経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

マイナス思考

私は5年前に18年勤めた会社を辞めました。光学製品の製造の仕事でした。仕事の内容がこの間に次々と変わり、合う仕事もありましたが、こだわりが強すぎる性格からか時間がかかり、自分の出来なさと周りの目が気になり、耐えられずに辞めました。丁寧さを褒めてくれる人もいましたが、それよりも私の仕事の出来や作業の遅さを悪く思われてることを感じてしまい疲れてしまいました。直接厳しく指摘されたわけじゃなかったのですが、年下の班長さんがイライラしていることが気になり、会社に通うことが怖かったのです。そんなことないよ、気にし過ぎだよ、と言う仲間もいましたが、私には耐えられませんでした。
思えば、家以外では小さい頃から周りが気になり、萎縮してしまう性格だったと思います。なので、友達はいましたが常に何を話したらいいのかわからず、休日に遊ぼうと言われても平日だけでも疲れるのに休みの日まで付き合うのが苦痛で断ったりしてました。それに運動会や修学旅行等の行事も嫌でした。授業も家庭科でグループでする調理実習も緊張して集中できず失敗ばかりして楽しめず、体育も団体でするバレーやバスケもどうプレーしたらいいかな分からずただただ早く終わりたいと思ってました。大人になってからも会社の忘年会や親戚での集まり自体も苦手で、でも行かなければ悪く思われると思い我慢して無理して出てるので毎回とても疲れてしまいます。こんなことの繰り返しで自分が嫌になり、仕事を辞めると決める寸前は顔が引きつり夜も眠れず、家に帰ると涙が止まらず、消えてなくなりたいたいと思う毎日でした。次の仕事が決まらないまま辞めましたが、また同じようになるのが怖くて面接や見学をして良い返事をいただいても断わってしまい、ますます塞ぎ込んでいきました。
そこですがる気持ちで精神科に行き、うつ状態と自閉症の診断が出て、今はお薬を飲みながら短時間のアルバイトをしています。清掃と除草、不法投棄の片付けの仕事で、決してキレイとは言えず収入も少ない仕事ですが、少人数で短時間なので何とか勤めてます。今も心の不安定さに塞ぎ込んだり落ち込んで動けなくなることもあります。この先もこんな自分で生きていかなければならないのかと、辛さがつきまとう毎日です。

感想1

冒頭に書かれている5年前に勤めていた仕事のことを読みながら「私には耐えられませんでした」という言葉に、周りからどう思われているのか不安に思いながら会社に通う恐怖感も抱きながら18年という長い年月、続けてきたことを思うと“耐えられなかった”ではなく“十分耐えた”むしろ“耐えすぎた”のではないかと私は感じました。(素直に、これまで耐えてきたことに労いの言葉を送りたい気持ちになっています)
ご自身でも自覚されているように、周りを気にして萎縮してしまう性格(性格というよりかは周囲からの目には見えないメッセージ含めて感じ取ってしまう過敏さがあるのかもしれないなと私は想像していました)を考えると、学校での集団行動や会社での慣習的なイベントは苦痛以外の何物でもないと思いますし、私自身も人付き合いが得意ではなくあなたの抱く感覚に安易に言いたくはないのですが「わかる」と強く頷いてしまいました。
最後のほうに「この先もこんな自分で生きていかなければならないのかと、」とあり、苦痛に感じる出来事をこなさないといけないこと自体ももちろんあなたの中で嫌なことかもしれませんが、そこに苦痛を感じてしまう“自分自身”にも嫌気がさしてしまっているのではないかと思ったのですがどうでしょうか。(違っていたらすみません)
また、疲れることは断れる範囲では断っていたこと、仕事を辞めると決めて辞めたこと、現状を何とかしたいと病院に行き診断を受けるまでに至ったことから、私はあなたの地力を感じました。ただ、それゆえに何でも自分で何とかしなければならないという思いもあったりするのかもしれないなと考えていて、心が不安定になってしまった時や塞ぎ込み一人でぐるぐるしてしまった時は良ければいつでも死にトリに思いや考えを送ってほしいなと思いました。これからも不安感は簡単には拭えないかもしれませんし、その日の調子により心が揺さぶられてしまう日もあるかもしれませんが、少しでもあなたが我慢を重ねることなく無理なく過ごせる日が訪れることを勝手ながら願っています。経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

これまであなたが感じてきたけれど、他の人には言えなかった本当の気持ちや自分なりに努力してもうまくいかなかったり、馴染めかったりした苦しさそして孤独感のようなものが伝わってきました。同時に少しだけ最後のところに、ようやく自分の生きづらさの要因が分かったことにより、再スタートを迎えたような印象も受けました。ただ、これまで抱えてきた苦しさを考えるとあなたにとっては簡単に再出発とは思えないし、この先の希望は容易に見いだせないのだろうと推測します。でも、読んでいる私は無理をしないで済む、自分で自分を少しだけ許せるような日々に今たどり着いたような気持ちになったことは正直なところです。
あなたが他の人より実は苦手なことがあり、人付き合いも得意ではないという個性を持っていたことが、あなたの生きづらさの要因になっていたことも事実だとは思うのですが、私はそれ以上に、世の中があまりにも人付き合いや振る舞い方、仕事のやり方や到達点など、一人ひとりのことを考えずにどんな人にも「こうありなさい」と求めすぎるところが本当の生きづらさの要因だと思っています。
私も親戚づきあいや人との交流が好きではないです(好きでないというより嫌いの部類に入るかもしれません)。それとなく合わせることができたのでそこまで消耗したり、自分に不利益となることはなかったですが、そういった儀礼のようなものに選択権があり、参加しなくてもよかったら気が楽だっただろうと思います。そして、今でこそ自分は嫌だっと明確に言えて、他の人にも「無理をしなくてもいい」と言えますが、そういった同調圧力に適応しようとしていた若いころであれば、馴染まない人に対して協調性のない人だというまなざしを向けていたかもしれないと思うと、「○○するのが普通」という圧力の怖さをあなたの経験談を読み、改めて感じています。
だからこそ、あなたがこうして本当は嫌だったという気持ちについて今になってからであっても、書いて送ってくれたことをありがたく思いました。そして、これからの人生は可能な限りで、自分が少しでも心地よく過ごせることや周囲に合わせなくてもいい選択を見つけることを願う気持ちになりました。まだ、そんな気持ちにはなれないかもしれません。でも、こうして気持ちを書いて送ってくれたことは、同じような思いをする人たちやそれを知らなかった人たちに考える機会をくれることになります。よかったら、また死にトリに参加してくれたら嬉しいです。

お返事1

経験談の感想をいただき、ありがとうございました。
私の気持ちを分かっていただけて、ありがたく感じてます。それに、共感してもらえないことが怖かったのでホッとしてます。
自分の性格はわがままなんじゃないかと自分を情けなく責めて生きてきてるので、温かい言葉を読んでてとても励みになりました。思い切って送って良かったです。
本当にありがとうございます。

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