発達障害グレーゾーンという題名で書いた者の続きです。
①その後の仕事のこと
②発達障害グレーゾーンのこと
③アダルトチルドレンのこと
④人格否定のこと
⑤性的マイノリティのこと
⑥今の思い
の6点について書こうと思います。
きっと読んでいる人は、
「何があったの?」と驚かれることばかりかと思います。
しかしこれが現実です。
うまく書けないかとは思いますが、
読んでください。
①その後の仕事のこと
アルバイトにされたので契約更新しないと言われてしまいました。
その前に体調崩して自主退職しました。
②発達障害グレーゾーンのこと
[私]
発達障害グレーゾーンでも工夫するとできることが増えることが多いです。
以下、例
○マルチタスク
シングルタスクの集まりだと思い、
シングルタスクとシングルタスクの間の時間の間隔を少なくするようにするとできる。
→最近の研究ではマルチタスクは危険だそうです。(参考文献は貼れませんでした)
○臨機応変
基礎がないと臨機応変ができない。
→基礎の型をたくさん作る・知ることによって解決
○不注意
Todoリストを小さなことでも作ることによって忘れない。
すぐにする(赤)など色分けのファイルにするとわかりやすい。
[上司]
上司A:ADHD
上司B:ASD
私の家族よりも重度だと思います。
③アダルトチルドレンのこと
アダルトチルドレンだったということが原因でこのような事態になっていると感じるようになりました。
私は良い子で居ようと母の意見を聞きすぎて、
今の特殊な状況にいます。
母はアルバイトにされた時も、
退職勧奨の時も、
「保険証のために働け」と言うだけ
「大丈夫?・頑張っているね」
と上辺だけでも心身のことを心配してもらえませんでした。
雇い止めなので、
2024/1からは有給使って転職活動しろといって来て嫌になり自主退職しました。
「なんで保険証のために働くのに、
その保険証で精神科通うの?」
と思いました。
私は母の贈りたい人生を送ってきました。
そのため、
・友達を決められる
・特性(発達障害グレーゾーン)に合わないものばかり買い与えられる
などです。
私が生まれた頃は褒める教育が流行りました。
母は良い子でいる時に褒めれば良い子になると思って、
私には条件付きの愛情しかなかったです。
しかし弟には生きているだけで褒めていました。
兄弟間で差別があり嫌になります。
親自身もアダルトチルドレンなので、
そういうものだと思っているようです。
親は何かを得れば何かを失うという考えなので、
自分よりも恵まれている暮らしの私は、
条件がないと褒めなくて良いとなるようです。
私は経済的に恵まれていたら愛情は適当で良いというのに葛藤します。
私はアダルトチルドレンのため、
友達がいません。
本当のありのままの生きているだけで褒めてくれる友達はいません。
生きているだけで褒めてほしいと思ってしまいます。
④人格否定ののこと
[私]
アダルトチルドレンはとても人格否定されます。
「〜ではないと生きていけないよ」
「あなたのせいでみんなが迷惑」
「嫌いな人に似ている」
「人と関わるな」
「私より恵まれているのに」
「みんな頑張っているよ」
などと言われることが様々な場所で言われます。
過剰に適応してしまい今は限界です。
自主退職直前は、
境界性パーソナリティのような自殺演技までしてしまいました。
[上司]
上司AもBも自己愛性パーソナリティではないかと思います。
そのせいで私の今の状況があると思います。
⑤性的マイノリティについて
私はアロマンティク(メンタルよってはアセクシャル)だとわかりました。
なぜわかったかというと、
YouTubeで性教育の動画をたまたま見たからです。
私は男性にニコニコしすぎる女性を性産業の女性のように感じてしまいます。
どちらも気持ち悪いと感じます。
私はアダルトチルドレンなので、
両親はほとんど会話しない機能不全家族です。
機能完全家族は、
意識せずに会話できるようですが、
私の家は意識的に会話します。
褒められたことがないので、
褒めることがわかりません。
契約結婚のドラマを見たり大学で経済を学んだりすると、
恋愛に興味なくなります。
しかし本当のありのままの自分を出せる人がほしいとも思ってしまいます。
性的なことには日によってネガティブな印象を持つことがあります。
⑥今の思い
私は日本社会の生け贄にされたと思ってしまうことが多く、
今の状況ははめられています。
行政とグルで抹消すると脅かされているので、
本当にそうです。
私は内定をもらった時点でこうなることになっていたようです。
なぜなら、
自己愛性パーソナリティの上司たちにひがまれていたようです。
精神科の先生も呆れているのかな?
行政の唯一の味方も呆れているのかな?
と思ってしまいます。
アダルトチルドレンの対処法は、
自分を自分で愛したり励ましたりするようですができません。
助けてほしいと思った時にはもう遅いです。
だったら、
弟が生まれても過剰適応せずに、
本当の自分でいればよかったと思います。
最近はありのままの自分でいるようにいます。
以下、例
・派手な色の服を着たい
→パステルしか似合わない・靴下は黒・
みんなと同じ格好にしろ・オシャレするとよそ行きか
と言われて怒られないようにしていたけど、
TPOを考えながらも好きな服を着ている
・メイクしたい
→アトピー性皮膚炎なのはあるけど、
手の手入れ・髪のツヤ・靴の手入れなどをしたかった
・癇癪を起こす
→弟が生まれてから癇癪を行動として起こさなくなっていたから、
家の家族だけの時は癇癪を起こしている
(今までは精神的多動)
・自分の特性や趣味にあったものを買う
→特性に合わないものばかり買ってもらっていた
以上が発達障害グレーゾーンの続きです。
約半年経ったので掲載される頃に半年以上経つと思います。
今日は転職活動してましたが、
状況が特殊なので不安です。
次の掲載の時にはポジティブなことを書けることを願っています。
ありがとうございました。
感想1
投稿ありがとうございます。あなたが前回の投稿のことが書かれていたので、前回の投稿も読んで、この経験談も読ませてもらいました。この半年間の間に、あなたは自分の状況を知ったり、自分の感覚に合うやり方を探したりしてきたのだろうなと思うような今回の経験談だと思いました。「基礎がないと臨機応変ができない。→基礎の型をたくさん作る・知ることによって解決」と書かれていることをまさに実践してきたのだろうと思います。
仕事のこと、あなた自身の特性が社会の中で少数派傾向にあることに加えて、家庭環境や現在の人間関係など、多重の大変さがあるのだろうと想像しています。
その中で解決するのは簡単ではないし、新しい問題が発生することもあるとは思うのですが、一方であなたが積み上げてきたものもあると言えるのかなぁと感じました。もちろん、それであなたの大変さや苦労が帳消しになると考えているわけではありません。ただ、私自身も発達障害、家庭環境からのトラウマ、性的なマイノリティ性などがある中で、日常生活のさまざまなことで、自分に合う方法が社会にあらかじめ用意されていないために、自分なりに見つけないといけないことが多いので、勝手に共感する気持ちにもなりながら読んでいました。
一方で、工夫したり、自己理解を深めたりすればするほど、環境の不完全さや問題に気づいて、苦しい気持ちになることもあるのだろうかと思っています。私は家父長制は人それぞれのその人らしさを阻害するものだと捉えて、変えていくべきだと思っていますし、世の中では恋愛をすごく重視するところがあるのにもかなり違和感があり、それに従う必要もないと思っています。
家庭環境の中で、あなたは母に決められたことをやるしかない状況が多かったのだろうと思います。それに抵抗すること自体、幼い時にはとくに難しいと思います。また現在もおそらくは同じ家で生活されているのでしょうか。そうだとしたら、しんどい気持ちになることも多いのかなと思いました。
もしかすると、その家以外で生活したことがなければ、そこを抜け出すイメージもつきづらいかもしれないとも想像しています。
私はたしかに親に一定の責任はあるとも思う一方で、家庭を孤立させ、責任をすべて家族単位のものに押し付ける社会そのものに問題があるとも考えています。また、その家族とされるメンバーの構成は正直相性もあって、合わないときには合わないし、それを変えることはかなり難しいとも思っています。だから、基本的には一緒にいてしんどくなる相手や環境ならば、親子だとしても離れたほうがいいのではないか、と私は考えてしまうのですが、いかがでしょうか。
また、文章を読んでいて、「褒める/褒められる」ということや、あるいは無条件の承認のようなことを求める気持ちがあって、そのことを意識しつつも、どうやってそれを得ていいのかわからないという感じなのかなと思いました。「自分を自分で愛したり励ましたりする」というのもどういうこと?という感じだなぁと私も思います。
個人的な話ですが、私は長年自分に対する否定的な意識が強く、自分のメンタル状況の改善のためには、自分を大事にすべきだとは思いつつ、一方ではどうやって大事にするのか自体わからなくて、また大事にしたいと思うこと自体が難しくて途方にくれていた時期が長くありました。いまだに「自分を愛する」みたいなことは今ひとつピンとこないいままなのですが、少なくとも、周りに合わせて自分のことを決めるのではなく、自分のために選択したり、自分にとって楽な時間の過ごし方を模索したりすることは、自分を大事にすることの一つかもしれないと思うようになりました。同じように、あなたが「派手な色の服を着たい」と思って「パステルしか似合わない・靴下は黒・みんなと同じ格好にしろ・オシャレするとよそ行きかと言われて怒られないようにしていたけど、TPOを考えながらも好きな服を着ている」みたいなことも、自分を大事にしたり、労ったりすることの一つで、「愛したり励ましたり」にもつながることなのではないか、と思ったりもしました。
「私は日本社会の生け贄にされた」と書かれていましたが、「生け贄」というのが一番合っているのかはわからないものの、私も、社会構造の歪さの中で人の権利が守られず、多様性が許容されないことによって起きている問題がものすごく多いと感じていいます。
ただ一方では、さまざまなマイノリティ、弱い立場の人の権利獲得がされてきたり、問題を明らかにし改善しようとしてきた、途上の今でもある、とも思います。一直線にいい方に向かう、というものでもないようには思いますが…。もちろんだからこれでいい、仕方ないということではありません。むしろだからこそ、この社会も変わるべき、変わり続けるべきものであると捉えていて、そのためにも、見過ごされている状況や問題を可視化したり、それによって社会に働きかけたりしていくことはとても大切だと思っています。
また、死にトリや経験談も、そういう可視化の一つだと私自身は捉えていて、社会的な取り組みだと思っています。あなたがこうやって経験談を送ってくれること、それも違うタイミングに複数回送ってくれていることにも、すごく意味があると感じています。不安のある状況の中で、あなたの経験を投稿してくださってありがとうございます。
またポジティブなことを書ける時でも、書けない時でも、書きたくない時でも構いませんので、死にトリでお待ちしています。