経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きづらい理由

いつからか自分の怒りや悲しみなどのネガティブな感情や思いを人に向けることが出来なくなった。

最初は親だけだったのが、今では誰にもいえなくなった。

私は外見、内面どちらもともに、お世辞にも良いとは言えないし、悪くないとも言えない。こんなにも醜い人間は、私以外に見たことも聞いたこともない。

そんな自分が人に頼るという行為には、底知れない気持ち悪さと不快感があり、ただでさえ恥ずかしい人間であるのに、これ以上に恥を重ねる訳にはいかないと感じる。

そのため頼ろうとすると、とたんに言葉はいくらでも浮かんでくるのに、それを音として形成できなくなる。そして音を形成できたとしても、吃ってしまう。

私がこのようになった理由は、母が大きい。
母には外見内面他も含め、褒められたことよりも馬鹿にされたり貶されたり方が多いと思う。
確かに実の子供に言う言葉では無いなと、母の子供ながら思うこともあるが、私に対する素直な客観的な評価を教えくれてれたことに感謝している。
おかげで私は勘違いも甚だしい人間にならずに済んだのだ。

だが、そう思う自分がいる反面、やはり辛いと思ったり、もう少しだけでも肯定して欲しかったと思う自分もいる。

母はいわゆる「毒親」なんだろうかと悩んだ時期もあった。
だが、どうも当てはまるとは思えない。
褒められたことよりも馬鹿にされたり貶されたり方が多いと思うと書いたが、常に貶されているわけではないし、母子家庭なのにも関わらず、奨学金なしで大学にも行かせてもらえている。

母は私のことを、恐らく心の底から愛しているということは無いだろう。だが、できるだけ愛そうと努力してくれていると感じる。
その時点で、母は「毒親」ではなく、「良親」なのでは無いだろうかと思ってしまうのだ。

それに私のことを愛せないのは、私が原因であるため、貶されようと文句を言う筋合いは私には無い。

母方の祖母は、母よりも優秀である母兄の方が好きなのだろうなと、孫の立場でありながらひしひしと感じる。それはきっと母が幼少の頃から、顕著であったのであろうと思う。

そして大人になり、新しい家庭をお互いに持ち、そのような優劣は無くなるだろうと思っていただろうに、皮肉なことに母兄だけでなく、母兄の子供も優秀だった。

それに比べ私は、何か長けている能力もなく、性同一性障害、不登校、精神的な病を患った経験もある。

非常に申し訳ない限りである。

COしたのは10代前半の時だ。
幼少の頃から、そうでは無いかと思う節はあったようだが、それでも勘違いであって欲しかったであろうに、私はCOしてしまった。身体を変えたいと、戸籍を変えたいと言ってしまった。
それによって、母を酷く傷つけてしまった。
元々全く無かったわけではないが、その辺から、私を貶すのが顕著になった。

娘として生まれたのにも関わらず、若くして身体にメスを入れ、胸には大きな傷跡、男性ホルモン治療で少しずつ変わってく外見と声。恐らく数年後には、戸籍も変わっている予定である。

母は私を許せないのであろう。

結婚出来たと思えば、夫はろくでもない人間で、好き勝手に生きて、若くして先立たれた。
その数年後、何か長けている能力もない子供に、性同一性障害だとCOされた。そしてそんな子供は不登校になり、精神的な病を患った。

せめて子供だけでも優秀であれば、母を見返すことができただろうに。
そしてそれを期待していただろうに。

許されなくても仕方がない。
どんなに貶されても仕方がない。
本当に申し訳ない。

上記に色々と書いたが、母の人生と私の人生は関係がない。
母親のために生きる必要がないということも頭ではわかっている。
だが私がもう少しだけでも、普通もしくは優秀であれば、私たち親子は幸せだったのだろうと思ってしまう。
父も家庭環境が良くなく、父は父方の親戚と縁を切っており、父方の親戚が生きているのか生きていないのか、それすらわからない。
そして母親の家庭環境も上記に書いた通りで、私も私でろくでもない人間なので、家庭を持つことも無いだろう。
そのため、肉親である母に、好きか嫌いかではなく、また別の感情で依存している部分はあると自覚している。きっと母も私をサンドバッグのように扱うことで、ストレスを発散し、生きている。
恐らく共依存的関係なのだろう。
全て頭ではわかっている。
きっと母が天寿を全うしたとき、私の人生は本当の意味で始まるのだろうと思う。

そう思っているのに、ふと父と母の仲が良くて、私も性自認に悩んでいなかった幼少の頃をもう一度だけ味わいたいと願ってしまう。

このように願ってしまうから、私は生きづらいのだろう。

感想1

投稿ありがとうございます。あなたの「生きづらい理由」をこれまでの人生、あなたが考えてきたこと、感じてきたことを通して教えてもらったようで、読んでいて、うまく言えないのですが、あなたの感情の流れや揺れ動きのようなものに少しだけ触れさせてもらった気持ちになりました。
きっとあなたはこれまで生きてきて、自分について、自分のしんどさについてたくさん考えてきた人なのだろうと想像しています。それは1つの見方だけで理解したり、解決したりできるようなことではなかっただろうと思います。

「毒親」についてのことがありましたが、私も「毒親」という言葉が厳密にどういう定義なのか、そもそも厳密な定義が可能なのかよくわかりません。ただ、なにかやってもらったこと、助かったことがあれば、自分にとってつらかったことや苦しかったことをなかったことにしなければいけない、ということは絶対にないと私は思います。
母親さんからの「外見内面他」についての「馬鹿にされたり貶されたり」した経験について、「素直な客観的な評価」と書いてありますが(というか、精一杯そのように受け止めてきた、そう受け止めるしかなかったということなのかなと思っているのですが)、価値観は人によってものすごく違うものですし、一人だけに決めつけられるものではないと思いますが、あなたはとにかく母親さんからの言葉を身に浴びて、それから距離を置くことが難しい状態が長らくあったのかな(あるいは、いまもずっと続いているのかな)と考えているところです。

「それに私のことを愛せないのは、私が原因であるため、貶されようと文句を言う筋合いは私には無い。」という言葉からも、あなたが、真っ当であろう…というか、誠実であろうというか、どういう言葉が適切であるかはわからないのですが、あるべきことを重視し、そうでない自分に責任を感じているというところもあるのかなぁと思いました。
原因はかんたんに決められないものですし、世の中には自己責任論の風潮もありますが、それはそもそも社会に問題が多いことの皺寄せが個人に向かっているというだけのことであり、個人の、つまりあなたのせいだとか、あなたが原因だとか思う必要はないと思います。

身体や戸籍上の性別への違和感がある中で葛藤することも多かったのかなぁと思います。ただ、それを周りで一緒に悩んだり、考えたりできるような人があまりいなかったのかもしれません。私もあなたと同じではないのですが、性的マイノリティのひとりで、性別二元論などにも違和感があります。ただそういう違和感すら許されない環境はこの社会にまだ少なからずあり、問題は山積みだと感じています。また不登校と精神病の経験もあるので、なんだかすごく、勝手な言い草なのですが、共感する気持ちになりながら読み進め、考えました。

あなたと母親さんとの関係があなたの気持ちやあなた自身を否定するような認識に与えた影響は計り知れないのではないかと私は感じました。ただ、それはもちろん母親さんが全て悪いということでもまたなく、あなたと母親さんの二者関係が、閉鎖的に孤立してしまうような環境、社会の問題だったのだと思います。
また、母親さんの気持ちやつらさを感じてきたからこそ、あなたは自分を責める気持ちもあるのかなぁと想像しています。

「母親のために生きる必要がないということも頭ではわかっている。」という言葉を読んで、難しいなぁと思いました。頭では「こうすべき」あるいは「こうする必要はない」などと思っていても、私たちは生きている上でさまざまな思いや関わりなどに引きずられることがあると思います。それ自体も強く否定しなくてもいいのかな? でも、実際苦しさの中にいるなら、やっぱり別の道もあるのでは…? など、なんだか無責任にいろいろと思いを巡らせてしまいました。
少なくとも、私はこの経験談を書いてくれた今のあなた自身の存在をひとつも否定したくないと思いました。
母親さんとの関係がたくさん書いてあったのですが、他の人との関わりとか、あなただけですごせる時間などはいまあるでしょうか? あなたのために使える時間、あなたがリラックスできる過ごし方などが生活にあったらいいなと願っています。またよかったら死にトリにきてください。

感想2

経験談への投稿ありがとうございます。

人に頼ることに対する気持ち悪さと不快感・・。その感覚は自分にも覚えがあるなと思いながら読ませていただきました。絶えず否定的な評価を浴びてきた中で、「恥」という感覚が身体の反応として深くインプットされてしまったのですかね。
「いい部分に目を向けてみよう」など自分を肯定的に受け入れる考え方は推奨されることが多いですが、あなたにとってむしろそれは脅威になり、とても恐ろしいことでもあるのかなと感じました。
自分に何が起こっていたのか、置かれてきた環境や社会的な価値観にも要因があると思うことで自分の心を守ったりすることもありますが、あなたの言葉には一切それらを許さない厳しさと、傷だらけの心から今も血がポタポタと滴っているようなイメージを想像しました。安心や安全はむしろ不安定で、自分を卑下することの方がいつものパターンで扱い方もよく知っている、そんな風に感じました。
そして、「そう思う自分がいる反面、やはり辛いと思ったり、もう少しだけ肯定して欲しかったと思う自分もいる」との部分に、厳しさで自分を守ってきた背後にある、あなたの柔らかくて繊細な本音にも触れたような気持ちになりました。

大きな影響を与えたであろう母親さんとの関わりについて書いてくれましたが、自分の母親とは何だったのかと捉え直そうとしたとき、あなたの中に今も漂う葛藤を感じました。ありのままの自分を表明した場面も、相当の勇気が必要だったのではないかと想像しています。
「私のことを愛せないのは、私が原因であるため、貶されようと文句を言う筋合いは私にはない」との言葉には、幕末の武士が切腹を迫られる瞬間のような容赦ない自己責任を感じましたが、そう思わなければやってこれなかったこれまでの日々を想像すると、簡単に「そんなに自分を責めないで」とは言えないなとも感じて複雑な思いです。

「全て頭では分かっている」との言葉に、自分の気持ちの揺れ動きを俯瞰的に捉えられる力を感じています。それが苦しい経験の中で体得してきたものであることには、切なさも感じます。

息苦しさを感じながら、救われる瞬間を願う気持ち・・。母親さんから影響を受けた社会的価値観によらず、等身大のあなたのままで受け入れてくれる人や場との出会いを勝手ながら願ってしまいます。ですが、易々と言えることではないし、そう言われた時のあなたの気持ちはどうなんだろうと考えると、文字を打つ手に迷いも生じています。
何かを伝える以前に、まずはあなたの生き様をしっかり受け止めたい思いで読ませていただきました。またよかったらお話を聞かせて下さい。

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