経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

痛いのは怖いから嫌

小さい頃は母親に「可愛いね」「美人だね」「頭がいいね」「(将来)なんでもできるね」と言われて育ってきました。言われ続けて私は本当に「可愛くて美人で頭が良くて何にでもなれる」と思っていました。でもだんだん、食欲がコントロールできなくなって太っていきました。受験勉強も失敗し、新卒で入った会社はうつ病になり休職し退職。去年発達障害も診断され、今は障がい者雇用で働いています。母は今は「痩せてたら可愛くて美人で、本当は頭が良くて、本当はなんでもできるのに。」と言ってきます。でも私は保育園の時から「自分はおかしい」と思ってました。人と仲良くできない。うまくしようとしているのにいつも嫌われるか「ぼっちが好きな人」と思われている。職場でもみんなあだ名で呼ばれているのに、私だけいつまでも苗字にさん付けで、知らない間に飲み会が開催されている。今の会社は障がい者雇用だからか大した仕事も振ってもらえず、社内ニートで毎日「私がこの会社にいる意義は障がい者雇用率」と思っています。そして母はうつ病治療のため通院していることは知っていますが、発達障害のことは知りません。いつも「薬は麻薬」「目を覚ませ」「そんなとこ行って何になる」「そんな薬飲んでたら変な赤ちゃんができる」と言って、「痩せてたら可愛くて美人で、本当は頭が良くて、本当はなんでもできるのに。」とがっかりしています。私はいつも「こんなはずじゃないのに」「あいつ(母)が悪い」「完璧じゃない」「普通にできない」「上手にできない」「死にたいけど痛いのは怖いから嫌」と思って生きています。もう30代なのに。いつまでたっても中身が子供です。とりあえず「痛いには怖いから嫌だ」と思える自分を褒めつつ、母が死ぬまでは生きようと思います。

感想1

母親から、あなたの意思や気持ちよりも母親自身の願望を優先した関わりをされる中で、自分というものを確立する機会を奪われて、「どうしてこうなってしまったのだろう」と取り残されたあなたがいるように感じました。

「痩せてたら可愛くて美人で、本当は頭が良くて、本当はなんでもできるのに。」という言葉が、なかなか強烈で、、そんなことを言われ続けて自分が育ったら…と想像すると、大人になんてなれそうにないと思いました。
その人自身の理想がある分には自由だとは思いますが、これが「正解」というのを他人(ましてや子ども)に押しつけるのは、人の気持ちや存在を傷つける行為だと感じます。

経験談を読んで印象的だと思ったのは、あなたが母親に「あいつ(母)が悪い」という気持ちを抱いているにもかかわらず、反発しようとする力をあまり感じられなかった点です。離人感にも近いような、諦めのような何かを、わたしは感じ取りました。
その諦めがどこから生まれるのか想像したときに、わたしは、あなたの孤独の深さを考えました。
わたしはあなたの母親のことを「言葉が通じない」レベルの人だと正直感じてしまいました。そして、その母親に慣れるしかなかったあなたは、これまで「言葉が通じる」と本当に思える人間関係をつくる機会のないまま、ここまで生きてきたのではないか、と思いました。
この世界が言葉の通じる世界だと感じられないとき、人は無力感に苛まれ、諦めの中漂うように生きることを選ぶ気がします。

その中で、「痛いのは怖いから嫌だ」という感情が、あなたにとって一つの生きている印のようなものになっているのだろうか…?と、なんとなく想像しています。(全然違ったらすみません)
何が好きかよりも、何が嫌いか、何に違和感を抱くか、に人の個性は出るとわたしは思います。あなたにまだ言語化していないもやもやがあるなら、ぜひ聞いてみたいです。
経験談の投稿、ありがとうございました。

感想2

幼い頃からお母さんから投げかけられてきた言葉に自分でもわからないうちに縛られて、お母さんの言う自分と現実の自分とのギャップに違和感や葛藤がある、そんなつらさや苦しさがあるのかなと文章を読ませて頂いて想像していました。

親というのは子どもに対して自身が出来なかったことや、やってほしいことを「期待」や「願望」という形でどうしても押し付けやすいものなのかなと私自身の経験も含めて感じていますが、あなたのお母さんも同じように「可愛いね」「美人だね」「頭がいいね」「(将来)なんでもできるね」という言葉で、肯定しているように思えてお母さん自身の「在ってほしいあなた」をぶつけている、そんな印象を私は受けました。

もちろんそれはお母さんなりのあなたへの肯定の言葉だったり、愛情の形であったとも言えるのかもしれませんが、言われ続けることでその言葉はあなたをとても縛るようになっていき、いつしかそれが違和感に変わっていった、そういった鎖のようなものでもあったのかなと思いました。そしてそれは「お母さんの期待や願望」だったものから「あなたの期待や願望」となってすり変わっていき、「こう在りたい」と思うあなたの考えや自我を奪うこととなったのではないでしょうか。「いつまでたっても子どものまま」と感じるのはそういったことでもあるのかなと想像しました。(違っていたらすみません。。。)

「在りたい自分」は親であろうが誰であろうが本来誰にも強制されるものではないと私は思っています。もし、あなたが母親からの言葉でそうでなくてはならないと思うような影響を受けてしまっているとするならそこに従う必要は全くないと思いますし、確かな違和感や「あいつ(母)が悪い」とハッキリと感じているならその感覚を私は大切にしてほしいと思います。その上であなた自身の「こう在りたい」というものがあるのなら、それこそ子どものように今から追い求めるのもいいように私は思います。

投稿ありがとうございました。

感想3

母親の理想や、『こうあって欲しい』の気持ちを勝手に望み、あなたへと押し付け、勝手に失望していると感じました。
小さい頃言われていた「可愛いね」などの言葉の数々は、当時のあなたはどう感じていたのだろうかと気になりました。嬉しかったのか、または嫌だと感じる時もあったのでしょうか…?
「目を覚ませ」というのも、一体何から目を覚ませなのかと読んでいて疑問に思いましたし、あなたをコントロールしたくて、母親の勝手な想像や考えが暴走して、あなたに襲いかかっていると私は思っています。勝手という言葉を何回も使ってしまいましたが、本当に、あまりにも勝手だと思ったからです。「こんなはずじゃないのに」「いつまでたっても中身が子供」だとあなたが感じるのも、今まで母親から強く理想を押し付けられてきたから『そうなれない自分』がダメだと感じざるを得ないんじゃないかな、と私は考えました。

また、「人と仲良くできない」に関しての「うまくしよう」の所なのですが、その『うまく』は”仲良くなりたいから”のうまくなのか、何か別の「うまくしよう」があるのかなって気になったのですが、どうでしょうか…。職場でも、みんなとあだ名を呼び合い仲良くしたいとあなたが望んでいるのかどうか、も。(見当違いな意見でしたら申し訳ないです。)と言うのも私自身、波風立てないようにうまくやりたいけど、実は仲良くしたいわけではない。と思うような人間関係があるからです。

私が読んでいて感じたのは、あなたの中で、母親に対してどうして欲しいとか、こんな言葉をかけて欲しかった。などがもしかしたらあったんじゃないかな、とも感じていて、あったのであればあなたに聞けたらいいなと思っている私がいたり、「痛いのは怖いから嫌だ」の先にも、「だからこうしていたい!」などの、”母親が”よりもあなたの理想だったりがあるかな?とも聞いてみたいと感じています。私のこの、聞いてみたい事に対してあなたの答えが出る、出ない、どちらが良いなどは無いと考えています。
もしかしたら、あなたが問われて”どう感じたか”の気持ちが、私が一番知りたいと思っている部分なのかもしれないです。良かったらまたここへ書きにきてもらえたらいいなぁって考えています。

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