経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

先に死にたい

私は62歳の女性です。
 他の方の投稿を見ると若い方からの投稿が多いので、10代20代の若い方たちからすると、60過ぎまて生きたんなら、もう十分生きたから、いつ死んでもいいじゃないと言われてしまいそうですね。本当にそうなんです。
 今日3月1日は4年前に30歳で亡くなった息子の命日です。
 息子は一応は病死ですが、あまり強くないのにお酒を飲み続け、身体を壊して入院したりして酒類は禁止されていたのに飲酒を止めることなく飲み続けて、退院後は病院に行く事もなく、体調を悪化させて亡くなりました。
 よく「自分はもういつ死んでもいい」というような事を言っていたので、私からすると限りなく病死に近い自殺、のように思えます。

 私は息子が亡くなる1年前に自分の父親も亡くしています。
 父は入院をしていましたが、快方に向かっていたので、退院後の準備として家のリフォームなどしていた時に急に容態が悪化して亡くなってしまいました。
 親が亡くなるという経験もとても悲しく、もう少し何かできる事はなかったかと考えましたが、私以上に落ち込む母とも話し合い、自分たちのできる事はやったし、ある意味順番通りという考えで乗り越えてきました。
 その翌年に息子が亡くなったので、順番通りなんて言葉は通用しないし、自分くらいの年齢だと親が亡くなるという事は珍しい事ではありませんが、子どもが亡くなるというのは別物の絶望感があります。
 若い方たちには自分が亡くなった後の親の事を考えてもらえないかと思います。
 自分の友人には息子と同世代の子どものいる人が多いので、そういう人たちと顔を合わせるのが辛く、今では全く会う事もなくなりました。
 以前は習い事やボランティアのサークル活動などもしていましたが、他の方の子どもや家族の話を聞くのがイヤで、全ての参加を辞めて家に引きこもるようになってしまいました。
 自分の住んでいる地域の行事や活動などは参加せざるを得ないので顔を出していますが、どこに行ってもこの中で自分が一番不幸だという思いになってしまいます。

 亡くなった息子には離婚歴があり、息子がいたので、今は自分と夫でその子を育てていますが、その子は顔や性格が亡くなった息子によく似ていて、色んな事が投げやりに感じます。
 夫も本来なら禁酒が望ましい状態なのに酒を止められなく、体調が心配なのに、私の忠告は聞く耳持たずです。
 話しかけても返事もなく口もきいてくれない子どもと、お金や体調の事を考えず自分の趣味にのみ夢中の夫ですが、私にとっては2人だけの大切な家族なので、子どもや夫がいなくなるという事は考えたくありません。
 何とか自分が先に死にたいと思いますが、今はまだ自殺だと残された家族がやりきれない気持ちになるのではという理性が働いているので、以前は家族にがんを患った人が多いので行っていたがん検診や健康診断に行かなくなりました。気が付いたら手遅れ、なんて状態になるといいと思っています。

感想1

読ませていただきました。父親の死があり、それも急なことであれば、ショックも大きかったことだろうと思います。受け入れるのも簡単ではない中、母親とともに支え合いながら、「順番通り」という考え方をすることでどうにか進んできたのですね。その矢先に、今度は息子さんも亡くなると、「順番通りなんて言葉は通用しない」ということになり、受け止めることはさらに難しいだろうと思います。
息子さんと同世代のお子さんがいる知り合いが多く、その人たちと会うだけで様々なことを考えさせられたり、突きつけられたりしてしまって苦しいのかなと思います。大切な人が亡くなって苦しい時に、他の人のことを知ること自体辛いのも無理はないと感じました。

「自分はもういつ死んでもいい」と話し、酒類は医師から禁止されながらも、飲み続けていたという息子さんにはどのような事情があったのだろう、と思いました。離婚し、子を育てていたということなのかと思いますが、きっとさまざまな困難の中にいたのだろうと想像しています。個人的なことですが、私はいま30代前半で、幼い頃から「死にたい」「生きることにはもう疲れた」と思いながら、なんだかんだと生きているので、(私あh性別は違うし子どももいないし、状況は違うとも思いつつ)息子さんの暮らしにもなにか親近感を持ちながら読みました。
だからこそ、「若い方たちには自分が亡くなった後の親の事を考えてもらえないかと思います。」という言葉には正直、賛成!という気持ちにはあまりなれなくて、「だけど、もしかすると、そうやって我慢できるような状況ではなかったり、もうたくさんの我慢を積み重ねてきた後だったり、もうそういうふうに考える体力や気力が持てないような状態も世の中にはかなりあるだろうな…」とも思ってしまいました。もし強い言い方になってしまっていたらすみません…。もちろん、あなたを責めるつもりも全然ないです。あなたの立場から見て、大切な人が失われたことの苦しさは何にも変え難いことだと思いますし、ただ、それがどうにかして起きないでくれたらよかった…と感じているということなのだと思っています。ただ、さまざまな状況で亡くなった方たちのことを亡くなったということでは責めたくないと思って、書いてしまいました。

息子さんが亡くなったのは4年前ということですが、もしかすると当初は混乱しているまま、さまざまなことに対処しなければいけなかったのかもしれません。それが4年経ち、少し新しい日常が落ち着いてきた中で、じわじわと疲労や空虚感、投げやりな気持ちの中にいる苦しさが続いているのかなと想像しました。夫も酒をやめられないと書かれていたので、もしかすると、みな苦しい思いをどのように対処していいかわからない状況なのかなと思いました。また、お孫さんから見たら、親の離婚があり、その後、4年前には父親が亡くなってしまっていて、おそらくその前後も含めて、いろいろ心配なことや不安なこともあったのかもしれません。だれが悪いということでもないけれど、みんな疲弊している状況なのではないかと思いました。あなたの喪失感や悲しさは真っ当なことだと思います。でもそれが長く続く中で、さまざまな苦しさが積み重なっているところもあるのかなとも思います。
今はだれとも関わりたくないと感じているかもしれないですが、もし必要な時には、相談機関なども利用してみてもいいかもしれないと思いました。
あなたのしんどさや大切な人がいなくなった喪失、この先だれかを失うことへの恐れなどを言葉にして教えてくださってありがとうございました。

感想2

身近な人が亡くなっていくことで、あなたの心の中や生きている感覚が変わっていく様子がよく伝わってきました。それだけ、人は関係性の中で生きている存在なのだろうと感じました。特にあなたは人とのつながりを重視して生きてきたのではないかと想像しました。だからこそ、立て続けに強いつながりを失ってしまったことにより、自分の心のありようや、身の置き所など、自分の存在意義や生きる意味がぐらぐらして、ずっと揺らいでいるような印象を受けました。特に息子さんとのつながりはあなたにとって大きなものだったのだろうと思われました。
途中で、亡くなった息子さんによく似たお孫さんについて書かれていました。息子さんが亡くなり、代わりにお孫さんに気持ちが移入したり、投影したりすることがあってもおかしくないと思ったのですが、「色んな事が投げやりになる」と書かれていたことが意外に感じました。息子さんが亡くなって4年たっても、埋まらない喪失感のようなものがあるのでしょうか。
私は50代ですが、30代の時に唯一の親友が突然亡くなる経験をしました。自分はあまり感情が動かない冷静なたちなのですが、死の知らせを聞いたとき、お葬式に駆け付けたとき、弔辞で故人に呼びかけとき、理屈や意味が分からないものが押し寄せてきて、圧倒されたことを思い出します。そして、毎年その時期が訪れると脳裏に何かが押し寄せていくことを感じ、ずっと不思議に思っていました。あなたの経験談を読んで、自分にとって大切な存在というのは、自分の人生の一部分になっているから、大切な他者を失ったという喪失感とは別に、自分の一部が突然削り取られてしまったような違和感や虚脱感、自分がもはや自分ではなくなってしまったような感覚があるのかもしれないと考えています。
もう、そんな思いはしたくない、だから「先に死にたい」というのは自然なことだと思いました。そして、年齢的には死ぬ順番があるのかもしれませんが、残念ながらそういうわけにもいきません。私も積極的に生きたいとは思いませんが、積極的に死にたいとも思わないので、結果として生きています。健康診断もあまり好きではないです。だから、あなたが自分の意思でがん検診や健康診断に行かなくなったということに少し共感しています。それは、他の人から見たらよくない選択と思われるかもしれませんが、ある意味、自分らしく生きようとする選択をしていると感じました。
あなたが生きるモチベーションを失っている傍らで、自分の意思を貫く選択をしている姿を感じて、人が生きることの不思議さについて考えています。
投稿、ありがとうございました。

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