経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ずっと抱えてきた生きづらさ

私はずっと生きづらい。
ずっとどこか孤独でいつも誰かに分かってもらいたくて、大丈夫だよって言ってもらいたくて生きてきた。

怖いことを避けて苦手なことを遠ざけてなるべく自分が傷つかないように生きてきた。
その結果人間として生きていく力がなくなって、自分のことが分からなくなり、この世の中から早くいなくなりたいと思うようになった。

私は他者と深い関係を築く事ができない。
自分のことを中身のないすっからかんだと思っているからそれが人にバレるのが怖い。
その結果たまに会うことはあっても当たり障りない話だけで深い仲にはなれない。
そして誰とも分かり合えないからより孤独が強まっていく。

人に嫌われた経験がある。
弟に軽蔑された瞬間が今でもトラウマで、人から言われてはじめて私は他人任せの考えなしだということに気がついた。
それを弟に言われたことがショックだった。

もう無気力で何も心が動かない。
何かをしたいと思わないしどういう未来がいいとか社会がどうなろうがどうでもいいし投げやりに生きている。

仕事をかろうじて続けているけれどなんとなく続けているだけだから何も蓄積していないし、何も成長していない。
休みの日には何もやる気が起きなくていつもお昼すぎまでベッドから動けないまま。
こんなんじゃ、なんのために生きてるのか分からない。

恋愛をしてみようと思った。
孤独だから。
好きかもしれないと思う人ができた。
でもただ依存しているだけだと気付いた。
自分の理想を相手に押し付けてその人の本質を見ないうちに、あっという間に私は依存的になった。
孤独を埋めてくれそうな人を見つけてその人に縋りつきたくなる。
そんなのは好きとは別の感情。

どうしたらいいのかな。
嫌われてもいいから自分の思いを伝えたり自分を知ってもらえるように努力するべきなのか、
どうでもいいと思っている社会とか他者に関心を持つべきなのか、
それともやはりこんな苦しみから逃げるためにさっさと死ぬべきなのか、
私はどうしたいのか。

感想1

最後の段落の自問自答にあなたの本音が凝縮されているように感じました。人と深く関わり、自分を知りたいという潜在的な願いがあるものの、そこのとに何からの恐怖や不安があり、踏み込むことができないまま、一人で苦しみを抱えてきた様子を想像しています。
具体的な出来事はあまり詳しく書いていないので、詳細から理解することはできないのですが、人一倍いろいろなことを敏感に感じるタイプなのかな?と想像しています。人よりもいろいろなことを感じると、人付き合いに疲れてしまったり、関わることに怖さが生じたりするのも無理もないと思います。その結果、周囲よりも慎重に様子をうかがい、人と距離を保って生きていくことは自然なことのように思いました。それを人と比べると人任せに生きているように思えるかもしれませんが、生きていくための戦略としては一つの選択であるように思います。(的外れだったらすみません)
私はあなたが抱えてきた苦しみの正体はまだ見えていないのではないかと思いました。ただ、正体がよくわからなくても苦しみはあるので、そこから少しでも逃れようと自分なりに何とかしようとしてもどうにもならないことでより苦しみが増しているのかもしないと思っています。
ただ、弟から軽蔑された瞬間のイメージが強烈に残っているエピソードから、ひょっとしたら他にも人間関係においてモヤモヤや不安を感じることが少しずつ蓄積していく経験があって、知らないうちにあなたの心の負担を重くしているのかもしれないと推測しています(全然違ったらすみません)。
私はどんな人でも自分のことを理解し、それなりに受け止めることができないと、生きていくのはつらいことだろうと思っています。そして、そのためには自分を受け止め理解してくれる他者の存在が必要です。こうして書いて送ってくれたのは、自分を受け止めるための手掛かりを見つけたい気持ちがあったのかもしれません。私はこうして自問自答したり、苦しみを感じるあなたの姿に生きようとする意思や自分でいたいという願いを感じました。これまでは避けてきたかもしれないことに向き合おうとしているようにも感じたので、これからも機会があれば、死にトリに参加してもらえたらと思います。

感想2

経験談の最後に書かれた「私はどうしたいのか。」この言葉が私にストレートに伝わってきました。この言葉をタイトルにしてもいいくらいだと思いました。
どうしたらいいかわからないといいつつも、あなたは自分のことをだいぶ客観的に見つめてきたところもあるんだと思います。(もうひとりのあなたと会話するというか…)あなたなりに自分を守りながら生きてきたけれど、いまは途方に暮れて立ち尽くしているあなたの姿が浮かびました。もしかしたら“わからなくて怖い他者”とか関わることにとても疲れてしまって、無気力で心が動かないのかなとも思います。理解者を求めたり、孤独感を解消することはとても自然な行為だと思いますが、それに引き換え他者と関わることはなかなかのストレスですもんね。
今まできっとあなたにしかわからないしんどさがこころに蓄積されて、他のことが蓄積される余白がいまはあまり無いのかもしれません。
自分の中に何か意思が生まれて能動的に安心して行動するためには、そのための土台が必要です。それがあなたの言う「大丈夫だよ」という声かけや一緒に考えてくれる存在なのだと思います。あなたが抱える想いをわかるのはあなただけだし、この経験談のように「伝えて」くれること、言葉を交わすことで相手と次の展開が生まれたり、無色だったものに色がついたり、こころが動いたりするんだと思います。
○○するべきって考えると行動のハードルは高くなって動けなくなりそうですが、○○してみてもいいかもくらいで考えると少し楽に次が見えるかもしれないって私は思います。
「私はどうしたいのか。」 死にトリも活用しながら引き続き考えてみませんか。
投稿ありがとうございました。

一覧へ戻る