経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
私の心は不安を好んで餌にする
私の心は、私が幸せになることを許さない。大好物である「不安」を食べられなくなるからだ。
虐待され育ったせいか、学生時代は「普通に生きること」への憧れが強かった。
私の心はすぐに不安の火種を見抜いた。些細なきっかけを見つけては「お前は死に至る病にかかっている」「お前の家庭環境がバレたら就職は取り消されるだろう」と脅してきた。つまり、私は「普通に生きること」が叶わないのだと。
20代の私はもっと与しやすかったと思う。酒をよく飲んだからだ。酒は飲めば飲むほど離脱症状で不安感が高まる。心は、そこに付け入り適当な理由をつけては私を打ちのめし、握りつぶしたスポンジから滴るような不安を舐め取っていた。
30代に差し掛かると、酒を減らし、趣味をいくつか持った。不安がわきにくい環境を自ら少しずつ構築できたことが嬉しかった。
心に打ち勝ったと思った私は、久しぶりに一人で酒場に出かけた。そんな状況でも穏やかに過ごした、という事実を戦利品として持って帰るつもりだったのだけれど、駄目だった。
常連の方のすすめを断れず飲みすぎてしまい判断力を失った。そして本当に残念なことに、いわゆるお持ち帰りをされてしまった。
いま、心は私を脅迫している。ここに書けないようなひどい言葉で。もっと餌を、不安を出せ、罪悪感に苛まれろと催促している。
こいつは寄生虫だ。不安や罪悪感という餌がなくなると、まるで私を操るように「餌を獲得しやすい環境」に誘う。
今はただ、逃げたい、消えてなくなりたい。
それでも人には優しくしたい
感想2
興味深い感じ方(自分の心の認識の仕方)だと思いながら読みました。
自分の心を、自分にコントロールできない、そして自分を支配しようとする「何か」として捉える感覚は、わたしにもあります。でも、「不安を好んで餌にする」という見方は、わたしも随分と不安に支配されているにもかかわらず、考えたことがありませんでした。
あなたの心で、幸せになりたいという気持ちと、幸せになんてなれない、という二つの気持ちがいつもせめぎ合っているようなイメージを抱きました。
虐待されて育ったと書いてありましたが、虐待環境にいると、人は「自分は幸せになんてなれるわけはない」と思い込んでしまうことがあるそうです。期待しなければ、がっかりすることもないし、自分に幸せになる資格がないことにすれば、「だから酷い目に遭うんだ」と一応納得することもできます。つまり、自分の心の負担を少しでも軽くするために、ある種の暗示のようなものをかけるわけです。
そういった自分を守るためにかけた暗示が、大人になっても解けずに自分を縛りつけ苦しめるという話を、わたしはよく見聞きしたことがあります。
そう考えてみたときに、あなたが使っている、幸せになることを許してくれない「心」というものは、「呪い」とか「亡霊」と呼ぶこともできるのかもしれない…?とわたしは思いました。(そうじゃないよ、って思った場合はわたしの説はスルーしてください)
その、餌を求めてくる「心」から、どうしたら少しでも自由になれるのか…と考えたときに、まず思ったのは、なるべくそのことについて一緒に考えてくれる味方がてほしいな、ということです。
そして、死にトリは、そういったことを受け止め、一緒に考える存在でありたいと思っています。だからあなたが、この「心」の話を投稿してくれたのは、とても大事な一歩のようにわたしは思いました。
わたしも人に優しくしたいです。
感想1
小説のような鋭い視点からの書き出しがとても印象的でした。不安を貪るこころを主語として、こころとあなたの関係を描写していました。
こころを自分から切り離して捉えているところから、こころに支配されてきた自分を失わないよう抗ってきたあなたの意思や気持ちを感じ取りました。
自分の生き方に悩む方の多くは「私とこころ」を「私」して同一に捉え、「私」を自責して、どうしたらいいのかわからなくなっている場合が多いように思います。私自身もそこまで私とこころを分けて解釈できていません。こころの仕業を客観的に捉えているあなたは、自分自身を見失っていない証拠でもあるのだと私はとても感じました。
いまもまさに安定を求めるあなたと不安定を求めるこころがせめぎ合っていますね。
何とか乗り越えようとしたところでうまくいかないこともあったように想像します。こころはまだ何もない平穏で安全な状態を心地よいと認識できないのかもしれません。そんな時は、落ち着かずに不安を催促し、脅迫し、誘おうとする…まるでこころが不安の取り立て屋となって、あなたの部屋をノックしているかのようです。そんなときは頼れるひとに連絡するか逃げるのが一番です。逃げると言っても実際はあなたの中にあるこころですもんね。誰かを頼りたくても頼れるひとがいない場合もあります。
できることならあなたが逆にこころを操りたいところですが、こころの方が一枚も二枚も上手で、ひとりで対峙するにはまだなかなか手ごわいことでしょう。そんなときは一緒に立ち向かう理解者や協力者が必要なのかもしれません。あなたが経験談を書いてくれたことも何かのきっかけのひとつだと私は思いますから、ぜひ死にトリにまたきてほしいと思います。
最後にかいてくれたひとに優しくしたいという気持ちもあなたのこころです。
いろんなこころについてまたこうやってやり取りができたらと思います。私にとってはこころのありようを深く考えさせられる経験談でした。
投稿ありがとうございました。