったと思うけど、そこから下に向かって1円玉を落としたのを覚えています。飛び降りるとかは想像することすら怖かったけど、落ちたらどうなるかだけイメージしたかったのだと思います。

父は兄が高校生になってから単身赴任で転勤するようになり、より兄の暴力はエスカレートしていったように思います。父はいわゆる企業戦士で家庭のことは無関心に近く、兄の暴力も母との喧嘩と捉えていて、兄と母との間の出来事で自分は当事者ではないというスタンスだったと思います。でも、もしかしたら僕もそれを模倣していたのかもしれないです。だから、母からの「助けて」にも、自分は関係ないと思えてしまったのかもしれません。

兄は大学受験に失敗しました。僕の大学受験をする年に、もう一緒に住んでいるのが限界で、部屋を別で借りて母と家を出ました。僕は大学から下宿し、仕事もそこで見つけ、家族とは一定の距離を、兄とはほとんど関わりなく生きてきました。

・・・思い出そうとすれば出来事がもっと出てくるのかと思ったけど、書き出してみたらこれくらいでした。当時のことを「怖かった」と振り返れたのも最近になってのことで、もちろん普通の家庭ではないとは思っていたけど、自分はそういう家庭環境で育った影響は無いって思いたいし、それでも平気だったって思いたかったから、怖いって思っていたことを否定したかったのだと思います。

でも今の生活の中で、仕事や家庭での関係でうまくいかないことがあったときに、育った環境の中で何か影響があったのか、と考えてしまいます。それを突き詰めて考えてしまうと答えが出てしまうようで、でも蓋をするから結局うまくいかなかったのがなぜかも考えられないまま、同じことを繰り返してしまっているようにも感じます。

それと最近兄が病気になりました。一人家に残されて、何年も浪人と言いつつひきこもりの生活を続け、母は全く、父もほとんど兄に関わらないようになり、その中で体調を崩していたのに病院にも行かず、手術しましたが車椅子での生活になり、今は父と同居しています。言ってはいけないことかもしれないけど、兄は恐怖の対象ではなくなりました。初めは父の相談にものっていましたが、今は連絡を全て無視しています。

ここ何年かで、物理的にも時間的にも遠く離れたからか、家族のことを考えても感情が動くことがほとんどなくなりました。それは時間薬なのか、麻痺なのか、自分が妻子を含めて今生活している場所で家族を知らない人たちと新しいコミュニティを持てたからなのかはわかりません。でもそうやって向き合わないまま遠く蓋をして、なにも問題なかったふりをしているけど、それは蓋をして見えないようにしてるだけで、いつか今自分が新たに築いたものを壊してしまうんじゃないか、そうなる前に家族の問題というよりもそれを受けた自分自身に向き合う覚悟を決めないといけないんじゃないか、その一歩目だと思って経験談を書かせてもらいました。

感想1

投稿を読ませていただきました。まず感じたのは、あなたの暮らしてきた家庭環境で、あなたはずっと危険を感じ続けてきたのだろうということです。もしかすると、危険という言葉は少し強く感じられるかもしれないのですが、常に警戒が必要な状況というのは、危険がすぐ近くにあるからこそではないかと思います。あなたの兄が「爆発」することを回避しなければ大変なことになるけれど、そのきっかけもわからない中では、それも無理のないことだと感じました。
また、お兄さんと、その暴力を受けている母親さんの様子を間近にみていて、あなたの中にはずっと葛藤があったのだろうと思います。「助けたいけど、怖い、自分には関係ない出来事と思いたい、そんな自分を消してしまいたかったんだと思います。」という言葉は、あなたの心情をあとから振り返って書かれた言葉だと思いますが、そのすべてがあなたの中で衝突しあっているようなイメージをしました。
その構造の中で「無関心」な父は、ある意味では、他の3人よりも外に逃げ場があったとも言えるのかなと思いました。「もしかしたら僕もそれを模倣していたのかもしれない」という言葉は、後悔や後ろめたさを感じて書かれた言葉なのかな、とも感じました。
俯瞰して考えると、逆に、幼いあなたにも、あなたの母親さん、そしておそらくはお兄さんにも、苦しい状況からの逃げ場がなかった、と言った方が適切だと思いました。そして、「逃げるのが悪い」のではなく、それは家族でなんとかしなければいけないような問題でもなかったはずだと思います。本来は、社会の中で支援などとつながり、それぞれが少しずつ逃げ場を持てるような状況を作れるようになっているべきだと感じました。
ただ、暴力や不和などは隠すべき、イエの問題はイエの内側で対処すべき、というような社会的な圧力があるようにも感じているので、その中で、助けを外側に求めることが難しかったり、そもそも繋がれる支援や制度などが思いつかなかったり、あるいは外に助けを求めても十分な支援を得られなかったりすることもありそうだと想像しました。そういう状況を変えるためにも、「こういうことがあった」ということを教えてもらえることはありがたいです。それをどういうふうに世の中の課題と結んで、解決に近づけていけるのだろう…とこの文章を読みながら改めて考えています。

あなたの経験談で印象的だったのは、あなた、兄、母のフィジカル面での力の強さが年齢を重ねる中で変化していき、それによって、それぞれの関係も如実に変化していったようだということです。また、あなた自身が経済的に自立し、ある意味で社会的に効力のある力を身につけた状態になり、さらに別の場所で新しいコミュニティを持てたことで、安全を感じることが難しい育ってきたコミュニティから、物理的にも心理的にも距離を確保できてきている現在があるのかなと想像しています。

あなたが生まれ育った家族のことに感情が動くことが減ったことについて、「物理的にも時間的にも遠く離れたからか」「時間薬なのか、麻痺なのか、自分が妻子を含めて今生活している場所で家族を知らない人たちと新しいコミュニティを持てたからなのか」と書かれていましたが、個人的にはどれも要素としてありそうだなと感じました。
また、麻痺も含めて、それらすべてが悪いことでもなさそうだと感じますし、しんどい過去と直面していたらできないことを、安全な場所でやっていくために必要な心身の仕組みなのではないかとも思いました。
「家族の問題というよりもそれを受けた自分自身に向き合う覚悟」の一歩として、経験談を書いてくださったということですが、読んでいると、自分自身の中で否定したいこと、考えるとしんどいことについて、これまでもきっと、(言葉にはなっていなかったとしても)かなり考えてきていた人なのではないかと想像しました。ただそれを、今後の自分や周囲の人、大切な人との関係のためにも、言葉にして、より向き合っていきたいという思いが現在につながっているのかなと思いましたが、どうでしょうか。

何度か読み直しながら、ひとつの回復(という言葉が適切かわからないですが…)の過程を内省しながら書かれた経験談だと感じています。きっとそれは今後も変化していく途中ということでもあるのだと思います。だけど考えてみれば、成長することや傷ついた状況から回復することやは本来すべての人が持つ権利だとも思いますし、それをさまざまな状況で妨げられてしまうことが社会の問題だとも改めて思いました。あなたが今後また何かを感じ、捉え、言葉にするときがあれば、よければまた死にトリに投稿してください。経験談を寄せていただきありがとうございました。

感想2

長い間、自分の奥にしまってあったものを覚悟をもって書き出した感触が伝わってきました。私は障がいを持つ子どもとともに生活してきたので、日常的に何らかの手助けや配慮が必要な存在が常にいる暮らしの様子は少しは想像できます。また、あなたの兄のように家でいつ爆発するか分からない存在がいる親やこどもの経験を聞いたことがあるため、そうした話とも重ねながらより深く想像をしています。
そうした家庭の生活において、親は親なりの苦悩がありますが、きょうだいの立場はまた違った苦悩に満ちているだろうと思います。あなたの場合は生まれた時から兄がいたのですから、いる状態の家庭が当たり前の暮らしとして日々あり、その中に嫌だな怖いなという感覚があっても、その感覚も日常に埋め込まれていったのだろうと思います。子どもが自分の力では逃れられない日常から少しでも距離を置き、その現実とうまく折り合いをつけるために、嫌だ、怖いという感情を押さえ込むことは自然なことだろうと思いました。
今、こうして書いてみようと思い、過去のことを思い出し、書いて送ってくれたことはまさにあなたのいう通り第一歩だと思いました。これまで、自分の一部として埋め込まれてきた自分の気持ちを捉え直して、整理をしようとしているのかもしれないと私なりに考えていました。
冒頭で他の人たちと比較し、自分は自分の過去に向き合っていないのではないかと書いていましたが、私はあなたの経験談に触れて、向き合おうとしている姿やそこへの率直な苦悩があることを確かに感じました。私の中ではそれこそ「向き合っている」という感触がありました。言い方が難しいのですが、真正面から向き合って過去を思い出し、語ることがちゃんと向き合ってというわけではなく、躊躇いや迷い、苦しみとともに語られることに私は引き寄せられたように思います。そして、あなたが一歩踏み出した背景には今、あなたなりに安心や安全の蓄積があるのではないかと思いました。言い方を変えると何かしらの準備が整ったのではないかと感じたのです。
何の準備なのかというと、自分の人生を送ろうとする準備なのかもしれません。ただ、私にはこれまでの人生もまた紛れもなくあなた自身の人生だったと思うので、何が違うのか上手く言えないのですが、自分と他者(家族とは言え自分とは異なる人間)の距離感や境界について、考えることができる時期が訪れたと言えるのかもしれません。ただ、ずっと不安で周囲にアンテナを貼り続けた緊張感があなたのデフォルトであろうことを考えると、こうして積み上がってきた安心や安定の要素が、埋め込まれた恐怖や不安がざわつく要因になることも自然なことだと思います。
最後に家族から距離をとったり、割り切った関係を保つことについて、私は妥当で賢明な一つの選択であって、後ろめたく思う必要はないことだと心から思います。ただ、そうは理屈でわかっていても、自責の念や不安があることもまた理解できるので、その気持ちも自然なこととして受け止めたいと思いました。
自ら踏み出した一歩の力を私は確かに感じ取りました。また、必要な時には死にトリに参加してください。

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