私は思春期に終わった。
たぶん、きっと、終わった。子どもの頃クラス全体から無視などのいじめをされていたこと、休みたくても無理やり学校に連れて行かれたこと、中学生になって友達ができて楽しかったのに何故か不登校になったこと、学校に行ってないから太ると思ってダイエットを始めたこと。
痩せるのは楽しかった。まるで実験をしている気分だった。食事を減らせば減らすほど体重は落ちていく。両手で腹が囲めるんじゃないか、というくらいまで痩せた頃拒食症で入院することになった。元より自律神経失調症で病院には掛かっており、すぐにベッドは確保され、医療連携のありがたみを知った。
60kg→39kg→90kg
子どもの頃のいじめは太っていたり、不潔だったり、周りの子と比べて何かが違ったのだろう。分からないけど。覚えてないし。
しかし大きくなるにつれ身長は伸び、60kgの平均的な体重になれた。
そんな時不登校になって心配されておばあちゃん家に一人で行った。痩せ型の従姉妹達を見て。漠然とダイエットしなきゃって。
痩せるのは楽しかった。緩やかに落ちていく体重は、腰に巻いたベルトの締め付けが物語っている。コルセットのように締め上げて、椅子に乗り洗面台の鏡に自身の腹を映すのはとてもとても楽しかった。
不登校の私は進学できる公立校がなく。お金をかけたくない、と私立も受験せず。定時制に行った。
元より早く自活したい、と思っていたからバイトも始めてお金を稼いで早く大人になりたい、なんて。
50kgくらいから落ちなくなって、ちょうどその頃バイトの面接に受かった。
バイトに行きだして。するとストレスからか見る見る体重が落ちだした。
布団から動けない時間が増えていく。バイトのため何とかご飯を食べ、バイト先で泡を吐いた。
2週間足らずで体が持たず入院することになり、バイトは辞めた。
入院時に測った体重は39,8kgだった。
入院は自分から望んだ。私は助けてほしかった。
苦しかった、悲しかった、食べてしまう私が認められなかった。
だけど入院するとどうしても食べさせられる→生きていけるようにある程度太らされる。
入院して一ヶ月経った時。私は普通にご飯が食べられるようになっていた。 いいや、過食症になっていた。
食べても食べても満たされない。
悲しい、苦しい、辛い、食べたい。
こんな自分はいらない。こんな自分はいらない。
自分で人体実験をしているみたいだな、と思ったりもした。
こんな自分は苦しんで当たり前、とよく思っていた。
死にたくて死にたくて、当時主治医に書いた手紙はそればかりが綴られていた。
晩ご飯を食べ、足りなくてマクドナルドへ行く。
大量に買い込んで食べる。
簡単に体重は90kgを超え、次第に過食が治まっていった。
(耐えれなくなって間に精神科へ入院する。割愛)
90kg→60kg→42kg
自然と普通体型になって、すっごい嬉しくて。洋服の福袋買ったりして、おしゃれ楽しくて。
バイトなんか始めちゃったりして。がんばるぞって。
ストレスで吐いた。そこから過食嘔吐が始まった。
1日6回、食べて吐いてを繰り返して42kgまで落ち、希望してまた入院。
退院して、吐けなくなったが胃袋はそのままなので。簡単に100kgを超えた。
スポンジみたいに減っては膨らんでを繰り返した。
簡単に死にたいと言っていた。
死にたかった。
20代はずっと引きこもってPCで遊んでいた。人と話せると寂しくなくて良かった。
20代後半くらいで、感覚が変わってきた。死にたいと余り思わなくなってきた。
体重は130kgからあるけど。動けてるし。ねぇ。
30代も半分を過ぎ、180kgからある体重を感じながら今文章を打っている。
心に染み渡るかのように、死にたいがそこにある。
それは体重のせいで足を痛めてしまい思うように動けなくなったからもあるだろうし、ただ餌を与えられるだけの家畜になっているからもあるんだろう。
食べて、寝て、食べて、遊んで、寝て、食べて。
私は何で生きているんだ?
思春期の頃思っていた自立は、遠く果てしなく。
皆に痩せないとやばいよって心配される。
私はこのまま太り続けて死にたいって思っている。
痩せる意味も分からないし。
今までの轍は私だから、苦しんできた私だから、認めて。
しんしんと積もる雪のように、死にたいがそこにある。
それなのに未だに助けを求めてしまって。私自身しか助けられないのにね。
思春期を抜け出せない独り言でした。
まとまりがつかないからここまで。
感想1
投稿ありがとうございます。まとまりがつかないと書いてありましたが、語りかけるような、でもどこかつぶやくような文章で、引きつけられるような気持ちになって読みました。文章の中に独特のリズムがあるような感じがします。それはあなた自身の感性によるものなのかなぁと思いました。
文章の中には重さの数字と単位の文字がたくさん出てきて、日本語のひらがなやカタカナや漢字の中で、xxkgという文字はなんだか印象的でした。あなたにとっても、体重という数字は意識を向ける、あるいは注意を向けてしまうものなのかなと思っています。
私も体重のことをけっこう気にしながら、その中で右往左往しながら生きてきた感じがするのですが、「ダイエットをすべき」みたいなメッセージや価値観は長い歴史や地球を見てみるとあまり普遍的なものではないのだなぁとも思います。
現代社会は数値によって「健康」かどうか「適正」かどうか「美しい」かどうかなどの正しさの判定を行おうとするところがあり、よく考えたら全然本質的ではないと思うのですが(だって一人一人の体は違うものですし)、そういう価値観に囚われている自覚もあります。最近も血液検査の数値で、基準値オーバーのいくつかの項目について悩んでいました。もちろん、それを一つの目安とか、自分の身体そのものに付き合っていくためのきっかけにするだけならいいのだとは思うのですが、つい、数字をどうこうすることに一生懸命になってしまうなぁとも思います。……自分語りをたくさんしてしまいました、すみません。
子どもの頃のいじめや、行きたくない学校に行かなければいけなかったことなど、もしかするとここには書かれていないことでも、あなたに見えづらい負荷をかけ続けていたのかなぁと想像しています。そういう苦しさをなくしたり、そこから離れたりすることが難しい中で、「痩せるのは楽しかった。」と書かれていることからも、ダイエットはわかりやすくて効果を感じやすいことだったのだと想像しています。ただ、入退院や体重の増減の中で、体重そのものに翻弄されてしまう、というところもあったのかなぁとも思います。
私も過食によって自分のしんどさに対処することが多く、体重の増減を繰り返してきたので、「食べても食べても満たされない。悲しい、苦しい、辛い、食べたい。」という言葉を読んで、自分が感じていたことが言葉になっているような感じがしました。
それから20代で「ずっと引きこもってPCで遊んで」いる中で、「感覚が変わってきた」と書かれていました。「死にたいと余り思わなくなってきた。」と書いてある以外にも、感じ方とか捉え方が変わってきた部分があったのかなぁと想像しています。「けど。」「動けてるし。」「ねぇ。」という言葉からは、軽やかさ(?)のようなものを感じ、そこから、あなたの中を占める体重の比率がちょっと減って、別の要素が加わったり、ちょっと増えたりしたのかなぁと思いました。(全然違ったらごめんなさい……)
でも一方で、「死にたい」は今も「心に染み渡るかのように」「しんしんと積もる雪のように」あるのですね。それは例えば雷のような「死にたい」とか激しい炎のような「死にたい」よりも、静かだけどなくならず、じわじわと入り込んでくるような「死にたい」なのかなぁと想像しました。それを読んで私自身のこれまでと今の「死にたい」についてもちょっと考えたいような気持ちになりました。
あなたにとって「思春期」というのは実際の時期でもあり、あなたがずっと抱えてきた苦しさやままならなさのことでもあるのかなぁと考えています。あなたが感じていることやそれを言語化するときに現れる言葉をもっと読んでみたいと思いました。それはこの経験談に似たところがあるものかもしれないし、全然違うものかもしれません。またよかったらあなたの感性を教えてください。