経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

恵まれているのにね

20代 口語体で失礼。

神童だった。正確には中学受験や習い事と相性が良かった。中学受験は模試の成績は常に全国30位以内だったし、小学生の頃はピアノも全国区の実力だった。
サッカーも上位のトレセンに選ばれていたし、出来ないスポーツはなかった。なんでもできた。とてもモテていたし、友達も多かった。
努力はしたことがなかった。ただ楽しめば、それが実力として追いついてきてくれた。
特段厳しい親でもなく、毒親などとは程遠い親だった。裕福な家庭で大切に育てられた。両親の間には様々あったが、それでも恵まれていたとはっきり自覚している。
不思議なのはこの頃に希死観念があったことだが、その正体はわからなかった。

中高一貫校に入学後、自分に違和感を感じはじめた。極めつけは英語教師に言われた「お前異常だから病院に行ってこい」という言葉だった。
母に伝えると良い意味で笑い飛ばしてくれた。集中力がなく多動なことは両親にはとっくにわかっていたのだろう。
結局わがままを言って検査させてもらったが、よくある高IQ故の注意欠陥・多動と言われただけだった。
この頃希死観念はピークだった。カミュに誤った陶酔をしていたからかもしれない。カミュと死後会うことがあれば怒られるだろうな。

大学受験は肌に合わなかった。興味の持てない分野に集中力が続かず、数学は感覚で出来るがそれ以外はてんでダメだった。
先天的なものかわからないが、努力など出来るはずもなく、結局多浪して中途半端な大学の文系学部に通った。数学さえ出来れば簡単に入学できたから。

大学に入学してから、神童はおろか普通の人ですらないと痛感した。
飲食バイトを始めてみたが、作業内容や商品が覚えられなかった。ビールに氷を入れて怒られたり、肉の見分けなんかつくはずもなかった。
今でも豚肉と牛肉の違いはわからないし、焼酎と日本酒の注文方法もわからなくなる。
結局バイトは転々とし、簡単なデータ入力に落ち着いた。
この時期にもう一つ気づかされたことがある。
人の顔と名前がまったく覚えられなかった。ゼミの仲間や教授・芸能人なども覚えられなかった。
真矢みきさんと天海祐希さんが今でも区別できないのは、笑い話にしているが。
この頃から興味がない相手とは関わることをやめた。

就活は簡単だった。インターンなどもちろんせず解禁日をすぎてしばらくしてから活動を開始したが、
すぐに東証一部企業の内定をもらいそこに入社した。高校名に助けられた。
なぜその高校からその大学に?という質問にはうんざりしたが、学歴コンプはなさそうだという評価を受けたから開き直っていたのも良かったのだろう。

今社会人として自分への期待を完全にやめた。
人が出来ることが出来ない。自ら企画した、答えのない社内プロジェクトなどは容易に出来るのに。
新入社員がやるような日々の月次業務はやり方を覚えられないし、人を覚えられないからスムーズにいかない。
なんでそれが出来ないの、という言葉には疲れた。
自分が興味を持った事象や相手しか覚えられないこの生き物をを飼いならすことはやめた。

それでも苦しい。
期待していないはずなのに希死観念が追いかけてくるのは、まだ何かに期待しているんだろう。
開き直っているはずなのに、理想の自分が時々足首を掴んでいるのだろう。
結婚もしたし、もうすぐ新しい命も授かる。親とも関係良好だ。
確実に人より恵まれ、優れ、充実した人生を歩んでいるはずなのに、手の届かない目の前の葡萄はとても甘そうだ。酸っぱければいいのに。

仕事中にこんな文章を書く人間に、自分は何を期待しているのだろう。
自分に合った仕事に転職する度胸も気力もない。
さびしさは確かに鳴るが、このくるしさは鳴らない。

それでも一つだけ成長したことがある。
中学時代からのODは最近やめた。やれば出来ることもある。
ODの代わりにこのしょうもない人生を書かせてもらう。多少楽になった。

私はシーシュポスのように岩を運べるだろうか。
転げ落ちた岩まで、花でも摘みながら向かえばいいのだ。
全てが終わった時、カミュが一言でも声をかけてくれたら、
その時私の岩は頂きにそびえたつのだろう。

感想1

知らないうちに希死念慮が近くにいて、長らく希死念慮とともに歩んできた道について綴っているように感じました。あなたの文章であるのですが、あなたとともに生きてきた希死念慮がこの文章を自然と紡ぎだしたようにも感じました。
あなたにとっては神童と呼ばれた子ども時代は、賞賛を多く受けて過ごしてきて、希死念慮とは無縁の日々だったように感じているようでしたが、苦しみやストレスがいつでも適切に自覚できるものとは限らないのではないかと考えます。おそらく、あなたは幼いころから、知らないうちにストレスや刺激を取り込みながらも、自分の疲労や苦痛を感じ取ることや把握することが苦手だったのかもしれないと思いました。希死念慮は正直で、あなたの気づかないことを感じ取り、ひそかなるSOSを出していたのかもしれないと感じています。
私はちょうど、この感想を書くタイミングでADHDの当事者で自らの経験から発達障がいの方たちや保護者を支援している方の話を聞く機会があり、その話をあなたの経験談を重ねていろいろと思うところがありました。人の目に見える行動の土台には神経心理の作用があり、適度なリラックスができない状況が続くと、心的なエネルギーが枯渇していくと学びました。子どもの頃のあなたは無意識に、覚醒レベルが高く、かなりの多くのエネルギーを放出して取り組んでいたのかもしれないと考えています。
近くで見ていた親があなたの特性に気付いていて、それを理解した上でそのままを受け入れ、認めていた様子だったことに少しホッとしました。そして、あなたらしい個性を発揮して成長していったのだろう一面も感じました。傾倒しているというカミュについても、とても興味深く思いましたし、また、シーシュポスの岩の引用やところどころに見える、あなたらしい表現力や見えている世界観など、とても個性的だと感じました。
ただ、その一方で、周囲に理解者がいたとしても、あなたにとってはその個性が必ずしも自分の自信にはつながっていなかったり、自分の扱いに戸惑っている様子もあり、複雑な気持ちです。その背景には学校というコミュニティが個性的であることを歓迎せず、むしろ適応できない、当たり前のことができないという評価につながってしまう実情があると思います。同様にして職場でも個性的であるよりも、多くの人たちと同じことができるよう求められ、当たり前という壁が高くそびえたちます。あなたらしさや個性を発揮しにいくい風土や価値観があちこちに埋め込まれていると考えると、その中で育つ、過ごすということは、じわじわと自分の存在や個性を否定的な空気やメッセージを浴びて過ごすことになるため、その蓄積が死にたい気持ちになることは自然なことのように思いました。
そうした、盲目的な当たり前幻想(今、私が勝手に名づけました)は少しずつ変化しつつあると私は感じています。社会情勢は変化し、様々な課題が明るみになっている今の社会では一人ひとりの個性に目を向けなければ、私たちの社会生活は成り立たないと感じています。社会が成り立たないから、個性を認めましょうという流れに、私はあまり納得はできません。本来は、前提として一人ひとりが大切にされるべきだと考えています。ただ、人は間違えながら試行錯誤するものだろうとも思うので、どんな経過であれ一人ひとりの個性を排除しないで、生かそうとすることが注目されるのならチャンスだろうと思っています。あなたが身近に可能性を感じるようなことは少なそうですが、私にはあなたのような感性や個性を発揮できる場所はあると感じました。
私は能力の協働性という言葉に共感しています。人の能力は個々の資質で決まるのではなく、環境との関係性や環境との組み合わせで決まるというものです。どんな人でも、その人自身の能力やスキルがあったとしても、合わない環境や認められない人たちと一緒にいると力を発揮できません。特に個性が強い場合は環境の調整が必要であり重要だと思います。
一人ひとりにあった環境を考えるということは、発達障がいがあるとかないとか、特別な人の問題ではなく、誰にとっても普遍的に大切だろうと思います。
今回、書くことで多少楽になったとありましたが、まだまだあなたからの発信を聞いてみたいと思いました。ぜひ、死にトリに限らず、今後もあなたらしい自己表現があることを陰ながら応援しています。

感想2

内容もですが、語り口からもあなたの個性を感じる経験談でした。
私はカミュについて詳しくは知らないのですが、誤った陶酔をして、死後に偉人に怒られる図を想像するとクスっときます。(よく考えてみると、同じように怒られるべき人はたくさんいる気が・・・。でも、それをあなたのように文章にできる人はなかなかいないですね)

私自身発達障がいがあり(IQも高い方にはなります)、たまたま周りにも発達の凸凹のある人が多いので、わりと「わかるなあ」と感じる部分も多かったです。
とくに「自分が興味を持った事象や相手しか覚えられない」は、自分が発達検査を受けた時に心理士さんに3回くらい言われたことだったので、勝手ながら仲間がいたと感じてしまいました。

もちろん私とあなたは別の人間ですし、苦しさについてどこまで共感していいものか、理解できるものなのかは、私にはわかりません。
ただ、恵まれていたけれど希死念慮があった、というのは私にはなんとなくわかる気がしました。(自分が一緒とかではなく、こうかも?という仮説が感覚的には立つ感じです)
私は、周りの人の世界観と、自分の世界観がズレており、それが自分に不利益や不都合、孤独をもたらしている場合、希死念慮が生じると思っています。
ここでいう世界観は、感性、能力、興味の指向性などによって形作られていく、世界の捉え方や人生のビジョンのようなものです。
少なくとも、あなたはいろいろな点で周囲とのギャップが大きい人だと思うので、そのギャップの中で生きていくことは、知らず知らず心身を消耗していくのではないか…?とは、私は思います。

でも個性は、自分をすり減らすものになるという苦しい側面もありますが、裏返すとそこには、なかなか他にはない創造性があると思います。
あなたの話を見ていると、一般企業で働いているなんてもったいない…!起業するか、フロンティア精神のあるNPO法人の職員になって働きませんか?と言いたくなりました。私はこれまでNPO法人を渡り歩いて働いてきたので、答えのないものに取り組める、常識にとらわれない人物は、なかなか魅力的に映ります。
会社の規模や、時と場合にはよりますが、他の人にできることは、できる人がやればいいと私は思います。利害関係が一致して、メンバー間で納得・合意形成ができているのなら、全員がマルチな人材になる必要も、合理性もないはずです。(といいながら、私もある程度はマルチにならざるを得ない環境で働いているのですが…)

これから何をどうしていくもあなたの自由ですが、もし状況的に可能で、あなたの気が向いたなら、自分に合う環境を探してみるのはおすすめしたいです。このおすすめは、あなたにとって良いのでは?などの親切心よりは、私の好奇心や探求心から来ています(私は人間のポテンシャルが発揮されることに強い関心があり、そのついでに個々人にも一応関心を抱いていますが、それ以外にはほとんど関心がなかったりします)。
経験談の投稿、ありがとうございました。

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