経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

今の環境と自身の性について考えること

こんばんは。初めて投稿します。
私は今の職場に就職して3年と少しになるのですが、最近毎日「辞めたい」と思ったり
不安を感じる毎日です。
そう思う原因はいくつもあります。仕事量の多さで毎日残業、仕事内容は精神的負担が大きい、人間関係、環境等あります。
ここで人間関係や環境を挙げたのは、私がセクシャルマイノリティに属することも要因ではと思います。私は恋愛対象が男性のゲイ、と思っていたのですが、女性とも男性ともどちらにも当てはまらないことに最近気づき始めて、ノンバイナリーなのではないか、と思っています。
職場は異性愛や男女というのが前提となっており、特にひどい言葉を投げかけられる訳ではないのに、毎日怖くて不安を感じています。
カミングアウトをして自分のことを色んな人に知ってほしい、とは思うけれど、相手の反応、例えば「理解できない」「思い違いだよ」「面倒臭そうだね」とか、そういう事を言われそうで中々言い出せません。
数年前に一度体調を崩し休職をし、今の職場のまま復職をしてもう一回頑張ろうと思ったのですが、最近なんとか出勤しているけれど朝はすごく憂鬱になったり、休みの日も元気が出ないです。
私は自分の性を受け止めて幸せに生きたい、同じように悩んでいる人の助けになるような仕事や活動をしたい、そう思うけれど、現実は自分の性がうっすら消えてしまう様な、残酷なものに見えて、私は何か夢を持ちすぎているのではないか、そのギャップがとても辛いです。
なので、セクシャルマイノリティとしてまだ居場所が見つかりやすい、例えば東京や海外など、そういった環境に移りたいなと強く思ってきています。ちょっと夢の様な話で、そうするには転職活動を頑張らなければいけなかったり、不安もあるとは思いますが。
私は音楽や美術や文章、最近は特にノンバイナリーの方の自己表現にとても感動することが多いです。でもそういう感動するものや楽しいことに没頭してばかりいると、現実に向き合うことに時間が使えず、どんどん自分が薄っぺらい人間や成長が止まったような出来損ないになるのではと怖くなります。
内容がコロコロ変わってしまい申し訳ないです。このサイトを見つけ、読んでもらう人がいらっしゃるというだけでホッとするような気がします。一人だと暗いことをどんどん考えすぎてしまい、SNSで繋がった知人(同じくセクシャルマイノリティ)がいるぐらいで気軽に話せる友人もおらず、両親や兄弟にも心配をかけたくなくて話せないのですが、溜めるのもしんどいので、思わず投稿しました。
また是非投稿させてください。

感想1

投稿を読ませていただきました。
「職場は異性愛や男女というのが前提となっており、特にひどい言葉を投げかけられる訳ではないのに、毎日怖くて不安を感じています。」という一文にもっともだと頷きました。仕事自体の負担も大きいのに、さらにあなたがあなたらしくいることを前提とされない環境で過ごすのは、とても負担が大きいことだろうと思います。また、その前提自体がマイクロアグレッションにつながっているのではないかとも想像しました。
私自身も、男女二元論や異性愛規範にあまり馴染めないままマイノリティの自覚のもと生きていますが、それらの規範意識や価値観は世の中にとても根強くあり、恐ろしいと感じることも多いです。(私は「人は恋愛をするもの」という恋愛規範、あるいは恋愛伴侶規範などにも疑問を感じています)
一方では、これまでにたくさんの人たちが、規範に抗い、そうでないあり方のまま生きることの権利を少しずつ広げてきた、という歴史もたしかにあります。それらの歴史を振り返ると勇気づけられる気持ちにもなります。ただ、それで十分だとは言いがたいのもたしかで、マイノリティであることで日々居場所や存在を脅かされてしまう、自分が前提とされていない世の中で苦しい思いをすることはまだとてもたくさんあるのが現状だと思っています。
読んでいて感じたのは、あなたの中での強い葛藤のようなものです。自分のジェンダーやセクシュアリティを受け止めていたり、ノンバイナリーの方などの音楽や美術や文章に心を動かされたりするあなたと、その一方で、異性愛規範や男女二元論が強い職場で自分を押さえ込んでいなければいけないあなたの間に距離があって、だからこそ、苦しさや葛藤があるのかもしれないと想像しました。
「現実に向き合うことに時間が使えず」と書いてありましたが、「現実に向き合う」というのは、「するには転職活動を頑張らなければいけなかったり」と書いてあることなど、そのギャップを埋めるなんらかのことに取り組むというような意味合いなのでしょうか? もしそうだとしたら、そのギャップが大きければ大きいほど、しんどい気持ちにもなりそうだなと思いました。
私も音楽や美術、文章に感動するタイプで、それを支えに生きていると感じているため、勝手に重ねてしまっているだけかもしれませんが、もしあなたにとってもそれらの作品が支えになったり、喜びや心地よさなどにつながっていたりするなら、そうやって過ごす時間も大切なのではないかとも思いました。
「自分の性がうっすら消えてしまう様な、残酷なもの」の中とは別の時間があなたに増えてゆくにはどうしたらいいのだろう、と考えています。あらゆる人が安心して、心地よく暮らせるように世の中が変わっていくために、どんなことができるだろう。そんなことばかり考えているので、あなたの願いを「夢を持ちすぎている」とは思いません。(私も願いや思いが叶っているわけではなく、日々悲しいことや悔しいことの連続でもあるのですが…。でも、願うのをやめようともいまは思っていません。)
周囲の人に話しづらい、だけど自分で抱えるには大きすぎるつらさや悩みを死にトリに送ってくれてありがとうございます。長くなった割に役に立つことも言えずすみませんが、私はなんだか仲間のような気持ちになって、いろいろ書いてしまいました。あなたの考えていること、感じていることをよかったらまた教えてください。

感想2

今の自分が置かれている状況を淡々と、少し客観的に整理をしながら書き出してくれた様子が伝わってきました。自由で率直で自分の感じることを大事にしている人なんだろうなぁとその人柄や雰囲気がにじみ出ているように感じて、上手く言えませんが清々しい気持ちになりました。そして同時に、自分の感じることを大事にすると、この世の中は生きづらいんだよなぁとも思いました。私自身も周囲と感じ方が違うと思うことがしばしばあり、それを大事にすると面倒なことが多くなり、隠して大人しくしていると平穏にはいられるけれど、自分じゃないような気持ちになるということがあったように思い起していました。
職場でのあなたの違和感を想像してみました。きっと、そんなに大きなことはなくても日々のごく当たり前のやり取りや雰囲気そのものが、じわじわとダメージとなって蓄積していって、もう拒否反応のようなものもあるのかなと思っています。私は違和感を一度感じると、次から次へと気になることが連動して湧いてきて、自分ではどうにもならないことがよくあります。ひょっとしたら、そんなこともあるのかな?と思うと、与えられた職場という環境の中で状況を改善することは簡単ではないと思いました。だからこそ、辞めたいという気持ちが出てくることもとても自然なことだと感じています。
だからこそ、自分に合った環境を探しているのでしょう。多くはないと思いますが、あなたにあった環境はあると思いますし、それを探せる力がある人なのだろうと感じました。こうして、死にトリを見つけてくれて、書いて気持ちを届けるという自発的な行動がその力の証だと思いましたし、自分自身と環境について相互作用の関係であることを捉える視野の広さも感じました。(あくまでも私が経験談を読んで感じた一方的な推測ですが…)
性に関してはこの世は男と女だけで、当たり前に恋愛や結婚するものだという常識には私もとてもうんざりすることがあります。あなたの率直な経験談を読んでいると、いろいろな人たちと「本当にそうなのか?」「なぜ、多くの人がそれが当たり前だと思うのか」ということを語ってみたくなりました。そんなことが特別ではなく、さりげなくできる社会になってほしいと願いつつ、この場はいろいろな人が思ったことを持ち寄れる場でいたいと思っています。ぜひ、また書きに来てください。待っています。

お返事1

コメント読ませていただきました。
誰にも言えない自分の悩みを受け止めていただき、
私の文章が拙いにもかかわらず
真摯にお答えいただいて本当に嬉しいです。
とても救われた気持ちになりました。

私の中で音楽や文章などで幸せな時間を過ごすことに最近は罪悪感すら感じていました。
でも、やはり大事にしていきたいですね。
それ以外にも色々な好きなことを自分に嘘をつかずに増やしていきたい。

また、環境を変えることについても、私について客観的に捉えていただいて、
その視点は無かったなと思い、とても励みになりました。

今回、コメントをいただけて本当に嬉しく、涙が出そうです。
誰かに読んでもらえて、本当に贅沢な気持ちです。

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