経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

疲れたよ。もう、ほっといて。

疲れたよ。もう、ほっといて。

私は母が苦手です。そのことに、育ててもらった身でありながら何自分勝手なこと言ってんだと、自分自身に吐き気がします。
 私が母を苦手になったのは中1の冬でした。縋るような気持ちでしていたリストカットが母に見つかり、目の前で泣かれた時です。その時の私は一人で現状と自分の気持ちに向き合ってやっと自分のしたいことがわかったような、そんな状態でした。リストカットはまだ必要だけれど、いつか自分の意思で辞めたい。どんなに卑屈になっても醜くてもそれを自分で否定したくはないし、誰にも意見されたくはない。死にたいと思っても、それが私が考え抜いて出した結果なら受け入れてやりたい。この人生の途中で止まってしまったって、なんなら逃げてしまったっていい。自分の在り方は自分で決めたい。そう思っていたけれど、母にはそれを真っ向から否定されました。愛故なのだと、心配なのだと言って母は私にカミソリを捨てさせました。私にとってリストカットを辞めるという事は、たった一つの逃げ場を自ら捨てる行為であるにもかかわらず、です。それに、私はいつか自分の意思で辞めたいというこの想いすらも踏み躙られたように感じてしまった。だから私は私を否定する愛と母親が苦手です。
 愛や優しさは時に一切の悪意なく人の心を壊します。壊されても、親からは逃げられないし何も悪いことをしていない。そのことが、余計に私を苦しめるのです。

いつから悪者になったんだろう

13歳の冬、初めてリストカットをしました。ノートに自分の死に方を綴りました。そして死のうとしました。ですが、母にはどうしても理解して貰えず、目の前で泣きながら否定されました。折角安定していた心をぐちゃぐちゃにされてこんなに苦しいのに、世間では母は悪くなくて、こんなことを考えている私がきっと気持ち悪いのでしょう。でも、リストカットってそんなにいけないことなんでしょうか。たまたま私にはこの方法があっていただけなのに。本当に責められなければいけないことなんでしょうか。私はいったい、いつから悪者になったんでしょうか。

勢いで書いてしまいました。少し読みづらいかもしれません。ごめんなさい。

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。

私は、リストカットは生き延びるための手段の一つで、いけないことではないと思っています。「死ぬために」というよりも、むしろ「死なないために」やっていると思っています。なので、あなたの言葉一つ一つに「そうだよね」と反応したくなる部分がたくさんありました。「まだ必要だけれど、いつか自分の意思で辞めたい」との言葉には、あなたが自分の状態をよく分かっていること、自分を信じる力を感じました。

そんな中で、自分のバランスを保つために大事にしていたものを奪われて、さらに責められているような気持ちになるというのは、なかなかに苦しい状況だと感じます。もっともらしい正しさを向けられることは真綿で首を絞められているようで、あなたが違和感や怒りを覚えることは真っ当な感覚だと思いました。分かってもらえないことは悔しいし、母親さんを通じて社会全体から否定されたような絶望感なのですかね。今は簡単に離れられない状況かもしれませんが、あなたが「自分の在り方は自分で決めたい」と思っていることを、静かに応援したい思いです。

あなたが率直に語ってくれた文章に、同じような気持ちを抱いている人も多いのではないかと感じています。またよかったらお話を聞かせて下さい。

感想2

2つの経験談投稿ありがとうございます。どちらの投稿からも、お母さんから理解されないことへの苦しさや悔しさ、自分の意思はハッキリとあるはずなのにそれでも否定され続けることによって感情が揺さぶられてしまう心の葛藤が切実に伝わってくる感覚になりながら読んでいました。
あなたの抱える死にたさの背景は詳しく書かれていないので分からないですが、“リストカット”という方法はあなたにとってその死にたさから少しでも解放されたり、逃れられる一つの方法・・・生きるために必要な行為であるのだと想像しますし、例え誰でもあってもそのことを否定する筋合いはないと私は感じていますし、あなたは何も悪くないということを伝えたい気持ちになりました。
「疲れたよ。もう、ほっといて。」というタイトルの投稿で書かれていた、お母さんからの“愛故”や“心配”というメッセージから抱いたあなたの気持ち(「私は私を否定する愛と母親が苦手です。」という部分)には、私自身も両親からそういったメッセージを浴びせられながら否定され続けて育ったので勝手ながら他人事とは思えない感覚になりました。恐らくですが、愛故にとか心配だからという聞こえのいい言葉の裏に隠されたお母さんの本音や真意にあなたは何となくでも気づいてしまっているのかなと感じ、そこの嫌悪感もあったりするのではないかなと想像していました。
今はまだ親から離れるというイメージも持てない状況なのかもしれませんし、逃げられないという気持ちのほうが強いかもしれませんが、親元から離れることに苦労した身としてはもし本当に離れたい・逃れたいと思っているのであればそこは簡単には諦めてほしくないという気持ちがあります。私の場合は結婚をするという割と最終手段で強行突破しました(これはあまりオススメできません。苦笑)がそれ以外にも方法はいくらでもあったと今思えば感じていますし、言い方は悪いですが手段を選ばなければ物理的に離れるということは可能ではあると思います。「自分の在り方は自分で決めたい」という思いを持てているのはあなたの強さだと私は感じましたし、これからもその思いは大切にしていってほしいと感じました。とは言っても、一人で否定され続けながら生活する日々は相当苦しいと思いますし、気持ちが折れてしまう時も多々あると思います。そんな時はまたいつでも死にトリにあなたの思いや考えを届けてもらって一緒に考えたいと私は思いました。お待ちしています。

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