経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

明日が来るのがつらい。

何年か前、7年ほど勤めた仕事を辞めた。仕事が嫌いだったとか、人が嫌だったとかではなくアレルギーによるドクターストップだった。
サービス業は土日が休めなかったから、土日に休める仕事を探した。
時給に惹かれコールセンターで働き始めた。
分かってはいたが、電話越しだからって理不尽に怒られる。怒られるような内容のコールセンターではないが、お客様は誰かしらに当たりたいのだと思う。いい迷惑だ。こっちからすれば知ったこっちゃない。少しずつ心にダメージが蓄積された。一生会うことはない相手だと割り切ればいいというだろうが、そういう問題じゃない。電話越しだとしても、心にダメージはくる。でも仕事だし、まだ働き始めだからと、頑張ろうと思っていた。
いつのまにか「仕事行きたくないな」から「仕事行けない」に変わった。前の日までは明日は仕事頑張る。明日こそは。って思うのに、いざ朝になると「無理だ」と思う。家から出る一歩が出せない。体調も崩しやすくなり、休む事が増えてしまった。
周りの人は頑張ってるのに。他にも辛い人はたくさんいるのに。なんで自分は頑張れないんだろう。そう考えるとどんどんしんどくなる。嫌でも他人と比べてしまう。
無理しなくていいんだよって声をかけてくれる人もいる。彼氏と同棲をしているため心の拠り所が無いわけではない。でもそれ以上に自分のことが嫌になってしまっている。
恥ずかしながら借金もある。だから転職をする勇気がない。
周りがどんどん結婚や、出産、家を建ててというSNSを見せつけられながら、自分は借金の返済をしつつ 毎日を生きてくので精一杯。生きてる事で人に迷惑をかけるお荷物になっている。そんな自分に心底失望している。
生きたくても生きられなかった人がいる。わかる。病気とか事故とか、明日を必要としてた人がたくさんいる。
でも私の明日にはそんな幸せを感じられる光がない。毎日毎日毎日、明日が辛い としか感じられない。なんで生きてるのか。なんで生かされてるのか。明日を生きたくない人ほど、明日がやってきてしまうから 手放したくなるんだと思う。
まだ苦しい辛いと涙が出てくる間は心は生きたがってるのかもしれない。明日も辛いけど。

感想1

理不尽に怒られる経験が心のダメージとして蓄積されるのは、心を持つ存在として当然のことではないかと思います。人によってタフであったり鈍感寄りだったりする人もいれば、心の機微を感じ取りやすかったり、言葉からの影響を受けやすかったりする人もいます。(個人的には相手がぴりぴりしていたり、怒られていると感じるだけでかなりつらいです)同じ人でもそのときの状態によっても変わるしシチュエーションなどでも変わるように思います。それはそのどれが悪いとかダメだということではなく、ただ違うということだと思います。
「周りの人は頑張ってるのに。」という比較は近くに人がいるとどうしてもしてしまいがちで、しかも実際にそういう比較の眼差しを向けられることも少なからずあると思います。
でも「生きたくても生きられなかった人」とか「他にも辛い人はたくさんいる」とかは関係なく、投稿者さんにとってつらればつらいと感じていいと思いました。でも、投稿者さんのこれまでの人生の中に、自分や他人がつらいと言うことすら認めてもらえなかったり、重視してもらえなかったりする環境があったのかもしれない、と想像しました。
「恥ずかしながら借金もある」と書いていること、「生きてる事で人に迷惑をかけるお荷物になっている。そんな自分に心底失望している。」という表現などを読み、投稿者さんがこれまで浴びてきた自己責任論がどれほどだったのかと思いました。
迷惑か迷惑じゃないかをシビアに判断して人を切り捨てていく社会はすごく貧しくて問題の多いものだと思います。そういう風潮自体、多くの人が余裕がない状態でいるということなのかなとも思います。
「明日が来るのがつらい。」というタイトルにある「明日が来る」というのはどういうことかなと想像しました。たとえば、つらいのに頑張らなければいけない時間が来るということや、しんどさが未来まで継続する果てしないイメージ、少しでも楽になりたい、つらさから解放されたいけれど、そういう時が訪れるとは思えない感覚…などがあるのだろうかと思いました。(勝手にいろいろ想像してしまいましたが、的外れだったらすみません)
個人的にはもちろん「無理しなくていい」とも思いますし、その前提として、無理をしなければいけない状態に置かれている方に問題があるのではなく、無理をしなければ困ってしまう世の中に問題があると思います。
「でも私の明日にはそんな幸せを感じられる光がない。」という部分や「まだ苦しい辛いと涙が出てくる間は心は生きたがってるのかもしれない。」という部分などを読んでいて、投稿者さんの心の中にもいろいろな葛藤や揺らぎがあるのだろうなぁと想像しています。その揺らぎの中の一部分にでも、投稿者さんにとって落ち着いて過ごせる時間があるといいなと思っています。投稿者さんのその時々の思いをあまり伝えられる人がいなければ、また死にトリの経験談やとりコミュなどを利用してほしいです。投稿ありがとうございました。

感想2

読みました。わたしは朝になって仕事に行けなかったとき、うつ病になっていたので、そのあたりを思い出し&勝手に重ねて「無理しないで休んでほしい」という声をまずはかけたくなってしまいました。

コールセンターの話を見て、心に浮かんだのは「人は誰かの感情をぶつける道具じゃない」という言葉です。お客様だろうと、知り合いだろうと家族だろうと、相手を「モノ」のように扱って当たっちゃダメでしょ…!と、わたしは思うのです。(人間だから時々当たってしまうことはありますが、対等な人間関係なら、反省して謝ることや、何か他の形で償ったり貢献したりでバランスをとりますよね)
「モノ」のように扱われている、と考えたときに、怒りというエネルギーを向けられることに加えて、一人の人格として扱われていないことが、あなたの元気を奪っているようにわたしは感じました。

周りは頑張っているのになんで自分は頑張れないんだろう…という気持ちは、自分もそう思っていたのでわかります(わかると思います)。そして、「比べなくていいよ」など、人に何かを言われたところで、簡単に変わるものではないともわかります。
でも、「人間として扱われないことのある環境で頑張れないのは当たり前なのでは…?」とは、素直に思いましたし、言いたくなりました。
あくまでわたしの考えですが、人間扱いされない中で無理して頑張っている人は、みんな逃げた方がいいと思うし(いろいろ事情があるとそう簡単にはいかないですが…)、頑張れている人は、人間扱いされているから頑張れているのだと思っています。だから他の人の頑張りと比較して、自分を貶めたり奮い立たせるのは、実は筋の通ってない話なのかも…?と、わたしは思ったりします。

あなたは「生きたくても生きられなかった人がいる」ということを受け止めて悩んでいましたが、その言葉について、つらい人が向き合う必要はないとわたしは考えています。
なぜなら、「生きたい」と思える(明日に希望をもてる)スタートラインに立てていないことは、生きたくても生きれないことと同様に、苦しく、残酷なことであるとわたしは思うからです。

明日つらいことが待っているなら、明日が来てほしくなくて当然だと思うので、例えばどこかのタイミングで辞めると決めて転職の準備を始めてしまうなど、多少は救いのありそうな「明日」にできたらよいのでしょうかね…?
事情がすべてわかるわけではないので、アドバイスをできる立場でもありませんが、少しでも違う明日が見えてくる日が、あなたに訪れることを願っています。

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