経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

少しでも家族の側にいたい

私は今年で37歳になりますが、うつ病でまともに働けず生活保護を受給しています。
去年から1人で住むように言われ、家族も家庭があるので散り散りになったのですが、皆んな県を跨いで引越ししてしまい私だけが残された状態です。
以前、一緒に住んでた時の私の立ち振る舞いが原因で兄弟は顔も合わせたくないと言い、母と一緒に暮らせないか相談したところ、その兄弟から猛反発をくらってしまいました。
それでも家族が好きです。
私は泣いては吐いて自殺未遂を何度かしましたが、母から周りの人に迷惑かけるからやめてと言われ、最終的にはそれを承諾しました。
そこで、ケースワーカーに相談して県を跨いだ引越しをお願いしたところ、母がどれだけ私のメンタルケアが出来るかによると言われました。
後は母に託された状態なのですが、母は癌の手術を終えたばかりで、自分の事で精一杯の状態です。
母はそんな私に「よく考えてから返事を出す」と言い
さらに「もし、兄弟が反対して引越し出来なくても遊びには来れるから安心して」と言ってくれました。
遊びに行けるだけマシで、これ以上は望まない方がいいのでしょうか?
そして癌の手術を終えた母に負担をかけてる自分が大嫌いです。

感想1

投稿文を読ませていただきました。去年から1人で暮らされておられたのですね。一人暮らしをはじめたころを思い出しています。家に帰っても誰もいなかったり、怪我した時に自分で手当てをしなければならなかったり。そういうことに慣れて良いのかな、と葛藤しながら、一人暮らしをはじめたことを思い出しています。さみしさを強く感じる時期でもあるかもしれません。
一緒に暮らしたい思いがあること、でも、母親さんに負担をかけている自分が嫌だと、葛藤があること、とてもどちらも本心の狭間で、苦しいだろうなあと感じます。でも、「遊びに行ける」という言葉が、お守りのように感じます。お守りと、できるだけ人のいるあたたかいところで暖をとりながら、寒い冬を乗り越えてほしいなと思います。

感想2

タイトルにもあるように、「家族」という存在、とりわけお母さんへの想いを強く感じさせられるように思ったのと同時に、どこか昔の私自身を思い出しながら読ませて頂きました。

家族の側にいたいという想いがある中自分一人で県を跨いで住むことはとても寂しく感じるものであるでしょうし、抱えている辛さや不安を自分一人で全て受け入れなければいけない状況はとても心細くなってしまうように想像しました。

お母さんにはお母さんの事情があり、ご兄弟にはご兄弟の事情があって「形として」散り散りになってしまったのかもしれませんが、「家族の側にいたい」と願うあなたにはとても残酷な現実として突きつけられたのではないでしょうか。

ですがそれは、お母さんやご兄弟が「あなた自身の生きる力」を“信じて”それこそ断腸の思いで選択した決断と言えるかもしれませんし、これから先あなた自身が「自分で望む生き方を自分自身で決めていってほしい」という願いがあってのことかもしれないように私には思えました(勝手な想像ですみません…)。お母さんが「よく考えてから返事を出す」と言いつつも、「もし、兄弟が反対して引越し出来なくても遊びには来れるから安心して」と言ってくれたのは、厳しい選択をあなたにとってしまったことに対して、あなた自身の力を信じつつも決してあなたの逃げ場所を奪わないように伝えた言葉でもあったのかなと私には思えました。

あるときから家族散り散りになって、一人で放り出されてしまった寂しく心細い状況では「少しでも家族のそばにいたい」と思っても当然のように私には思えますし、そのことで自分が負担になっていると考えなくてもいいように私には思えます。
今は「自分が大嫌い」と思ってしまうかもしれませんが、これから先少しずつでもまた家族との関わりの時間を取り戻しながら、あなた自身が「こう在りたい」と考えていけるような生活になっていくことを私は願っています。

投稿ありがとうございました。

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