幼稚園上がる前までは愛して貰えていた記憶と国内旅行に連れて行ってもらえた綺麗な記憶がある。
いつからだろう。
ああ、たぶんお金や不倫がきっと両親を変えたのか。
家庭崩壊はあっという間に始まった。
母は夜の仕事に着くようになり
私達に食事を与えなくなり、入浴も進めず平日は祖母に私達を預け週末に父が迎えに来る。
祖母は優しかったが、清潔を保つ事の大切さを教える人では無かった為に
私達姉妹はいつも不衛生で
毛玉の出来てる頭で登校していた。
当然、友人はできず独りぼっちの厄介者扱いだった。
祖母の経営するラーメン屋のお客さんに性的悪戯をされても怖くて誰にも言えなかった。
そんなある日の週末、悪夢は更に重なり
夜中に父に悪戯をされた。
その日をきっかけにこの先10年、オモチャや八つ当たりの道具にされる事となるとは思いもしなかった。
気がつけば両親とは別の他人が家に住んでいた。
今思えば母親の不倫相手だろう。
異様な光景だ。
父は母の不倫相手を承諾して住まわせている。
母は私達に『私の事をお母さんって呼んだらダメ!私はあんた達の母親ぢゃないんだからね!』
この日、母は私達を捨てたんだろう。
食事を与えて貰えず
冬は薄いタオルケット一枚を妹と掛け合い抱き合って過ごし
お腹が空いたと泣く妹の為に母の財布から小銭を盗み
盗んだ事がバレたら『こんな子私の子ぢゃない!こんな子いらない!』と言われ。
いつのまにか住み着いた居候には、あれしろ!これしろ!と命令され
出来ないと居候の気が済むまで一日中正座させられ説教も永遠とされ
当然食事も与えられず、学校へ行く事も禁じられた。
両親はそんな私達を庇うどこか
一緒になって攻め立てていた。
居場所が無い。
お腹が空いた。
寂しい。
苦しい。
助けて。
誰にも言えなかった。
そして、父の性虐待は妹にも伸びかけていた。
それを感じ取った私は、私の身体を張って妹を守るしかなかった。
父には『お願いだから妹にだけはやめてほしい。』と頼んだ。
それからの父は更にエスカレートしていった。拒めば暴力を振るわれるので従うしかなかった。
そんな事が続いて数年
ある日学校で先生に呼び出された。
校長室に行くと疲れ切った妹が泣きながら『一緒に逃げよう?』と行った。
私は妹の手を離して逃げずに両親の元に残る選択をした。
愚かな私は両親に愛されたくて残ったのだ。
この判断が更なる地獄に続くのに。
妹が家から逃げてからは
母は更に荒れ、『私は子供に捨てられた可哀想な人』と被害者面で、
父は母に性処理をして貰えず不倫相手に夢中な母に苛立ち
その苛立ちは全て私へ向けられた。
勿論、居候からの精神的虐待も変わらず
今まで妹と分け合ってた苦痛はすべて私1人に集中攻撃する日々に変わった。
高校生になって2年目
私を好きだと言ってくれる人が出来た。
私は私を好きだと言ってくれる人に初めて居場所が出来たと嬉しくなった。
だけど、妊娠が発覚したら私を好きだと言ってくれた彼は姿を消して、
彼の母親を通して降ろして欲しいと聞いた。
彼の母親も『若いんだから降ろしたって平気でしょ?って言うか本当に息子の子供なの?』
ああ、彼にとっても私は必要無いんだな。
どうしよう。
怖いな。降ろすべき?
そんな時私の身体の中で『ポコん』と蹴る小さな生命を感じた。
急に愛おしく感じた。
18歳の母になる決意をした。
その頃、事情を知った両親は
居候を出て行かせ私のサポートをしてくれるようになり
私はとっても幸せを感じた。
信じて良かった。
耐えて良かった。
コレからは幸せであり続けれる。
きっと両親はこの先私の事も私の子供も守ってくれる存在になるんだと信じた。
今までされて来た事は忘れれないけど
許そう。コレからを信じようと。
妊娠して出産して。
3年間は幸せだった。
子供の父親はいないけど
両親やその頃に出来た新たな友達がサポートしてくれて
お金には困っても精神面ではとても助けられてた。
21歳の時に結婚をした。
その時までが1番幸せだったのかも知れない。
更なる地獄は37歳の現在進行形で続く事になる事をしるよしもなく、、、。
今の私は大学生と小学生の2人の子を持つ母である。
21歳までの事を簡素的に描いたが、後々の
現在までの様子は
また、描けるようになれば描くかもしれません。
中途半端ですが、この生き様をみて同じような体験をして生きて来ている人の何かに。
伝わりますように。
感想1
投稿、ありがとうございます。最後の一文「伝わりますように。」が自分の経験を自分だけで終わらせずに、何かにつなげていきたいという意思が込められたメッセージだと感じました。私自身は同じような経験をしたわけではないですが、同じような経験をしている人たちと出会うことはたくさんあるので、いろいろなことを考えたり、想像したりしながら読みました。
タイトルを見て21歳の人が書いてくれたのかと思っていました。でも、今回のは21歳までの途中までで、その後も地獄の生活が現在進行形として綴られていました。勝手ながら、今の暮らしぶりを心配する自分がいます。一方で、このような経験談を書いて送っているあなたの覚悟や意思を想像すると、地獄の中でも、あなたらしくひたむきに暮らしているようにも感じています。今回、こうして書いて送ろうと思ったことには何かきっかけがあったのでしょうか。
家庭崩壊後、あなたは数々の外傷体験をしたとだろうと私は認識しました。この経験談はその外傷体験を自分の意識で自分の言葉で語っていて、それには大きな意味があると私は思っています。たくさんの暴力や人権侵害があり、本来は守られるべき子ども時代に過酷な経験を引き受けざるを得なかったことは確かだと思います。
印象的だったのは、妹が家から一緒に逃げようと声をかけられた際に、家にとどまることを選択したことでした。その時のあなたにはそうせざるを得ない理由が確かにあったのだろうと思いました。そして、その時のことをこうして思い出して過去の自分の決断について書いているあなたの心境を想像しています。どんな心境なのか詳細は分かりませんが、過去の自分を受け入れているように感じています(間違っていたらすみません)。
そして、子どもを生む決意をして、両親のいる家で育てようと思った場面も印象的でした。おそらく、その時もあなたの中でそう思うだけの理由があったのだと思います。その理由は理屈で明確に説明できるようなものではなく、その時にそうする方がいい、そうしなければという何かが当時のあなたの中から湧き上がっていったような感覚を抱きました。
やはり、私は21歳より先のあなたの人生が気になります。そして、今は子どもたちとどのような暮らしをしているのか気になります。さらには、37歳のあなたが今回、こうして過去の経験を書いて送ってくれたのはどうしてなのか、教えてもらいたい気持ちでいます。私には経験談というよりも意思表明のような、自分は自分として誇りをもって生きている声明文のように受け止めています。あなたが生きていることを私なりに受け止めました。続きが読みたいです(しつこくですみません)。お待ちしています。